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 申請書類は通ったらしい。書類が通るまで一週間しかかからなかったというのが、お役所仕事のわりに恐ろしく迅速だ。というか、一般的なクレジットカードの審査よりも早そうだ。人生で一度もクレカを持ったことが無いから知らないけど。

 しかし、どんなに早くとも一週間という時間はかかる。その間に、鍋島さんから獣祓い師の基礎的なことを教わることになった。


「――獣がかつては『化物』と呼び記されていた、というのは以前お話ししたと思います」


 恒例のように、事務所の居間で集まっての話だった。ちゃぶ台の上には、一枚のコピー用紙が広げられている。そこにはいかにも恐ろしげな、トラの頭をした人間の写真だった。といってもその姿はかなり引きで撮られている。どこかの山村だろうか、建物の陰からぬっと姿を現した瞬間に見えた。合成やCGと言われればそう信じてしまうような、非現実的な写真だった。

「これは、大正時代に撮られた写真と言われています。存在自体はもっと前からいたものと思われますが……明確に写真として残っているのはこれが最古です。それまでも、神社庁の一部所の職員として存在していた獣祓い師はこの獣のおかげで、本格的に予算を投じられる実働部隊になったのです」

「それまでは、獣は野放しだったんですか?」

「いえ、それまでも獣祓い師は活動をしてました。ただ、それはとても細々としたもので……どちらかというと文化財や伝統芸能の保護みたいな感じで、神事や習俗文化の伝授として予算が投じられてたみたいです。獣の討伐はそれこそ、ごく一部の強い獣祓い師が行っていたことだったみたいです。戦える人は全体の一部で、あとはその時に使う道具や術を教えられる弟子ばかり、みたいな」

 それを知る者は多くいても、実際に使う者はほとんどいなかったということらしい。そしてこの写真の『トラ』は、そんな獣祓い師たちの転換点になったようだ。

「このトラが、凄く強い獣だったらしくて。個体の強さっていうのもあるんですけど、村一つを滅ぼしてしまった余波で、多くの獣が現れてしまったんです。獣は山に散り、他の村を襲うことすらありました」

「……大災害ですね」

「まさに。災害級の出来事だったみたいです。事態を収束させるために多くの獣祓い師が投入され、その戦いの中で命を落としました。上師じょうしも……あ、上に師匠の師って書いて上師って読むんですけど、その人たちは技を伝えるいわば師匠の役割を担っていましたが、そういった人たちも半数ほどが死んでしまったと言われています。大災害であり、大事件ですね」

「ところで、前聞いた時は家や里が獣祓い師を育てているって話でしたけど……上師の人はそういった家の出、ということですか」

「そうですね。少なくとも戦後になるまではそれが主流だったみたいです。いまみたいな、家を離れた人が弟子を取って、さらにその弟子が上師になって弟子を――みたいな流れは平成に入る少し前からの流れですね。

 大正から昭和にかけては、戦争で色々とそれどころじゃ無かったみたいで……資料もほとんど残されてません」

 獣祓い師、暗黒の時代といったところだろうか。まあその辺の時代が暗黒時代だったのは獣祓い師どころか、日本、というか世界的な話なんだろうけど。

「戦争を生き延びた家が辛うじて獣祓いを支えて、それにも限界が来て、ようやく国からのてこ入れが入って……平成に入ったところでようやく現在の部署が確立されて、色々波乱含みだったみたいですね。僕の知らない時代でしたが、僕の師匠は大変だったとぼやいてましたよ。体制作りで上と揉めたとかどうとかで」

「鍋島さんの上師さん、エネルギッシュな人ですねぇ……」

「本当に。エネルギーが溢れすぎてて、僕はいつも押し負けてました」

 なんとなく、想像が付く。上師さんがどういう人だったかは分からないが、笑いながらも努力する鍋島さんの姿だけは、短い付き合いでも何となく想像できた。

「……僕はたぶん、師匠みたいにはなれないんだと思います。ちょっと緩いかもしれませんけど……それでも、獣に合ったら死なずに立ち回れる程度のことはきっと教えられますよ。僕みたいなのだって、いままで死なずにやれてたんですから」

「いやあ……鍋島さん、立派な人だと思いますけどね。卑下しなくてもいいですよ。普通あんなデカイの仕込み杖で刺し殺せませんよ……」

 思い出してみると、あの動きをやれと言われても絶対無理だと言える。殴られるのを避けるぐらいはできても、反撃ができるとは思えない。それについては若干の自信があったのか、鍋島さんは照れたように笑って視線を泳がせた。

「あはは……あれは師匠直伝でして。あの技だけは磨いておかないと本当に死ねますし……正直あんなインファイト、しなくていいならしたくないです。が、僕はどうにも魔素が少ないので……」

「……魔素が高かったら、別の手段もあったんですか?」

「それはもう。魔法みたいなのが使えるって言いましたけど、そういう便利な術が体系立てられて幾つもありますから。僕はせいぜい獣を感知したり追跡したりする、補助的な術しか使えないものでして。……あっ、使えないと言っても教える程度のことはもちろんできます! やってみせます!」

 そこまでやる気にならなくとも。でも、やっぱ鍋島さんは凄い人だと思う。自分の苦手なことでも、頑張れる。私には無い素質だった。

「で……ですね。歴史の話はこの辺にしましょうか。他に説明すること……そうですね、術の話をしましょうか」

「魔法、というより道具を使うための力……でしたっけ」

「狭義で言うとそうですね。広義的には、術は対獣術の略称みたいな使われ方しますね。対獣術、つまり獣に対抗するための術です。武器を使ったりするのも術の一種ですし、獣を感知したり見たりする能力もやっぱり術です。まずはその体系から、ですかね」

 そう言って、今度は別のコピー用紙を鍋島さんは出して見せた。A4コピー用紙三枚分。デジタルとアナログの中間、パワーポイントすら使ってないような、図形と文字だけで表現されたシンプルなチープさが見てて心地良い。余計なものが頭に入ってこない。

「対獣術、というのは大きく分けて二つあります。一つは武術。もう一つは、道術です」

「道術? 道、っていうと道教とかの?」

「あー、そういう流れを汲んでるところもありますけど、色々混ざってる感じですね。特に二千年代に入ってからは、海外との交流も盛んになってますし。中国由来のもの――仏教や陰陽道と、日本にある神道等の文化が歴史的には古いですけど、西洋魔術とかも結構ありますし」

「本当に魔法みたいな感じなんですね……」

「っていっても、杖を振ってキラキラ~っていうのは基本無い感じですね。あ、杖の先光らせたりはできますよ」

 つまり、テーマパークにいかずとも魔法使いごっこ――いやもうごっこじゃないな、本業だし。それができてしまうということらしい。

「西洋だろうが東洋だろうが、ある手順を踏んだりして何かの効果を起こしたり、何かを召喚したり、物体に何らかの効果を与えたりするんです。それにも結構手間がかかったりして……呪文を唱えて敵を倒す、っていうことはやっぱり無いですね。もちろん強力な武器にはなりますし、明星さんにはその才能が十分あると思いますよ!」

「……ありがとうございます」

 照れくさいような、どう受け止めていいのか分からないような感覚だ。何かに対して才能があるなんて言われたこと、あっただろうか。高校の時、一応所属してた文芸部にいたときに小説を書いてそんなことを部内で言われた微かな思い出がある。でも、いまあの時の小説を見れば、笑ってしまうほど稚拙だろう。極める努力が足りなかった才能の、なんとみすぼらしいことか。

「魔素、っていう才能のこともありますし、一から武術をお教えするより、明星さんには重点的に道術の方をお教えしようと思います。僕の得意な分野ではないので、もしかしたらその方面に明るい人を呼ぶかもしれませんけど」

「そういうことは、そちらにお任せします。……ところで、一つ気になったんですけど。修行期間ってどのくらいあるもんなんでしょう? 一つの術を身に着けるのに一年……とか」

「はは、そんなにはかかりませんよ。簡単なものだと、特殊な和紙と墨を用意してお札に文字書いてそれで終わりですからね。一緒にやれば一日でできちゃうのとかもあります」

「い、意外とお手軽ですね……」

「手軽になるよう進化した、みたいですね。昔はもっと念を込めたりとかなんとか色々あったみたいですけど、普通の筆と墨で魔素を込めながら書くより、初めから墨壺に魔素を突っ込んでおくのが楽という発見があって……だいたいみんな、暇なときはそういう道具作りとかしてますよ」

 よく使われる物は進化する。それはこういう業界でも一緒らしい。電話だってパソコンだって、使われてるうちに小型化したり便利になったりしていったわけだし。

「そういった道具を見せたり、訓練したりするのは書類申請が通ったりした後にしかできないので、いまは置いておいて……道術の分類ですね」

 鍋島さんはコピー用紙の二枚目に指を置いた。一枚目から伸びた『道術』という文字と四角の囲みだけのフローチャートが、次の文字に続いている。

『陰陽術』『西洋魔術』『神道』『聖歌』

「聖歌?」

 ちょっと想定してない文字が見えたので、思わず言っていた。鍋島さんが思わず、といった感じで噴き出す。

「やっぱりその反応ですよね」

「あ、変な反応じゃ無かったですか」

「僕も同じリアクションでした。西洋系の魔術……というか、まんま聖歌なんですよ。あんまりこっちの方では使われてませんね。似たようなのでこっちには祝詞がありますし、こっちの獣祓い師は神社庁が元は仕切ってましたから、やっぱりそっちの系統が主流です」

「歌、効くんですか、獣に」

 鍋島さんは笑顔を引っ込め、真面目な顔を作って答えた。

「獣によりますね。獣に効くのは、霊的要素を付加された物理的手段、もしくはその精神性に依存した冒涜を生む属性のものです」

「冒涜を生む、属性のもの……?」

「難しい言い方だから分かりにくいですけど……人間だった頃の自分が、いまの自分を見て否定する要素……というか。一番分かりやすいのは、良心が咎めるって感覚でしょうか」

「ああ……」

 だから冒涜、ということなんだろう。前の自分から見て、獣である自分は非常識でのだと思い起こさせる『何か』がある。そういうことらしい。

「聖歌とか祝詞とかでは、直接倒したりするのは難しいんですよ。でも、時にはとんでもない効果が上がることがあって……これはイギリスでの例なんですけど、村一つが被害にあって十数人という獣が発生した際、聖歌を歌える人を一人連れて行ったそうなんです。効果はてきめんで、聖歌を聞いた獣たちは倒れ伏して、無抵抗に祓われていったという話です」

「……そこの人たち、信心深かったんでしょうね」

「ええ……効いた、ということは、聖歌の中に歌われたことと自分たちが反していると、気付いてしまったということでしょうからね。心が体を縛るほどの威力だったそうですから……有用であればあるほど、善良な人が亡くなったのだと痛感して、少し辛くもありますね」

 そうですね、と同意しながらも、そうだろうかと一瞬思ってしまった。信心深い人は、果たして善良だろうか? いや、死んだ人たちにはきっと、罪は無かったはずだ。あったとしても、獣として殺されるのはやはり惨いこと、なのだろう。

「人は人として死ぬべきなのかもしれませんね。……死ぬ前に、人の意識を欠片でも取り戻した獣が幸福なのかは分かりませんが」

「どう死ぬにしろ、獣になるのだけは嫌だ、というのが獣祓い師の総意ですね。たーまに、なってみたいという人もいますけど。そういう人は獣になりたいのではなくて、獣みたいに暴れたいだけの人なので……たまに破門されてたりします」

「あ、ヤバイ人もいたりするんですね、この業界」

 こんなことを言っていいのか。しかし言ってしまったのだから仕方がない。鍋島さんの反応を見る限り、言ってほしくないというほどでも無いようだったが。

「ヤバイ人の管理、結構神経尖らせてるんですよ。獣になりたい、じゃあご勝手に、では済みませんから」

「映る……でしたか。それがありますもんね」

「それもありますし、どんな人でも人は人ですから。……獣を祓う僕たちは、間接的には人を殺しています。いえ、獣の大半はもう、死んでいるのですけれど……それでも辛くなってしまう獣祓い師も少なくありません。そういう点においては、覚悟のいる職ですよ」

 確認や念押しをされているようで、鍋島さん自身が自分に言い聞かせているようにも見えた。もしかしたら、私はまだそのことを重く受け止めていないからかもしれない。元は人であろうが、獣はともかく戦って倒さなければいけない。二回の獣との邂逅が、そう思わせている。……ただ、そう思えるのはまだ、自分が獣を祓ったことが無いからかもしれないのだ。自分は大丈夫だ。そう思って体験して、大丈夫じゃない。そんな事例は幾らでもある。

「……ええと。ちょっと話が逸れましたね」

「あ……すみません」

「いえ、いいんですよ。いい感じに、説明できましたし。それで、他の術ですね――」


 そこからは、術の説明を受けた。


 説明、といっても本当に概略だ。各術の代表的なものを教えてもらったり、あるいはよく使う術はどれに属しているのかを聞いたり、と。どうやらどれか一本を極めなさい、という話では無く、状況に置いて色々と使い分け、あるいは自分が使いやすい術を使いなさいということらしい。そして、用途が同じでも、使う道具ややり方によって、また分類は様々に分かれているらしい。

「追尾の術も色々なんですよ。占術や式神を使う人もいますけど、僕はもっぱらダウジングで」

「ダウジング、マジであるんですか」

「あるんですよ! 魔素が少なくても、良い道具があれば使いものになる貴重な術で……獣を探すのから、どこかにやって見つからないスマホを探すのまで、本当に重宝してます」

 そんな使い方をして良いのかと思うけれど、まあ刀で大根を切っても文句を言う人はいないだろうし……もったいないとは言われそうだけれども。実際便利なら使ってしまうだろう。というか、それを習いたい。わりと物をよく見失う方なので。無くすのではない。見失うのだ。何せ目の前にあることすらあるのだから、見失うというのが適切だろう。

 ……というか、さっきの会話、式神という点にもっと気をやるべきだったのではないか。しかし気になったのは別の話題に移った後で、話を戻して聞けるほど私は図太くは無かった。そもそも、次から次へと投げ込まれる知識を吸収するのに精一杯だ。脳が年食ったのか、それとも元からこうだったのか。真面目に授業を受けていた大学時代も、もう七、八年は前で当時がどうだったかなんて記憶の彼方だった。

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