1-5
色々と、慌ただしいことになった。いや、慌ただしいのは鍋島さんだけだったのだけれど。獣を倒すのも大仕事だろうけれど、その事後処理の方が見ていて大変そうだった。
獣祓いの報告とか、周辺に他に被害者がいないかとか、そういうのもあったけれど。一番大変そうだったのは、助けたおじさんへの説明だった。
「――いえ、ですからあれは普通の動物じゃなくて、強い感情を持った人の遺体が変化したものであって……」
「アレが元人間なわけあるかい! だいたい死んでたら動かねぇだろうが。あんな動物、猟友会でも何でも呼んでさっさと撃ち殺しときゃよかったもんを! 町ん中出るまで放っておくなよ!」
「は、はあ、面目ありません」
「あんたじゃ話にならん、警察でも何でも、担当してる人間引っ張ってこい!」
「ええと、警察はいまから呼ぶところなんですけど」
「だったら早く呼べ!」
本当に忙しそうだったので、警察への連絡は私が代わりにやることにした。どうやら普通の110番ではなく、専門の部署にかけるらしい。鍋島さんのスマホを借りて、ショートカットに登録している番号へとかける。
『鍋島さん、またですか?』
2コールで繋がった先の人は、鍋島さんの知り合いらしい。落ち着いた男性の声で言われた第一声がそれだった。どう返答したものか少し困ったが、ともかく最低限伝えるべきことをまず言う。
「あの私、鍋島さんがちょっと手を離せなくて、代わりに電話をかけているんですけど」
『へっ?』
「すみません、鍋島さん……ちょっといま被害者の方、ええと……獣から助けた方への説明で手一杯で、こちらの番号にかけたら分かるって」
『ああ、なるほど』
電話は苦手だ。こんなしどろもどろの説明で申し訳無い。相手の人は気にしてない様子で、それが救いだった。
『分かりました。私、
「あ、市民病院です。中区の市民病院」
『分かりました、すぐ行きます。お手数ですが鍋島さんには、堀が行きますとお伝えください』
大人のスマートな対応をしてくれて、助かった。電話は本当に慣れない。話しているだけで何だか嫌な汗を掻いてしまう。客観的に見ればそう変なことは言ってないと思うのだけれど、ともかく変な喋り方をしているような気がしてくるのだ。……まあそれはともかく。
「鍋島さん、堀さんという方がこっちに来るそうです」
「ああ、良かった。堀さんがまだ詰めててくれましたか」
「やっと警察が来るのか! ったく、こういう事件ってのは事前に察知して動いてくれないと。町にあんなでっかい熊が出てくるなんて……」
おじさんはまだぶつぶつ言っている。が、どうやら怒りのピークは越えたらしい。もしくは、鍋島さんじゃ話にならないと本気で思って警察に文句を垂れるつもりなのか。さっきまであんなに情けない声を出して逃げ回ってたのが嘘のようだ。ちょっとイラッとくるような、まあでも元気そうで何よりだ。
――ただ、元気と言えば……。
「鍋島さん。獣と接触したらやっぱり、検査はしないといけないんですよね」
「はい。薬師寺さんも……あ、今回被害に遭われた方なんですけど、やっぱり検査はしていただくことになりますね」
「それはそれでいいんですが……その、私もですか」
「……あっ」
どうやらいまのいままでその可能性については考えてなかったらしい。鍋島さんはたっぷり五秒は考えてから言った。
「……この場合、本来的には個別に検査した方が良いんですけど……血を抜いたりもしますし、一日にそんな何回もってわけにも……ですよね」
「まあ……やれと言われれば、やりますよ」
「いや、やっぱり負担になりますし。元々経過観察のために定期検査を受けていただく予定でしたし、来月にまた、ということで……どうでしょうか」
「あ、じゃあそれで……」
話が付いた。話が一つ終わると、沈黙が生まれた。夜だというのにまだ鳴いているセミが騒々しく、反面余計に沈黙を意識してしまう。言うことが無いのなら何も言わなくてもいいはずなのに、妙に意識が鍋島さんに向かってしまう。
「なあ、ねえちゃんよ」
幸いなことに、沈黙を横からおじさんが破ってくれた。おじさん、名前はどうやら薬師寺さんというらしい。病院の玄関先にある、タクシーや一般車両の停留所前にあるベンチに、仰向けになっていた薬師寺さんはゆっくりと上体を起こして言った。
「さっきは助かったぜ。ただなぁ、まだ若いのにあんな無茶するもんじゃねえよ。嫁入り前の体でさ」
「はあ……すみません」
余計な世話だと思ったが、心配してくれてる人に対して棘のある言い方をするもんじゃない。それに、喧嘩腰に反発して何か良い着地点が見付けられた試しなど、ただの一度も無いのだ。堪忍できる範囲なら、黙って見過ごしておけばいい。
「いや、謝れってことじゃねんだけどな。世の中にも、死ぬ順番ってもんがあるだろ。死ぬなら年寄りから先にってさ」
「……そういうもんですか」
「そういうもんだ。順番通りにいかねえってのは、目も当てられないぜ」
この人の人生にも、まあ色々あったのだろう。何歳上かは知らないが、十年や二十年の分だけ、苦労もしてきたに違いない。それでも、死ぬ順番とは年齢で決まるのかと、内心では思ってしまう。
悲鳴を上げて逃げ回ったあなたの方が、私よりも生きるべき順位は高いんじゃないか。
そう言ってみたかったけど、まあたぶん説教で終わるだろう。だから黙っておいた。
――ふと、両親のことを思う。両親と私では、どちらが先の順番に立つべきだったのか。親はきっと子に先立たれたいとは思わないだろう。子供として私は難物だったと思うが、それでも死んでほしいと思っていたわけではないと思う。
だからといって、それが生きたいという理由にはならないのだ。生前どんなに生を願おうが、いま目の前で生きろと言っているわけでは無いのだし。死に向けていまの私は自由だった。……あ、でも鍋島さんがいるか。
結局、何かと理由を付けて死から逃げてるだけではないのかと言われればそれまでだ。逃げるか向かうかどうかなんて他人には見えない選択だし、優柔不断でも別に誰も文句は付けないだろうが、きっぱりと生死を決められない自分は何となく恥ずかしかった。
――とまあ、多少の悩みを抱えて考えているのも五分程度だった。鍋島さんが薬師寺さんに、今度は検査の話をしている。それを横で聞くとも無しに聞いていると、停留所に一台の白い車が入ってきた。普通の車よりも少し大きめに見える。ワゴン車だろうか。目の前を一度通り過ぎてすぐ近くの駐車スペースに止まった。ドアが開き、車から一人の男の人が降りてきた。
「堀さん! お疲れ様です」
堀さんだった。鍋島さんの声に軽く下げられた頭は、思ってたよりずっと高い位置にある。身長、2メートル近いんじゃ無かろうか。電話口の落ち着いた声から想像していたよりもずっと体格が良く、背の低い私から見れば正直巨人にしか見えなかった。四十手前ぐらいだろうか。顔に浮かべた笑みと物腰だけは、電話で話した声の感じそのままだった。
「お疲れさんです、鍋島さん。それと……明星さん。お忙しい中、ご協力ありがとうございます」
「あ、いえ……」
別にお忙しくは無かったのだ。何だかんだと言ってバイトも辞めてしまったし。親を亡くしての気分変調だと思われたのか、いつでも戻ってきてくれていいとは言われていたが……毎日のように仕事が遅いと言われていたし、私の代わりにさっさと仕事のできる人を見付けた方が良いと思う、あの職場は。要はいまの私は、復職すら放り捨ててる自殺志願者のニートだ。割と人としては最悪の部類かもしれない。犯罪者よりかは幾分マシ、というポジションだろうか、社会的評価は。実際の声は聞いたこと無いけれど。
「あんた、警察の人かい」
「はい、本件を担当させてもらう、県警の堀です」
あ、警察手帳を出した。私の目からは横からしか見えなかったけれど、正面からそれを見た薬師寺さんは、ちょっとびくっとなって口を引き結んだ。あれだけ怒っていたのに、何故だか二の句が継げないらしい。
「事件の説明は私が引き継ぎましょう。鍋島さんは明星さんを送ってあげてください。報告とかはちょっと時間空いても大丈夫ですよ。本件、未然案件でした……まあ薬師寺さんは接触してしまいましたが、あれでの死傷者も出てません」
「ああ、未然でしたか! 良かった……」
「良いわけあるかい! もうちっとで死ぬとこだったぞ……堀さんとか言ったかい、そこのねえちゃんによーく感謝しといてくれよ。ああいう野生動物を警察が野放しにしてるから、俺ら市民が大変な目にあうんだからよ」
「本当に、申し訳ありません。それと明星さん、重ねて後ほどまた、県警から御礼を申し上げさせていただきます。具体的に言うと、感謝状とちょっとした賞金が出ますんで。また後ほど連絡しますよ」
「あ、はい、分かりました」
また度々お礼を言われるのかと思ったが、そっちの方がまだ幾分か気が楽だ。……いや、楽なのか? 人前で感謝状とかもらうのも何か気恥ずかしい。まあ、獣って公表されてない存在のようだし、カメラの前で、とかは無いだろう、たぶん。
堀さんとは、そこで別れた。というより私たちが病院前から出た。来たときと同じように、鍋島さんの車に乗せてもらう。車の、デジタル表示の時計を見ると、なんと午後十時を大きく過ぎていた。まさかそんなに経っているなんて。説明やら何やらに時間を取られたらしい。
「……それにしても……薬師寺さんは、明星さんが間に割って入ってくれたと言ってましたが、どうしてあんな無茶を?」
車のアクセルを踏みながら鍋島さんが聞いてきた。時計から目を離して、その横顔を見る。怒ってるかな、と思ったが、どうやら心配しているような顔をしていた。余計に心苦しい。
「無視……できるならしたかったんですけど、人の姿が見えてしまって……」
「人の姿が見えた?」
「あ、はい。薬師寺さんと、あと獣が……こう、プロジェクターとかあるじゃないですか。ああいうので投影されたみたいな壁の向こうにいて……」
こんなことは説明するまでもないだろうと言っている間に気付いた。ただ、ばつが悪くて何となく言い訳をしてしまっていた。戦えないのだから大人しくしてほしいと鍋島さんは思ってるに違いない――と考えてたのだけれど、どうやら鍋島さんは別のことを思ったらしい。ちょっと驚いた顔をして、
「ははあ……凄いですね、明星さんは」
「凄い?」
「見えないんですよ、普通は。獣を知らない、訓練を受けていない一般の方が獣の縄張りを見付けられるのは……おおよそ二、三百人に一人程度らしいです。だいたい0.5%程度、ですかね」
およそ0.5%の人にしか獣は見えない? いや、見えないことはないか。薬師寺さんだって獣を見て怯えていたし。獣自体は見えるけれど、その『縄張り』が外から見えないのか。
「ということは……知らないうちに縄張りに入って、獣に出会ってしまうってこともあり得るんですか」
「ええ。とても厄介な特性で、獣は常に縄張りを纏っているんです。その大きさがまちまちで、体にぴったり張り付くような感じの時もあれば、常に広く展開していることもあって……縄張り、とは言いますが、まるで結界のようなものなんです」
「つまり、常に小さな縄張りしか張らない獣は、誰にも見られることなく人を襲うことができる……?」
「理論としては、そうなんですけどね」
病院から出た道路を直進していた車が、赤信号に止まる。道路には他の車もちらほらいる。夜も深いが夜更けと言うほどの時間でも無い。街路を歩く人もそこそこいた。きっとどこか飲みに出かけたり、あるいは仕事帰りなのだろう。日常の風景が広がっている。けれど硬い車体を隔てた中では、超常の話が交わされている。非現実過ぎて、ここにもまるで小さな縄張りがあるように思えた。
「不思議と……獣が人を襲うときは、縄張りが広がるんです。どういう原理かは分かりませんが。ほぼ例外はありません。……獣は元々人なので、もしかしたら人間の心理に起因するのか……研究する人もいるにはいるんですけど、誰もほんとのところは分からなくって」
そういう習性だから、としか言いようが無い状態らしい。分からないならしょうがない。どうしても分かりたいことでも無い。
「全ての獣が縄張りを持ってるんですか。じゃあ、獣祓いをする人は、その二百とか三百人に一人の……ある意味での才能が無いとできない、ってことですか」
「いえ、訓練次第で見えるようになるんですよ。縄張りに対する感知力を上げるのは獣祓い師の大事なスキルですから、もし先天的にその力があっても訓練して伸ばすことが推奨されてます」
「……訓練法、あるんですか」
「あるんですよ、それが」
獣祓い師の仕事を話せる数少ない機会だから、鍋島さんは少しだけ嬉しそうだった。まあ、世間に認知される機会なんてほとんど無いだろうし、知られる時は大抵酷いことが起きた時だ。こうして落ち着いて、自分たちの努力を知ってもらえることなんて無いのかもしれない。
「獣祓い師は、一時は衰退した職だったんですけど、最近になって需要がまた高まってきて……それはあまり良くない傾向なんですが、ともかく需要があるものはしょうがないので。可能なら弟子を取り、そして教えられるように、と二十年ほど前に獣祓い師の労組みたいな機関が、教育マニュアルを作ったんです」
「意外と現実的ですねぇ……」
むしろそこまでやる組合というのも、現代に至ってはそうそう無いかもしれない。
「その中にはもちろん、獣を知識だけで知って一切スキルが無い人を弟子にする想定もあります。というより、最近ではそのパターンが一番多いですね。元々は、家元とか、里一つとか、そういう単位で教えていたんですけど……ほら、出生率下がってるじゃないですか」
「そんなところにまで、出生率の影響が」
「出てるんですよ……そういうわけだから、外の人を確保が急務でして。でも外の人は基本獣のことなんて知らずに生きてきた人ですから。……明星さんみたいな人は、本当に希有な人材ですよ」
一瞬だけ、鍋島さんがこっちを見た気がした。というのも、私が鍋島さんの方を見たその瞬間にはもう、鍋島さんは前を向いて、車をまた走らせていたからだ。
視線の意味――もしこっちを見たのだとしたら、その意味はたぶん『弟子になってくれ』だろう。いや、どうかな。別に私はエスパーじゃないんだ、何考えてるかなんて分からない。……ただ、人材が足りてないと言われて、ああじゃあ就職できる確率は高いのかな、とは思ってしまった。
もしそうだとすれば、悪い話じゃない。何となく死ぬ気力が削がれ、何となく生きている。生きるとなれば、金がいる。バイトは辞めた。とても、とてつもなく不純で鍋島さんには申し訳無いが――獣祓い師になれば多少の給料がもらえて、その上で、死ぬ時はあっさり死ねるのではないか、などと考えてしまったのだった。
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