1-3
社務所の中は普通の民家のようだった。通された居間は畳敷きで、少し大きめのちゃぶ台とテレビがある。部屋の隅に積まれた座布団を一枚、男の人は敷いてくれて、冷えた麦茶も出してくれた。
「――それでその、さっきのですけど……」
お互いに、麦茶を一口飲んでからの切り出しだった。喉が渇いていたと言うよりも、どう話を切り出すのかをお互い探り合っていた感じだった。これがまだ片方が、すいすい話せるタイプなら話は早かったのかもしれない。しかしここにいるのは二人の口下手さんだった。
「あれはですね、獣なんです。あ、獣と僕たちは呼んでるんですけど」
「獣、ですか」
見るからにそうだ、という感じの見た目だった。看板に獣祓いと書いてあったのだからそもそもそれ以外の呼称は無いだろうけど、それに気付いたのもやっぱりこの後、ここを出て看板を見た時だった。
「獣っていうのは化物……化け物の間をけを抜いた漢字で昔は書いてたんですけど、いつの時代だったかの偉い人が、化け物なんてものはいないということにしてしまって――あっ! すみません、ここ重要じゃないですよね」
「いえ……」
聞いてて結構面白い、と思ったものの、その先が言えなかった。話を脱線させてはいけないと思ったんじゃなくて、単純に言えなかった。
「その獣ですが、見ての通り現代にもいて……むしろ現代に入ってから増えていってるという統計が出てるんです」
「統計、あるんですか」
「あ、はい。ええと、それについては後でお話しするとして。獣が増えているのは……人の数が増え、それに従って、殊更に強い感情を持ったまま死ぬ人が増えたことが原因なんです」
「……強い感情を持って死ぬ人が増えた、ですか」
すぐにぴんと来た。強い感情を持って死ぬ人が増えると、獣が増える。
「獣って怨霊……みたいなものですか?」
「あっ、はい! そうなんです。怨霊は何かに取り憑かないと悪さはできないんですが、獣は体があるんです。というか、遺体が動いているというか……おかげで物理的に倒せるんですけど……その分、被害も直接的で」
なるほど、ゾンビみたいなものらしい。もしかしたらグールかもしれない。グール、生きる屍であり、死体を喰う鬼。最初に知ったのはどの本だっただろうか。いや、ゲームの方が早かったかな。
「ということは、あれは……元は人間、ですか」
「はい。強い感情、言い換えれば未練とも呼べる心を持って死んでしまった人が、ああなってしまうことがあります。もちろん滅多なことではありませんが……ただ、厄介なことに獣は映るんですよ。上映とかの『映』の字の映るなんですけど……獣が持ってる強い感情と同じ気持ちを持ってる人が獣に殺されたり、場合によっては接触だけでも獣になってしまうので……」
「……まるで狼男みたいですね」
もしくは吸血鬼とか。噛まれて感染、というだけでなく接触だけでも可能性がある、というのが恐ろしい。……となると、
「私も……その映る、っていうことになってたりするんでしょうか」
「そのことなんですが……可能性としてはやっぱり、低確率であってもなるんですよ。あの獣が原因で獣と化した人はいまのところ見つかっていないんですけど……やはり検査の方は受けていただくことになります」
「検査、できるんですか?」
「ええ、指定の医療機関がありますので、そちらで……あっ、治療費とか検査費はかからないんですよ! 各自治体が全額持つことになっているので」
ちょっと驚いた。霊的な感じのことだから、てっきり除霊でも何でもするのかと思えば。医療機関? 地方自治体?
「自治体って、県とか、市とか」
「はい。まあ申請を受け付けたりお金を払うのは地方ですけど、予算は国庫から流れてるんで実質国持ちですね。あ、僕たち獣祓い師も公務員なんですよ。昭和の中頃までは神社庁だったらしいんですけど、いまは厚労省の役人って事になってます、一応。さっき言った統計も、明らかに尋常では無い事件が起きた際に痕跡を検査して、獣が起こしたものだと専門家が報告したものを元にしてます。この辺りの管轄だと、僕がその担当なんですけどね」
「へぇ……」
話が一気に俗っぽくなった。長良の
「僕が言っただけではちょっと信じられないような話なんで、この辺の事実確認については県の窓口にご相談頂ければ……ああ、そうだ名刺……! と、パンフレットも……こういう時に用意してたのに……ええとすみません、後でお渡ししてもいいでしょうか?」
「あ、はい」
用意が良いようで悪い。もしかしたら、獣に襲われて運良く生き残れる人の方が少ないのかもしれない。……というか、そうだ。
「あの獣、以前から追ってたんですか?」
「え? ええ、そうですよ。この辺りで、おおよそ半年ほど前から現れたのではないかと思われる固体で……すでに三人、被害者が出ています。本当に、あなたを助けられてよかった……たまたまうちで飼ってる猫の、のく太が教えてくれたんですよ」
「猫? って、あの黒猫の」
「あれ、知ってたんですか?」
「川の方で会って、ちょっと撫でてあげたぐらいですけど」
もしその縁で助かったのだとしたら、随分と運が良かった……んだろうか。自分が生き残ったことについては、正直実感も感慨も湧いてこない。ただ、一つ気になることがあった。
「被害者の三人って、そのうちの二人はあの辺りのマンションの人ですか? あの灰色の壁のマンションの」
「あ……その、被害者の方の情報はちょっと、明かせないんですけど」
「いえ、両親がなんか、酷い死に方をしてたので……もしかしたらと思って」
「えっ!? ご両親って、もしかして……明星さんの?」
「娘です」
よっぽど驚いたのか、彼は口を開けて長い息を吐いた。気を取り直したのはだいたい五秒ぐらい経ってからだった。色々と話したいことはあったのかもしれないが、そもそもある意味では一番重要なことをお互いに忘れていたことを思い出したらしい。
「明星さん、すみません! 申し遅れました。
「あー……いえ、いいですよ」
さして事件の行方を気にしていたわけでもない。親は死んでしまって、葬儀が終わった瞬間にもう過去のことになってしまった。もし他に親について考えることがあるとすれば法事のことぐらいだろうが、自分はそもそも悼む側ではなく悼まれる側になるつもりだった。悼む人がいればの話だけど。
ただ、鍋島さんは本当に申し訳なさそうにしていて、それが逆に申し訳なかった。私は気にしてないのに、鍋島さんはともかく気にしている様子で、床に手を衝いて頭を下げ始めた。
「本当にすみませんでした。一件目の時点で特定して祓えていれば、こんなことにはならなかったんです。ご両親の死につきましては本当に、僕の責任で……」
「……えーと、本当に気にしないでください。済んだことですし……」
こういう時、どうやって謝ってる人を止めていいか分からない。ただ、止めなければとは思う。頭を下っぱなしにして何度も謝る鍋島さんが見ていて痛々しかった。
「その、私は生きてますし。鍋島さんが来てくれたから、辛うじて助かりました。助けられる命は助けられました、それでいいでしょう」
「……はい……ありがとうございます」
顔を上げた鍋島さんは涙目だった。本当に、困る。どうしていいのやら。謝るのを止めてもらったのはいいのだが、近々に自殺する予定なのにこんなことを言ってしまった。この人は、全くの他人だというのに私が死ねば悲しみそうだ。せっかく救ったのにと思うかもしれない。死のうという意思が、また少し揺らいでしまった。まあ……良いことなのかもしれない。ただ、優柔不断なような気がして、だから自分はどうしようもない人間なのだというやり場の無い念が頭の片隅にひっそりとうずくまっていた。
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