第19話 リヴァイアの思い出――それは、私が、聖サクランボを辞める話である――

「幼名があるって……チェリーレイスって、どういう人物なのでしょうか? 私子供の頃からこの預言書読んできたけれど、そこだけが不思議で……」

「……リヴァイア。あなたはまだまだ見識が浅いですね。ふふっ」


 すでに、リヴァイアもエリア司書長も。

 お互いお茶は飲み終えて――それでも談笑は続いていた。


「まあ、ここサロニアムには幼名を付ける風習は廃れたのかもしれせんね。でもね、ここからあの山脈を越えた先にあるサロニアムの土地には、確か幼名を付ける習わしがあったと……」

 エリア司書長はそう言うと、『古代魔法の図書館』の窓の向こうにようやく見える青々とした山脈を指さした。

「……サロニアムですか? 港町サロニアム」

 リヴァイアは指さしたその先を目で追って言った。言い続けて……

「あっちは、飛空艇の燃料の“塩化ナトリウム――塩”が豊富に取れて、いくら大帝城サロニアムといえども、その燃料のほとんどを、サロニアムの塩に頼って貿易しているのですから……でもさ、所詮は田舎者やならず者が集まる辺境の街ですけど」

 最後の方で、ボソッと言うなり、リヴァイアが口元を抑えてから、ムッツリした。

「こら、リヴァイア! 修道士見習いがそういう下品な言葉を使うものじゃありません!」

 すかさず、エリア司書長が諫める。


「……はい。すみません。ごめんあそばせ」

 椅子に深く腰掛け直し、リヴァイアがペコリ。

「……港町アルテクロス、確か今は王様不在だったと」

 エリア司書長は天井を見上げて、考える。

「いいえ! エリア司書長……サロニアムは王女家系ですよ」

 その姿を見て、リヴァイアが教えた。

「そうそう! そうでした。サロニアムは代々お姫様を迎え入れて、そのお方を確か……海の女神ネプラになぞらえて王女にしている国でしたね」

 エリア司書長は、うんうんと自分自身で納得した。

「ええ。……でも、実際の政務を司っているのは領主だったかと」

「領主ですか……」

「ええ。アルテクロスでは、領主は軍政も任されている高貴な身分でして」

 うんうんと……リヴァイアが持っている知識をひけらかす。


「リヴァイア、あなたやけに港町アルテクロスに詳しいですね……」

 ……目を細めるエリア司書長。

「……そ、そりゃ! そりゃ……もう!!」

 リヴァイアが、なんだかソワソワしちゃった?

「だって、……だってチェリーレイスですよ! 究極魔法レイスマの使い手の生まれ故郷、それが港町アルテクロスですよ……なんか凄いじゃないですか?」


「なんか凄い? ……ですか??」

 細めたエリア司書長の目が、いっそう細まる。


「……リヴァイア、まだまだ見識が浅いですね」

「……なにがですか?」

 椅子に深く腰掛けたままのリヴァイア……再びきょとんと。

「今、チェリーレイスの生まれ故郷と言いましたよね?」

「……はいな」


「……まったく。いいですかリヴァイア!」

 エリア司書長も椅子に深く腰掛け直す。

「チェリーレイスの生まれ故郷はウルスン村ですよ」

「…………エリア司書長」

 刹那――二人の会話が止まった。しかし、すぐ――


「エリア司書長、それこそ違いますよ。ウルスン村は港町アルテクロスの代々の領主の生まれ故郷でして、正確にはチェリーレイスの生まれ故郷ではないはずです」

「いいえ! チェリーレイスもウルスン村の出身です!」

「違いますって」

「違いません!」


「だったらリヴァイア! チェリーレイスは一体誰の子供なんですか? だって幼名なんですから……」




 ――




       *




 ……もう、春である。

 そろそろ、あのサクラ咲くかな? ……?



 じー



 テラスの下。

 と言っても、この施設のテラスは一階にある。言うなればどこかの避暑地……、別荘のようなロッジの一階部分である。

 なんか大草原の中で湖の畔に建っているようなロッジ、つまり、私は私が立っているテラスと地面はほぼ平行であると言いたい。


 じー


 っと、その女の子が私を見つめている。まあ、いつものことだけれどね。……その女の子は、別にこの園の問題児じゃないけれど、まあ……変わった女の子である。


 じー


 っと、テラスの下から両手を床につけて、じーっと柵の間から私のことを……さっきから「じー」と見てきているんだな……。

 性格は無邪気……というよりもちょっと身勝手なところがあって、興味があるものに夢中になって我を忘れてしまう……そういう性格の女の子である。


「あの……さ……。フレカちゃん? どうしてそこにいるのかな」


 ……じー


 何も言ってくれない。

「あのさ……フレカ? どうしてみんなとお昼寝しないの……。だめでしょ。お昼寝の時間には、ちゃんとお昼寝しないとね」


「やだ」


 ああ、やっぱりこういう子なんだ。

 フレカちゃんは…… フレカは7歳の女の子である。私がこの園に来てすぐに彼女もここに住むようになったっけ。……まあその頃から彼女は変わっていた。

 みんなと一緒にお食事も食べなかった。今では先生達の説得によって食べてはくれているけれど、最初の時なんかほんとにもう……


「やだ……じゃなくってさ。フレカちゃん……ね??」

「いやーだ」

「……もうフレカ!」


「いやーだ」


「……なんでかな? いい子にしてほしいな先生は……」

 と私が言ったら、


「だってさ、」

 と、すかさずフレカが。

「リヴァイアって聖サクランボを辞めちゃうって聞いたから、フレカもみんなとも、バイバイして辞めちゃうって……旅立つんだから。フレカは旅立つリヴァイアのことが……哀しいんだからね」


 グズん…… そんでもって!?


「リヴァイアなんか、だーい嫌いなんだから!」

 グズん……。いーだ。

 テラスの柵越しに目をつむっていーだ言ってきたフレカちゃん、その後、まさかのあっかんべー。


 更にさ!!


「ねえリヴァイア。いつの日にか、必ず聖サクランボにいるフレカに会いに来てね。信じているから」

 と言いました。あのやんちゃなフレカが……です。

 私、とっさに。

「……あの……どうしてーその言葉をさ……」

 本当に、ドキッとしたんだから。

「……あのフレカ……。そのどうして私が辞めるって……。それに……その旅立つってこと知っているのかな?」


「ああー! やっぱりリヴァそうなんだ。本当にこの園から出て行っちゃうんだ」

 テラスの柵から両手を離して、今度は庭に数歩出て直立……すぐに両手を腕組みしたフレカちゃんであった。


 あんたーもしかして当てずっぽうかいな……そして名前を略して!


「……あははっ。フレカ? 何、言っているのかな?」

 かな? って。私は何を言ってるんだ???

「あのさー。リヴァイアって言ってくれないかな? フレカ……ね?」

「なんで~」

「なんでって……。フレカちゃんは、この聖サクランボの子供でね、リヴァイアはここの修道士見習いなんだからね」

「なんで? なんで?? リヴァイアのことをさ、リヴァイアって言わなきゃいけないのですか? リヴァイア??」

 もう言っているじゃん。私は心の中で、そうフレカちゃんにツッコんだ。


「リヴァイア・レ・クリスタリア……」

 とフレカ。お誕生日会の時のバムと同じフルネーム。

「あの――できればさ、リヴァイアって言ってもらえるかな?」

「ねえ~。なんで??」


 でた!!


 この幼少期の頃に頻繁に出てくる、歳上のお姉さんに聞いてくる質問責め……。

 どうして? なんでって……

 んもーっ!! て感じで、質問される私からすれば、ほんと、へとへとになっちゃうよね。

「……嫌っだってーの!!」

 とフレカちゃん。そして、再びあっかんべーだ……。とほほである。

「…………」

 私は……、どうしようってな具合に。

「嫌っだってーの!!」

 フレカちゃんは、未だにテラスの柵の向こうに仁王立ちしていて、駄々っ子になってる……。まあ、聖サクランボに来た時から、最初から駄々っ子だったんだけれどね。

「……ね、ねえ? フレカ」


 じー


 フレカからの、柵越しの冷たい視線が続いている……。

「……あのさ。リヴァイアは? 何か、フレカに気に入らないことしたかな?」

 私は当たり障り? な質問をしてみた……。

「……いーだ」

 あっかんべーの次は、これだったか。フレカちゃんは、口を大きく開けて私を毛嫌いする。

「だからフレカってね? リヴァイアの言うことを聞いてくれないかな? みんなと一緒にお昼寝しようよ……」

「私、昨日たっぷりと寝たから。もうお昼寝いらなーい。だから嫌やって」

「嫌やってって言われてもさ……」


「ところで? リヴァイアはテラスで何していたの?」

 フレカは、急に明るく私に聞いてきた。

「……何って」

 私は少し動揺して、

「それは…………そう、サクラだよ」


 サクラ?


「そうサクラだ。あの庭のサクラを、私は見ていたんだよ」

「なんで??」

 また来た。幼い子供の質問攻撃だ。

「なんでって……。綺麗じゃん。あのサクラって……」

 と言って、私はテラスからすぐここに見える、サクラを見つめた。

 フレカも、くるっと身体を回してサクラを見る。


 ――刹那。私とフレカは、この新緑が芽生え始めた聖サクランボのお庭で、まだ咲き始めの、あのサクラの樹木を2人揃い……見つめた。

 け、けどね。その刹那……。とほほだ。


「うっそだー!!」


 あのさ……、嘘って何??(私の心の声です)


「だってさ!! あのサクラって、ぜんぜん咲いてないじゃん!」

 今度はじゃん?

「……全然って」

 私は一呼吸置いてから、

「それはさ、フレカ? サクラさんに失礼だよ。ほら! よーく見てごらん。数輪の花がさ、咲いているじゃん……」

 私も、負けじとじゃん。そして、私は指をさした。数輪咲いているサクラのそれを――


「…………」


 フレカちゃん、無言になって何やらシンキングタイム。何を……考えてるんだろう。


「ねえ! リヴァイア!!」

「は、はいな?」

「……サクラはさ、どうして春に花を咲かせるの?」

 なんて哲学的な難問なんだ。恐るべしだよ、フレカ……

「な、なんでって聞かれてもねぇ~」

 相手は子供なのに、即答できず。

「なんで? なんで?? ねえ!」


「こら! フレカ……。お庭で何しているのですか? みんなと、ちゃんとお昼寝しないといけないでしょう」

 ガラガラと窓を開けてテラスに入ってきたのは、聖サクランボのエスナータ修道士だった。

「めっ! こら! フレカ!!」

「……嫌っ。いーだ!!」

 フレカ……。エスナータ修道士に対しても駄々っ子になるんだね……。

「いーだ!! いーだ!!!」

 どうして、そんなにも意固地になっちゃうの?

「いーだ! じゃありませんよ。そんな駄々っ子には、午後のおやつの『チェリーパイ』は、お預けですからね!!」

 両手をグーにして腰に当てながら、エスナータ修道士はきつく、そう仰った。


「…………嫌やっ! それは、ないじゃん……」

 混ざってる……よね??


「フレカ! チェリーパイのおやつを食べたいのですか? どうですか?」

 エスナータ修道士からの詰問だ。……そうしたら、

「………………」

 しばらく、フレカは黙ってしまって、


「……チェリーパイ食べたいよ」


 と、フレカは言いました。


 フレカ。エスナータ修道士のじーと見つめてくる視線に、目を合わせられないみたい。

 俯いて、肩の力も抜けて……なんだか、ぐずりだす数秒手前の感じになってしまった。

「………………」

 そのフレカの姿を、これもしばらくじーっと見つめるエスナータ修道士。そして、

「食べたいのでしたら、どうすればいいのですか? 分かりますね……」



「…………」


「……………………」


「…………………………………… ……はーい。エスナータ修道士。…………おねんねします」



 フレカ、そう返事をして。


「はい。よろしい」

 エスナータ修道士は深く頷いて、そう仰りました。



 ――チェリーパイ、恐るべしである。



 とぼとぼと、園の中に入って行ったフレカ。そして、自分の布団に潜るように入って目を閉じちゃった。

 なんだか、私はフレカに対して申し訳ない気持ちになっちゃった――

 でも、児童養護施設『聖サクランボ』の修道士見習いの私だけれど、軽はずみにフレカちゃんに対して、自分は親代わりなんて思っちゃいけないんだと思う。

 それは、本当の馬車事故で他界した両親への侮辱だ。


 私、独身だから分からないけれど。……その、家族というのはどういうものなのだろうって、ふと、思うことがある。

 自分の息子とか、娘とか……。

 羨望というよりも、むしろ好奇心に近い。異国の文化に触れてみたいという感じだろうか?


 ……当たり前の欲求を奪われた、フレカちゃん。




       *




「じゃあ! エリア司書長!! 私そろそろ聖サクランボに戻らないと」

 急に立ち上がり、リヴァイアが言った。

「……そうですね。あなたも聖サクランボでの午後のお勤めも残っていることでしょうから」

 うん……と大きくうなずいたエリア司書長。

 机の上に散らかしたティーカップやお菓子を片付け始める。


「エリア司書長! ところで、この預言書を子供達に読み聞かせたら……子供達は喜びますかね?」

 肩に掛けていたバックに一つ一つ借りる書籍を入れながら、最後に『究極魔法レイスマ』の預言書を手に取るなりリヴァイアが訪ねた。

「……あなた、どーせ理解できないからって言ったじゃないですか?」

 ぷぷっ……とエリア司書長が笑った。

「それは……そうですけれど……」

 髪の毛を触るリヴァイア。

「でも、面白がって聞いてくれますかね?」

「それは、リヴァイア。あなたの読み聞かせ次第です」

 笑いを抑えて、エリア司書長が言った。


「……そう、そうですよね」

「……はい。そうですよ」


 エリア司書長はそう返答するなり……しばらく窓の外を見つめた。

 視線の先には山脈が見える。それを越えると港町アルテクロス。


「……じゃ、エリア司書長! ありがとうございました」

 リヴァイアがドアノブに手を掛けて、エリア司書長に挨拶すると、

「……こちらこそ、素晴らしい思い出をありがとう」

 と言いました。そして――





「ありがとう。聖剣士リヴァイア……」




       *




「リヴァイア……」

 静かに……そう、私に話し掛けながら、エスナータ修道士がこちらへと歩いてくる……。

 そして、私に――じゃなくてエスナータ修道士はそのまま、私の傍を素通りして、そっと柵に両手をのせた。

「……満開になるのは、もう少し先のようですね」

 エスナータ修道士は、テラスの向こうに見えるサクラの大樹を見つめて言った。

 私も、修道士の視線の先に見えている……、ついさっきまで、フレカちゃんと見ていた、その、まだまだ半咲きにもなっていないサクラの大樹を見て、


「……そ………そう、ですね」

 と、少し緊張気味に返事をした……。


「ま……まあ、今年は、春先は、結構な温もりだったから、例年より早くに咲くのかな……って、思っていましたけれど」

 私、緊張のせいなのか? 手のやり場に困っちゃって、だから、後ろ手で組んじゃった。

「……ね、ねえ……。……し、4月に入ってから、急に『寒の戻り』みたいに気温が、平年並みに戻ってしまったので……。それに……、季節の変わり目でもありますしね。今は……」

 ちらっと、私はエスナータ修道士の顔色を覗こうと思って、少し前のめりに……。

「と、時よりに春雨が、さーっと降ったり、降らなかったりの繰り返しでしたし。今年は……。…………ほんと、子供たちの洗濯物も、こんな具合じゃぁ……、天日干しのタイミングも難しいですよね……」



「……で?」

 エスナータ修道士。

 くるっと、私の方へと振り返った。


「……で??」

 顔色を覗こうとして、少し前のめりになっていた自分の姿勢が、そのまま静止――

「で、やはり決心は、固いのですか?」

 エスナータ修道士の表情は、さっきまでのフレカとの『チェリーパイ バトル!!』の時とは変わって、真剣に見えた。


「け、けっしん??」

 なんのことだろ。と、私。

「……………」

 頭の中に、でっかい“クエスチョンマーク”が浮かんだ。

「………………ん?」

 しばらく、心の時を止めて、私は考えを巡らせた。



「……………あっ。……ああ」

 その回答は、すぐに見つかった。私にとっては、とてもシンプルだった。

「……ああ! ……その話ですか」



 それは、私が、聖サクランボを辞める話である――





 続く

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