ムニとアマタの白い塔

デッドコピーたこはち

ムニとアマタの白い塔

 私が目覚めた時、初めて目に入ったのは、雲一つない青空を背景に、整然とどこまでも並ぶ、数多の白い塔だった。

 立ち上がり、周りを見まわす。私は、自らもその塔の一つのバルコニーに居ることに気が付いた。バルコニーの白い手すりに手を掛けると、つるつるとして滑らかな手触りを感じる。石とも金属ともつかない奇妙な触感だった。見た所、壁や床も同じ素材で出来ているようだ。

 そこから上を向くと、数え切れない塔が、もはや先が見えなくなる彼方まで伸びているのが見える。どれかの塔に隠れているのか、太陽は見えなかった。

 下を覗いてみると、これまた数え切れない塔が、もはや先が見えなくなる彼方まで伸びているのが見えた。地面は全く見えない。今、私は余程の高さにいるらしい。

 塔と塔の間には時々連絡通路らしきものが繋がっていて、行き来ができるようになっているようだ。

 ここはどこなのだろう。私はどうやってここまで来たのか思い出そうとした。だが、頭痛がするばかりで、なにも思い出せない。それどころか、私は自分の過去の記憶を全て失っていることに気が付いた。

「だれかいませんか!」

 私は叫んだ。しかし、応答はなく、虚しくこだまが帰って来るだけだった。


 私はあてどなく、塔を登り始めた。塔の内部、あるいは内部にある白い階段を一歩一歩登っていく。もしかしたら、他のところには人が居るかもしれないと思っての行動だったが、すぐにどうせなら下っていけば良かったと後悔し始めた。

 塔は階層ごとにかなり構造が違っていた。外壁も円形だったり、長方形だったり、八角形だったりするし、細かく小部屋に区切られていたり、綺麗な水が一杯のプールがあったり、見たことのない種類の蔦が生い茂っていたりした。

 どれほどの塔を登ったのだろうか。重くなってきた両足を、なんとか持ち上げて階段を登っていると、バルコニーのある階層に出た。もう一度バルコニーから呼びかけてみようと、そちらに歩み寄ろうとしたその時、バルコニーに立つ一人の少女と目があった。

 少女の鳶色の目は驚きに見開かれていた。少女は持っていた赤い花が植えられた白い鉢を一度落としそうになり、慌てて持ち直した。彼女の腰まで伸びた髪はキャラメルのような色をしていて、真白いワンピースの裾と共に、外から吹き込んでくる風でなびいていた。枝のように細い脚には、皮で出来たボーンサンダルを履いている。

「あなた、どこからきたの」

 少女は鈴を転がすような声で言った。

「わ、私は――」

 私は答えに窮した。

「ごめんなさい。わからない。思い出せなくて。私、記憶喪失みたいで……」

「ああ、そうなの」

 少女は眉を寄せ、申し訳なさそうな顔をした。しかし、次の瞬間には、思い直したように笑顔を見せた。

「わたしね、わたし以外の人に会ったのは、あなたが初めて!」

 そういって、少女は白い鉢を一度バルコニーの床に下し、こちらに近づいてきた。

「あなたの髪、とてもきれいね。私のとは全然違う」

 少女は背伸びして、私の短い赤毛に触れた。好奇心に輝く瞳が、私を見上げてくる。

「ほっぺたもほら、こんなにムニムニしてる」

 細い人差し指で頬をつつかれる。なんだかこそばゆくて、顔を背けてしまった。

「ちょ、ちょっと待って。ここはどこなの」

「ここは塔だよ。わたしはずっとここに住んでるの」

「貴女だけで?ずっとっていつから?」

「そうだよ、昔からだよ」

 少女は言った。いまいち要領を得ない答えである。彼女にもここのことは理解できていないのかもしれない。

「貴女の名前を聞かせて」

「なまえ?あなたにはあるの」

 少女は不思議そうに首を傾げた。

「私、私の名前は」

 私は自分の名前を思い出そうとした。ひどい頭痛。どうしても思い出せない。

「ごめんなさい。自分で聞いておいて、私、自分の名前を思い出せないみたい」

「なら、わたしがあなたに名前を付けてあげる。あなたはね……ムニ!ほっぺたがムニムニしてるから」

 安直なネーミングだったが、私にはなぜかしっくりきた。

「私は、ムニ」

 私は深く頷いた。

「今度はあなたがわたしのなまえをつけて」

 少女は私に期待の目を向けた。彼女の鳶色の瞳で見つめられると、深いところに誘われて、吸い込まれるような心地になる。

「貴女はアマタ」

 この数多の塔からの連想だったが、なかなか良い響きだ。

「私は、アマタ」

 少女――いや、アマタは深く頷いた。


 それから、私はアマタと行動を共にするようになった。彼女は塔の有用な階層を多く知っていた。水飲み場がある階層、甘い果実をつける蔦が生い茂った階層、ふかふかのベッドがある階層、トイレがぎっちりと置いてある階層。花畑のある階層は遠いので、アマタはそこから花を鉢に植え替えて、バルコニーに置いていたのだった。柔らかいボールがたくさんある階層では、キャッチボールでアマタと遊べるし、迷路のように仕切りが置いてある階層では、かくれんぼをして彼女と遊べた。

 

 全く奇妙なもので、ここはいつでも昼のようだった。いつまでも明るく、日差しはいつでも真上から降り注いで来る。だが、けして太陽は見えないのだ。

 なぜ、どうやって、だれがこの塔をつくったのか。それはアマタも知らないのだという。彼女も私と同じように気が付いたらこの塔にいて、それからずっと自分だけで暮らしているらしい。


 ある時、私はアマタがバルコニーの床にしゃがみ込んで、赤い花が植えられた鉢の手入れをしているのを見つけた。

「この塔の果てを見たことはある?」

 私は彼女の隣に座り、尋ねた。

「いいえ。たぶん、そんなものはないんだと思う」

 アマタは答えた。

「ここから出たいと思ったことは」

「いいえ」

「いままで寂しくなかったの?」

 私がそう聞くと、アマタは手を止めて私の方を見た。

「いいえ。だって、わたしにはわたしがいるもの。でも、ムニが来てからの方がもっと楽しくなったよ」

 アマタは私の額に顔を寄せて、やさしく口づけをした。彼女のキャラメル色の髪がなびくと、なぜか甘い香りがした。

「かわいいひと。わたし、ムニのことが好き。初めてわたし以外の人が居るって教えてくれた」

 アマタが私の耳元で囁いた。その甘い声には、彼女の見た目にそぐわない妖しさがあった。私は背筋がしびれるのを感じた。

「わたし、ムニに一杯恩返しがしたいの。でも、もうちょっと時間がかかりそうだから、待っててね」

 アマタは私の耳元から離れ、私の目を見つめて弾けるように笑った。彼女の恩返しとは一体何なのだろうか。楽しみにすべきなのに、私はなぜか一抹の不安を抱いていた。


 私はバルコニーでアマタが花の手入れをしている時、ぼうっと整然と並ぶ塔を観察していることが多かった。サボっていたわけではない。アマタにはかなり強いガーデニングへのこだわりがあり、私にはけして手伝わせなかった。

 アマタが青い花の鉢植えの手入れをしている時、私はあることに気が付いた、全くランダムに思えた塔の構造に規則性があることに気が付いたのだ。塔は、ある構造の繰り返しで出来ていた。

 数多にそびえる塔のどれもが、一種類の決まった形を六十度ずつ回転させて、積み上げているだけなのだ。

 私は興奮気味にアマタにその事実を告げた。

「うん、知ってる。わたしが住んでるところだもの」 

 アマタは冷静にそう答えた。

「知ってたら言ってくれればいいのに」

 私が少し拗ねてそういうと、アマタは私の髪をなだめるように撫でた。

「ごめんなさい。わたしはわたしが知ってることは全部知ってるから、ムニも知ってると思いこんじゃって」

 アマタが眉を寄せ、申し訳なさそうな顔をする。それを見ると、わたしも申し訳ない気持ちになってくる。

「うん、いいよ。聞かなかった私が悪いんだし」

 私はアマタの背に覆いかぶさるように抱き着いた。肩越しに見る彼女のガーデニングの技は熟練のもので、見ていて飽きることはなかった。


「ねえ、起きて。ムニ」

 アマタの声で、ベッドで寝ていた私は目覚めた。この塔は昼夜の概念がないので、好きな時に寝て好きな時に起きるのだが、彼女が私のことをわざわざ起こしに来たのは初めてだった。

「恩返しの準備ができたの」

 私はアマタの声の方を振り向いた。その瞬間、心臓が止まるかと思った。

「えっ、なんでアマタが二人……」

 アマタの隣には、またアマタが立っていた。鳶色の目、腰まで伸びたキャラメル色の髪、真白いワンピース、皮で出来たボーンサンダル。二人は寸分たがわぬ姿をしていた。

「双子?」

「二人だけじゃない。窓を見てみて」

 二人のアマタが同時に言った。

 私はわけのわからないまま、ベッドの横にある窓から外を見た。整然とどこまでも並ぶ、数多の白い塔。それ自体には変わりはなかったが、なにか動くものが無数に見える。目を凝らすと、それはアマタだった。

「えっ?」

 今、私たちが居る塔の隣に建つ塔の階段を、何人ものアマタが登っているのが見える。塔と塔の間に渡された連絡通路を、数え切れないほどのアマタが歩いている。どうやら、それら全てのアマタがこの塔に向かっているようだった。

「どういうこと……」

 頭がどうにかなりそうだ。全く理解が追いつかない。

「わたしはね。ムニとちがっていっぱいいるの」

「初めはムニもいっぱいいるんだと思ったけど、そうじゃなかった」

 二人のアマタが交互にしゃべった。

「わたしはね。ムニが言ってた繰り返しの構造に一人ずついるの」

「それを全員集めて来たんだ」

 二人のアマタが同時に笑った。

「ちょ、ちょっと待って。全員?」

 この数多の白い塔に果てがないと言っていたのはアマタだ。果てのない塔に一定間隔で存在するアマタ、その数はもちろん……。

「遠くに居るわたしはここに来るまで時間が掛かっちゃうけど良いよね」

「時間は無限にあるもんね」

 トッ、トッ、トッ、トッ、トッ、と軽快な音が、上から、下から、無数に聞こえる。それは聞きなれた、アマタの階段を上り下りする時の足音だった。

「ムニ」

 私は声の方に振り向いた。下りの階段がある方だ。そこには、息を切らしたアマタが居た。

「ムニ」

 私は声の方に振り向いた。上りの階段がある方だ。そこには、息を切らしたアマタが居た。

 無数のアマタが階段を昇り、あるいは降りこの階層に次々と集まってくる。もはや、数え切れぬ数多のアマタたちは私を完全に取り囲んだ。

「なんでこんな――」

 私が言い終わる前に、アマタたちが私に手を伸ばしてくる。

「やめっ」

 私はアマタたちの手に持ちあげられ、もみくちゃにされた。右を見てもアマタ、左を見てもアマタ、上も、下も、前も、後ろも、見えるのは全てアマタだった。

「ムニ、あなたが好き」

 アマタが囁いた。その囁きは全ての方向から聞こえて来て、私の背骨をじんとしびれさせた。息をする度、アマタのキャラメル色の髪の甘いにおいが肺に流れ込んでくる。

「大好き」

 アマタが私に口づけをした。顔に、頬に、唇に、肩に、腕に、脚に、へそに。私は全身にアマタの柔らかい唇の感触を感じた。

 視覚が、聴覚が、触覚が、味覚が、嗅覚が、アマタになった。私の感じる全てはアマタだった。

「ムニ、無限のわたしたちが」

「永遠にあなたに尽くしてあげる」

 無限のアマタたちがそういった。


 アマタたちの奉仕は永遠に続いた。全身を永遠にアマタに征服された私は、もはや幸せしか感じる事ができなくなった。

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