死神と天使のオラシオン

東美桜

天使と死神のオラシオン

「――終わった、な」

 漆黒の鎌を振り、黒髪の少年が顔を上げた。黒いマントを翻し、振り返る。全身を黒色で包んだ彼の肌は雪のように白く、つり目がちの瞳は檸檬レモンのように鮮やかな黄色で。その表情が苦悶に歪む。マントに隠れた腹には、深い切り傷。黒の中に滲む深い紅色に、白い手が伸びる。

「お疲れさま。ディアン」

 金髪のハーフアップツインテールがふわりと揺れる。赤いリボンが随所にあしらわれた金色のドレスから、編み上げタイツとパンプスに包まれた白い足が伸びている。金色の瞳を瞬かせ、少女はディアンと呼んだ少年の傷口に触れた。その指先から白い光が溢れ、ソレを癒していく。傷が光となって消えていくのを確認し、少女は手を離した。ディアンが自身の腹に触れると、破れた革鎧越しに傷など最初からなかったかのような皮膚の感触が伝わる。

「……いつも悪いな。シルヴィア」

「いいよ、いいよぉ。だって私たちは、じゃん」

 シルヴィアと呼ばれた金髪の少女は、子供のように屈託なく笑った。黒いマントから白い手が伸びる。マントの中は中世風の革鎧のようで、それもまた夜の闇を固めたように黒い。

「ああ……そうだな。あの時から」


『ぐぅ……ぅあっ……』

『やめっ……うっ、痛っ!』

 脳裏によぎるのは、幼い日の記憶。淡い色に包まれたそれは、それでもカカオのようにひどく苦い。狭く暗い地下室で二人、あらゆる責め苦を負わされた毎日。殴られ、蹴られ、絞められ、斬られ、骨を砕かれ、爪先に火をつけられて。ニンゲンがいなくなった時を見計らい、二人手を繋いで、いるとも知れぬ『神様』に祈った。

『二人で、生きていけますように』

『どんな目に遭わされても』

『二人なら、生きていけるはずだから』


 されど、ささやかな祈りは仇となる。生き延びている限り、責め苦は終わらないのだから。殴られ、蹴られ、絞められ、斬られ、骨を砕かれ、爪先に火をつけられ、そして……

『……神様……たすけて』

『神様ぁ? お前、面白いこと言うなァ』

 ――その日、ニンゲンは、絶望への扉を開け放った。


『――神様はいるよ。だが、

 ――――――お前たちは、


「……にしても『捨てる神あれば拾う神あり』たぁ、上手いこと言ったもんだよな」

 あの日から数年。十五歳になった二人には、ニンゲンにはあるまじき“力”が宿っている。ディアンの力は、『死神』。大鎌の一撃をもって、生命も無機物も神格すらも、全てを滅殺する絶対の断頭台。そしてシルヴィアの力は『天使』。あらゆる傷を癒し、傷病を否定する至高の癒し手。

「そうだね。……そんな神様の一柱に、私たちは救われたんだよね」

 それらは『命属性の神』の一柱、カレンドゥラに授けられたもの。『最高神』に代わって『神々の世界パラレルオール』の支配を目論むソレが、自身の野望を叶えるために。幸せを祈り、虐げるニンゲンも傍観主義の神格をも全てを怨む、二人の無邪気な心に付け込んで――。


「……あれっ、なぁんだ。まだ残ってたんだ」

「――行くぞ、シルヴィア。残らず刈り殺す」

 二対の瞳が遠くに人影を捉えた。少年と少女は頷き合い、駆け出す。『死神』と『天使』の相乗効果により向上した身体能力で大理石の床を蹴り、神殿を疾駆する。二人の瞳が捉えるのは、神官と思しきローブ姿の女。長い髪を揺らして後ずさる女の姿がぐんぐん近づいていく。通路を抜け、黒と金は女がいる小部屋に躍り出た。彼女が懐から取り出した短剣を、黒い輝きを纏う鎌が弾き飛ばす。宙を舞う短剣は黒い光に包まれ、浸食されるように崩れ去った。女は即座に腕を伸ばし、朗々と口を開く。

「我、水神アマランサス様の名のもとに――」

「無駄だよ」

「ッ!?」

 女が気付いた時には、すぐ側でシルヴィアの金髪が揺れていた。飛び退ろうとしても、遅い。彼女の細い脚が伸び、たおやかな動作で女の腹に飛び蹴りを叩き込む。それは風圧すらも伴い、女の内臓をも叩き潰さんと。

「ぐはっ……!?」

 轟音を立てて神殿の壁に叩きつけられ、雌豚めすぶたのような悲鳴が響く。声すら出せないようにただ呼吸を繰り返す女を見下ろし、少年少女は死刑を宣告する判事の如く告げる。


「あなたが崇める神様は、

「――――俺たちが、


「な……ッ!?」

 ハンマーで殴られたかのように、女の脳が揺れるような錯覚。神が、死んだ? こんな子供たちに、殺された……?

「信じられない……みたいだね」

「そりゃそうだろ。今まで殺った『神』共の神官もそうだった」

 吐き捨て、ディアンは女の胸倉を掴み上げた。お世辞にも大柄とはいえない体躯のディアンだが、掴み上げられた女は苦しそうに顔を青く歪ませる。その胸倉をギリギリと締め上げ、もう片方の手で大鎌を構える。黒い刃が纏うのは、漆黒の輝き。それはひどく冒涜的で、女の背筋に毛虫のような怖気が走った。

「――くたばりやがれ。テメェの神の、道連れだッ!」

「――ヒッ」

 悲鳴を、漆黒の鎌が切り裂いた。黒い刃が触れた喉笛を起点に、女の身体を漆黒の光が包んでゆく。光はあっという間に全身を食い尽くし、ふっと霧散した。あとには女の体はおろか、ちりひとつも残らない。


 ディアンが虚空に伸ばした手を、シルヴィアの白い手が握った。ふたりの指が空中で絡み、結ばれる。彼らは。『生』と『死』を司る命属性の神カレンドゥラの使い。その使命は、カレンドゥラに楯突く者の滅殺。それがニンゲンでも神格でも、関係ない。ただ、黒い光で殺すだけ。

 生命が絶えた神殿の中で、二人は向かい合い、ただ、手を繋ぐ。


「すべてが終わったら……今度こそ、幸せになろうね!」

「ああ……絶対に」


 黒と金色の影が重なる。命の絶えた神殿の中で、互いの体温を感じ合う。

 ――ただ幸せを祈る二人は、どこまでも矮小なニンゲンであった。

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