サヨナラ、小さな罪
野森ちえこ
クラスメート以上友だち止まり
小学校一年生のときから、彼とはずっとおなじクラスだった。といっても、親しく話したことなんて一度もなかったんだけど。
あたしは、彼のことがうらやましかった。
やさしくて、ほがらかで、男女問わず人気があって、いつもしあわせそうに笑っている。そんな彼が憎らしくて、だけど、そう思ってしまう自分もイヤで、彼の顔を見るたび、複雑な気持ちがお腹のなかでぐるぐる渦巻いたことをおぼえている。
うちには父親がいなかったから、母親が仕事に行っているあいだ、家のことはあたしがしなくちゃならなかった。
クラスの女子たちみたいな、かわいくて新しい洋服だってなかなか買ってもらえなかったし、人と話すのが苦手だったあたしには、友だちと呼べるような子もいなかった。
性格は暗いし、服はヨレヨレだし、そりゃあ、あれこれ陰口だって叩かれる。気づきたくもなかったけれど、チラチラとこちらを見ながらクスクス笑われたらイヤでもわかるというものだ。
そんなとき、さりげなく、嫌味なく、注意できるのが彼だった。あからさまに庇うのではなくて、人をこそこそと笑いものにするようなやつとは友だちになりたくない――というような、人気者だからこそ通用するやりかたで。
あたしがイジメられずにすんでいたのも、きっと彼のおかげなんだろうと思う。
ほんとうなら、感謝すべきところなのかもしれない。だけどあたしは、みじめだと感じてしまった。それはきっと、あたしの心が
恵まれた人間からあたえられるやさしさに、ひがみ根性ばかりが成長していった。
だからほんのすこし、意地悪してやろうと思った。
それだけだったんだ。
◇
五年生のときだった。
そのころ大人気だった特撮ヒーローのキーホルダー。
おれのお守りなんだと、彼がクラスの友だちに話しているのを聞いたことがあった。
それがある日、教室の床に落ちていた。
変身ポーズをきめた小さなヒーローが、彼の机のわきで倒れていた。
誰もこちらを見ていなかった。
さっとつかんで、握りしめた
ばくばくと、心臓が暴れまわって胸をつきやぶりそうだった。
八つ当たりだってことくらいわかっていた。
彼はただ親切なだけで、なにも悪くない。
一方的な逆恨みだって、ちゃんと自覚していた。
だから、つぎの日には返すつもりでいた。
机のなかにでも、こっそりいれておくつもりだった。
一日くらい、落ちこんだりあわてたりすればいいって、そう思っただけだったのに。
翌日、彼は学校にこなかった。そのつぎの日も、さらにつぎの日も。
彼と、彼の両親は、誰も知らないあいだにこの町からいなくなっていた。
大人たちがささやいていた『夜逃げ』という言葉。
その意味をあたしがちゃんと理解したのは、ずっとあとのことだった。
◇
返すことができなかった彼のお守り。
冷静に考えればそんなはずないのだけど、彼がいなくなってしまったのは、あたしがお守りをとってしまったせいではないかと、そんな罪悪感が心にこびりついて離れてくれなくなった。なんだか怖くて、捨てることもできなくて、あたしはひっそりと、彼のお守りを小物ケースの底にしまいこんだ。
それから約十五年。
再会のときは突然おとずれた。
この夏、近所に新規オープンしたヘアサロン。
割引きクーポンにつられて行ってみたら、にこやかに微笑む彼が待っていたのだ。
いや、べつにあたしを待っていたわけじゃない。彼が待っていたのはお客である。
だけど名札と、幼いころの面影が、お守りの彼と同一人物であると、あたしに教えてくれた。
そう。相変わらずほがらかに笑う彼は、美容師になっていた。
◇
彼にとってはお守り。
あたしにとっては小さな罪の
ひとり暮らしをはじめたとき、実家に置いていこうかすこし迷ったのだけど、結局手もとに置いておくことにした。
特別な意味があったわけではなかった。まさか再会できるなんて思ってもみなかったし。ただなんとなく、そばに置いておかなければいけないような気がした。
結果的に、それがさいわいした。
再会したその日のうちに返すことができたのだから。
彼の仕事がおわるのを待ってすこし時間をもらったのだけど、あたしが差しだしたキーホルダーに、当然ながら彼はひどく驚いていた。
子どものころから変わらない、おだやかでほがらかな笑顔はどこへやら。ぽかんと、ほうけたような顔で絶句していた。
彼の素顔を、はじめて見たような気がした。
なぜあたしが彼の『お守り』を持っていたのか。その理由もすべて話した。
最後まで黙って聞いていた彼は、あきれることも怒ることもなかった。
――たぶん、純粋な善意じゃなかったんだ。親切な自分。やさしい自分。えらいね、やさしいねって、人にほめられるような自分でいたかった。相手のことなんて、ほんとうには考えてなくて、ただ自分が気持ちよくなるためだけの思いやり。そういうのが態度ににじみ出てたんじゃないかな。
だから、あたしが腹を立てるのも当然だと、それはそれは素晴らしくやわらかな笑顔でのたまった。
さらに。
――本物の勇気とかやさしさを持てる人間になりたくて、このヒーローをお守りにしてたんだけどさ。もしかしたら、
手のひらにのせたキーホルダーとあたしを交互に見ながら、懐かしそうに、うれしそうに、にっこりとそうつづけたのである。
彼はアレだ。今でいうヤリチン。むかしならスケコマシ。
そういうやつにちがいないと、このときあたしは確信した。
とはいえ、せっかくの再会である。
何度かふたりで食事をして、『夜逃げ』のあとの話もすこしだけ聞いた。
彼は町を出てすぐに、母方の祖父母の家にあずけられたのだという。高校卒業まで、そのまま田舎ですごしたのだとか。
両親のことはあまり話したくなさそうだったから、あたしもあえて聞かなかった。『とりあえず、生きてはいるよ』ということだったし、それ以上は他人が立ちいるようなことでもないと思ったから。
彼とはたぶん、それくらいの距離感がちょうどいい。
だって、こんなタラシ男を好きになったら絶対苦労する。
いくら彼がやさしいからといって、かんちがいしてはいけない。誰にでもやさしいやつは、ほんとうは誰にもやさしくないのである。
だから。
クラスメート以上友だち止まり。
それが今の、あたしと彼との関係だ。
再会して、小さな罪ともサヨナラできて、おたがいにクラスメートから友だちには昇格したのかもしれないけれど、せいぜいそこまでである。
彼はといえば、週に一度は『ごはん行こーよ』と誘ってくるし、そのたびあたしは『なに着てこう』と、つい考えちゃったりするのだけど。それでもだ。
クラスメート以上友だち止まり。
それ以上はない。
ないのである。
美容師の彼が、どれほど繊細な手で髪にふれてこようとも。
友だちの彼が、どれほどやわらかな笑顔を向けてこようとも。
ドキドキなんて、絶対、してやらないのだ。
(おしまい)
サヨナラ、小さな罪 野森ちえこ @nono_chie
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