第7話 たかいところ(下)

 展望台と言っても、住宅街から少し離れた山にある展望台だから、然程大きなものではないし、普段なら出ているちょっとした屋台も今年は見当たらない。人気はなく、ただ辺りを蝉の鳴き声が包んで、時々、住宅街よりは多少涼しい風が頬を撫でて、木々が揺れる度に森の香りがした。

 アイスの自動販売機を、お父さんはそわそわとした様子で見上げている。


「園田くん、本当にごちそうになっていいの?」

「おう。バイトしても遊ぶことないからさ、金貯まってんだ」

「野球は?」

「大学入ってからはやってない。お前は? なんかしてんの?」

「喫茶店でバイトしてたけど、最近潰れちゃって。小さいお店だったから」

「あー、多いよな。そういうの。この調子じゃ、俺らの成人式もどうなっちゃうんだろうな」

「ほんとにね」


 すると、隣にいたお父さんが、突然私にぴたりとくっついて来た。マスクで見えないけれど、多分口を尖らせている。


「どうしたの?」

「レモンない!」

「あー、じゃあ、オレンジにする?」

「する」

「じゃあ、園田くんにお願いして」

「オレンジくださいな!」


 怒ってるような大声と、ぷいっとそっぽを向くお父さんの様子に、園田くんはへらへら笑っている。自販機にお金を入れてくれて、ごとん、とアイスが落ちる音がする。夏の音だ。夏が少しだけ、息をしているように思える音だ。

 棒状のアイスは紙で包まれている。それを園田くんがくるくると剥いて、お父さんに見せる。


「あいよ」

「ありがと」

「あっちで食う?」

「うん」

「じゃあ、行くまでは俺が持っていくか、これ」

「食べちゃだめだからね」

「おう」


 私たちは三人で、展望台のへりに向かった。私とお父さんは近づいて、園田くんは少し離れてへりに立つ。向こうに見えるのは、何の変哲もない街の景色だ。山の緑が途切れれば、灰色の住宅街が海との切れ目まで広がって、所々にビルが突き出ている。

 お父さんはアイスを口にくわえて、その景色を黙って眺めていた。ほっぺたが上下に動くから、ちゃんとアイスを食べているようだ。園田くんは、息を吹き返すようにマスクを取った。


「あっついなあー!」

「暑いね」

「風がなかったらやばかったな」

「ほんとそう」

「今年花火大会あったら、こん中で場所取りしたんだろ? やだなー」

「ここなんか、きっと人でぎゅうぎゅうだよね」


 三人でアイスを食べる。この景色のどこかで、お母さんが仕事をしているのかと思うと、少し申し訳ない気持ちになる。せめて、冷房の効いた部屋にいてくれればいい。今、この展望台は、じっとしているだけでも体中から汗が滲んでくる。


「なあ、なんでそいつ、お前のお父さんだなんて言うんだよ」

「え?」


 お父さんが景色に見入ってる隙に、園田くんが私の方を向いた。それでもお父さんは私のスカートを握っているから、話は聞いているように思える。


「うーん……。何と言えばいいのか」

「だって、お前のお父さんってー……」


 もちろん、園田くんは私のお父さんが死んでしまった時も、出席番号順で私の前の席に座っていた。今とは違う丸坊主で、今と同じような大きな目をしていた。


「私が寂しそうに見えたのかなあ。だから、そう言って励ましてくれてるのかも」

「なんか悪趣味な気がするけどなあ」

「そうでもないよ」

「まあ別に、お前がいいならいいけど」


 園田くんは、手元のチョコミントアイスを大急ぎで食べる。外で食べるアイスは美味しいけど、すぐになくなってしまうのが玉に瑕だ。私とお父さんが食べているオレンジアイスも、食べれば食べるだけ溶けて行く。


「お姉ちゃん!」

「なに?」

「あれなに?」

「あれって?」

「太陽の絵のやつ!」


 アイスを食べ終わったお父さんは、残った白いプラスチックの棒で街の景色を指している。


「電器屋さんだよ。結構前に出来たの」

「あのおっきいオレンジのは?」

「国道沿いの、牛丼屋さん」

「山の上にあるお城は?」

「えーっと……ホテル」


 隣で園田くんが弾けるように笑った。蝉が全部掻き消してくれるわけないのに、なんだか急にどっと汗が噴き出した気がする。思い切り睨んだら、「こえー」と冷やかされた。


「なー、“お父さん”ってそんな田舎から来たのか? なんもかんも珍しいなんてさ」


 聞かれても、お父さんは答えない。園田くんからの質問よりも、園田くんが取り出したものの方に、気が行っているみたいだ。


「それ! なに!」

「ん? スマホだよ」

「ほ?」


 園田くんはしゃがんでマスクをつけると、お父さんにスマートフォンの画面を見せた。写真を撮ろうとしていたらしく、画面には目の前と同じ景色が映っている。お父さんは身を乗り出して画面を見つめた。


「すごいねえ! お兄ちゃんすごいね」

「なんだよ、見たことねえの」

「だって、ぼくがいた時にはないもん」

「へえー」


 適当な返事をすると、園田くんはカメラを自撮りモードに切り替える。それからいそいそと距離を取って、横目で私を見た。


「ほら、高桐も入れって」

「……SNSに上げないよね? グループチャットとかも」

「上げねえよ。上げるとしたら、人がいない写真にする」

「それなら」


 私はお父さんにくっついて、三人で写真を撮った。お父さんを真ん中にして、展望台から見える景色と一緒に。遠近法で、きっと園田くんだけやけに大きく写っているだろう。

 お父さんはうきうきとした顔で画面を覗いたけれど、園田くんの声で何かに気づいたらしい。


「あれー? ちびが入らなかったな。もう一回撮る?」


 園田くんが見せてくれた写真には、お父さんだけがいなかった。それを園田くんは、カメラアングルのせいだと思ってくれたようだけれど。お父さんは逃げるように私の後ろに隠れてしまった。


「やだ! もう撮らない!」

「気分屋だなあ」


 へらへらと園田くんは笑って、スマートフォンを操作していた。ぽこん、と私のスマートフォンに通知が届いて、見れば、園田くんから写真が送られてきた。


「俺ら、メッセージやるの初めてっぽいよ」

「ほんとだね」

「初メッセージが写真って」

「変な感じ」


 お父さんは私のスマートフォンの画面を見てむくれているけど、頭を撫でてあげたら少し収まった。こうしてみると、気づかされることがある。私のお父さんには、“お父さん”になる前の時間があったのだ。


 夏の暑さに耐えかねて、私とお父さんは山を下るバスへ、園田くんは山を登るバスに乗って帰って行った。

 バスの中でお父さんは、「あのお兄ちゃんはいい人だ」なんて言っていたけれど、それは多分、アイスをくれたからだろう。

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