6)生き辛さと異世界モノ

 私は仕事の延長線上、いろいろな方の相談を聞く機会があります。年齢も性別もさまざまな訳ですが、多くの方に共通して見受けられるのが、なにがしかの生き辛さです。

 どうして、こんなに生き辛い世の中になったのか。私が今ここで原因を言い当てられるほど問題は単純ではありません。しかし、この生き辛さの中であっても人は生きていかねばならず、まるで終わりの見えないトンネルの如しです。繊細な若い人たちは、この曇天どんてんのような空気を敏感に感じ取り、将来に展望を見いだせない方もいるかもしれません。


 カクヨムでは異世界モノが大流行ですよね。こちらの『私の本棚』で紹介させてもらっている夏川俊さんの『異世界モノ、ちょっと斬ってみた件について』の中でも、昨今の異世界モノの流行の背景について言及しています。

 詳細はぜひ読んでいただきたいと思いますが、異世界モノが流行はやる要因として、夏川さんは簡単に非現実(自分に都合の良い設定の世界)を構築できることを挙げています。

 生き辛さの話から、なぜ異世界モノ?? と思われるかもしれません。が、この「簡単」「非現実」という部分が、今回の私の呟きと実はリンクしています。


 異世界モノは、簡単に自分の都合の良い非現実を構築できる──。


 この的を射た指摘は、誰でも容易に物語を作ることが可能となった一方で、小説としての質の低下を招いているという話にもなってくる訳ですが、この点については多くの人が憂慮・指摘をしているところでもあるので、今は触れません。

 しかし、この「なぜ異世界モノなのか」⇒「簡単に非現実を構築できる」という構図を別の視点から考えたとき、ちょっと違うものが見えてきます。

 私はこの異世界モノの流行の背景には、昨今の多くの人が抱える生き辛さも少なからず影響しているのではないか、そんな風に思うのです。

 なんとなく生き辛い現実を忘れ、あっという間に非現実へと入っていける。

 そこに行けば最強の自分(の分身)に会うことができ、最高にハッピーな物語が待っている。まさに夢のような世界です。夢なんですから、多少つじつまが合っていなくても問題ない。重要なのは非現実であり、生き辛くないということ。

 ハーレム、チート、俺Tueeeeなどなど、これらは楽して最高な人生を簡単に手に入れられる要素ばかりです。それは現実に疲れ果てたからこその要望とも言えるかもしれません。夏川さんの論説でも、物語の設定やキャラについては作者の趣味・嗜好、願望だとありますが、私も大いに頷くところです。

 誰も、これ以上難しく考えたくなどないわけです。


 ある種、現実逃避とも言えるような異世界モノへの傾倒ですが、そんな風に考えると、昨今の大流行も腹に落ちてきます。小説として体をなしていなくてもいいのです。そこが目的ではないのですから。「こんな風に生きることができたら」という思いを集めた結果、小説という形をなしているだけだと考えてもいいかもしれません。そもそも、小説とは人の妄想を集めたものだとも言えますし。

 ただここで思うことは、この異世界モノの需要こそが、今の日本の現状を如実に表しているのではないか、ということです。

 いつから日本は、こんなインスタント的な最上級の人間を求めるようになったのでしょう。あまりに求める人間像が画一的で非現実的です。人はもっと手間暇がかかるものであり、不器用で不具合のあるものであり、だからこそ多様で魅力的でもあるのです。

 誰もハーレムになる必要も、チートである必要も、俺Tueeeでなければならない必要もない。今を懸命に生きているであろう人、一人一人が本当は一番尊いのだと、声を大にして言いたい。確かに現実は厳しいのですが。

 最近、生き辛さについて考える機会があり、ふと異世界モノの流行について考えが及び、ここで呟いてみた次第です。

 

参考

『異世界モノ、ちょっと斬ってみた件について』 作者:夏川俊さま

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054895738317

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