5)誰がために批判はある
カクヨムでの活動は一年余りですが、実を言うと、ネットでの活動は長いです。もともとパソコンでいろいろするのが好きで、書くことも描くことも好きな私なので、多岐にわたりいろいろやっています。あまり具体的に書くと、年齢がバレそうなので書きません。はい。
で、いつの時代でも活動をしていて目にするのが批判コメントです。ここカクヨムでも目にします。ストーリー展開、言葉の使い方、小説の書き方の基本まで、批判のネタを挙げるとキリがありません。
この批判、創作者自身が意見を求めている場合なら分かります。が、誰も求めていないのに、まるで土足で踏み込むかの如く批判をする人がいます。あれは、誰のためでしょう?
創作者のため? いえいえ、求めていませんよ。
他の読者のため? いえいえ、関係ないですよ。
世のため? いえいえ、それこそ、なんのため?
違いますよね。自分のためです。
こんなことを言うと、「そんなことはない。間違った(と思っている)ことを指摘しているだけだ」と言う人もいるかもしれません。
もっと噛み砕いて考えてみます。なぜ、間違った(と思っている)ことを求められてもいないのに指摘したいのか。自分が不快だからに他ありません。見ていて不快、読んでいて不快、だから何とかしたい。してやりたい。
嫌なら回れ右して帰ればいい。代金を払っているわけでもない、対価を求める必要もありません。嫌なら拒否する自由もある。誰も求めていないのに、です。
そう、間違いを指摘したい、批判したいのはあくまでも自分自身です。他の誰かがやれと言っているわけではありません。
さらに噛み砕きます。そうすることで何を得ようとしているのか。自己達成感でしょうか、自己有用感でしょうか、それとも自分自身への安心感でしょうか。いずれにせよ、自分に対する何かです。ベクトルは相手に向かっている様に見えて、その実、自分に向けられています。
ここに気づくと、求められてもいない批判が意味のないことが見えてきます。自分に向くべきベクトルを、全く見当違いの方向に向けて論戦を繰り広げるわけですから。
小説の将来を憂慮する声も確かにあります。「こんな低レベルの小説ばかりが~」みたいなやつですね。耳が痛いです。でも、それを訴えるならば、広く不特定多数に訴えるべきで、個人的に批判する必要はありません。少なくとも、書いている本人は困っていません。
極論を言うと、ここで私が駄文をどんなに書き続けていても、誰も困っていないんですよ。そんなものに、あえて批判をする意味なんてどこにもない。
今、私がこんなことを書いているのも自分のためです。
自分の心の内を紐解いてみると……、私は求められてもいない批判的な書き込みを見るのが好きではありません。ただ、だからと言って、該当する書き込みに横やりを入れるような真似もしたくない。状況が悪化するだけです。
となると、次なる手として、ここで一人寂しくこうして書いて訴えるという手段に出るわけです。何かの正義のために書いているわけではありません。
なので、私なりの、私のための、所感だと思ってくださればいいですね。
訴えたいことがあるのなら、個人的な誹謗中傷ではなく、一つの作品として自分の意見を昇華させていく。それがカクヨム流なのではないか、そんな風に思います。
こんな終わり方で、どうだ。おあとがよろしいかしら?
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