キョン!異世界に行くわよ!

太刀川るい

キョン!異世界に行くわよ!

 あの、はちゃめちゃな高校生活も終わってみればいい思い出だ。卒業が近づくにつれてハルヒはすっかりアクが抜けて、いわゆる普通の優等生になっちまったし、それと比例してSOS団のイカれた活動も徐々に縮小していった。


 気がつけばハルヒが部室に来ることもなくなり、最後の冬には再びコンピ研に受け渡すことになったけれど、ハルヒは「そう」と言ったっきり参考書に顔を戻してそれっきり何も言わなかった。


 子供の頃見ていたTVアニメをだんだん見なくなっていくように、気がつけば徐々に全ては終わっていって。周囲に流されるまま俺は進学して就職して、気がつけばもういい年になっちまった。

 出世は遅いが部下もいる。指示を出してぼんやりとディスプレイを眺め、書類をまとめ、帰宅する日々。

 どこか心地よくもある埋没していく感覚に、ただ身を任せてやり過ごしていたある日のこと、


ふとハルヒのことを思い出した。


 きっかけは、妹の結婚式に出席した後、自分の安アパートに帰った時のことだ。

 きしむ階段を登ってドアを開け、誰に向けるわけでもなくただいまとつぶやき、引き出物を床においてそのままベッドに横になろうとしたら、棚の上に上げておいた箱がどさりと落ちてきた。

 めんどくせぇなと悪態をつきながら、箱を持ち上げると、中からぽとりと昔使ってたケータイがでてきたのだ。

 センチメンタルな気分になってたんだろうな。なんとなく一緒に出てきた充電器をコンセントに差し込み、電源を入れてみることにした。

 メーカーのロゴが表示されたかと思うと、少し置いて、あのころのままのチープな液晶が点灯した。

 途端にあの時の思い出が一気に押し寄せてきた。

 覚えているか? ハルヒ。この電話でお前の呼び出しを何度も食らったんだったよな。待ち合わせした広場はもうなくなっちまった。もう二十年近く経つんだな。

 お前に作らされたSOS団のサイトも今ではリンク切れだ。

 電話帳に並ぶ懐かしい名前を見ていると、ふと俺は決心がついた。

 スマホを取り出して、連絡先を探す。

 特に節目というわけでもない。ただいままで逃げていたことを、終わりにしようと思っただけだ。


■■■■■■■■


 8月も終わりだというのに、狂ったように暑い。セミの絶叫を聞きながら、俺はあの坂を登っていった。

 俺たちが何度も繰り返したあの夏みたいな気候はもはや歴史の中にしか無く、トースターの中のパンの気分を味わえるような殺人的な暑さが今では普通になっちまった。

 あの頃に比べて、坂の傾斜がきつくなっているような気がして、年を取ってことがわかっちまって、ため息なんぞついてみる。

「おい! キョン!!」

 坂を登りきった所で、懐かしい声がする。俺は思わず笑みを浮かべた。

「キョン! 久しぶりだなぁ! どうよ、こっちの方は」

 そういうと谷口は小指を立ててマスクをずらす。

 懐かしい顔がにやりと笑った。

「いや、全然。お前の方は?」

「んまあ、可もなし不可もなしってところだな」

「全然解らん」

「全然だめってことだよ」

 国木田が横から茶々を入れる。

「ああ~お前、バラすなってよ」

「嘘はいけないよ、嘘は」

「これだから既婚者様はよ。まあいいぜ、今の俺にはこれがあるから」

 谷口は得意げな顔でスマホをかざした。

「じゃーん、マッチングアプリだぜ!」

俺は思わず苦笑する。久々に会ったというのに、こいつは全然変わらない。それが今の俺にはすごくありがたい。

「本当に変わんないな。お前」

「おいおい、それ褒めてるのか?」

「褒めてると思うよ。キョン、それはそうと、今日はごめんね。病院行く予定があってさ」

「いいさ、二人目生まれるんだもんな。来れなくても仕方ないさ」

 鶴屋さんが来てくれたら、きっと気の利いたセリフの一つや二つ、言ってくれたんだろうかと思う。

 他愛のない昔話をしながら、俺達は道を歩いた。

 汗が滴り落ちるような暑さも、思い出話の前では霞んでしまう。

 思えば本当にいろんなことがあった。

「ねぇ、SOS団のみんなは、来ないの?」

 道中、国木田が額の汗を拭いながら聴いた。

「古泉が来る。遅れて来るってさ」

「他の子は?朝比奈さんとか、長門さんとか……」

「来ない」

 俺がそう返すと、谷口は心底残念そうな顔をした。残念だったな谷口。半分ぐらいそれ目当てだっただろうが。

「そっか……」

 とつぶやいて国木田は遠い目をした。



 やがて、俺達は目的地についた。住職に頭を下げ、寺の裏に向かう。

 そして、ゆっくり手を合わせると目を閉じた。

 セミの声だけが静かに鳴り響く。

 やがて、静かに目を開けると、俺は目の前の直方体に加工された御影石をじっと見つめた。

 石の表面には涼宮、という文字が彫り込んである。

 俺は膝をついて、買ってきた花をそっと添える。名前も知らないちょっと派手めな花だ。お前なら菊なんかより、こっちのほうが良いって言うと思ったからだ。


 高校を卒業する直前、ハルヒはトラックにぶつかって、死んだ。


 永遠に続くと思っていた瞬間があんなにもあっさり終わるなんて、信じられなかった。

 こまっしゃくれても俺は所詮ガキだったんだ。わかったような口調で何もわかっちゃいなかった。

 丁度倍ぐらいの年齢になって、やっとこうして向き合えるようになった。本当に向き合えているかはわからないけれどな。

 葬式にも行けなかった。通夜に行ってくると親に言って家を出て、そのまま古本屋で漫画を立ち読みしてそのまま帰ってきた。

 香典は部屋のどこかに隠しておいたままどっかに行っちまった。

 認めたくなかった。お前が死ぬなんて。


 なあ、ハルヒ、信じられるか? オリンピックがまたあるんだってよ。結局なくなっちまったけれどな。変な疫病が世界中で流行ってる。学校は遠隔授業をやっているらしい。お前と俺が今の高校生だったら、きっとあんな出会い方はしていないんだろうな。 16年前の七夕、覚えてるか?彦星だか織姫だかに願いが届くのには16年かかるってお前が言い出して、みんな願いを書いたんだ。俺は「金くれ」と書いたが、一年遅れだけど、でたよ。給付金。これもお前の力なのかな。

 太陽はすっかりおかしくなっちまって、狂ったように暑い。みんなでっかい画面のケータイでゲームやったり動画見たりしてる。天皇陛下だって変わっちまった。こんなことになるなんて、朝比奈さんも教えてくれればいいのにな。まあ、禁則事項ってまた可愛らしくぼかされただろうけれども。

 そうそう、朝比奈さんはお前が死んだ後すぐに居なくなっちまった。多分未来に帰ったんだろうと思う。

 長門もそうだ。さよならも言わずに、一晩でマンションは誰も住んでいなかったかのように空き家になっちまった。

 お前が生きていたら、SOS団のLINEスタンプを作ろうとしたり、youtuberになったり、急に写真を始めたり、きっと毎日楽しいことをしてたんだろうな。

 今度ある万博だって全力で楽しんだろうな。もしかしたらお前がロゴを作ってたかもしれない。


「遅れてすみません」

 妙にハンサムな声がして、振り返ると古泉だった。

 あの張り付いたような笑顔はそのまま、エリートじみた立ち振舞いにはますます磨きがかかっている。

「少々、会議に手間取りまして」

かつては超能力者、今はただのサラリーマン、でもこっちのほうが古泉としては幸せなのかもしれない。迷惑な神様に振り回されなくてすんだわけだし。


「なあ、古泉」

 国木田と谷口が遠くで話し込んでいることを確認して、俺は古泉に切りだした。

「お前、ハルヒが本当に死んだって、思うか?」

「どういうことですか?」

「俺、思うんだ。もしかして、ハルヒは、この世界から逃げ出しただけなんじゃないかって。もっと自分の自由になる、そんな世界に行っただけなんじゃないかって」

 ここ数十年、なんとなく心のなかでくすぶり続けていたことを、俺は初めて口に出した。馬鹿なことを言っているのは分かっている。ただ聞いて欲しかった。

「……面白いことを言いますね」

「アイツは神様なんだろ? だから死んで、この世界から抜け出した。そして別の世界を作ることにしたんだ。もっと面白い、ワクワクするようなそんな世界を。そうは……考えられないかな」

「たしかに、彼女は神でした。そして、彼女が死んだ時から、この世界に神は居ない。いわばこの世界は抜け殻です。彼女のね。だからあなたの言っていることもそう間違っては居ないような気もします」

 意外にも、古泉は俺の考えに同意した。

「もっとも、あなたがそう信じたい……ということもあるのでしょうけれど」

 最後にそう付け加えるのを古泉は忘れなかった。


 寺からの帰り道、また坂を下った。ここからの眺めだけはあの頃と変わらない。街と、遠くの海と、抜けるような空に入道雲。

 ふと、舌を出してこちらを振り返るハルヒの姿が見えるような気がして、俺は足を止めた。

 なあ、ハルヒ、面白いことは見つかったか?

 きっとそっちの世界を大いに盛り上げてるんだろうな。なにせ、本物の女神様だからな。

 おまえが居なくなっちまった世界で俺は生きていかなきゃいけない。

 でもな、ハルヒ。こっちの世界も、くだらなくてつまらないこの世界も、案外楽しいもんだぜ。

俺は再び歩き始めた。蝉の声がどこまでもうるさく響いていた。

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