2020/0906
目を覚ますと、見慣れた天井があった。だが、違和感があった。どうも何かがおかしい。家具の配置が変わっているわけではないのだが、明らかに昨日よりも整頓されている。そんなことをした覚えはない。では、いったいいつ、誰が――考えながら、スマートフォンの画面を付けて、俺は目を疑った。目というよりも現実を疑った。
俺が寝てから――9月3日から、二日経過した9月6日とそこには表示されていたのだから。
気がついた途端、背中とひたいから汗が滲み出て、だらだらと流れだした。二日。丸二日だ。その間の記憶が一切ない。お酒を飲み過ぎたらその晩の記憶を忘れるという話はあるが、今回の場合はそういうものではない。二日前の俺は酒を飲んでいないし、ただ眠っただけだ。熱中症の可能性もないだろう。エアコンはいつも眠ってから三時間のタイマーを設定しているのだ。そして、熱中症で気絶していたならば、部屋がこうやって整頓されているはずがない。推測されるのは二つ。一つは、何者かが侵入してきて、俺の部屋を漁り、俺が起きないように何かを施したか。もう一つは――極めて非現実的なことは――
「おい、おい、伶。お前はなにか知ってるんじゃないのか」
朝起きてからずっと黙っている自称幽霊が何かをしたか、だ。
「伶……?」
まったく反応がない。どういうことなのだろうか。まさか、俺の記憶がない間に俺から離れたのか? それはそれで悪くないのだが、俺がまったく覚えていない二日間に関係しているなら、何があったのかを突き止めなければならない。あいつに、聞かなければならない。だが、頭に騒々しい声が響くことはなかった。
奇妙さと歯がゆい思いで眉間に皺ができている気がする。俺しかいないのに、部屋を何度も見まわしてしまう。緊張感が取れないまま、朝食を食べようと冷蔵庫を開けて、顔をしかめた。俺が買ったはずがない食品が置いてあったのだ。使っていなかった食器も使われていて、洗われていた。とりあえずご飯に手を付ける前に、机までもどって財布をとりだす。中のお金は明らかに減っていて、冷蔵庫に置かれていたものと商品名が一致するレシートがあった。
「…………」
玄関に立てかけている傘は明らかに位置が変わっているし、そもそも俺はカッパを使っていなかったのに、着ていなかった服とともに干されている。二日間の俺の記憶はないのに、その間も誰かが生活していた。部屋の状況から俺が考えたのは、その結論だった。では誰が? ……不法侵入を考えなければ、生活していたのは俺だろう。しかし、「俺」は生活していない。
――推測だ。俺は超常現象に対して興味がない。幽霊がやってくることなんて、ラップ音とか、モノを勝手に動かすとかくらいで、人を乗っ取ることができるとは知らない。人を呪うことはあっても、呪った対象を意のままに操れるとは聞いたことがない。幽霊が操れるのは死者の体くらいだと思っていた。だが今、俺の頭にある突飛な予想は、俺が想定する幽霊のスペックを大きく上回っている……というより、それはもう妖怪の類だ。幽霊も妖怪といえるかもしれないが。この推測の答え合わせのためにも伶がいなければ困るのだが、当の本人(というよりも本霊か)からの反応は相変わらずない。
結局、なにもわからないままバイトに行くしかなかった。
バイトの出席表代わりにもなる点検表を見ると、一昨日も昨日も俺はバイトに来ていたらしい。流石に同じ時間に俺と同じくアルバイトの学生に「昨日、俺はバイトに来ていたか?」という不審な質問をすることはしなかった。そんな質問をしたら気味悪がられるに決まっている。バイトを無断欠勤していないことへの多少の安堵と、それゆえの異様な事実に小さく唇を噛んだ。
このバイトには時間帯的に客足がなくなるタイミングがある。客となる人々はまだ働いていて、まだ授業を受けている。そういう時間帯だ。そのタイミングで、バイトの後輩が俺を見て首を傾げていた。じっと見られるのは不快なので、その行動の理由を聞いてみることにする。
「なにか俺に変なとこでもあります?」
後輩は一瞬目を丸くすると、すぐに俺から視線を外した。しまった、とでもいいたげな雰囲気がある。沈黙ののち、後輩が口を開いた。
「……いやぁ。なんか先輩、今日は調子が悪いのかなって思ったんです」
「別にいつも通りですけど……。調子がよさそうに見えた時はどうだったんですか」
「うーん、なんというか。背筋が伸びてて、動きにメリハリみたいなのがあったような気がしますね。活力がありそうな感じでした」
活力がありそうな感じ。……どんな俺だったのだろうか。予想もつかない。だが他人の目からそう見えていたということは、やはり一昨日と昨日の俺は、俺の姿をしていながら、俺らしくなかったということなのだろう。
家に戻り、晩飯を食べ、風呂に入る。自称幽霊は、鏡の向こうには現れてくれなかった。本当にいなくなったのだろうか? それとも、黙っているだけなのだろうか。こういう時は、俺もあいつの思考が読めればいいのにと思わずにはいられない。わからないことは、なによりも困ることなのだ。
「お前は、何がしたいんだ。何がしたかったんだ」
声はなく、ただ音のみがあった。
0831 山森ねこ @Suzu_neko_green
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