第五話
その男性は、精神病棟の一室にいた。拘束衣を着せられて、ぼーっとした顔をしている。
身元がわからないので正確な年齢ははっきりしないが、推定六十代くらいらしい。年齢的には山代さんよりちょっと若いくらいのはずだが、だいぶ老け込んで見える。肌は荒れ、落ち窪んだ目がギラつき、汚れた歯の隙間から息をしている。
「まだ錯乱状態が治らないみたいで、ことあるごとに暴れるんです。食事も取ってくれないから、点滴を打つしかないんですが、打とうとするとすごく抵抗するんですよ……」
担当医が肩を落としてため息をつきながら軽く説明してくれる。本当に大変な患者らしい。
「なにかあったら呼んでくださいね。鎮静剤打ちますから」
そう言って、担当医は席を外した。
僕は、男性の目を見てひとまず挨拶をする。
「こんにちは。警察の者です」
「あう?」
「お加減はいかがですか?」
「ウーッ」
「今日はお話を聞きに来ました」
「ガァァア!」
男性は歯を剥いて、僕を威嚇している。呻く声は、赤ん坊の喃語のようだ。
「田島、あれ出して」
「わかりましたけど、なにに使うんですかコレ。見舞いの品にはちょっと不似合いですよ」
そう言って、田島は僕が預けていたクーラーボックスから生のブロック肉を出した。できるだけ、大きくて硬いものを選んできた。これにどういう反応をするかで、この人の正体がわかる。
僕はそれを手づかみで、男性の鼻先に持っていく。男性は、クンクンと匂いを嗅いでから、勢いよく肉に噛み付いた。
「うわっ?」
田島がドン引きした顔をして、一歩後ずさった。
男性はムシャムシャと、口の周りが汚れるのも気にせずに、肉を食いちぎる。危うく僕の指も持って行かれるところだった。
「うーん、やっぱりか。間違ってて欲しかったんだけど」
通常の食事は取ろうとしないのに、生肉にはこの食いつき方。間違いない。
「えーと、これは……?」
「簡単な話だったんだよ、田島。初めから、なにも難しいことは起きてない。この人は、錯乱してるわけじゃない。これが通常の状態なんだ」
「え、そんなはずないでしょ?」
「いいや、あるんだよ。この人は、小さい時からずっとあの蔵に閉じ込められていて、まともな教育を受けなかったんだ。そしていつしか成長して、出入り口よりも体が大きくなって出られなくなった。話ができないのは、言葉を知らないからだよ」
「……じゃあ、つまり」
田島の顔がさっと青くなる。恐る恐る男性の方を見ながら、一歩一歩後ずさる。
「そう。この人が人を食べるっていう怪物、喰らい様だ。不思議なことなんか、なにも起きちゃいないよ。すごいパワーで神隠しをする必要もないし、ミノタウロスみたいな怖い猛獣もいない。今回の事件は、全部人間に実行可能なんだ」
人間の顎の力は、結構強い。生肉を噛み切るのくらいは、結構簡単にできてしまう。この男性は、今ブロック肉を噛み切っているように、蔵に誘い込まれた人の肉を喰らってきたんだ。
「彼に、村の住人を全員見てもらおう。その中に、彼に捕食対象だと認識されない人がいるはず。その人が世話係の山姥だ」
「了解です。面会室を手配します」
屋敷に人が住んでいた形跡はない。ならばおそらく、村に紛れ込んでいるはずだ。
うまく溶け込んで、周囲の人間模様を観察して、喰らい様に頼りたがっている人に目星をつけ、機会を見計らってその人の前に現れていた。きっと、そういうことだろう。
喰らい様は、村八分の対象を消して穏やかな日常を守るための、あの村のシステム。そういうことなのかもしれない。
もしかしたら山姥は一人じゃなくて、村ぐるみで喰らい様の世話をしていた、なんて可能性もある。
べちゃべちゃと、肉を咀嚼する湿った音が個室の中に響く。男性が、ごくんと生肉を飲み込んだ。
古屋敷の怪物 タイダ メル @tairanalu
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