第31話 アキラ、アキラめない!
アキラは改造コルク銃を構えた。狙いは虎之助の胸である。胸に強い衝撃を受ければまず立ち上がることはできないだろう。
二人の距離は五メートルほど。さすがにこの距離で外すほどアキラの腕は悪くない。
「丸腰でおぬしと戦うのは難しそうでござるからな。拙者は武器を使わせてもらうでござるよ。これも戦国の習い。悪く思わないでほしいでござる」
「いや、戦国時代は四百年以上前に終わってるから。こんな平和な時代に武器を持ってるあんたがおかしいからね」
久菜はアキラのうしろにある電柱の陰からツッコミを入れる。しかし、目の前の敵に集中しているアキラには聞こえていないようだった。
虎之助はそれでもファイティングポーズを崩さない。包帯の隙間から見える鋭い目が、獲物を狙う猛禽類のように光っていった。
そして、虎之助の足が動く。
「御免!」
アキラの改造コルク銃が火を噴いた。
アキラの武器は銃である。接近されれば不利になるのはアキラのほうだった。しかも、改造コルク銃は一発一発コルクを筒の先にセットしなければ撃つことができないという戦国時代の火縄銃と同じ操作方法である。一発外したら終わり。だからこそ、アキラは先手必勝で発砲したのだ。
虎之助の体が揺れる。うめき声が響いた。久菜の目から見たら一発で勝負が決まったかのように思えた。
しかし、状況は違っていた。
「な、何ということでござる……!」
アキラが放ったコルクは確かに虎之助に当たっていた。それはいい。しかし、虎之助もバカではなかった。アキラの狙いが胸にあると気づき、発砲と同時に腕で胸をガードしたのである。コルクが砕いたのは虎之助の右腕の骨だけだった。
「……まだ、左腕がある!」
虎之助は一歩でアキラとの距離を詰めると、怪我をしていない左腕を振るった。アキラはその一撃をまともに受けてしまう。顔面だ。
「ぐっ!」
改造コルク銃をその場に落とし、うしろ向きに倒れそうになるのを何とかこらえる。鼻からは真っ赤な血が流れていた。
「ぐぅ、鼻が折れたでござるか。でもまだでござる。拙者は、こんなところで負けるわけにはいかないでござるよ!」
アキラは垂れてくる鼻血を指で拭い、拳を握った。今度はアキラのほうから虎之助に近づき、その顔面に一撃を食らわせる。
「……うぐっ」
虎之助も唸り声をあげた。素人の拳ではない。アキラはその見た目通り、拳に力があった。ボクシングをしていれば虎之助以上の選手になったかもしれない。
しかし、そんなアキラの一撃を食らっても虎之助は倒れなかった。
「……まだっ!」
虎之助の左腕が唸る。
「まだまだでござる!」
アキラの両拳が唸る。
二人の拳が二人の体に吸い込まれていった。外れはない。二人とも避けるという概念をなくしてしまったかのようだった。完全な打ち合いによる泥仕合。手数の多さならアキラ。一撃の重さなら虎之助だった。
久菜は息を呑んで見守る。あんなにも傷つくアキラを見たくはない。しかし、ここで目をそらすのも間違っていると思った。
がんばれ。
久菜は祈るような気持ちで何度もつぶやいた。
しかし、現実は非情だった。
「ぐはっ!」
アキラがよろめいた。その隙をつき、虎之助が大振りになる。万全な状態のアキラならばそんな隙だらけのパンチが当たるわけがない。しかし、今のアキラは違った。何度も虎之助の拳を受け、満身創痍だったのである。
そんな傷だらけのアキラに、決定的な一撃が加わった。
「……死ね」
虎之助の短い言葉とともにもらった拳は、トラックにぶつかったような衝撃の一撃だった。アキラの視界が真っ白に染まる。
「山中くん!」
久菜は電柱の陰から飛び出そうとしたが、虎之助の威圧感がそうさせなかった。今久菜が飛び出せばきっと捕まる。それはアキラの頑張りを無に帰す行為だ。それだけはやってはならなかった。
アキラは仰向けに倒れて動かない。死んでしまったのではないかと思えるほど動きがなかった。
「終わったか」
ハジメがぽつりとつぶやく。一時は冷や冷やしたが、終わってみれば虎之助の圧勝であった。
「しょせんは尼子家と山中家。僕たち毛利家の血筋には敵わなかったということだね」
「その通りでございます」
安心したのか、ハジメと吹雪にいつもの余裕が戻ってきていた。アキラを倒してしまえば久菜はどうにでもなる。久菜を誘拐して軍師と交渉し、先ほど盗聴された音声データを奪えばいい。ついでにその軍師とやらも潰して後顧の憂いをなくしておくか、とでも考えているようだった。
「虎之助。そいつはもういい。上月久菜を逃がすな」
虎之助の意識はもうアキラになかった。その先、電柱の陰に隠れて頭だけを出している久菜に向かっていたのだ。
久菜は逃げようかと思った。しかし、できない。アキラを置いて逃げることなんてできるはずがなかった。
「山中くん、何してるの! 立って! 私を守ってくれるんじゃなかったの⁉」
アキラの返事はない。虎之助はゆっくり久菜に近づいていった。
「山中くん、尼子家を再興するんじゃなかったの⁉ こんなところで夢をあきらめるの⁉」
アキラの返事はない。虎之助はアキラの横を通り過ぎた。
「山中くん、私、あんたのこと嫌いじゃなかったよ。一緒にいてなんだかんだで楽しかった。もう一度あんなバカみたいな日々を過ごせたらって思ってる。そのためにはちょっとくらいあんたの夢である尼子家再興ってやつにも協力してもいいかなって思ったりもしてるよ。だから――」
アキラの返事はない。虎之助ついに久菜の目の前までやってきた。虎之助もボロボロだが、それでも久菜の敵う相手ではないだろう。
ゆっくりと、本当にゆっくりと虎之助の手が伸びる。その手が、久菜の首をつかもうとした。
「アキラ、アキラめるなぁぁぁ!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
雄たけびとともに虎之助の体が吹き飛んだ。山のような巨体が地面に転がる。久菜の目の前には、虎之助に代わってたくましい、それでも温かみのある背中があった。
「殿は、殿は……誰にも渡さないでござる!」
アキラは起き上がってきた虎之助に飛び掛かった。一発、虎之助の顔面に食らわせる。虎之助はアキラに重い一撃を食らわせた。
「まだまだでござる!」
アキラは二発、虎之助の顔面に食らわせた。虎之助はアキラのボディに一撃をお見舞いする。アキラの体がくの字に曲がった。
「まだまだまだでござる!」
アキラは三発、虎之助の顔面に食らわせた。虎之助のアッパーがアキラの顎を跳ね上げる。体が浮くかと思えるほどの強烈な一撃だった。
「まだまだまだまだでござる!」
それでもアキラは倒れない。何度虎之助の拳が体に叩きこまれても、それでも殴り続けた。
「願わくば!」
アキラが殴る。虎之助が殴る。
「我に!」
アキラが殴る。虎之助が殴る。
「七難八苦を!」
アキラが殴る。アキラが殴る。
「与えたまえぇぇぇぇぇぇぇ!」
アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。アキラが殴る。
何度もアキラが殴り、ついに虎之助が倒れた。
動かない。あれほど虎のような凶暴さを見せていた虎之助が、ぴくりとも動かなくなった。
「や、やったの?」
アキラは倒れている虎之助の顔を覗き込むと、確信したようにうなずいた。
「意識はないでござる。これだけ殴れば当然でござるな」
アキラは離れたところで様子を見ていたハジメと吹雪を睨んだ。その瞬間、二人は蛇に睨まれた蛙のように動かなくなる。
「これでも、まだやるでござるか?」
「う、うぅ……」
ハジメは悔しそうに唇を噛んで耐えている。
「吹雪、何とかならないのか!」
「はい。し、しかし……」
さすがの吹雪もこうなってしまえばどうしようもなかった。あとは不利な状況をどこまでイーブンに近づけるかの交渉しかない。完全にこの勝負は毛利家の負け戦だった。
「ここは一度退くしかないかと」
「負けたというのか! この僕が!」
「戦略的撤退です。今は耐えるときなのです」
「くっ……」
さすがのハジメもバカではなかった。これ以上アキラと戦っても勝ち目はない。逃げるという選択肢しか残されていないことはわかっていたのだ。
「このままで、済むと思うなよ」
ハジメはいかにも負け惜しみといったような捨て台詞を吐いて立ち去ろうとした。しかし、それをアキラが止める。
「待つでござる。こいつを持っていくでござるよ」
アキラは顎で倒れている虎之助を指した。ここに置いていかれても扱いに困る。それならばハジメたちが回収してくれたほうが何かと楽だった。
アキラは虎之助から距離をとり、ハジメと吹雪はアキラが襲い掛かってこないかと警戒しながら虎之助に近づいた。二人で身長二メートル近くもある巨体を担ぐ。意識を失っている人間は想像以上に重い。きっと虎之助を運ぶのに難渋することだろう。
「山中アキラ」
ハジメは虎之助を担ぎながら言う。
「毛利家はこの程度ではあきらめない。必ず、お前たちを潰す」
「望むところでござる。何度つぶされようとも、拙者は何度でも尼子家を再興してみせるでござるよ」
「……ふんっ」
ゆっくりと、ハジメたちは夜の闇の中に消えていった。残されたのは久菜とボロボロになったアキラの二人。ようやく久菜は息を吐いて安堵した。
「よかった。本当によかった……」
「殿は無事でござるか?」
アキラは久菜に近づいてやさしく話しかける。むしろアキラのほうが無事なのかと問いたい。あれだけ殴られておいてなぜ立っていられるのか。
「私は、大丈夫」
「よかったでござる。拙者、本当に安心したでござるよ」
アキラが笑った。なぜアキラはここまで久菜のことで笑えるのか。その笑顔に、久菜は思わずドキリとさせられる。
「ア、アキラ」
「むっ?」
久菜は初めて意識してアキラのことを下の名前で呼んでみた。先ほどは思わず『アキラ』と叫んでいたが、あれは無意識の自分がやったことだ。下の名前で呼ぶのは馴れ馴れしくて自分には無理だと思っていたのだが、なぜだか今はそう呼んでみたくなった。
「助けに来てくれて、ありがとう」
久菜はアキラから視線を外し、頬を赤らめて言う。その姿を、アキラはまっすぐに見つめていた。
「殿のためでござる。殿のためなら、このくらいは当然でござるよ」
「うぅ……。そんな恥ずかしいことを、堂々と言ってぇ」
これが二人きりでよかった。もし誰かにこの会話が聞かれていたとしたら、恥ずかしすぎて死んでしまうだろう。
「しかし、さすがに疲れたでござるな。殿、少しだけ殿の家の裏庭を借りてもいいでござるか? そこで休みたいでござる」
「何言ってるのよ。さすがに私もそこまで鬼じゃないわ。今日は特別。私の家の中に入っていいわよ。怪我の治療もしなきゃね。今日は泊っていきなさい」
「殿が、やさしいでござる……だと?」
「いや、なんでそこに驚くのよ。まあ、確かに今まであんたに強く当たりすぎちゃった気はするけど」
「うむ。しかし、そんな殿もいいでござるな。では、お言葉に甘えて殿の家にお邪魔するでござる」
アキラが一歩踏み出した瞬間、体が傾いた。倒れそうになるアキラを久菜が慌てて支える。二人は抱き合うような形となった。
『あっ』
見つめ合う二人。無言の時間がゆっくりと流れていった。
「と、殿……」
「ア、アキラ」
どちらともなく、二人の唇が近づいていき――。
「もしもーし」
『わあっ!』
突如として甘い空間に誰かが割って入ってきた。完全に二人きりだと思っていたアキラと久菜は叫び声をあげる。
「もう終わったと思って来てみれば、何あたしのいないところでイチャイチャしてくれてるのさ」
「な、七夏ぁ⁉」
現われたのは今回の陰の功労者である神風七夏だった。なぜ彼女がここにいるのか。それはすぐにわかった。
「久菜、あんた自分の胸ポケットにあたしが仕掛けた盗聴器が入ってること忘れてない? しっかり録音もしてるよ?」
「へっ? 盗聴器? 録音?」
ピンク色だった脳みそがフル回転して七夏の言った言葉を反芻する。そして――。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
事態を飲み込んで赤面した。
「消して! 今すぐ録音したデータを消して!」
久菜は胸ポケットに入ったままだったボタン型の盗聴器を七夏に投げつけた。しかし、七夏はニシシと笑うだけで何もしない。
「これを消しちゃうと毛利くんたちの言葉も消えちゃうからなぁ。そうなったら久菜も困るでしょう? これは永久保存版にしないと」
「いやぁぁぁぁぁ!」
久菜は頭を隠して悶絶した。対するアキラはここでも泰然としている。
「とにかく、あとはあたしのほうで何とかしておくから。きっと生徒会選挙の投票日までには何とかなってると思よ」
「うぅ……。投票日って、明後日じゃなかったっけ? 何とかするって、どうするのよ」
「アキラくんの退学を阻止して、ついでに毛利くんたちには生徒会選挙に負けてもらおうかな。あたしの久菜に手を出したんだもの、そのくらいの制裁は必要だよね」
「私は七夏のものじゃないわよ」
「じゃあ、アキラくんのもの?」
「それもちがぁぁぁう!」
久菜は顔を真っ赤にして否定した。しかし、本気で嫌がっているということもなさそうだ。それがわかるだけに、七夏はうれしそうに笑う。
「何はともあれ、これは――」
アキラが久菜と七夏を見る。それに応えるように、二人もアキラに注目した。アキラがうなずくと、久菜と七夏も同じように頷いた。
「拙者たちの、勝利でござる!」
『おおーっ!』
田んぼと畑だらけの夜の県道に、三人の勝鬨があがった。
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