第26話 アキラ、大失敗!
翌朝。結局アキラは久菜の家に帰ってくることはなかった。あのまま本当に学校に行ったとするならば、朝まで学校で過ごしたことになる。
「あいつ、たまにそういうことするからなぁ」
心配はしていない。とは口では言うものの、心の奥底ではアキラの身を案じる気持ちはなくはなかった。久菜にとって、何だかんだ貴重な心置きなく話せる男子生徒なのだ。できればもう少しちゃんとした友好関係を築きたいとも思っている。
そんなアキラのことを思いつつ、久菜は八泉高校名物、登校という名の朝の登山をしていた。そこに、山の上から駆け下りてくる小さな生き物を発見する。その生き物は栗色の髪を振り乱し、短い手足を必死になって動かしていた。
「って、七夏じゃん。どうしたの、そんなに慌てて」
「た、大変だよ。アキラくんが、アキラくんが――」
七夏は息を切らせて久菜の前で膝に手をつける。呼吸が整わず、言葉が出てこない。『アキラ』と聞いて、久菜の表情がサッと真剣なものに変わった。
「何。山中くんが何かやったの? とりあえず落ち着いて」
七夏は深呼吸を二回、三回として呼吸と気持ちを落ち着かせる。そして手に持っていた野菜ジュースのパックにストローを刺し、一口飲み込んだ。
「ああ、おいちぃ」
「落ち着きすぎよ!」
先ほどまでの慌て具合はどこに行ったのか。これならまだ少し慌ててくれたほうが話は前に進んだだろう。
「山中くんがどうかしたの?」
「そ、そうなの。大変なんだよ。アキラくんがね――」
久菜は生唾を飲み込んで次の言葉を待った。
「二年生の教室を、全部メチャクチャにしちゃったの!」
「メチャクチャ? 暴れまわったってこと⁉」
「う~ん。そこはよくわからないけど、今先生たちともみ合いになってて、まだアキラくんは何かやろうとしてるみたい。彼、このままじゃ止まらないっぽいし、久菜しか止められる人はいないと思うの」
「わかった。すぐに行くわ」
久菜は七夏と一緒に学校の山道を駆け上がる。体力のない七夏は途中でダウンしてしまったが、久菜はその七夏を置いて先に進んだ。下駄箱で上履きに履き替える動作がもどかしい。
やっとの思いで運動靴から上履きに履き替えると、すぐさま自分たちの教室である二年三組に向かった。その通りにある二年一組、二年二組をドア越しに見たが、教室の中はなかなかの惨状だった。
そして、久菜が目的の二年三組の教室へと到達する。そこは、先ほどの二つの教室以上の地獄と化していた。
「何、これ……」
机の中身は例外なくぶちまけられており、床や壁は穴だらけだ。椅子はすべてベランダに出されているのか、一つも見当たらない。生徒たちが残していった教科書やプリントで足の踏み場もなかった。
教室の中心には一人の男子生徒が複数人の教師に取り押さえられている。この惨状の主犯と思われる人物、山中アキラだった。
「山中くん!」
久菜の声にアキラが反応した。先ほどまで岩のように硬かった表情が、少しだけほころんだように見える。
「殿!」
「ちょっと、これどういうことよ」
久菜が駆け寄るとアキラを取り押さえていた教師たちも手を放し、道を開けた。アキラから情報を引き出すには久菜を使うしかないと考えたのだろう。
そんな教師たちの表情を確認してから、久菜はアキラを正面から睨み据えた。
「説明して」
「うむ。実は昨日、拙者に不審な手紙が届いたのでござる。内容は二年生の教室のどこかに殿を監視するための盗聴器とカメラが設置されているということでござった。ご丁寧にもそのカメラで撮影したと思われる写真も同封されていたでござるよ。これは放ってはおけないと思い、こうして教室中を探し回ったというわけでござる」
「何それ、どういうこと⁉」
「おそらく、例のストーカーの仕業でござるな」
まだストーカー被害は収まっていなかったということか。しかも教室に盗聴器とカメラを仕掛けるとは、なかなかやることがえげつない。
「それで、盗聴器とカメラは見つかったの?」
「一つも見つからなかったでござる!」
「……えっ? ここまで教室をメチャクチャにしておいて?」
「いや、犯人もなかなかやるでござるな。きっと拙者の行動を見越してすぐに回収したのでござろう」
「そ、そう……」
久菜の表情は暗くなる。これはまずい。非常にまずい状況だ。アキラを取り巻いている教師たちの視線も厳しいものになっていく。
そんな教師たちをなだめるかのように、比較的温厚な性格の横綱――中川先生がアキラを問いただした。
「あー、山中。本当に盗聴器とカメラは仕掛けられていたのか? お前の勘違いということは――」
「それはないでござるな。拙者はそのカメラで撮影された殿のあられもない姿を写真でしっかりと見ているでござる」
「どんな写真だったのよ!」
「殿がくしゃみをして鼻水を垂らしている写真でござった」
「そっち⁉ いや、確かにあられもない写真だけども!」
エッチな方面の写真じゃなくてよかったとは思うものの、それでも恥ずかしい写真には変わりない。できれば誰にも見られたくない写真だ。ばっちりアキラには見られていたが。
「それで、その写真はどこにあるんだ?」
「もうないでござる。燃やしたでござるからな」
「はぁ? 燃やした?」
中川先生は呆れた声を出す。周りの教師たちも表情を硬くした。
「じゃあ、その写真が同封されていたっていう手紙はどこだ?」
「それも燃やしたでござる」
アキラは誇るかのように胸を張って答えた。久菜も周りの教師たちも呆れ顔だ。
「な、なんで燃やしちゃうのよ!」
「殿の恥となるような写真をこの世に残しておけないでござる! 殿もそんな写真は燃やしてほしかったでござろう?」
「うっ……。まあ、確かにそうだけど。で、でも、手紙まで燃やすことないじゃない!」
「あの手紙から殿のあられもない写真のことを知る輩が出てきたら一大事でござる。殿が不快になるような要素は排除するのが拙者の役目でござるよ」
「い、いや。そうかもしれないけど、そうかもしれないけどぉ……」
久菜もアキラの行動が自分のためを思ってのことだというのがわかるだけにもどかしい。怒りたいのに怒れない。それどころかちょっとアキラの心遣いがうれしいとすら思ってしまっていた。
中川先生は大きなお腹を抱えながら周りにいる教師たちを見回した。言外に「どうしますか?」と訊いているようでもあった。そのうちの黒髪に少しだけ白髪が混じり、黒縁メガネをかけた教師――確か教頭先生だったはず――が軽く頷く。中川先生はその巨体に見合うだけの大きなため息をついた。
「山中。盗聴器とカメラは出てこなかった。上月が写っているという写真もない。手紙も燃やしてしまった。つまり、お前の行動の正当性を示せるものは何もないってことだぞ? わかってるのか?」
「しかし、拙者は本当に殿のために!」
「わかったわかった。とりあえず今日はもう帰れ。処分はあとで連絡する。先生方もそれでいいですよね?」
教頭先生らしき人物に視線が集まる。教頭先生は「それでいい」とでも言うように深々と頷いた。
「先生、山中くんは嘘をつけるような人間ではありません! 本当に写真も手紙もあったと思います!」
久菜は必死にアキラを弁護しようとしたが、こうなってしまってはもうどうしようもない。
「上月。お前の気持ちもわかるが、今はこうするしかないんだ。わかってくれ」
中川先生の悲痛な表情を見ていると久菜もこれ以上先生を困らせるわけにはいかないと思った。先生もアキラをイジメたくて言っているわけではないのだ。すぐにアキラを糾弾しないだけ、まだ穏便な処置だったと言えよう。
「殿……」
アキラが申し訳なさそうに久菜を見てくる。久菜はどうすることもできない。ただ黙ってアキラの視線を受け止めるだけだった。
「今日は、これで失礼するでござる」
教室を去っていくアキラの背中が、七夏よりも小さく見えた。
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