第4話 アキラ、登場!
大きい、それは大きい先生が二年三組の教室に入ってきた。身長が高いというだけではない。縦にだけでなく、横にも大きいのだ。
中川泰三(なかがわ たいぞう)。三十五歳。独身。あだ名は『横綱』である。
その中川先生と一緒に一人の男子生徒が教室に入ってきた。教壇にあがり、中川先生の隣に立つ。
髪は短髪のツンツンヘアー。目は切れ長で凛々しい。そして身長は中川先生と張り合うほど大きかった。紺色のブレザーの制服の上からでもわかるほど筋肉もある。七夏の言うところのスポーツができるワイルド系のイケメンというやつか。
彼が登場してからクラスの女生徒たちは大きな声で黄色い歓声を上げた。対する男子生徒はほぼ全員すっぱい葡萄を食べたような顔つきだ。
「おーい、静かにしろ。今から転校生の紹介をするぞ」
中川先生が黒い出席簿で教卓を叩く。バンバンという乾いた音とともに教室も静かになっていった。それでもまだ若干のどよめきがあるのは仕方がないことだろう。
「じゃあ、山中。自己紹介を頼む」
「はっ」
山中と言われた男子生徒は白いチョークで黒板に大きく自分の名前を書きだした。
山中アキラ。
それが彼の名前だった。
「ふ~ん。山中アキラか。普通の名前ね」
久菜はアキラ本人には聞こえないようにつぶやく。前の席の生徒には聞こえてしまったかもしれないが、聞こえたとしても特に問題はないだろう。
そんな普通の名前のアキラはまっすぐに前を向く。今からその声が聞けるのだ。どんな声で、どんな自己紹介をするのか。クラスの関心はそこに移っていた。
だが、普通の名前の山中アキラは、まったく普通ではない自己紹介をすることになった。
「拙者の名前は山中アキラでござる。以後、お見知りおきを」
教室のざわめきが止まった。クラスのみんなが目を点にしてアキラのことをじっと見つめる。担任教師である中川先生は目を瞑って頭を掻いていた。
「拙者……? ござる……?」
聞き間違いだろうか。久菜は「まさかそんなことはないだろう」と思いながら今聞いた言葉を忘れようとした。きっと聞き間違いだ。ストーカーのことを考えすぎていて頭が混乱しているだけだろう。次の瞬間にはまともな話し方に戻っているはずだ。
だが、アキラはそんな久菜の心の声を簡単に破壊する。
「拙者はここに殿を探しに来たでござる。皆、殿を見つけたらぜひ拙者に教えてほしいでござる。よろしく頼むでござる」
ござる、ござる、ござる……。もはや聞き間違いで済まされるレベルではなかった。山中アキラの言葉遣いは明らかにおかしい。
しかもなんだ。殿を探しに来た? 殿ってなんだ。
久菜は困惑するばかりだった。
クラスのみんなも久菜と同じ思いのようで、誰もがどう反応していいのかわからないようだった。それもそうだろう。こんな転校生は規格外だ。誰か取り扱い説明書を持ってきてほしい。
「はい、アキラくん」
そんな中、勇敢にもアキラに質問すべく手をあげた生徒がいた。七夏だ。さすがは怖いもの知らずの歴史オタクである。呼び名もちゃっかり下の名前の『アキラ』を使っていた。
「いかがなされた」
「殿を探してるって言ってたけど、殿って何?」
「殿は殿でござる。拙者が仕えるべき主君でござるな」
こいつは本当に自分と同じ十六、七の高校生なのだろうか。時代錯誤も甚だしい。戦国時代からタイムスリップしてきたのではないかと本気で思う。まだそちらのほうが説得力があった。
七夏の質問は続く。
「殿ってどんな人?」
「拙者もまだ姿をはっきりとは見たことがないでござる。しかし、特徴はわかっているでござるよ」
「へぇ、その特徴ってのは?」
久菜は小さくため息をついた。七夏はよくあそこまで質問ができるものだ。もうこんな変な転校生は放っておいて、休み時間にしてほしい。自分にとって大切なのは転校生ではなく、ストーカー対策なのだ。久菜からしたら早く七夏とストーカー対策の話し合いを再開したかった。
しかし、アキラが放った次の一言によって、久菜もそうは言っていられなくなる。
「拙者が探している殿の特徴は、左目の下に星型の赤いアザがある人物でござる。その人物こそ、拙者が仕えるべき殿でござるな」
「左目の下に、星型の赤い、アザ……?」
七夏がばっと教室の後ろの席にいた久菜のほうを向いた。それに遅れること数瞬、クラスの全員が久菜のほうを向いた。そして、久菜の左目の下にある星型の赤いアザに注目したのだ。
「……えっ?」
クラスの様子からアキラも久菜に気づいた。当然、その顔にある星型の赤いアザも目に入る。
「うおぉぉぉっ!」
アキラは闘牛のように久菜の前まで突進した。その勢いを維持したまま、両手を床につけて頭を下げる。その姿はまるで――。
「土下座⁉」
久菜は思わず席から立ち上がって後ずさりした。初対面の男の子にいきなり土下座されれば当然だ。いったいどんな反応をすればいいというのか。
「久菜、これは土下座じゃない。平伏よ。きっと久菜のことを殿だと思ってひれ伏してるんだわ」
「甚だどうでもいいわ、そんなこと!」
七夏のどうでもいい解説にツッコミを入れつつ、久菜は教室中を見回してみる。クラスのみんなが久菜に注目していた。こんなときにクラスをまとめる中川先生はめんどくさがり屋な性格だ。とりあえず様子見を決めたのか、特に何も言ってこなかった。
「横綱のやつ……!」
久菜は中川先生に聞こえないように悪態をつく。なぜ自分がこんな目にあわなければならないのか。とにかく今はこの無駄に注目されている状況を何とかしたかった。
「こ、こうなったら……!」
久菜はアキラの胸倉をつかむと、無理やり立ち上がらせた。鬼の形相をした久菜とアキラの目がかち合う。
「むっ?」
「ついて来なさい!」
久菜はそのまま片手でアキラの胸倉をつかんだまま走り出した。首元が締まるアキラも一緒になって走らざるを得ない。
久菜とアキラはあっという間に教室から姿を消したのだった。
クラスのみんなが呆然とする。中川先生も同様だった。
「愛の、逃避行……?」
七夏の見当違いなつぶやきが、教室の中に響いては消えていった。
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