第3話 七夏、軍師を自称する!
翌朝、久菜たちが通う八泉高校二年三組の教室は騒然としていた。いくつかのグループがテンション高めに何かを話している。特に女子グループのテンションが高めだ。
みんなどこかそわそわしている。久菜が教室に入った瞬間、七夏がものすごい勢いで駆け寄ってきたことからもそれがわかった。
「久菜ぁぁぁっ!」
「七夏ぁぁぁっ!」
両手をあげて飛び込んできた七夏に対して、久菜は――
とりあえずラリアットを食らわせた。
「ぐえぇぇぇっ!」
七夏は干からびたカエルのように仰向けになって倒れる。女の子がやってはいけないポーズだ。久菜の向きからだとスカートの中身も丸見えだ。
「な、何するの!」
「うるさい! 私にはこれくらいのことをやる権利がある! 文句あっか!」
久菜は涙目になりながら地団駄を踏む。ラリアットを食らわせておいて、まだ鬱憤は晴れないようだった。
「何でそんなに怒ってるの?」
「あんた、この前私の写真をツイッターにあげたでしょう。その写真のせいで私、ストーカー被害にあってるんだけどっ!」
「ええっ!」
七夏は両手で口を押さえながら驚いてみせる。まさかそんなことになっているとは思わなかったのか、「信じられない」とでも言いたそうな顔つきだった。
七夏はその表情のまま固まる。何か言うだろうと思い、久菜は七夏を睨みつけたまま黙っていた。
そして、数秒の時が流れる。
「……まあ、それはいいとして。ところでさぁ――」
「よくなぁぁぁい!」
まったく悪びれる様子を見せない七夏に久菜の怒りは爆発する。手に持っていた学生鞄を床に叩きつけた。
「いや、聞いてよ。ビックニュースがあるんだから。驚きよ」
「あんたが私の話を聞きなさいよ! あんたのその態度が驚きよ!」
「ひとまずあたしの話が先でいいでしょう? 久菜の話は後でちゃんと聞くから」
「むぅぅぅっ!」
久菜は顔を真っ赤にして睨むが、ここで押し問答をしても話が前に進まない。結局は自分の話を聞いてもらう時間もなくなってしまうので、まずは久菜が七夏の話を聞くしかないだろう。いつもこのパターンだ。
「よし、落ち着いたわね」
どこをどう見てそう判断したのかは謎だったが、七夏は久菜が話を聞く態勢になったと思って意気揚々と話し出す。その姿がまた可愛らしいのが反則だろう。
「実はね、今日転校生が来るみたいなの。それも男の子。イケメンって話だよ」
「へぇー、そう」
久菜はまったく興味がなさそうにつぶやく。実際、あまり興味はなかった。
転校生だからなんだというのか。男だからなんだ。イケメンなら自分の悩みを解決してくれるのか。久菜の心の中はそんな言葉で渦巻いていた。
「どんな人かな。爽やかフレッシュなイケメンか、スポーツの得意なワイルド系か。個人的には歴史の話ができるといいな」
「すこぶるどうでもいいわ」
久菜は本当にどうでもよさそうにため息をついた。教室の二酸化炭素濃度がそれだけで急上昇したような気がする。
「久菜ぁ。久菜はもっと恋愛に興味をもったほうがいいと思うよ? せっかく顔は悪くないんだし、その性格さえ隠してれば彼氏の一人や二人くらいすぐにできるのに」
「自分の性格を隠してまで彼氏を作ろうとは思わないわよ。どうせなら素のままの私を好きになってくれる人と付き合いたいわ」
「う~ん、それは難しいかなぁ」
「あんた、本当に歯に衣着せないわよね……。まあ、いいけど」
久菜も自分の性格の荒さはわかっていた。こんな女を好きになる男がいるとすれば、それは相当なもの好きだろう。それを理解しているだけに、久菜は恋愛というものを半ばあきらめているようであった。
「ところで、あんたの話はそれで終わりよね。今度は私の話を聞いてもらうわよ」
「はいはい。ストーカー被害にあってるんだって? それがあたしのせいだと?」
「あんたのせいよ。それ以外に考えられない!」
「でも、それって言いがかりじゃない? 確かに久菜が写っている写真をツイッターにアップしたけど、たった一時間くらいだし、その写真のせいでストーカー被害にあってるとは断定できないでしょう」
「でも、他に考えられないもの」
「もっと頭を使いなよ。登校中に見初められたとか、今年の春から入ってきた新入生の誰かがあんたに一目惚れしたとか」
「うっ……」
確かにそう言われるとそんなような気もしてくる。昨晩はツイッターにアップロードされた写真しか思い浮かばなかったが、こうして候補をあげられるとそっちのほうが正解のような気がしてきた。
「ほら、あたしのせいじゃなかったでしょう?」
「ま、まだあんたのせいって可能性もあるわよ」
「でも、久菜の中ではその可能性は低くなった」
「うぅ……」
確かにその通りだ。だからこそ何も言えない。やはり口で七夏に勝とうとしたのが間違いだったのだ。ここは素直に頼み込んでストーカーに対する解決策を考えてもらったほうが有意義だろう。
「わかったわよ。降参。だからお願い。どうすればいいか一緒に考えて」
「まあ、そういうことなら協力するのもやぶさかでもないかな。今日のお昼ご飯が豪華になるならね」
「こいつ、見返りを求めるつもりか」
久菜の頬がピクピクと動いた。星型の赤いアザが連動して踊る。
「はぁ……。メロンパンでいい?」
「今日は焼きそばパンの気分かな」
「はいはい。ちゃんと買ってくるから、どうすればいいかちゃんと考えてよね」
「任せなさい。この神風七夏。そんじゃそこらの軍師と一緒にしてもらっては困るわよ」
「あんた、いつから職業が軍師になったよ」
七夏は歴史小説と大河ドラマを愛する歴史オタクだ。特に好きな武将は黒田官兵衛だという。豊臣秀吉を天下統一へと導いた名軍師だ。その黒田官兵衛へのあこがれもあり、自分のことを軍師だと言ったのだろう。
「それで、軍師七夏さんは何かいい案をお持ちで?」
「そうね。まずは状況を確認してみましょうか。ストーカーの姿は見た?」
「ううん。見てないわ。視線を感じただけ」
「その視線はいつごろから感じたの?」
「三日ぐらい前からかな」
「他に何か感じたことは?」
「え~? 特にはないかなぁ」
「なるほど」
七夏は大げさに頷いてみせる。それだけで本当にすごいアイディアを出してくれる名軍師に見えるから不思議なものだ。
「わかった。久菜からストーカーを引きはがす手段は――」
久菜はゴクリと唾を飲み込む。これだけ自信ありげな態度なのだ。きっとすごい解決策を提示してくれるはずだ。否が応でも期待が高まる。
「引きはがす手段は……何?」
「――ないわ」
スパーンッと学生鞄から取り出していた教科書が七夏の頭を叩いた。音の割には痛くはないだろうが、それでも久菜の想いは伝わっただろう。
「なんでよ! あんた、名軍師だったんじゃなかったの⁉」
「いや、だってそれじゃあまだ何も起こってないと同じだもん。何かが起こってからじゃないと警察は動かないよ。民事不介入が警察の原則だし」
「何かが起こってからじゃ遅いでしょうがぁぁぁ!」
「そんなこと、あたしじゃなくて警察に言ってよ」
「うぅ……」
確かにその通りなのだ。七夏の言っていることももっともなので、久菜は小さくため息をついて気持ちを落ち着かせる。
「警察以外に手はないの?」
「今のところないかなぁ」
「いや、そんなことはないでしょう。もっと、ほら、何かあるはずよ」
「誰かに守ってもらう? でも、久菜以上に腕っぷしの強い女の子なんてあたしたちの周りにはいないよ。それとも、男子の誰かに頼む?」
「うっ、それは……」
久菜に男友達はいない。いたとしても、あの見るからに貧乏でみすぼらしい自分の家を七夏以外に見せるのは気が引けた。だからこそ、久菜は七夏のアイディアに期待したというのに。
「じゃあ、私はどうすればいいのよ」
「う~ん、そうなると――」
七夏が手を顎にやって考え出したそのとき、学校中にチャイムが響き渡った。朝のホームルームが始まる時間だ。もうすぐ担任の先生が教室へとやってくるだろう。
「あ、チャイムが鳴っちゃったからこの話はまたあとでね」
「え? あ、ちょっと」
「さあ、イケメン転校生はどんな人かなぁ。楽しみぃ」
七夏は久菜の言葉を振り払うかのように自分の席に戻ってしまった。まだまだ相談したいことはいっぱいあったのだが、さすがにチャイムを無視してまで七夏と話しているわけにもいかない。
久菜は大きなため息をつき、自分の席に戻っていくのだった。
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