穴のあるその町で

全方不注意

Cities:Landhole

 銭湯に行った後、帰路にあるコンビニに寄っていくのが俺の習慣となっている。いつものように酒とつまみを購入し、袋を手に店を後にする。

 時刻は午後9時を少し過ぎたところだ。少し前まではこの時間でもムッとする暑さが残っていたものの、今ではスッキリとした涼しさで夜風が心地よい。ともすれば少し肌寒いくらいだ。

 内から発生する熱と外気の涼しさとがちょうど相殺しあって汗ばむことなく歩くことができて、いい季節になったなと思う。

 リリリと鳴くコオロギやマツムシたちの声も耳に心地よい。

 そうして歩いているとバタバタという羽音が聞こえ独特のにおいがしてきて、穴のあたりまで来たんだなと分かる。

 普段はただのゴミ処理場くらいにしか思っていないが、改めて考えると不思議な穴である。


 穴は直径10メートルくらいの大きさで、穴の中からは幅約1メートル、体長2.5メートルほどのウジムシが次から次へと無尽蔵に這い出てくる。

 かたや穴の上空には翼開長5メートル以上あろうかという巨大な白い怪鳥が何十羽と旋回していて、とっかえひっかえに出てきたウジムシ共を嘴にくわえたり趾でつかんだりしては天高くにある環の中へと消えてゆく。

 これが一日中、休むことなく、毎日繰り返されている。

 この光景を天使と悪魔の終わりなき戦いだと言う人もいるけれど、自分にはただ鳥が虫を捕食する光景にしか見えない。

 8年前この町に引っ越してきたばかりの時に検索したことがあったが、いつからこうなっているのかや、穴はどこに通じているのかなど、過去に何度か調査されているようなのだが未だに全く謎のままらしい。

 ちなみに穴にゴミ捨てる時には専用の重機でウジムシをガッと押しのけて廃棄物を穴に流し入れていく怪獣映画のワンシーンのような圧巻の光景だ。

 独特な臭いはするが悪臭というほどでもなく、カブトムシの飼育ケースのような、少し酸っぱさのある土のにおいなので慣れてしまえばそれほど不快でもない。

 それよりも時間を問わずにたまにする怪鳥たちのギャッギャッという鳴き声が夜中や明け方に響き渡るほうがよほど迷惑だ。それにウジムシは気持ち悪いだけで済むけど怪鳥のほうはでかいので普通に怖い。


 そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると自宅アパートについた。

 カン、カン、と足音の響く錆びた階段を上り、2番目の部屋の鍵を開けて入る。

 無言のまま扉を閉じ、電気をつけようとしてスイッチに手ごたえがなくて違和感を覚える。

 既に電気がついている。そして、六畳一間の部屋の奥に気配を感じ、玄関脇に立てかけてあった傘を手にとる。

 最大限の警戒をしつつ奥へ進もうとしたところで、「おかえり」という声が聞こえた。

 男のものとも女のものとも判別できない、老人のように落ち着いていながら子供のような純粋さを持った、不思議と耳に染み込んでくる声だ。

 こんな声は今までに聞いたことがない。したがって、決して知り合いではない。

 「誰だ」と短く言って、傘を握る手に力を込める。

 すると奥の部屋へと続くドアが開いて、声の主が姿を現した。「やあ。僕が、神様だよ」と言いながら。


 年齢は小学生の高学年ほどだろうか。端正だがまだあどけなさの残る顔立ちだ。落ち着いており利発的な雰囲気だが、その言動は全知全能を自称するやべーやつで、警察を呼んで家に強制送還させようかという考えが頭をよぎる。

 だが、年端のいかない子供が親戚どころか知り合いでもない一人暮らしのおっさんの家にいる状況というのはこちらのほうが不審者として疑われかねない。ここは対話をしてなんとか平和裏にお帰りいただくしかないか。

 などど考えを巡らせていると、「どうしたのお兄さん。傘握りしめたまま固まっちゃって。今日は雨なんて降ってなかったでしょ」とあの不思議な声が染み込んできて我に帰る。

 「きみ、名前は?どこに住んでるの?どうしてここに」と矢継ぎ早に質問すると、「やだなぁお兄さんナンパ?」と言って悪戯っぽくクスリと笑う。

 虚をつかれた発言だったし、あまりに絵になっていてドキリとしてしまい言葉が出ずにドギマギしてしまう。

 そんな様子に、「冗談だったんだけどなあ」と頬を掻き、それから、先程の質問に答えはじめる。

 「僕は神様だよ。名前はない。もちろん親もいないよ。住んでるところは、しいて言うならこの町かな。それと、ここに来た理由だっけ。それは当然、ただのきまぐれさ」とそいつは言う。

 全く理解が追い付かない。だけど大真面目に言っている様子なので本当に神なのかと疑いたくなる。しかし逆に大真面目に言ってるのが芝居がかった仕草に見えて、ホンモノのやべーやつの線も濃厚になる。天国か地獄かの二者択一だ。どちらにしたって現実離れしていて頭が痛くなる。

 「難しい顔してうんうん唸りながら僕を睨みつけてなんなんだい?あ、ひょっとして、本当に神様かと疑っているね?それなら、証拠を見せてあげよう」

 自称神の申し出に、「話が早いな。見せてもらえるなら願ったり叶ったりだ」と答える。もっとも、自称神のほうは答えなんて待たないままに窓の前に行きしゃっとカーテンを開く。そして、「見てごらん」と俺を促す。

 促されるままに外を見ると、窓から見えるはずの向かいの家がすっかりと更地になっており、土の上には謎の石像が鎮座している。

 あまりにも現実離れしすぎている。悪い夢としか思えなくて頭をコツコツと軽く叩いてみる。痛い。

 「……いやまさか。そんなはずはない。さっきアパートの階段を上る時までは確かに、完全なかたちで、絶対に、存在していたはずだろ」

 「僕が神様だってこと、信じてもらえたかな?」と微笑みながらこちらを覗き込んでくる。綺麗な顔が今は怖い。対する俺はきっと引き攣った表情だったに違いない。

 信じられるはずがない。「何かトリックがあるんだろ?」と窓を開けてみる。相変わらず更地に石像がある。

 ならば行って確かめるまでと、俺は「ちょっと待ってろ」と言い残し、部屋を出て足早に駆けていく。カンカンカンと乱暴に階段を鳴らし、街灯がまばらな人通りのない静かな道路を渡り、向かいの家だった敷地に入る。

 見た目通りに地面は固められた土の感触だし、石像だって表面はザラザラともツルツルとも言えない石の質感で、どっしりとした存在感を持っている。どうにも本当に家だった場所が石像と入れ替わっていると認めるほかない。

 アパートのほうに向きなおると神様は笑顔でちいさく手を振っていた。

 「分かった。信じるよ。きみは確かに神様だ」


 部屋に戻ってきて、俺はいつものようにちゃぶ台前であぐらをかいている。

 普段ならテレビが見えるのだが、今は子供の姿をした神様がちょこんと正座していて不思議な感じだ。神様はしっかりと背筋を伸ばしているけれど、それでも猫背の自分より低いところに顔があって、子供って思った以上に小さかったんだなと思う。

 沈黙の中でずっと顔を見合わせている(しかも神様はずっと笑顔のままだ)に堪えきれなくって俺は「あー、それで、何をしに来たんだよ」と話しかける。

 「お兄さんの願いを叶えに来たんだ」神様はそう言って、ニコリとする。なんだかそこはかとなく胡散臭い。

 だが本当に神だとは分かっているので、それならばと、可愛い彼女とか一生遊んで暮らせるだけの金とか休みがちな漫画家が続きを書くとかの願いを告げてみる。

 だが、どれも「そういうのは違うかな」と一蹴される。

 「じゃあ何なら叶えられるんだ」と問うと、「町に関することじゃなくっちゃダメなんだ」とのたまう。

 「なんでだよ」と俺は当然の疑問を口にする。

 「なんでと言われても、そういう神様だからとしか言えないなあ。でも、建物を作るのは得意だよ。さっきみたいなやつとか、あの天地の穴とか」

 急に穴の話が出てきて、何が何だか分からなくてただただ困惑する。

 「は?穴?あの穴もきみがやったのか?」

 「いかにもその通り。いいセンスしてるでしょ?」

 神様は誇らしげに胸を張る。こういう姿は子供らしくて微笑ましい。

 でもウジムシが湧いてくる穴なんて全然理解できないし普通に悪趣味すぎて、なんとか曖昧な笑みを作ってハハハと乾いた声を出すことしかできない。

 そうしたらあからさまにしょんぼりとしているので、少し申し訳ない気分になる。

 だから「あ、廃棄物を穴に捨てる光景は興奮するなぁ!」とフォローしてみるも、「え、、お兄さんそういう趣味なの……?」とドン引きされる。

 「どういう趣味だよ」とため息をつく。クソ、にくたらしいガキめ。元気づけようとして損した。

 神様のほうは、さっきの落ち込みはどこへやら、「どういうのがお兄さんの好みなのかな。家と職場の前にバス停置く?それとも電車がいい?このへんを高級住宅街にするのもいいかな?でもそれだとお兄さんが住めなくなっちゃうね。やっぱり原発作る?」と興奮気味に聞いてくる。

 「原発そんなものがあっても俺には何の得もないどころかむしろ不利益だ」

 神様の魅力を感じない提案をいなしながら、願いについて考える。

 町に関することで願いって言われても、自分の願いは結局自分本位なことばかりで、町がどうこうなんて全く浮かんでこない。

 町なんて自分というものが介在することなく勝手に移り変わっていくものでしかなく、赤の他人のような存在にすぎないんだよなとふと思う。

 「きみは、この町の神様なんだよな」

 「そうだとも。このへん一帯は僕の思いのままにできるし、町そのものが僕だとも言える。だけど、それがどうしたんだいお兄さん」

 町の化身たる神様を通して、ただ隣にいるだけの赤の他人だったこの町と、ひょんなことから知り合いになってしまったんだ。いままではただそこにあるものだったこの町のひとつひとつが、急に愛おしく思えてくる。

 趣味は悪いし強引だし憎たらしいところもあるけれど、まっすぐで表情豊かでどうしてか嫌いになれないところはきみもこの町もおんなじで、きみに出会う前からきみに会い続けていたんだなと気付く。


 「町に関する願い、1つだけ思いついた」

 「なんだい?それは」

 「きみに幸せになってほしい」


 「そんなこと言うのはお兄さんがはじめてだよ」と、神様は驚いた様子で目を丸くする。

 俺はというと言った後ですごく気恥ずかしくなって顔をそむける。時間が経つほどに頭の冷静な部分が増えていって、そのたびに恥ずかしさが増して、顔が紅潮していくのが分かった。

 いっそ茶化してくれればいいものを、この時ばかりは「ありがとう。僕は今、とても幸せだよ」としおらしくしていて、ぽっと光がともるような穏やかな微笑みを浮かべている。

 なんだかそのまま光の中に消えてしまいそうな気がして、思わず手をつかんでしまう。

 「もう会えなんてことは、ないんだよな?」

 「当然。この僕を幸せにするって言った責任、果たしてもらうからね」

 「幸せにするとは言ってな……いや、幸せにしてやるよ。だから――これからも、よろしくな」




 ――後年、彼は市長となり、謎の美秘書とハチャメチャな強行政策で町を飛躍的に発展させていくことになるが、それはまた、別のお話。

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穴のあるその町で 全方不注意 @zenpofutyuui

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