第112話 凱斗と炎駒

 自然に出来たと思われる洞穴の傍に、少し大きめの建物がある。榛冴には建物から洞穴に向かう一団が見えていた。

 周囲に監視用のセンサーが設置されており、その手前で止まった巫女たちは榛冴が遠くを確認するのを見守っていた。


「降霊される人が三人、付き添いが三人。祈祷所であるあの建物から洞穴にこの六人が移動して、実際に憑依させるのは洞穴の中みたい。洞穴の前で止まった。――ああ、先に入った人たちが出てくるのを待ってるのか」

「三人に対して三人も付き添うのか?」

「失敗した時に連れ帰るためだろうな」

「凱斗兄さん、あきらちゃんの言う通りみたいだよ。今出て来た三人は、全員失敗したみたい。様子がおかしいし、付き添いの人に肩を借りてようやく歩いてる」


 榛冴の声を聞きながら、那岐は眼を凝らす。

 見鬼の榛冴には霊視の力は及ばないが、那岐は元々の視力がいい。

 そしてその眼は胸元に掛けられた、四神の色を乗せた意匠を見つける。

 建物の中にはゆうに百を超える人の気配があった。

 その中で、憑依されていない人が何人いるのかは、近付かなければ分からない。


「…………このまま被害者を増やすのを看過できない。柊耶さん、凱斗、琉斗、那岐、榛冴、行くぞ」


 怒りの気配を纏った巫女が立ち上がる。

 柊耶たちの周囲にふわりと光の輪が拡がった。


 一瞬で洞窟の前に降り立った一同を見渡し、巫女は柊耶に眼を留める。


「二手に分かれる。柊耶さん、那岐を連れて洞窟の方に――」

「いや、あきらちゃんと凱斗くんがこっちだ」

「……?」

「施設の方には多分たくさんの人間がいる。武器を持った人を躊躇なく昏倒させるなら、施設は僕と琉斗くん、那岐くんの方がいい。洞窟内で降霊が行われているなら、洞窟には榛冴くんも連れて行くべきだね」

「……だが柊耶さん、施設内にはどれだけの人数がいるか分からない」

「それでも僕たちなら体力的にも大丈夫だと思う。黎くんが到着するまで、もたせるよ」


 逡巡するように視線を泳がせた巫女は、小さく息を吐く。

 柊耶の案の方が妥当だろうと思う。それでも中心となっている者がいると思われる施設の方に、他の者を向かわせるつもりはなかった。

 一番危険なところに自分が向かうべきだろう、そう言おうと口を開きかけた巫女の手を、榛冴が掴んだ。


「凱斗兄さん、あきらちゃん、早く行こう! さっきの人達が憑依される前に助けなくちゃ!」


 巫女の手を引いたまま、榛冴は洞窟に向かって早足で歩き出す。

 その手が小刻みに震えているのに気付いた。

 眼を見開いた巫女に、凱斗が並ぶ。


「あきらちゃん、俺たちにも少しは負担を回してくれ。全て一人で抱えることはないんだよ。まぁ、頼りないとは思うけどね」


 そう言って凱斗は巫女の手を引く榛冴の背中を見た。

 誰よりも怖がりだという榛冴が自分の手を引いている意味に、巫女はようやく気付く。

 足を速め、巫女は榛冴の前に出た。


「榛冴、少し下がれ。玄武はいないが、後方をお前に任せる。茶枳尼ダキニてんの狐たちを呼んで、誰もここから逃がすな」

「……分かった」

「凱斗、降霊を行っている奴は私が一撃で倒す。――後の奴らは任せていいか?」

「おう。任せてくれ」


 洞窟の奥から何かの咆哮が聞こえて来た。



 * * * * * *



「柊耶さん、ここにも戦闘要員っていると思いますか?」

「ある程度はいるだろうね。憑依されたモノによるんじゃないかな」

「あー、そうですね。いつかの蛇霊みたいなのだと好戦的になりそうですね」


 警戒しつつ建物に急ぎ足で向かう。

 建物の周囲に張られた監視センサーの内側にいきなり跳んだものの、この辺りにも設置されていないはずはない。

 建物の内部で動き出す気配を那岐は感じ取る。

 忙しなく移動する十数人が入り口へと向かっている。


「――来た。柊耶さん、僕が先行します。琉斗兄さん、行くよ」

「おう。紅蓮、お前は憑依を剥がせるか?」

《采希の力を受けないと無理》

「琉斗くん、それは僕が引き受ける。琉斗くんは彼らの戦意を喪失させて」


 大きく頷いて琉斗は那岐の後に続く。

 入り口を通った途端に左右から殺気を纏った男女が集まって来た。

 那岐と琉斗がそれぞれ左右に向かって行く。


 体力温存など全く考えてもいない二人の動きに苦笑しながら、柊耶は琉斗によって倒された男に近付いた。

 男の肩に触れると、びくりとその身体が反応した。

 柊耶の眼には映らなかったが、男の身体から何かの気配が弾き出される。

 那岐と琉斗の間を行き来しながら、柊耶は次々に襲撃者から憑依を解除していった。


「柊耶さん! 上です!」


 柊耶の頭上に濃い瘴気が集まる。

 那岐は牙を剥き出しにした女の長い爪の手を、長い棒を横に構えて押し留めながら、柊耶を肩越しに振り返る。

 琉斗も三人に囲まれて柊耶の名を叫んでいた。


 柊耶は眼を閉じる。ゆるりと力を抜いて立った。


 自分の上から何かの気配を感じる。『これは触れてはいけないモノ』と何かが自分の中で警鐘を鳴らす。

 自由落下ではない速度で、自分を目掛けて頭上から降って来るのが分かった。

 降り注いでくる黒い矢を、左右に身体を回転させながらステップを踏むように躱していく。

 邪気を寄せ付けないはずの自分に向けられた攻撃に、柊耶は思わず口角を引き上げた。


『柊耶さんには邪気も神霊も近付けないって黎さんは言ってましたけど、殺意は別みたいですね。柊耶さんに攻撃しようなんて思うのは相当に強い奴らです。念攻撃は叩き落そうとすると拡がったり武器に固着することもあります。ある程度吸収できるとは言っても、その力にどんな呪が紛れているとも限りません。なので可能な限り、避けてください』


 心配そうに自分に告げた青年を思い出す。

 人からは異様に思われるこの力を、自分の仲間以外で認めてくれた最初の相手。

 柊耶が恐れるほどの力を内包しているにも関わらず、自分の力に自信を持てない彼は、柊耶にはとても危うく見えた。

 黎を護るのと同じように護りたい、と柊耶が思っていた彼は、自分の手が届かない所に行ってしまった。


 頭上の気配が破裂音を立てて消失し、柊耶は眼を開ける。


「柊耶さん、大丈夫ですか?」


 自分に駆け寄る那岐に『平気』と笑ってみせ、柊耶は正面の扉に視線を向ける。


「この奥、ちょっとマズいね」

「はい。百人ほどの非戦闘員の憑依者、それと大物がいますね」



 * * * * * *



 巫女の殺気と凱斗の邪気祓いの気配に気付いた男は、慌てて洞窟の入り口に目を向けた。

 自分が従っている存在よりも大きな力が自分に向かって来る恐怖に、身体が震え出す。

 こんなに圧倒的な光を見たことがなかった。

 自分の中の闇が際立つようで、目を背けて逃げ出したい衝動が湧き上がる。


 男の傍に立つ助手たちが、ようやく異変に気付いて入り口に視線を向けた時、そこには業火そのもののような存在が立っていた。

 洞窟の奥に拡がった空間に造られた祭壇。その空間が一気に息苦しくなった気がした。

 隣にいる男が降霊させようとして呼び出した『何か』の影が、制御を失って暴れるように動き出した。


「――うわ、何だあれ?」

「凱斗兄さん、視えるの?」

「……鼻の下が長い、猿みたいな奴。凄く怒って暴れてる」

「凱斗、消せるか?」


 普通に会話しているのが違和感に感じられるほど、眼の前の三人から発せられる気によって痛みを覚える。

 全身に強い風雨が吹きつけているような痛みだった。しかもその雨は熱をもっている。


 不機嫌そうにこちらを睨んだ男が右手に持った錫杖をくるりと回す。

 錫杖の柄で、とんっと地面を突くと、光が弾け飛んだ。

 暴れていた『何か』の気配が一瞬で消失する。


 呆然としている自分の脇を何かが走り抜けて行き、背後で大きな音がした。

 反射的に振り返ると、さっき入り口に立っていたはずの女の背中が見えた。

 自分の背後にあった御神体の像が粉々になっている。


 女の身体がほんの少しぶれると、降霊を行っていた術師が吹き飛び、洞窟の壁に叩きつけられた。

 その眼が自分に向けられたと思った瞬間、意識が刈り取られた。




「憑依させられていたのはこの八人か。そこの二人はまだだったようだな」


 一瞬でその八人を昏倒させた巫女に視線を向けられ、まだ憑依させられていなかった二人が怯えたように後退る。

 結局巫女が一人で昏倒させてしまった者たちを、凱斗は一人ずつ手を翳して邪霊を剥がしていく。

 その凱斗の傍を通り、榛冴は壁際で震えている二人の女に近寄った。


「怖がらせてごめんなさい。あの人たちは邪霊や低級霊に憑依されてたから、今、除霊しています。放っておいたらあなたたちも悪霊に憑かれることになっていたので、ちょっと強引になってしまいました。大丈夫でしたか?」


 微笑んで頭を下げる榛冴に、女たちは困惑したように顔を見合わせた。


「……じゃあ、さっき私たちと一緒に来た男の人が泡を吹いて倒れたのは――」

「霊障ですね。降ろされた霊が身体に影響したんだと思います」

「……」

「ひとまずここから出て、海岸に向かってください。迎えの船が来る予定になっていますので」


 女たちが転がるように洞窟から走り出し、除霊を終えた凱斗が大きく伸びをした。


「これで八人目っと」

「凱斗、お前の身体は随分、力の容量が大きいな」

「そうか?」

「まぁ、力を行使する技量は足りていないと思うが。……さっきの霊は猿ではなく、ヒトだ。眉がなく、口元が突き出ていたから見間違えたのかもな」

「……あれ?」

「だが、内包される量だけなら黎さんよりも大きい。出力もでかいから、この人数なら一気に除霊できたんじゃないか?」

「……」


 凱斗は視線を落として自分の手の平を見つめた。

 一気に、と言われ、自分の中の炎駒に問うように声を掛ける。『出来るか?』と尋ねると、肯定する気配が伝わってきた。

 そうか出来るのか、と感心しつつ、通訳である琥珀がいないことに思わず嘆息しそうになる。

 きゅっと拳を握ると、巫女に軽く背中を押された。


「ここは片付いた。――行くぞ」


 抜き身の大太刀を下げた巫女の背中は、まだ怒りを抑え付けているようにみえる。

 降霊したモノの正体も考えず、手当たり次第に憑依させる。榛冴にも、巫女のその怒りはよく理解できた。

 この先にいるであろう黒幕に憐憫を覚えそうになり、榛冴は小さく頭を振った。



 * * * * * *



 広い玄関から襲撃者を排除しながら奥に進むと、左右に引かれた大きな引き戸の先に大勢の人がいた。

 板張りの道場のようなその場所で、全員が同じ方向に向かって頭を下げている。

 琉斗と那岐が思わず入り口で立ち止まった。


「……何だ、こいつら。あんな騒ぎでも動じていないのか?」

「かなり暴れたんだけどね。気付いていないはずはないから、何か仕込んでいる、かな?」


 柊耶が二人の肩に背後から手を乗せる。

 同時に道場に居た全員が一斉に振り返った。


「――っ! 柊耶さん!」


 那岐は反射的に、柊耶の前に移動しようとした。

 その身体は柊耶が肩に乗せた手で押し留められる。


 目の前で振り返った百人の眼が濁った赤に染まっている。

 三人をその場に縫い付けるように放たれた気配は、柊耶の周囲で阻まれている。


「那岐くん、動かないで。……ここに居るのは非戦闘員らしいけど、こんなに濃い邪気を放つとはね」

「柊耶さん、本当にこれは邪気なのか? かなり息苦しいんだが」

「……誰が仕切っているんだろう。柊耶さん、どこかにこの人たちに指示している奴がいると思う」

「そうみたいだね。那岐くん、探せる?」


 柊耶の言葉に那岐は小さく唸る。

 目の前の百人がこちらに顔をむけたまま、ゆっくりと立ち上がった。

 柊耶の能力で邪気の直接攻撃は防げているが、琉斗の言うように圧迫されるような息苦しさを感じていた。


「念攻撃する程の力はないみたいだね。でもこれだけの邪気を放たれると動きにくいな」

「全員、倒してしまえばいいんじゃないか?」

「琉斗兄さん、それは……」

「武装していなくとも、こちらに悪意のある力を向けている。力を失わせるくらいの攻撃は構わないだろう」


 琉斗の意見も尤もだと思った。

 ここにいる全員を昏倒させ、ゆっくりと操っている者を探した方が効率はよさそうだ。

 だけど、それではダメだ。那岐の中でそんな思いが湧き上がる。

 何の霊かも確認せずに憑依させているのなら、ここにいる百人を使い捨てるつもりでもおかしくはない。


「倒してもいいけど、多分この人たち、倒してもすぐに復活するよ」

「……え?」

「…………」

「この邪気を放出するための媒体にされているようだから、意識を失ってもすぐに起き上がって来る。確実に憑依を剥がしながらじゃないと、無力化はできないよ」


 柊耶の言葉に、那岐はぞくりとした。

 本人の意思を奪い、邪気を増幅させるためだけに集められた百人。都合の良いこの百人を作り上げるために、一体どれだけの人が犠牲にされたのか。


 人を、何だと思っているんだ。


 那岐は自分の頭の奥の方が妙に冴えわたっていくのを感じていた。

 襲い掛かる邪気の奥、正面に掲げられた大きな意匠を見つめる。

 ふいに、那岐の脳裏に無数の映像が浮かんだ。


「……柊耶さん、この人たちを操っているのは、この国にかつて存在した者。狡猾な意思が伝わって来る。自分は表に出ず、言葉巧みに他者を操って、何度も采希兄さんを狙っていた。采希兄さんがこの地に力を還したことで自分の力が削がれたから、残っていた自分の手駒の一部や周囲の邪霊を取り込んで潜んでいた」

「……那岐くん?」

「続けろ、那岐」


 どこか遠くを見据えたままの那岐に柊耶が驚いていると、背後から静かな声が掛けられた。

 片方の口角を上げて獰猛な笑みを見せる巫女と、眉を寄せた榛冴、腕組みをして不機嫌そうに睨む凱斗が立っていた。


 柊耶には、何故巫女が心底嬉しそうな顔をしているのか、不思議だった。

 だがそれよりも那岐の様子が気に掛かる。


「あきらちゃん、那岐くんはどうしたの?」

「おそらくだが、ここの気配を『読んで』いる。正面にあるあの巨大な意匠に、集めた邪気を溜め込んでいるようだ」

「サイコメトリー?」

「ポストコグニションだな。の能力だ。いつか榛冴にその力が発現するんじゃないかと思っていたが……那岐の方だったか」


「この地の波動が上昇して邪気が大幅に減少したのを、波動が変化したためだと気付かずに、自分が支配しようとやってきた他の地の邪霊。その連中の半数近くは、高くなった波動のために動けなくなっていた所を捕らえられ、こいつに取り込まれた。こいつは自分の魂の格を上げるために采希兄さんの力をずっと求めていたけど、すべて阻まれた。いつからか、自分が最も恐れる相手が采希兄さんの傍に居たからね」


 全員が大きく長い息を吐く。

 凱斗の身体からぶわりと怒りの気配が拡がった。


「……三郎か」

「そう。生前から自分は前に出ずに傀儡を操るのが得意だったみたいだね。だけど采希兄さんはこの地に力を還して消えた。邪霊である自分には地に還元された力を手に入れることは出来ない。だから人を通して穢した気を可能な限り吸い上げようと考えた」

「じゃあ、采希や俺たちがこれまでえらい目に遭って来たのは……」


 振り返った那岐は、いつもの笑顔で凱斗に答える。


「こいつが、黒幕」


 ごうっと音を立て、凱斗の身体が炎に包まれる。

 柊耶の周囲にだけ青みがかった防護壁が展開され、柊耶は驚いて自分の身体を見下ろす。

 『眼』を持たない自分にも感じられるほどに反応した力。無意識の自分の能力が何に反応したのかと息を飲んだ。


 ゆっくりと凱斗が前に進む。

 瞬きもせずにこちらを見つめていた一団が、凱斗の歩みに合わせて避けるように割れていく。


炎駒スルト、これまでお前が、俺の身体を気遣って力を抑えていたのは知っている。だけど、もういい。采希が護ったこの地、今度は俺が意思を継ぐ。――力を貸してくれ」


 凱斗の意思に炎駒が応えたように凱斗の気が色づく。

 凱斗の身体を覆った赤みを帯びた炎は波紋を描くように拡がり、周囲にいる百人を大きく包み込む。

 憑依していた動物や邪霊が次々と引き剥がされていった。

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