第111話 密謀の島

「榛冴、車を出せ。ゆっくりとだ」

「……はい」


 車の周囲にいた目玉が消えると、ビルの窓の外で漂っていた半透明の物体は、逃げるように窓の中へと戻る。

 車に乗り込んで来た黎と柊耶に、榛冴がほっとしたように顔を上げた。


「那岐、お前が作ったのは人の眼から外れる結界か? 陽那の呪も人の眼に映る景色を誤魔化すつもりだったようだが」

「そうです」

「効いていなかったって事は、あの占い師とやらが操っていた訳じゃないんだな」

「……そうみたいです。ちょっと、相手を見誤ったようですね」

「背後にいる何者かが、強力な邪霊を使役して監視させているのかもな。それにしては反応が早すぎるか……」


 がっくりと項垂れる那岐を、助手席に座った柊耶が振り返った。


「でも、僕の眼にはこの車の中に那岐くんたちがいるのは見えなかったよ。黎くんもそうだよね?」

「ああ。人間相手なら及第点だ。こちらを確認したのがあの占い師の物じゃないってことは、拠点はここじゃなく、別にあるってことだな。榛冴、本部に向かってくれ」




「占いの部屋が拠点じゃないのは想定内だ。だが、占い師も傀儡だとすると、その水晶もどきに入っていた念が指示を出してるってことか?」


 カイが不愉快そうに言うと、黎は少し考えるように目を伏せる。

 那岐が記憶して持ち帰った、硝子玉に入っていた念の気配の一部は、どこかで覚えがあった。

 しかも隠すように気配の中心部に置かれていた。


(あの陰湿で打算に溢れた狡さは……まさかな、あの御仁は三郎が消滅させたはず)


 以前、黎は怨霊たちが暴れているとして調伏の依頼を受けた。

 朔の情報部門と実働部隊を向かわせたところ、怨霊を操っているとして一人の武将の名が挙がった。

 その者に唯一対抗できるとして、采希に預けられていた三郎を借りた。その狡猾な邪霊は自分と三郎で完膚なきまでに叩き潰したはずだった。


(……いや、が影武者だとすれば? もしくは更に誰かが後ろにいたか)


 気配だけでは確信が持てなかった。

 硝子玉に念を乗せた者を直接確認したいところだが、シンたちが調べられたのは『離島』というワードのみ。実際の場所までは特定できていなかった。


 ここに采希がいてくれたら、と、つい考えてしまう。

 意図せずに本質を見抜くその眼を、今は心から渇望していた。




「黎さん、戻っていたのか」


 凱斗を引き連れた巫女が執務室へと入って来る。

 幾分疲れた表情の凱斗に同情しつつ、晴れやかな巫女の笑顔を見つめた。


「あきら、凱斗を連れて出てたのか」

「ああ。凱斗の交渉力はカイさん並みだからな。一緒に行ってもらった」

「あー、それは俺も認める。どこに行ってきたんだ?」


 嬉しそうに笑う巫女の後ろで、凱斗は大きく肩を落としている。どれだけ連れ回されたのだろうと、黎は同情を込めて凱斗を見た。


「離島とやらの場所を探して来た」

「は?」

「あきらちゃん、まさか特定できたの?」


 シンとカイが身を乗り出した。

 場所が特定できないようにと指示されていたのか、被害者の家族でさえも情報を持っていなかった。

 一体どうやって情報を得たというのだろう、と訝しむ。


「うちに依頼のあった被害者の、自宅を出てから戻るまでの日数、移動手段、移動にかかるであろう時間やらを全員分確認した。それらを勘案して出航した港を推測し、島での滞在期間を差し引いた移動時間を割り出して、おおよその場所の見当をつけた。使った船は確認できたが、船員の記憶は操作されていたらしい。航行記録も消されていた」

「……そんで、その近辺の島を全部総当たりさせられました」


 生き生きと説明する巫女と、憔悴しきった凱斗の対比が酷い。

 『ここまでの範囲内、全ての島を虱潰しに探す』とにこやかに宣言する巫女の様子が、一同にはありありと思い浮かべられた。

 凱斗の肩の上では地龍の姫が苦笑している。

 気の毒そうに兄を眺める榛冴は、巫女に連れ出されなかった事にほっとしているように見えた。


「総当たり……よく見つけたな」

「探し物はシェンが得意だからな。那岐が遠見した首飾りの意匠を頼りに探してもらった。上空から探査されないように、巧妙に木々の影に配置された小さな建物が並んでいた。自然の洞穴も利用している」

「空からも海からも発見されにくいってことか?」

「そうなんだ。海神の協力を得られたら、怪しい動きをしている連中をすぐに特定できたんだろうが」


 そう言って巫女は黎から視線を逸らした。

 ナーガは元々、朔の一族を守護している。地龍の姫は采希が消えてからずっと凱斗に付いていた。

 だが海神は、誰も呼ぶことができなかった。

 海神との会話のためにと、海神の鱗を受け取っていた柊耶は、『僕の守護じゃないから』と言い張って頑なに呼ぼうとはしなかった。


 自分が口に出してしまった事で場の空気が重くなったのに気付いた巫女が、自分の失言に小さく舌打ちした。


「その離島がどんな事に使われていたのかは確認できたのか?」


 黎を見返し、巫女はこくりと頷く。


「祈祷と称した洗脳と、降霊した何かを憑依させているようだ。祈祷後、一人ずつ降霊して様子をみる。成功したものは、那岐が見てきた占い師のように利用される。失敗作は思考することを奪われ、帰されているようだった」

「実行しているのは、何者だ?」

「……分からない。シェンに強力な結界の中を視ることは出来ないからな。――ロキがいれば分かっただろうが……」

「その島に住んでいる人間は?」

「奴らの関係施設以外に建造物はない。施設の中では何人かが常駐しているようだが、人数は不明。奴らの動きが人道的とは言い難いことから、かなり詰め込まれて暮らしている可能性も否定できない。電気は風力発電、水は地下水を利用しているようだ」


 結界内部に干渉が困難なシェンの探索で、それだけの情報が得られただけでもマシだろうと思った。


(時間はない、か……)


 那岐が見つけた、四神の色を意匠に使った飾り。それは被害者だけでなく、その周囲の気を喰らっているようだと聞いている。

 榛冴と柊耶を連れて調査に向かった時、榛冴は何故か被害者の胸元の気がごっそりと抜け落ちていると言っていた。

 そして柊耶は被害者の胸元に空いた穴が断続的に周囲の気を吸い込む気配を確認していた。


 相手の力量を測らずに向かって行くのは愚策だ。

 それでも朔の当主として、黎は決断するべきだろうと思った。


 半年前、開放した采希の力に覆われたこの地は、ひと月程かけて場の波動が上昇した。

 清浄となった波動に耐えられない邪気は消滅し、一定以上の強い邪気はその力のほとんどを奪われた。

 それなのに、もう不穏な輩が動き出している。


(たった半年で、この状況か)


 黎は自嘲の笑みを浮かべる。

 采希を犠牲にしておきながら、不甲斐ない自分に腹が立った。

 采希の祖母、織羽おとはに助言を求めた時のことを思い出す。


『それほどに、この地も人々も病んでいるということでしょう。琴音さまも仰っていました。黎さんは自分の成すべきことを。……采希は、きちんと役目を果たしたと思っていますよ』


 だからお前も頑張れと、そう織羽に叱咤された気がした。

 おそらく巫女は采希の意思を継ごうとしている。

 同時に、采希の魂を追う事も諦めてはいないように思え、黎はほんの少し安堵した。



「黎さん、指示を」


 巫女の声に、黎はゆっくりと顔を上げる。


「相手の状況を見極めている時間はないのだろう? だったら――」

「……あきら、それは――」


 目を伏せ、黎は言い澱む。

 今の自分たちで勝てるだろうか、そんな気持ちが過った。


「那岐と榛冴の朱雀と玄武はもういない。琉斗の青龍は、琉斗の守護ではない」


 目線を下げたまま、黎は独り言のように言葉を紡ぐ。


「怨霊相手に絶大な力を持つ三郎も、呪術を操る瀧夜叉もいない。四神がいなければ那岐と榛冴は自分で防護壁を展開しながら闘うことになる。琉斗を護っていたロキもいない。ガイアの助力もない今、凱斗の炎駒と天地の龍神だけでは護り切れない」


 黎が淡々と告げる事実に、那岐と榛冴の視線が揺らぐ。

 巫女はゆっくりと頷きながら静かに答えた。


「……分かっている」

「お前のことだ、負けるつもりはないんだろう?」

「もちろんだ」

「では、先見の巫女。凱斗、琉斗、那岐、榛冴、それと柊耶だ。この五人を連れて先陣を任せる」

「分かった、地龍の姫はこちらで預かる。――黎さんは?」

「織羽さまたちに説明してから合流する。俺が行くまで、もたせろよ」


 余計な気負いの感じられない、いつもの笑顔で巫女が立ち上がる。

 柊耶が少し心配そうに黎を見るが、黎は何も言わずに頷いてみせた。

 那岐と榛冴は琉斗を迎えに駆け出していく。本部の訓練室にいるはずだった。


 凱斗はソファーに座って俯いたまま、眼を閉じて動かない。


「凱斗、不安か?」

「……黎さん、俺は……俺の力は役に立つんだろうか?」


 訓練を繰り返していても、凱斗には自分の内包している力の全てを引き出すことは出来なかった。

 ほぼ体術のみの琉斗よりはマシだと思うが、琉斗はキレると破壊神のような力を奮う。

 どう考えても自分が一番、足手纏いのような気がした。


「力ってのは、何も霊能力や念動なんかに限った事じゃない。さっきお前が被害者たちを『失敗作なんじゃないか』と気付いたのは、お前の状況把握と分析力の結果だろう」

「黎さん、そうじゃない。俺は――」

「まだ、力が欲しいか?」

「…………はい。自分の弟たちや那岐、一緒にいる人たち全てを護るだけの力が、欲しいと思います」


 以前までの凱斗なら、采希のように邪気を叩き伏せる力を求めていたはず、と黎は頬が緩むのを感じた。

 凱斗は気付いていなかったが、凱斗の中の炎駒は凱斗の望みに応え、その力を変容させている。

 わざわざ自分が教えなくても、凱斗ならいずれ気付くだろう。


「ひとつ、教えてやる。――凱斗、強い願いってのはな、叶うんだぞ」



 * * * * * *



 小さな木造の建物に近付くと、琉斗は窓から中を覗き込む。

 室内には決して大きくはない低いテーブルが一つ。壁に沿って三段ベッドが置かれている。見える範囲で四つ。

 奥にはごく小さなシンクと一口コンロ。この部屋の隣は、外側から見たスペース的にトイレだろうと思われた。


「……狭いな。この小さなスペースに最大十二人を詰め込むってことか?」

「今は誰もいないようだな。ところで兄貴、さっきから気になっていたんだが」

「何?」

「どうしてお前は、足音がしないんだ?」


 琉斗が隣で窓の奥を覗き込む凱斗に囁いた。

 こんな林の中なのに凱斗が落ち葉や小枝を踏む音がしない。二人で偵察に出たのに、ずっと琉斗の足元からだけ音が聞こえていた。


「あー、自分の身体をほんの少し浮かせているんだ。采希に教えてもらった」

「…………」

「慣れると便利なんだよね。坂道とか段差とか、かなり楽」

「……俺は教えられていないぞ」

「お前、不器用だからじゃね?」


 むっとした顔で睨む弟を横に、凱斗は足元にやってきたシェンを見降ろした。


「どうだった?」

《近隣の三棟を見てまいりました。全て似たような造りです。ここ一か月で二百人近く収容された気配があります。今この島にいる者は全員、島の反対側にある施設にいるようですね》

「二百か……そのうち成功したのがどの位なんだろうな」

《ここは宿泊のための場所のようです。日中は祈祷するための施設で過ごしているようです》

「……暮らす、じゃなく、過ごす?」

《はい。自身の訓練、祈祷の手伝い、島を訪れた人のお世話、そのために交代で一定期間滞在しているように、荷物からは推測されます》


 凱斗はシェンの説明に難しい顔になった。

 交代できるほどの要員が確保できているということか、と考えていると、シェンが凱斗の目線まで浮かび上がった。


《凱斗さんが何を懸念されているのかは、おおよそ見当がつきますが。憑依されて後付けの能力者になったとしても、采希さんには遠く及びませんし、那岐さんや凱斗さんたちの方が圧倒していると思われますよ》

「……数の脅威って、知ってるか? それと、どんなのが憑依しているか分からないから能力も不明だしな。俺の力は相変わらず不安定だし、未知の相手に楽観はできない」

「だが今回はあきらがいるだろう」

「……そうだな」


 琉斗に言われ、凱斗は眼を逸らす。


 このところ自分の放つ力が酷く効率が悪い気がしていた。

 それは自分の制御が出来ないせいかと思っていたが、どうやら違っていたようだ。


 これまでは無意識に采希のサポートがあると、そう思ってはいなかったか。

 自分が放出する力に合わせて動き、指示してくれると、そう思い込んではいなかったか。


 凱斗は俯いて長い息を吐く。

 もう、采希はいない。

 似たような力に思えたが、采希と巫女は違う。采希のように周囲の状況に合わせて動くことは苦手らしいと気付いた。

 もう采希に頼る事は出来ないんだから、しっかりしないと。そう弟たちに言った自分が一番分かっていなかったようだ。


(俺に出来ることは何だ。考えろ。闘いの中で周りの奴らの動きを、俺は把握しているか? その中でどう動けばいいのか、俺は考えているか?)


 何かを堪えるような顔で少し先の地面を見つめる凱斗に、琉斗はほんの少し口角を上げる。


 この顔には覚えがある。

 滅多にない本気を出す兄の姿が、久し振りに拝めそうだと思った。




「視認はできるのに、感知はできない? 本当か、シェン」

《はい。あの施設にいる全員、それぞれに感知を妨害する術が施されているようです》

「『気』も感知できないのか?」

《そうです。念の眼で視るとそこには誰も居ないのに、目を開けるとそこに人がいる、そういった状況でした》


 腕組みをして考え込んだ巫女の背後で、柊耶が榛冴と那岐に囁く。


「認識阻害の強力なヤツってこと?」

「強力な、というよりは、特殊・・なんだと思う。でもちょっと不思議ですよね」

「何が?」

「術の対象が人間じゃないってことじゃないですか? だって、視認はできるんだから」

「……彼らが脅威に思っている仮想敵は人間じゃなくて他の念ってこと? 神霊なのか邪霊なのかは分からないけど、そいつらの方が人間よりも厄介だって思ってるってことかな」


 首を傾げる柊耶に、巫女が小さく頷く。


「もしくは、この場所に人は近付けないと思っているためかもな。偶然でもなければ、何もないこの島に近付く者はいないだろうから」

「一体誰を恐れているんでしょうね。僕は人間が一番怖いと思いますけど」


 那岐の疑問に、榛冴が少し考えるように呟く。


「よくない事をしている連中なんだから、大神さまとかの神様にバレるのが嫌なんじゃない?」

「――いや、そんな事で怯えるような輩だったら、こんな事は仕出かさないだろう」


 憮然と告げる巫女に、榛冴はなるほどと頷いた。


「だったら、何を警戒しているんだろうね。あきらちゃんには見当がついているの?」

「邪神級の大物だろうとは思う。だがちょっと気になることがあって……凱斗の予想だけどな、采希の力で底上げされたこの地の波動によってかなりの邪霊が消滅した。それを好機と外からこの地に居座ろうとしている連中がいるんじゃないかと言っていた。最近うちに持ち込まれる依頼が、意思疎通できない霊や念が多いらしい」


 巫女の言葉に、那岐は少し考えるように目線を下げる。


「他の国から来ている霊体がいるってこと? 意思疎通ができないって、日本語じゃないから?」

「ああ、凱斗は末期まつごの強い思念を読めるようになったからな」


 それだけのことでは警戒する必要がないように思えた那岐だったが、巫女の言葉は続く。


「私を陥れ、お前たちに手を出そうとした連中も国外に本部を構えていただろう。波動が上がったこの地を狙う者がいても不思議じゃない。『堕ちる』波動は御馳走に思えるらしいぞ」


 那岐が口元を歪ませる。

 何とも後味の悪い趣味だと思った。


「せっかく高くなった波動を下げるよう画策している奴がいるの? 一体何のために……」


 巫女が硬い表情で振り返る。


「高い波動では居心地の悪い、低級な者共ということだな。波動を下げて気を穢し、取り込んで己の力にする。そして自分より低いレベルまで落として優越感に浸る」

「そんな事に何の意味があるの?」

「自己満足だろう」

「…………」

「人間にもそんなタイプは多いぞ。自分より優秀な者を妬んで引きずり下ろす。徳のある者を讒言で陥れようとする。自分の波動が低いのを認められずに、波動の高い者を疎ましく思って遠ざけようとする。――人間の方が酷いかもな」


 苦笑する巫女に返す言葉が思い付かず、那岐は黙って目を伏せる。


 兄がその身を賭して救おうとしたこの地の人間の中には、そういった者もいるのだろうと思った。

 上げられた波動について行けずに、自分が不幸になったと思う者もいるだろう。

 兄のした事は無駄だったのだろうか、と考えかけ、那岐は大きく頭を振った。

 どうするのが正しいのか不安になってくる。


 森の奥の方から双子が戻ってくるのが見えて、那岐はほっと息を吐く。

 近付いて来る凱斗の気配は神獣の気を纏っていて、那岐の気持ちを緩めるように周囲を包んでいった。

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