第113話 回帰する血脈

 榛冴はごくりと喉を鳴らした。

 これまで見た事もないほどの力が兄の身体から波のように拡がっている。

 その圧倒的な力は周囲の人々から次々と憑依を解除していった。


「これ……なんなの、この力……」

「炎駒の力を引き出せたようだな」


 満足そうに告げる巫女に、榛冴はゆっくりと視線を向ける。


「……大丈夫なの? こんな力に、凱斗兄さんは耐えられる?」

「凱斗なら大丈夫だ。全く自覚していないようだが、放出できる力の大きさならお前たちの中では一番だぞ」

「だけど……」

「心配ない。どうやら間に合いそうだからな」

「…………は?」


 微笑む巫女からの返事はない。

 榛冴は兄の背中を見つめる。

 ばたばたと倒れ込む人々の間に立つ凱斗は、輪郭がぼやけるほどの力を放出し続けている。ふとその背中が光に溶け込むように消えて行った従兄弟の姿と重なった。

 思わず一歩を踏み出したが、もう一人の兄に肩を掴まれて引き戻される。


「榛冴、行ってはならない」

「琉斗兄さん! でも凱斗兄さんが……」

「凱斗に任せろ。邪魔するなと、凱斗が言っている」

「……え?」


 見返した琉斗の眼が潤んでいるのに気付き、榛冴は眼を見開いた。

 これほどの力の奔流を、榛冴は見たことがなかった。

 従兄弟のそれとは違う、大きなうねりの波動。酷く効率が悪そうに見えるこの力で、凱斗の身体が平気だとはとても思えなかった。

 兄の決死の覚悟を、もう一人の兄は受け止めている。

 それはつまり、兄のこの行為は危険だという事に他ならない。


 榛冴の眼から涙が溢れ出す。

 正面に飾られた意匠にぴしりと亀裂が走った。そこからどす黒い靄が立ち昇り、凱斗から放たれた光の波に触れては消えて行く。

 見つめる兄の身体がゆっくりと斜めに傾いていった。


「――! 凱斗兄さん!」

「兄貴!!」


 凱斗の身体が倒れる。そう思った時、ふわりと中空から降りて来た気配が凱斗の身体を抱き止めた。


 見慣れたその気配。

 ここに居るはずのない、淡い紫のオーラを纏った者は、凱斗を支えたままこちらを向いて笑った。


「…………さい……」

「兄さん!!」


 榛冴の隣から一瞬で跳躍した那岐が飛び付いた。

 驚きに硬直した琉斗と榛冴は、兄に駆け寄ろうとした態勢のまま、声も出せない。

 柊耶が巫女を振り返ると、ほっとしたような巫女が目元に手を当てた。


 左手で凱斗を抱えたままの采希が、那岐の頭を軽く叩く。


「兄さん……」

「ただいま、那岐」


 自分の身体を支える者に気付き、凱斗がようやく顔を上げた。


「…………」

「ごめん凱斗、無理させたか?」


 無理に笑おうとする凱斗を采希が支え直す。震える手が采希の腕を掴んだ。


(おっせーよ)


 それだけを采希に伝え、凱斗の首ががくりと下がる。掴んでいた腕がだらりと落ちた。

 苦笑する采希を、巫女が泣きそうな顔で見ていた。

 視線に気付いた采希が破顔する。


「本当に――戻れたのか?」

「ああ、遅くなって悪かった。大聖と初代さまの呪を解くのに時間が掛かってな」

「――では……」

「解呪できた。大神さまにはゆっくり恩を返させてもらうよ」

「…………そうか」

「それと――一足先に黎さんと本家に行って来た」

「……?」

「本家の蔵の扉を、開けてきた」

「な……それは……」

「うん。戻った事で、正式に認められたようだな」


 この施設に入る直前に、巫女に届いた黎の声。

 自分の位置を確認する八咫烏の視線と共に届いたその声は、巫女が待ち続けた気配を連れていた。

 まさか、と思うと同時に、涙が零れた。


 いざ目の前に戻った姿を見ても、何を伝えたらいいのか分からない。

 喉が詰まってうまく声を発することも出来なかった。


 采希に『おかえり』と、そう声に出そうとして、巫女は眼を見開く。

 自分の中にいる鳳凰の意識が采希の背後に向けられた。

 采希の立つさらに奥、亀裂の入った巨大な意匠の前に、床から湧き出してくる気配があった。

 それはこれまで見た中でも、最もおぞましく欲望に満ちた邪気だった。

 采希は那岐に凱斗の身体を預け、下がるように眼で促す。


「ようやくお出ましか。これまで随分と上手いこと逃げ隠れしてくれたな。――もうお前はここから逃げられない」

《それはどうだろうな。高次の身体からこの次元の身体に落とされたお前が、儂に敵うとでも思うのか》

「この次元で闘うなら、この身体で充分だ。もうここ以外に、お前の傀儡どもはいない。一人で何が出来る?」


 ゆらりと動揺するように揺れた邪気が、月代の髷姿になる。豪奢な刺繍の小直衣このうしは、貧相な髷や髭に対して成金趣味にしか見えなかった。

 悔し気な男の周囲に、小さな邪気が忙しなく飛び回っている。その一つが小さく掠れた声を上げた。


《太閤殿、周囲は既に方陣に囲まれております!》

《……何だと? 四神は既に天に還ったはずと……》


「俺が召喚んだ。朔の巫女が呼び出せるのに、当主である俺に出来ないはずがないだろう」


 入り口には、強大な気を纏った黎が立っていた。

 以前、神殿の邪神像を一撃で破壊した時に垣間見せた、金のオーラを持つ太陽神の神子。

 その圧倒的な気配に、榛冴は息を飲んだ。

 滅多に見せることのないその姿に、柊耶が嬉しそうに微笑んだ。


 四神の方陣の内部に展開された金色の気が支配する場に、男の霊体は咄嗟に逃げ出そうとする。

 黎から感じる気は、自分の器の小ささを見せつけられているようで、不快で落ち着かない気持ちになった。


 黎の背後に、男にとって最恐の気配がいる。

 男の手は意図せずに忙しなく動き出した。


「手駒は消滅、ここは四神の方陣で抑えられている。そして三郎は、お前が最も恐れている相手だったな」


 黎が小さく頭を振ると、その気配は采希の傍にふわりと移動し、並び立つ。


《――っ……》

《あの時、葬ってやったと思うておったが、誰ぞ影に仕立てておったか。察するに十兵衛あたりか?》

《お……おやか……》

《采希、朔の当主、ここは任せてもらいたい。あの時仕損じたのは――》

「三郎、下がれ」

《……采希》


 采希の静かな声が響く。

 武将が不満そうに采希を見下ろすと、正面の貧相な霊体を見据えたまま言った。


「こいつは俺をずっと狙っていた。肉体を失ってなお、自分がこの地を支配するためだけにな。そして俺の身内を何度も危険に晒した。――だからこいつは、俺が消す」


 穏やかに告げる采希に、武将はふっと笑みを漏らす。


「そういう事だ、三郎、下がってろ。お前がこいつと刺し違えるつもりなのはお見通しだぞ。そんな事を私が許すとでも思ったのか? お前は、私の眷属だ。二度と私の許可なく消えることは許さない」


 正式な契約を結んだ巫女の言葉に、武将の霊体は引き摺られるように巫女の傍へと引き寄せられる。


《巫女……》

「ここは、主である私に従え。例え友であろうと、采希のために消えるのは、采希の気持ちも蔑ろにすることになる」

《……御意》

「心配ない。ここには朔の現当主と次期当主、そして巫女である私がいる。お前はのんびりと見物していろ。お前を陥れた者の最期をな」


 既に勝ちを確信する巫女の言葉に、柊耶と那岐が顔を見合わせる。どちらからともなく、笑顔になった。

 やれやれといった様子で、黎は巫女の肩を叩きながらその身体を追い越し、采希の隣に並ぶ。


「うちの巫女殿は、中々にきつい重圧プレッシャーを掛けてくれる」

「そこは『期待されている』と思うことにしましょう、黎さん」

「……尻に敷かれるつもりは無さそうだな」

「放って置いたら何するか分からないような鉄砲玉を、野に放つつもりはありませんよ」


 こっそりと話していたつもりだったが、榛冴が吹き出した。巫女が怪訝そうに榛冴を見ると、慌てて眼を逸らす。

 那岐に抱えられた凱斗への、気の供給に集中する。

 凱斗は大きすぎる力の放出によって意識を失っただけのようだった。

 凱斗の身体を見下ろす琉斗も、ほっとしたように小さく息を吐く。


「さっきは慌ただしくて言いそびれた。――采希、よく戻ったな」

「はい。何とか大神さまにお許しいただけました」

「何て言って説得したんだ?」

「説得なんて、そんな怖い事はしませんよ。――ひとつだけ、願い事を伝えました」

「……願い?」


 采希は少し困ったように笑った。


 大神さまの地で、力を捧げる対価として希望はあるか、と聞かれた。

 咄嗟に浮かんだのは最後に見た巫女の泣き顔だった。

 もう一度、彼女の笑顔が見たい。そう思った。


『もう力は要らない。ただ次にこの世に生まれたら、もう一度あきらと会わせてほしい』


 そう告げた采希に大神さまの応えはなく、輪廻の先で出会うことはないのかと落胆した。

 気付くと采希の身体が様々な色の光に包まれていた。


「どうやら、みんなで俺の身体を作り変えてくれたようで」

「……お前の身体は消滅した訳じゃなかったのか」

「俺もそう思ってました」


 横に並ぶ采希を見て、黎はようやく気付く。

 采希の気配の中に、自分に覚えのある気配が存在していた。


「采希、お前……初代さまの……」

「馴染みのある力だとは思っていたんですが、どうやらだったようですね」


 一瞬呆けた黎が、嬉しそうに口角を引き上げた。


「だったら、遠慮はいらないな」

「そうです。――琉斗、来い!」


 采希の声に顔を上げた琉斗が、即座に駆け寄ってくる。

 采希が軽くその背を叩くと、和太鼓の音と共に琉斗の身体から青い炎が立ち昇った。

 琉斗の覚醒を確認した黎が、入り口付近にいた巫女を振り返った。


「あきら、凱斗が切り離した憑依霊の始末はお前と那岐、榛冴に任せる。采希、琉斗、太閤はお前らが片付けろ。柊耶、ここにいる太閤の残った手駒を消す。手伝ってくれ」


 嬉しそうに柊耶が黎に駆け寄ると、太閤の周囲に纏わりついていた霊が、主から切り離され、道場の隅に引き寄せられる。

 黎が捕縛したのだと気付いた采希は、琉斗を促しながら正面の敵に向かって歩を進める。

 右手でそっと左手に触れると、白銀の弓が現れた。

 琉斗の持つ木刀が日本刀へと姿を変える。


「……紅蓮、出番だ」

「琥珀、行くぞ」



 背後では浄化の強い光が絶え間なく続いている。

 那岐が榛冴と凱斗の周囲を護り、巫女が涼しい顔で力を放っている。

 憑依を剥がされた浮遊霊など、鳳凰の力を借りるまでもない。

 巫女は視界の端でふたつのオーラが溶け合うように大きくなっていくのを認めた。


 あの日、失われるはずだった幼い命は、神子と巫女の力で取り戻された。

 どこの過程で闘神スサノオの力を得たものかは不明だが、その力を無意識にでも制御できる琉斗が、采希の傍にいてくれる。そのことが嬉しいと巫女は思った。


「行け、采希、琉斗。お前たちに、負けはない」



 采希の右手後方で、太陽の神子と相棒であるそらの能力者が暴れている。

 太閤を護る精鋭であろう強力な邪霊が繰り出す攻撃は、全て柊耶に阻まれ、黎が確実に仕留めていく。

 これまで何度こうして二人で闘っただろう、と思い、黎は思わず微笑む。

 自分は当主としては足りていない、そう思っていた。

 それでも相棒はずっと変わらず自分を護ろうとしていた。

 幼かった巫女もずっと自分を支え、助けてくれた。

 当主として、自分の力が及ばない、そんな事は分かっている。

 自分の役割は、白虎の主を含めたこの化け物じみた連中が暴走しないようにするため。それでいいと思った。


「采希、後始末は任せろ。思いっきり行ってこい」



 采希の隣に立つ荒ぶる闘神の力を持つ者は、今日もその激情を闘気に変え、破邪刀へと伝えている。

 静かな表情のまま、見据えた眼の中には強い光が宿っていた。

 闘神の力でさえも抑え込む琉斗は、多分本当の意味で一番強い心を持っているのだろうと、采希は思った。


 あの日、失われかけたこの魂を必死に追い掛けた。

 それを発端に様々な事件に巻き込まれたとは思うが、その事は一切後悔していない。

 むしろ、そのおかげで自分は今、ここに居るのだろうと思った。


 これからも自分は色々と巻き込まれる事になるのだろう。

 朔の当主の座という気掛かりはあるが、弟や従兄弟が助けてくれる。

 何より、巫女が傍にいる。

 采希は自然に口角が上がるのを感じた。



 それぞれ対峙する相手は違っても、他の者の動きが細部まで伝わる。

 大丈夫、と采希は自分の中で呟く。

 自分が気を配らずとも、問題はない。安心して背中を預けよう、そう思った。

 ひとつだけ自分に任せられた、その信頼に応えよう。


 采希は立ち止まり、左手を前に構えた。

 隣では琉斗が紅蓮を右下段に構える。

 ゆっくりと両手を頭上に掲げ、琥珀の弦を引く。


「琉斗」

「おう」

「暴れるぞ」

「任せろ」


 自分たちに災いを運んでいた元凶が、眼の前で恐怖するように揺らいでいる。

 采希の眼はその霊体が守護のために纏っていた呪を一つずつ断ち切っていく。


 これで、全て終わらせる。


 采希と琉斗の声が重なる。

 琥珀の金の矢と、紅蓮の朱金の斬撃が同時に放たれた。


「「なうまく さまんだ ばざら だん かん!」」

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