第21章 繋がる系譜
第109話 憑依の連鎖
自分に向けて掛けられた声に気付き、
読みふけっていた本を閉じて座っていたソファーの横に置くと、眼の前のテーブルに紅茶のカップとティーポットが置かれた。ご丁寧にポットカバーが乗せられている。
カップに注がれた淡い色は、ハーブの香りがした。
陽那が巫女のためにと試行錯誤したオリジナルブレンドのハーブティーだ。
「まさかとは思いますが、あきらさん、寝ていらっしゃらないのですか?」
自分を覗き込む視線からそっと眼を逸らした。
「……ちょっと本を読むのに夢中になって……今日は依頼もないから、これから休もうと思っていたんだ」
巫女が言い訳するように早口になると、陽那はくすりと笑った。
寝不足になるのは心配だが、巫女が多少の無理をするのは
自棄になっているのではないと分かって安堵したが、それでも身体は心配だった。
「もう少し身体を気遣ってくださいね。シュウ先生が常駐して下さるようになったとはいえ、あまり無茶を続けられては黎さんたちが心配されます」
「……私を心配した那岐が私の分まで動こうとするのが、そんなに心配か?」
巫女がからかうように言うと、陽那は少し頬を膨らませた。
「あきらさん?」
「冗談だ、済まない」
「……『黄泉通いの井戸』? あきらさん、
巫女が読んでいた本の背表紙に気付いた陽那が眉を顰める。
「本当に存在するなら、是非とも使いたいところだ――ああ、悪い、そんな顔をしないでくれ」
真顔から一転、慌てたように眉尻が僅かに下がる。
凛々しい巫女のそんな表情を見れた事に笑いをかみ殺しつつ、陽那は巫女の向かいに座った。
巫女の眼の前で消えた采希の事は、陽那も聞いている。
大事な人が急に居なくなる。イザナギのように黄泉の国まで追い掛けたいと思う気持ちも分からなくはなかった。
それでも巫女は、采希によって救い出された自身の命を軽んじるつもりはなさそうだと、黎や那岐から聞かされていた。
「最近、榛冴さんが
「……そうだな。榛冴には神霊の声は届くが、織羽さまは亡くなった者の声が聞こえる事もあるそうだから」
「……榛冴さんは」
ふと語尾を濁した陽那に、巫女が笑顔で頷く。
「どうしても采希に一言、言いたいそうだ」
「お別れを、ですか?」
「苦情らしいぞ」
巫女の言葉に、思わず吹き出しそうになり、陽那は慌てて口元を覆った。
「采希さんなら、神霊の声扱いでもよさそうですけどね」
笑顔になった陽那の顔を見ながら、巫女は自分も笑みを浮かべた。
采希が消えてから半年、ようやく笑って話題に出来るようになった。
まだ納得できた訳ではなかったが、黎と柊耶、そして凱斗と琉斗がしつこい程に自分に話してくれた。
采希がどれほど巫女を取り戻したいと願っていたか。
そのためにどれほど頑張っていたのか。
本来、人には越えられないはずの大神さまの『場』の境界。それを采希はあっさりと繋げてみせた。
自らに課された封印を無効化し、神子としての力を発揮できるよう、秘かに身体を慣らしていった。
誰にも告げずに行われたその作業は、采希の身体の限界を超え、采希はこの世から消えた。
自分が大神さまの『場』に残り、采希がこちらで気を整えても充分にこの地へ気を補給することは可能だっただろう。
それでも采希は尽きかけた自らの命を代償に、自分をこの世界に取り戻してくれた。その想いに応えたいと、そう思った。
《申し訳ございません。聞かれた弾みで、つい答えてしまいました》
そう言って頭を下げたのは、幼い頃から自分の護りに就いていた光に溢れた存在だった。
《自らに力が与えられた理由を問われ、反射的に『摂理を正すため』と。まさかそれだけでこのような行動をされるとは予想外でした……》
「いや、采希ならその程度は気付くだろう。お前のせいじゃない。――出来る事なら過去に戻って采希があの山の祠に行く前に、あそこを潰してしまいたいところだ」
《それは――琉斗も同じことを言っていましたよ》
「……そうか」
以前采希に、琉斗が自分に似ていると言われた事を思い出し、思わず笑みが零れた。
「三郎たちは、采希に付いて行ったんだな」
《はい。巫女に詫びをと、
「俺よりも采希を選んだか」
つい以前の口調になった巫女を、ミシェールは少し寂しそうに見つめた。
幼い頃から家業に駆り出され、友も作れずにたった一人で消えて行くはずだった巫女。
その運命は初めて心を交わした友人によって、改変された。
巫女の強い意思や周囲で護ろうとする者たちの想いが、新たな運命へと導いたのではないかという気持ちに囚われる。
ミシェールは小さく頭を振った。
そうではない、この結果は、たった一人の神子が強引に引き寄せたものだ。
(采希、あなたに、心からの感謝を)
自分の代わりとなった青年に対し、巫女が後悔して酷く傷付くことは申し訳ないと思った。
それでも自分が護ると決めた巫女がここに存在してくれることが嬉しいと思ってしまう。
せめて、彼の従兄弟や朔の当主たちがやろうと思っている事を手伝うことで、彼の犠牲に対する贖罪をしよう、そう思った。
「あきらさん、聞いていらっしゃいますか?」
はっとして顔を上げる。陽那の隣には、事務部門トップの笑顔があった。
いつの間に執務室に入って来たのだろうと思いながら、巫女は寝不足の眼をカイに向ける。
「カイさん……」
「そんなに眉間に皺を寄せていたら、美人が台無しだぞ、あきら」
自分に向けられた悪戯っぽい笑顔に、ちょっと笑ってみせる。
「私にそんなものは必要ない。何の役にも立たん」
「そうか? 采希はその顔が気に入っていたようだぞ」
「…………そうなのか?」
「ああ。琉斗たちは采希の好みを可愛い系だと思ってたらしいが、那岐は気付いていたそうだ。一度、シェンを通してお前の姿を覗き見した時のことを、嬉しそうに話してくれた」
きょとんとした顔が徐々に笑顔になる。
照れもせず、巫女は満面の笑みを浮かべた。
「それは嬉しい。そんな事を言われた事はなかったからな。だが、それなら私と話して落胆させたんじゃないだろうか」
「その口調でか? それはないだろう。琉斗で慣れていただろうしな」
「…………男の口調で慣れているのとは違うだろう。生意気だとか、女らしくないとか、何様のつもりだとか、随分言われた」
「あざとくても可愛いのが好きだって連中は放って置け。俺は作った口調は好きじゃない。それにお前の声も口調も先代の婆様にそっくりで、俺には懐かしいぞ」
「――それでカイさん、ここまで来たのは何の用なんだ?」
口の上手いカイに苦笑を返しながら、巫女は一瞬で真顔になる。
忙しい事務部門の
一休みしに来たという雰囲気でもない。
緊急の案件が舞い込んだものの、当主である黎が不在でこちらに来たか、と巫女は思った。
「依頼だ」
「……内容は?」
「憑依と思われる異常行動。何件か同時に依頼が入った。既に黎には動いてもらっている」
「同時? 憑依された状況が同じとか?」
「憑依された人は年齢も性別も職業も、そして住んでいる所もバラバラだな。今、シンが共通点を洗っている。まずは実際に見てもらった方がいいと思ってな、那岐を呼んでいるから一緒に確認して来てくれ」
「那岐か」
「凱斗だったら一発で憑依を剥がせるとは思うけど、剥がしてもまたすぐに戻るようなら意味はない。破壊者の琉斗は論外だな。榛冴は黎に同行している」
琉斗のくだりで思わず吹き出しそうになる。
柊耶に『龍殺し』と呼ばれたその力は、邪気を根こそぎ消滅させることが出来る。
建造物すら一瞬で粉砕してしまう力は、憑依された人間に対しては使えない。
采希が居なくなってから、凱斗たちは揃って黎の配下となった。
四人とも訓練を続けているものの、琉斗は索敵も出来ず、相変わらず力押しの除霊だった。
「ではまず、何が憑依しているのか確認させてもらうか」
眠気を気合いで吹き飛ばし、巫女は立ち上がった。
* * * * * *
「どう思った、那岐?」
「……こんなに正体が視えないのは初めてだよ、あきらちゃん。何かがいるのは分かるのに、見極められない」
迎えの車に乗り込むなり、巫女と那岐が唸る。
運転席のカイは斜め後方の巫女をミラーで確認し、不思議そうに呟いた。
「あきらと那岐でも看破できないのか?」
「何だろうな、手応えとしてはジャミングを受けているような、そんな感じだった」
「ジャミング?」
「妨害電波って言ったら分かるか?」
「あー、……もしかして、あれかな?」
視線を浮かせた那岐に、巫女が目線だけを動かした。
「覚えがあるのか?」
「憑依されたあの家のご主人が首から下げていたネックレス。鎖が長くて、先に何がついているのかは見えなかったけど」
「……どんな風に視えた?」
「そこだけ何も
「は? 那岐、何を言って――」
後席に向かって声を上げ、カイはふと思い出した。
能力者の認識を阻害する結界。
凱斗や琉斗が拉致された時に使われた結界があったはずだ。
巫女が小さく頷く。
「認識阻害だな」
「あきら、戻るか?」
「問題ない。『眼』は置いて来た」
落ち着き払った巫女に、思わずカイの口元が緩みかけた。
以前のままの、巫女だと思った。
眷属である武将と呪術の姫、そして白狼は采希と共に行くことを望んだが、他の眷属たちは巫女の元へと戻っている。
自分の代わりに監視する式神ならばすぐにでも用意できるはずだった。
「他にも憑依された人がいるんだよね? カイさん、榛冴と黎さん以外にも誰か調べに行ってるの?」
「凱斗がそろそろ次の相談者と会う時間だ」
「凱斗か……ならば問題はないな」
そう言って、巫女は車の後席の窓を開けた。
その手からひらりと舞い上がった人型の紙が後方へと飛ぶ。
那岐が眼で追うと、紙の形代は空高く上がって見えなくなる。
巫女の放った式神が向かった先は凱斗だろう、と那岐は思った。
「シンさんの方の進捗は?」
「ある程度情報もまとまった頃合いかな。元営業の凱斗ならさくっと終わらせて戻るだろうから、このままシンの所に向かうぞ」
自分が先程の聴取でかなり苦戦したのを思い出し、那岐は思わず苦笑した。
感覚派の自分は交渉事にはあまり向いていない。口の上手い凱斗やカイが羨ましかった。
巫女はさすがに慣れているのか、丁寧で的確だった。口調もどこかの有能な秘書のようだったが、とても疲れた顔をしていた。
(采希兄さんなら、上手く出来たんだろうな……)
いつの間にか相手を取り込んでしまうような不思議な気配を思い出す。
熱くなってきた眼を閉じて、那岐は車のヘッドレストに頭を押し付けた。
* * * * * *
インターホンを押そうとして、凱斗は空を見上げる。誰かに呼ばれた気がした。
ふわりと自分の上から降りて来たのは人型の形代だった。
そっと自分の肩に乗る。
《凱斗、聞こえるか?》
「あきらちゃん、どうかしたのか?」
《憑依された人の首元を見てくれ。認識阻害の力を発する結界があるかもしれない》
「……その結界って、俺は見た事ないんだけど。それでも分かるかな?」
《こちらでは首から下げた鎖の先にその力が付与されていたようだ。その形代は眼の式神だ。中に連れて入ってくれればいい》
「了解。んじゃ、行ってくる」
そっとインターホンを指で押し込む。
ぷつりと繋がる音がして、返答があった。
「ご依頼をお受けいたしました、宮守と申します」
了承の言葉と共に門柱の間の高いゲートが左右に動き出した。
人が二人通れるほどの幅で止まったゲートから入ろうとして、凱斗は息を吸い込む。
「…………玄関が、見えねぇ……」
* * * * * *
「あきらちゃん、那岐くん、お帰り」
「ただいま、シンさん。モニターを一つ、貸してくれ」
「いいよ、どっち?」
「式の眼を確認したい」
「じゃあ隣を使って」
シンの隣にあるモニターには、小さなプラズマボールのような物が繋がっていた。巫女が手を翳すと、球体の内部に放電のような光が踊り、モニターが起動した。
整備された石畳を歩く凱斗の後頭部が映っている。
式神はその姿を凱斗の気配に溶け込ませ、凱斗の後ろからの映像を送って来た。
「凱斗兄さん? 公園にでも行ってるの?」
「いや、住宅の敷地内だな。依頼者はいくつも会社を経営している大物で、憑依されたのはその孫娘だ」
カイが資料を片手に説明すると、那岐がぴしりと固まった。
「…………玄関まで随分遠いね」
「家人は普段、ここを通らないんだろうな」
「じゃあ、どうやって家から出るの?」
「玄関を出たらすぐに車が迎えに出るんじゃないか?」
「あー……」
巫女と那岐が画面を見つめる。
ようやくたどり着いた玄関から、更に凱斗は奥へと導かれて行く。
僅かに頭部を動かした凱斗が、一瞬だけ形代に向かって眉を寄せてみせる。
モニターを見ていた四人は同時に笑顔になった。
「……ちょっとぉ、遠いんですけど! って言ってますね」
ほんのわずかな口の動きを那岐が読み取った。
モニターのこちら側が笑っているうちに、ようやく到着したその部屋は、モニターに映らないほどに天井が高い。
式神の眼が徐々に凱斗から遠ざかり、それにつれて部屋の全体を映し出す。
「声は聞こえないのか?」
「あとで拾う。那岐、あの依頼者らしき老人の後ろにいるのが憑依された孫娘だと思うが、式を通して意識を飛ばせるか?」
「……やってみます」
巫女が手を翳す球体に、そっと手の平を向ける。
眼を閉じるとすうっと吸い込まれるような感覚があった。
那岐の眼は凱斗のすぐ上にあった。
目線を移動させると、生気が抜けたように呆けた表情の女性の所で止める。
そっと近付くと、首筋にさっき訪ねた男性と同じ細い鎖が見えた。
鎖の先に向かって更に意識を凝らすと、那岐の意識は『何もない物がある』と告げる。
困惑しながら口の内側を噛みしめると、巫女の声が聴こえた。
《那岐、そのまま『眼』を固定していろ》
りぃん、と鈴の音がして、那岐の頭に軽い痛みが走る。
ぴしりとひび割れるように、女性の周囲から何かが剥がれ落ちる。一瞬で修復された不可視の壁は、何事もなかったように女性を覆った。
意識を引き戻すために那岐はぶるんと頭を振った。
「視えたか、那岐?」
眩暈の残る頭を巫女の方に向け、那岐は頷いた。
「細い金属で作った八角形の枠の中に四角。対角線で区切られたその三角が白、黒、赤、青に色付けられている。四角形の裏側に五芒星」
やっとそう声に出し、那岐はぱたりと机に伏せた。
吐き気が止まらない。
「那岐くん? 大丈夫?」
「シンさん、急いでシュウさんを呼んでくれ。悪かったな、那岐」
「……あきらちゃん?」
「那岐が視ている『眼』に割り込んで、力を送り込んだ」
「あきら……」
「…………すまない」
呆れ顔のカイとシンに見つめられ、謝罪を口にしながら巫女は那岐に手を翳す。
力の行使中に外力が加えられたら、どんな影響があるか分からない。那岐だからこの程度で済んだのだろうと、カイは嘆息する。
すうっと治まっていく眩暈と吐き気に、那岐はやっと顔を上げた。
「大丈夫、ちょっとびっくりしたけど、もう平気です。それより僕が見たあのペンダント、もしかして……」
「覚えがあるのか?」
「見た事はないです。でも、四角形の中の配色が、上から時計回りに黒、青、赤、白でした。これって、四神の配置じゃないですか?」
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