第110話 継がれる意思

 夢を、見ていた。

 巫女は眠りにつくまでの状況を思い出そうとする。

 確か、黎に抱えられたまま柊耶の異質な力を流し込まれ、意識を失ったはず。

 巫女の表情が歪む。

 後で柊耶にはきっちりお礼をさせてもらおう。


 それよりも。

 意識を保ったままこの空間にいるということは、自分が呼ばれたのだと理解した。

 さっきまでの状況から、自分を呼ぶとしたらただ一人だろうと思った。

 すっと息を吸い込んで、彼の名を呼ぶ。


「采希!」

『――ここにいる。あきら、俺が知り得たことはデータにしてお前のPCに送ってある。目覚めたら、確認してくれ』


 目の前に浮かぶ姿は、薄く揺らいでいた。

 自分の眼の前で消えて行った身体は、もう現世うつしよでは存在しないのだろうと思った。


 もう触れる事も出来ない、陽炎のような姿を、眼に焼き付ける。

 喉がひくりと引き攣った。


「……采希、お前の身体は……」

能力ちからの器としては不十分だったみたいだな。もう限界だった』

「……」

『大聖とかいう高次の存在ですら予測できないほど、この地の気は澱み、歪んでいたらしい。さっき大神さまに俺の力は全て預けた。急激に良くはならないけど、ゆっくりと地に巡らされるはずだ。――あきら、悪いけど後は任せていいか?』


 それがどういう意味なのかは、聞き返さずとも理解できる。

 自分に替わり、役目を引き継いでくれた。だが、この地の気脈は簡単には修復できない。

 修復しても気脈は穢れ、削がれていく。状態を保持するのは困難を極めるだろうと思われた。

 采希が最期の力で取り戻してくれたこの地の気脈を護る。

 自分に託されたその願いを、受け止めたいと思った。


 采希の姿が消えて行く前にしっかりと目に焼き付けておこう、そう思うのに、視界はじんわりと歪んでいく。

 どうすればいいのか分からなかった。

 どんな手を使っても引き留めたいのに、もう反魂の術も届かない。


「…………采希、私にはひとつ、分かった事があるんだ」

『……』

「幼い頃、私はお前を先見の夢で見た。自分と同じような力を持つお前を見つけて、とても嬉しかった。なのに、私はお前の事を忘れた。あの山の祠で出会っても、思い出さなかった。先見の夢を忘れるはずはないのに」


 巫女は真っすぐ顔を上げる。

 口元が意思に反して歪みそうになるのを必死に堪える。


「先見の力が戻って真っ先に思い出したのは、力を失った直後に見た夢だった。お前と一緒に怨霊を封じる夢だ。そして、幼い頃に見たお前を思い出した。白虎を従え、高次元の気を纏った神の力を宿す器。過剰なほどの力を帯びたその身体は、大人になるまではこの世に留まれないと、そう感じたことも思い出したんだ」

『……だったら、俺がここまで育った時点で先見の予言は外れていたってことか』

「そういう事になるな。お前に関してだけ、先見の予言は揺らぐ。それはもしかしたら、お前の運命は――」


 状況に応じて流動するのかもしれない。

 お前を護るために。

 だからお前には先見の力がうまく届かないんだろう。


 巫女の言葉は途切れる。

 もう、采希の姿はなかった。



 * * * * * *



 ぐったりしながら凱斗が本部に戻ると事務部門の女性から、黎の執務室に向かうように、とのカイからの伝言を伝えられた。

 ちょっとは休ませてくれ、と言いたい気持ちを抑え、エレベーターに乗って最上階へと向かった。

 扉を開けると、その場にいたカイ、シン、巫女と那岐の、四人の視線が自分に向けられる。


「凱斗、早速で悪いが、依頼者の孫は最近、旅行に行っていなかったか?」

「はい、そうらしいです」

「行先は?」

「離島を巡るツアーとしか、家族には言っていなかったそうです」

「離島……シン」

「はい、ビンゴ。多分このツアーだね。憑依された人たちが旅行に行っていた時期に開催されている」


 既に削除されたSNSの記事まで拾い出した一覧を、シンが指し示す。

 『離島に来ています』などの文章が添えられた写真の中に、今回依頼のあった顔ぶれが見られる。


「イベントとして募集した形跡は見つからない。直接声を掛けて集めたんだろうね」

「だとしたら、何処かに集められて誘われたのか?」

「そうとは限らないよ。一人ずつ面談して誘った可能性もある」

「一人ずつか?」

「離島ツアーとやらの他に、彼らが共通して通っていた場所がある」


 PCから手を離し、シンは両腕を組む。

 カイが一枚の紙をテーブルの中央に置いた。

 古い小さなビルの外観と、どこかの事務所のような鉄製のドアの写真がプリントされていた。


「外観では分からないようにしてあるが、内部はかなり凝った内装になっているそうだ」

「ここは、何の事務所なんだ?」

「事務所じゃない……占いをする所だそうだ」

「占い?」


 巫女は示されたドアの写真を見つめる。

 武骨な少し錆びたドアには、なんの表示もない。


「ネットでも宣伝はしていない。それどころか、顧客にはSNSにアップする事を禁じているらしい」

「それでどうやって顧客を集めるんだ?」

「口コミと、街で声を掛けること」

「……は?」


 凱斗が訝し気な顔になる。

 口コミはまだしも、街で客引きなど、効果はあるのかと思った。

 巫女の眉がぴくりと動く。


「……なるほど」

「あきらちゃん、何で納得してんの? 街で声掛けられて占いに誘うとか、そんな古い手で今どき釣れないだろ?」

「そうでもない。その人を『視て』、本当のことを指摘してやればいい」

「……?」

「見ず知らずの人から自分の悩みなんかを指摘されたら、凱斗ならどう思う?」

「……何だこいつ、気持ち悪いな、かな」

「中にはそう思う者もいるだろう。だけど指摘されて、畳み掛けるように同意されたり解決策を匂わされたら?」

「……」

「そうやって、その人が望む答え・・・・を与えてやれば何人かは釣れる」


 不快そうに中空を睨み、巫女は片頬を膨らませた。

 そんなに簡単に相手の秘密が分かれば苦労はしない、と声に出し掛けて、凱斗の頭に白衣の元ギタリストが浮かんだ。


「まさか、サトリの能力者がいる?」

「そう簡単にサトリを見つけることは出来ない。精神感応者テレパスだろうな」

「……そんなに大勢いるのか?」

「いや、多分だが後付けの能力だろう。采希や那岐、うちにいるような連中は普通に考えたら化け物クラスだ」


 その化け物の中に自分は入っていないだろうと反射的に考えた凱斗は、巫女に首を傾げてみせる。


「後付けで能力を付与できるのか?」

「可能だ。だがお前は望むなよ、凱斗」

「何で?」

「怪しげな霊体や動物を憑依させられたくはないだろう?」


 思わず身体を引いて息を飲んだ。

 巫女が憑依というのであれば、それは邪霊や低俗な霊なのだろうことが窺えた。

 自ら望んだのか、誰かに手を加えられたのか。

 どちらにしても碌な占い師ではないだろうと思った。


 ふと凱斗は、さっき会ったばかりの依頼者の後ろに座っていた依頼者の孫娘を思い出した。

 何かの動物霊に憑かれたような焦点の合わない目や、小さく痙攣を繰り返す身体。

 常に両脇に立った屋敷の使用人らしき二人が支えていなければ、ソファーに座っていることすら困難に見えた。


(あの娘も憑依させられていた。……まさか――)




「どの程度の組織なのかが問題だな」


 カイとシンが頷き合う。


「実際に占ってもらったっていう人は、事務所の中には占い師が一人でいたって。他に人の気配はなかったらしいよ」

「ヒトは、かもな」

「……柊耶くんに確認してもらおうか」


 隠密行動を得意とする柊耶だが、柊耶の眼は霊体や気を確認できない。

 人ではない者が相手だった場合、邪霊や神霊にも避けられるような柊耶の存在に過敏に反応する可能性があり、巫女はそっと首を振った。


「邪霊が絡んでいるなら、柊耶さんだと逆に感知されてしまう。――那岐、行けるか? 陽那を連れて行け」

「了解。カイさん、陽那さんを借りられますか?」

「いいぞ。今日はまだ来ていないけど……連絡しておく。途中で拾って行ってくれ」


 頷いて立ち上がった那岐に向かって、凱斗が手を上げた。

 全員の視線が凱斗に集まる。


「……あのさ、今回依頼のあった人達って、みんな同じような状態って言ってたよね?」


 カイが頷くと、凱斗はゆっくりと巫女に視線を移した。


「その人達って、もしかして失敗作なんじゃないかなって思ったんだけど」

「…………凱斗、詳しく」


 巫女の強い視線に、一瞬戸惑う。

 すっと息を吸い込んで、凱斗は考えていた事を口に出した。


「采希が榛冴に神霊を降ろす時、実はそう簡単には出来ていなかったって、最近になって那岐から聞いていたんだ」


 確認するような凱斗の視線に、那岐は静かに座り直した。


「うん、神様を呼んでいるのに、結構周りに雑多な霊が引き寄せられて来ていたよ。その度に僕と兄さんで榛冴をガードするように他の霊には退いてもらってた」

「采希ですらそうなんだし、幽霊屋敷でも呼び出されて帰されていない霊が溢れていた。――だったらさ、今回の占い師たちも、自分が何を憑依させたのか分かっていないんじゃないかと思ったんだ」


 しんと周囲の気配が静まる。

 凱斗は痛い程の巫女の視線を真っすぐに受け止める。


「手当たり次第に呼び出して、憑依させる。その中で使えそうな人を残して……そうして手を広げていったんじゃないかって、そんな気がしたんだ」

「根拠は?」

「ないよ。ただ、采希や那岐みたいな化け物がそうそう居るとは思えない。だったら低級霊を呼んでしまう確率の方が高いと思う。ちなみに俺が会った依頼者の所の女性は、多分野孤が入っている」

「……視えたのか?」

「那岐を通してあきらちゃんの力が一瞬だけ彼女の障壁を破っただろ? あの時にちらっとな。まだ身体に完全に馴染んでいないみたいだったから、障壁がなければ俺でも剥がせそうな感じだった」


 凱斗がそう判断したのなら、憑依しているのは大した霊ではないのだろう、と巫女は思った。

 自分と那岐が訪れた先の主人には、式神を通して力の弱い蛇の気配を確認している。


 凱斗の予想が当たっているとしたら、低級霊に憑依されている者が量産されていることになる。


「……カイさん、黎さんと柊耶さんに経過説明をしながら、榛冴を戻してもらってくれ。那岐、陽那だけではなく榛冴も同行させろ。凱斗、疲れているだろうが、一緒に来てくれ」


 巫女の声に、全員が一斉に立ち上がった。



 * * * * * *



「那岐兄さん、もうすぐ目的のビルに着くけど。少し離れて停める?」

「うん、この先に駐車場があるから」

「……すぐに逃げられるようにしたいんだけど。コンビニでもいい?」

「大丈夫、襲われて逃げ切れなさそうな気配はしないから」


 あっさりと言われ、榛冴は大仰に息を吐く。

 そんな大物がいたら、流石に自分も気付くだろうし、例え大物ではなくとも接触したくはない。


「那岐さん、どうして私が連れて来られたんでしょう? 役に立てることがあるんでしょうか?」

「陽那さんは、僕らの周囲に攪乱の呪を纏わせてほしいんだ。僕はここから意識だけを飛ばすから、万が一見つかっても、相手が追って来られないようにしてほしい」


 攪乱の呪は瀧夜叉姫の呪術で、認識阻害の結界より強力だと巫女から聞いていた。

 陽那を連れて行くように巫女に指示されたのはそういう事だろうと那岐は思っていた。


「分かりました。あくまでも念のため、なんですよね?」

「そう。降霊もまともに出来ない術師に探知されるつもりはないからね。――じゃあ、行ってきます」


 そう告げると、那岐は眼を閉じた。

 ゆっくりとシートに沈む那岐の身体に手を伸ばし掛け、陽那は手を下ろす。

 運転席から振り返る榛冴に笑ってみせると、陽那は祈るように両手を合わせて眼を閉じる。自分の周囲から徐々に広げるように呪を紡ぎ出した。




(見た目は普通の雑居ビルの一室。内部は水晶やパワーストーン、いかにもスピ系の装飾にアロマが焚かれている。占い師が一人と相談者。他に気配は……)


 那岐の眼が室内を忙しなく見ていると、榛冴の声が聴こえた。


(那岐兄さん、部屋の窓の両側に置いてある水晶クラスターもどきと、黒曜石もどきの球体。その中を視て)


 榛冴の言葉に従って視線を移すと、確かにその二つから妙な違和感を感じた。

 榛冴が指摘したように、その二つは半貴石いしではなく硝子で出来ている。

 意識を凝らすとそれぞれの内部に蠢く濃い瘴気が確認できた。他にも室内にある本物の半貴石パワーストーンも不穏な光を湛えている。

 その気配を記憶し、那岐は自分の身体へと意識を戻す。


「陽那さん、呪の解除を…………いや、このままで! 榛冴、ごめん、見つかった!」


 ヒトの物ではない『視線』が、那岐の後を追って来た。

 榛冴が慌ててエンジンを始動させる。

 那岐の視線は、さっきまで自分の意識を留めていたビルの窓から、するりと抜け出す気配を見つめていた。

 半透明なその気配の真ん中辺りに、濁った目のような物が浮かび上がる。

 半透明な物体が少し脹れ、小さな目玉を大量に吐き出す。


「……侵入者を捜そうとしてる?」

「そうみたいだね。榛冴、ちょっと動かないでいて」


 陽那の呪が緩く車体の周囲を巡る。

 その内側に、那岐は気配を遮断するように結界を張った。

 ビルから流れてきた小さな目玉に、車が取り囲まれる。

 陽那はぎゅっと眼を閉じ、榛冴はハンドルに顔を伏せた。


(ヤバい、結界が効かない。この眼、人の眼じゃないのか?)


 気を放つために身構えた那岐の視界が、強い光に包まれた。

 いくつもの金切り声が響き、目玉たちが溶けるように消えて行く。


 光のなかに見慣れたシルエットが浮かび上がった。


「――! 黎さん!」

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