第106話 助力と覚悟

 眼下に広がるいくつもの建物の中央に、高い尖塔を持ったどこかの大聖堂のような神殿がそびえている。

 広大な土地はぐるりと高く厚い塀に囲まれていて、容易に侵入を許さないように各所に監視カメラが設置されていた。


「さすがに空からの侵入には警戒していないよなぁ」


 呑気そうに呟いて見降ろした凱斗の背中から、大きな溜息が聞こえてくる。


「……凱斗兄さん、そんな訳ないでしょ。ついさっき、こいつらの造った防護壁を越えた。そろそろ来ると思うよ」


 榛冴の呆れたような声が終わらないうちに、黎が見つめていた中央の神殿から、武装した数人が駆け出して来た。

 少し遅れて周囲の建物からも武装集団が現れる。

 嬉しそうに笑う柊耶を、黎がちらりと見た。朱雀の先頭に跨がった采希の背に声を掛ける。


「……采希、どうする? 俺は真っすぐに邪神降伏に向かうべきだと思うがな。――柊耶と那岐、うずうずするのはやめろ。凱斗もだ、嬉しそうにするんじゃない」


 黎の声を聞きながら采希は笑う。自分の中でも、琉斗が落ち着かない気配を隠そうとすらしていないのを感じていた。

 神殿の一番高い尖塔を中心にゆっくりと朱雀を旋回させながら、采希は神殿の内部を確認するように視線を巡らせた。



 * * * * * *



「相手は邪神が少なくとも三体、それと何百人いるか分からない信者の中の能力者だな」


 朔の本部、黎の執務室で卓を囲んだ顔を見渡す。

 溜息と共に吐き出されたカイの言葉に、シンも大きく頷いた。


「その信者の中に戦闘要員がどれだけいるかだけど。琉斗くんを攫った時の様子からだとかなりの数はいそうだよね」

「向こうの国内だけじゃなく、他の国の信者の中からもかき集めそうだな。采希の脅しが効いていればだけど」

「……僕なら自分を護るための要員を必死に集めるね。その場に居ない采希くんから、あれだけの力を見せつけられたんだ。警戒しないはずがない」

「もしも本人が来たら――相当に怯えそうだなぁ」


 カイとシンの会話を苦笑しながら聞いていた采希は、考え込んだ黎の顔を覗き込む。


「黎さんなら、どっちから片付けます?」

「……信者を相手にしている間に邪神の呪いで狙われたら、両方を相手にするのは難しいだろうな」

「じゃあ先に邪神を倒す?」


 那岐が柊耶を見ながら尋ねる。

 神様の呪が効かない柊耶と、邪気を跳ね除ける凱斗がいれば、邪神へも対抗できるのではないかと思っていた。


「……それがいいんだろうけどな……邪神は同じ建物内にいるが、距離的にはそれぞれかなり離れている。柊耶の効果はあくまでも本人が呪の影響を受けないって事だからな、柊耶に接触していない周囲の人間には攻撃が効く。凱斗も間接的な物理攻撃は効くんだろ?」

「そうですね。三体を一気に攻撃するには二人ずつに分ける必要があるし、ちょっとそれは厳しそうですね」


 采希の言葉に、榛冴が慌てて黎の執務室の中にいる顔を見渡した。

 カイとシンは同行しない。残るは黎、柊耶、采希、凱斗、那岐、そして榛冴だ。

 采希が二人ずつ、と言ったメンバーに自分も入っていると気付いて頬を歪ませた。


「……采希兄さん、僕には――」

「あー……うん、分かった」


 僅かに視線を逸らした采希が、榛冴に笑ってみせる。

 榛冴は思わず俯いた。

 采希に対して申し訳ないと思うとともに、自分が情けなく思えて唇を噛みしめた。


(僕には、力が足りていない。攻撃できる眷属を連れていないから、だから……)


 言い訳を考える自分に嫌気がさした。喉の奥が詰まったように感じ、采希と話す黎の声が遠くに聞こえる気がした。


「防護壁を展開しつつ、一体ずつ落とすのがいいと思うよ。これが最適解じゃないかもしれないけど」


 シンが何処からか手に入れて来た神殿の画像を指しながら続ける。


「神殿の中央、正面から入って最奥、劇場のようなホールの手前に一体。そして神殿の両翼の建物に一体ずつ、計三体の邪神像があるらしい。大きいのはその三体で、他にも何体かの像が置かれている。それら全てに邪霊を降ろしているとは考えたくないけど」

「……入ってますね」

「采希、画像を見ただけで分かるのか?」

「いや、あの『眼』を追って意識を飛ばした時ですね。単体で物凄く強いのが一体、あとかなり強いのが二体いました。他にも気配がしたので、それぞれ像の中に封じられているのかもしれないと思ったんです」

「なるほどな」


 もう少し時間があれば、とカイは眉を寄せる。

 そうすれば神殿内部の見取り図を手に入れられただろう、と思った。


 おそらく采希による精神的な打撃が効いているはず。ならば奴らが対応策を取る隙を与えずに叩いておきたい、というのが采希たちの意見だった。

 相手の武力も、能力者の数も分からない。

 それでは半ば賭けのようなものだ、カイと黎はそう反論したが、柊耶の『余所から集める猶予を与えるの?』という一言で渋々頷く事となった。


「四神の方陣の有効範囲は?」

「この神殿を抑えるのであれば、可能です。ただ、俺が感じた邪神の気配を抑えるとなると、力を開放させることになると思うので……」


 黎の質問に采希が答えると、那岐と凱斗が渋い表情になる。

 本来、天の守護を司る四神の力を地上で開放するのは、人である身にとって大きな負担となる。それは異界で膨れ上がった邪気との闘いで実感していた。

 あの邪気一つ消し去るのに、凱斗以外の四人が力を使い果たしている。

 黎と柊耶がいるとはいえ、何体もの邪神を相手に自分たちの力が及ぶのだろうか、と凱斗と那岐は不安に思った。


「四神の方陣を起動させなければどうなる?」

「向こうの術者がどう動くかにもよりますが……おそらく力が開放された状態の邪神と対峙することになりますね。ただその場合、四神と炎駒も攻撃に加わりますので、お互い全力で殴り合うような感じになりそうですね」

「俺は、それでいいと思う」


 采希の言葉に渋面を作るカイに、凱斗がはっきりと告げた。


「凱斗?」

「四神の方陣があれば邪神の力はかなり抑えられるだろうけど、俺たちの力も酷く消耗するんだ。だったら最初から全力で殴り合いする方がマシだと思う。それに――」


 ゆっくりと凱斗が采希の姿を纏う双子の弟の身体に視線を送る。


「采希、ちょっと外に、いいか?」


 黙って立ち上がった采希は、凱斗の後に続いて黎の執務室を出る。

 不安そうに采希を追う那岐の視線に、僅かに口角を上げてみせた。




 凱斗が無造作に開けたドアの先には、もう一つのドアがあった。ノックすると、中から返事が返ってくる。


「シュウさん、すみません、お邪魔します」


 振り返った白衣の脇を素早く通り抜け、横たわったままの采希の身体をそっと覗き込んだ。


「中身がない状態でも、この身体は生きているって言えるのかな」

「脳波に異常はなく、心臓も動いている。生きている状態で間違いないぞ。――采希、気分はどうだ?」


 琉斗の身体に向かってシュウがいつもの笑顔で尋ねた。


「問題ありません。琉斗には不便を強いているとは思いますが」

「そうか。この身体の事は心配いらないぞ。――悪かったな、黎や柊耶が無理に……」

「いいえ、俺の事を気遣ってしてくれた事だと琴音さまから聞いていますし、大神さまもいい判断だと仰っていましたから」

「その大神さまだけどな、采希」


 凱斗が一瞬だけシュウを見て、口を閉じる。

 視線に気付いたシュウが部屋を出る様子をみせると、凱斗は手を上げて制した。

 怪訝そうな顔のまま、シュウは傍にあった椅子に腰かける。


「大神さまの助力を受ける代償は、采希――お前自身なんじゃないのか?」


 凍り付いたようなシュウの視線が采希に向けられる。

 揺るぎもせず、采希は凱斗の視線を受け止めた。


「そう。よく分かったな、凱斗」

「……お前な、それだったら俺が大神さまの手を借りるのに賛成する訳ないって、分かってるだろ」

「助力の対価は、俺があきらに代わって大神さまの手伝いをすることだ。もっとも、その時にはあきらをこちら側に取り戻させてもらうけどな」

「……それは、あきらちゃんの代わりにお前があの『場』に囚われるってことか?」

「いや、あくまでも力を差し出すってことだ。俺があの『場』に居てもあきらのように力を供給し続ける事は出来ないから」


 顎を引き、凱斗は采希を睨みつける。


「どう言う意味だ?」

「俺の身体に、もうそんなに時間は残されていない」


 覚悟を決めて丹田に力を入れていたはずなのに、凱斗の視界は大きく揺らぐ。

 耳鳴りと共に自分の視界が急激に狭くなったように感じた。

 倒れる――そう思った。四肢からも力が抜けていく。

 それでも凱斗の身体は強張ったまま立っていた。


 ゆっくりと深呼吸を繰り返す。痺れたような身体に酸素を送り込む。

 眉を寄せて口元を歪ませているシュウが何かを呟いた。


「……シュウさん?」

「検査数値に問題は見つからない。ただ……柊耶は、その正常な数値も采希の力で保たれているんじゃないかと、そう言っていた」

「…………」


 俯いたシュウに、どう返したらいいのか分からなかった。

 采希が僅かに目を伏せる。


「凱斗、本来なら俺の身体は、内包した力に耐えられずに子供の頃に消滅していた可能性が高いらしい」

「じゃあ、何で今まで……」

「あきらの封印と柊耶さんの暗示だよ。そのおかげで俺の身体はここまで生きている」

「…………」

「俺の身体はな、凱斗、強大な『気』の器なんだと思う」


 凱斗の口の中に、鉄の味が広がる。いつの間にか凱斗は口の中を噛みしめていた。


「この地の気脈を整えるために存在するのが黎さんの一族、朔の一族だ。それでも足りなかった時のために産まれるのが巫女、霊能力はないけど先見の力を持つ。一族の力を効率的に導き、一族の者に力を分け与えてその生を終える。ただ――」


 淡々と話す采希の声が遠くに聞こえるような気がした。


「著しく気脈が損なわれた場合、先見の力と霊能力の両方を具えた巫女が現れる」

「…………あきらちゃんの、ことか?」

「そう。その巫女は、一族に力を与えるだけじゃなくて、自らも気脈を整えるために地に力を供給する。そして他の巫女のように力尽きてしまう前に、大きな力を一気に大神さまに捧げるんだ。だから、『の巫女』と呼ばれている」

「……他の巫女は徐々に弱って?」

「うん」

「あきらちゃんはその力も命も一気に奪われてしまうってことか? 力が大きいから?」

「そうだな」

「そんなの……」


 喉に何か固い物が詰まったような気がした。吐き気がこみ上げてくる。

 怒りたいのか泣きたいのか分からないまま、凱斗は口元を覆った。

 どうして巫女が命を捧げなければならないのか、凱斗には理解できなかった。


「それでもいずれ足りなくなる時が来る。人間が気を穢し、邪気を好む輩が気を喰らい続ける限りはな」

「浄化が追い付かなくなるのか?」

「そう。どんなに補給してもじわじわと目減りするらしい」

「人間の、せいで?」

「うん。朔の初代さまは俺たちの祖先を依り代に、力のある高次の存在からその危険を告げられた。上代――その頃は神代と名乗っていたらしいうちの祖先は、今後産まれてくる自分の子孫の力を対価に、大聖と呼ばれる高次の存在の依り代となった。うちが女系になったのはそのせいなんじゃないかと思う」


 采希の声が遠くに聞こえるようだった。采希ではない他の誰かの切ない思いに触れた気がした。


「いつかどうしようもなく気脈が欠乏する時がくる。そう憂う初代さまに、うちのご先祖さまが申し出た。『来たる世で足りなくなる力を受けられるよう、少しずつ子孫の身体を変えることは出来ないか。自分の子孫であれば何代か掛けて力の器にしてもらっても構わない』その申し出に初代さまは迷われたけど、大聖の同意で盟約が結ばれた」

「その器が、お前なんだな?」

「巫女が生まれるのが分かった時、大神さまは驚かれたそうだ。初代当主並みの霊能力に加えた先見の力。過去の巫女の中には自分の定めに絶望して自らを失った者や暴走した者も少なからず存在した。これほどの力が制御を失えばどうなるのか、って」


 静かに紡がれる采希の声に、絶望の色は見られない。


「その不安を受け、この地の【意思】が力の器として母親の胎内に宿った俺に目を付けた。高次の気を纏った身体に、更に力を与えた。その器では溢れてしまうだけの力を。そうして産まれたのが、高次の気に包まれた器でも耐え切れない力を持った化け物、ってことらしい」


 凱斗の顔が采希から一瞬逸らされ、睨みつけるように采希の方へと戻される。

 白くなるほど握られた拳は小刻みに震えていた。


「それって、大神さまやガイア、大聖とかいう連中の勝手な思惑でお前の身体が使われたってことじゃないのか? そんなの、納得できるはずがないだろ。従う必要なんてない!」


 強い口調で言い切る凱斗に、采希は穏やかに笑ってみせる。


「高次元に存在するような力を纏っているのに、その身体は耐えられないってのか? 俺たちよりも波動が高いってことなんじゃないのか?」

「高次元にいる存在は、俺たちのいるこの次元に存在することができないらしい。眼に見えるようにするだけでも膨大なエネルギーが必要なんだと。高次の存在であればあるほど、大変らしいぞ」

「…………だったら、お前の身体にそんな細工をしなきゃ良かったってことなんじゃないのか?」


 凱斗の責めるような声に、采希は力無く笑ってみせる。


「そうなのかもな」

「どうしてお前たちがそんな目に――いくら神様だからってそんな理不尽な事があっていいのか?!」

「理不尽に命を奪われることは人間同士の方が多いだろ。それに大丈夫、俺は与えられた力を返すだけだ」

「…………」

「うまく言えないけどな、凱斗。動物とか、植物とか、今この世に存在するうちのどれだけが品種改良されていると思う? 神霊クラスからしたら、よかれと思った改良なんじゃないかと俺は思ってる」

「……改良……」


 そういう問題ではないだろう、と叫び掛けた凱斗の中で、ふと引っ掛かった。

 こんな時、誰よりも先に食って掛かるはずの、自分の片割れの気配がない。

 無意識に見開いた視界が炎駒の力でかちりと切り替わった。


 采希の姿を纏った双子の弟の身体。その奥に膝を抱えて蹲るような弟の気配が視えた。


(……琉斗)

(兄貴、俺では采希を説得できない。あきらにさえ、止められなかったんだ)

(…………マジかよ。采希は具体的に何をする気なんだ?)

(自分の力を全て開放して、あきらの代わりに自分の力を大神さまに捧げ、あきらをあの『場』から連れ戻す。俺が聞いたのはそれだけだ。ただ――)

(……なんだ?)

(おそらくそれで自分の力は尽きると……采希はそう覚悟していた)


 そうか、と凱斗は思った。

 琉斗が説得を諦めてしまう程に采希の決意は固かったらしい。

 自分の身体が酷く重くなったような気がした。

 立っていられないかも、と思った凱斗の身体は、思わぬ力で支えられる。

 いつの間にか、自分の背後に柊耶が立っていた。


「……柊耶さん」

「その様子だと、琉斗くんから聞かされた?」

「…………はい」


 少し困ったように見える采希の顔は、それでも穏やかに微笑んでいた。

 ふと肩に乗せられた柊耶の手に力がこもる。


《どうにかして采希くんを護れないか、僕と黎くんがぎりぎりまで考えるから》


 脳裏に届いた声は、感応が使えないはずの柊耶の、必死の叫びに聞こえた。

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