第105話 守護の対価
カイは呆然と窓の外に浮かんだ物を見ていた。
自分に視る力はない。――そのはずだった。
隣に並んだシンからも息を飲む気配が伝わり、彼にも視えているのだろうと思った。
そっと
柊耶が
以前は自分たちと一緒に結界の中にいた
「この気配……
「そうですね。でもあいつらに言わせると、自分たちが信仰しているのは悪魔ではないそうですよ」
「悪魔じゃないなら何なんだ」
「神よりも強大な力を持った偉大な存在、らしいです」
「それは、何だ?」
「さあ? 意外とそれは、
「……自分たちは偉大な存在だと思ってるってことか?」
「少なくとも、あの連中の一番中枢に居る奴はそう思っているようですね」
「教祖か。悪魔信仰と見せかけて、真の神は自分だと思ってるってことか。――虫唾が走るな」
苦々し気に吐き出す
「教祖に限らず、その宗教のトップに立つ人の中には、本当に神仏にその身を捧げる覚悟の方もいるでしょうね。でも神の存在を
庭先に浮かんだ『眼』は誰を見るともなく視線を
采希と那岐がいて、この家に結界が張られていないことは有り得なかった。
全力でこの場所を特定したものの、結界の中を窺い知ることは出来ないのだろうと黎は思った。だからこそ、こいつの視線は
いつの間にか、琉斗の身体が采希の姿に変わっていた。
琉斗の身体を采希の気が覆い、自分の姿に視えるようにしたのだろうと黎は気付いた。土蜘蛛の催眠術師が使った技の上位の術だろう。
その采希が榛冴を振り返る。
「那岐、榛冴、あの眼に
那岐と榛冴が同時に目線を移動させた。
全く同じように遠くに視線を固定する様子を見て、采希は満足そうに微笑む。
「間違いないみたいだな。黎さん、ちょっと手伝ってもらっていいですか?」
「ああ」
そう応えた途端に、黎の視界が切り替わった。
声に出していない采希の意思に呼応するように、自分の力が引き出される。
黎には見慣れた、八咫烏の眼が捉える景色。
遥か上空から急降下する八咫烏の眼は、広大な敷地に建てられた数棟の建造物の中心、神殿のような建物の一角へと吸い込まれる。
座り込んだ者たちが作る二重の円陣の中心に降り立った黎の意識は、彼らの驚愕の視線を一身に受けたように感じた。
視界に自分の物ではない右腕が見える。
ゆっくりと払われた腕は、周囲にいた術師たちを次々と昏倒させていった。
視界の端で豪奢な衣装に身を包んだ人物が立ち上がるのが見えた。飾り立てた椅子の両脇にはぞろりと長い衣装を身に付けた者たちが並んでいる。
そこから躊躇なく放たれた
(……結界か?)
反射的に考えた黎は、自分の意識が乗った身体が嬉しそうに笑ったように感じた。
吸い込まれた息がふっと吐き出されたその時、きぃん、と金属音を響かせ、男たちの前から結界が消失した。
驚愕の表情を浮かべながら男たちは豪奢な衣装の男の前に立ち塞がろうと動き出す。
一瞬でなぎ倒されたお付きの者たちを呆然と見渡し、豪奢な衣装の男は汗まみれになりながらこちらを見た。
自分が手出ししようとした相手の力を見誤っていた事にようやく気付いたらしい。
男の視線の先にいるのは、まだ若造といっても差し支えないような青年だった。
少し女性的にも見えるその顔は、いつか垣間見た巫女と同じように不敵に笑っていた。
《懲りずに手を出すとは、見上げた根性だな。――覗き見された程度だし、今回は『眼』を奪うだけで勘弁してやるよ》
そう言い残し、青年の姿は消えた。
* * * * * *
「いっそ壊滅させてしまえば良かったんじゃないのか?」
那岐と榛冴を通じて一連の映像を見せられた凱斗は、憮然とした顔で呟いた。
広大な土地に建てられた施設だけでも、どれだけの資金が使われているのか分からない程だった。
どんな方法で集めた金かは知らないが、こちらの様子を窺うだけで二十人程の能力者を使っている。
その程度の力で、頼って来た人々からどれだけの報酬を受け取っているのだろうと考え、凱斗には怒りがこみ上げて来た。
「とりあえず、遠見が出来る能力者は潰した。大した力じゃなかったけどな、それでもかなりの痛手だと思うぞ」
どう見ても采希にしか見えない双子の弟の身体を前に、凱斗は微妙な表情で口元を歪める。
相手は巫女を陥れ、琉斗を拉致しようとした集団の中心だ。なのに何故、采希はこの程度で手を引いたのだろう、と凱斗は不審に思っていた。
自分ならここぞとばかりに暴れ、叩き潰すのに躊躇はない。
そんな思いを見透かすように、祖母が凱斗を見てゆっくりと首を横に振った。
納得していない顔の凱斗に、采希は少し眼を伏せながら続けた。
「ただ潰すのは簡単だけど。金儲けのためじゃなく、本当に信心深い者もいると思う。そんな人まで路頭に迷わせるのは得策じゃないだろうと思ってな」
「建物だけでも全部ぶっ潰しちまえば――」
「そうすると、また復旧させるために更に搾取が始まる」
「……あいつらの頭がいなくなれば――」
「そしたら別の似たような奴が取って代わるだけだ」
誰が金儲けのために動き、誰が信心のために努力しているか、見た目には判断ができない。
だから采希が躊躇した、というのは凱斗にも理解できる。
凱斗の頭では理解していても、心では納得できなかった。
無駄と思いつつ、朔の当主に眼を向ける。
黎は腕組みをしたまま眼を閉じている。眉間には深い皺ができていた。
「采希くんは、どうしたいと思ってる?」
ソファーに寄り掛かる黎の背後に立った柊耶が、背もたれに手を掛けながら采希を覗き込んだ。
「無力化して金の流れを止める。今ある資産も全て吐き出させて、二度と組織として活動できないようにしたい」
「大々的に奴らの本拠地を潰してからでもそれは出来るんじゃない?」
「……そうですね。だけど、あの神殿、ちょっと厄介なんですよ」
「厄介?」
怪訝そうな柊耶の声に、黎が組んでいた腕を解いて眼を開けた。
「ああ。あのまま神殿部分を壊していたら、開放されただろうな」
「……何が?」
恐る恐る黎に聞き返す凱斗の隣で、那岐と榛冴が『やっぱり……』というように小さく息を吐いた。
「強い呪いの力を持った神霊が降ろされている」
采希の意識と共に現地に跳んだ八咫烏の眼を通し、黎にもはっきりと認識された。
古より人々が邪神と恐れ、崇めていた存在。
様々な名で呼ばれるそれらの神々が、少なくとも三体、あの神殿の中に配置されていた。
八咫烏の眼を以てしても、その正体ははっきりしない。
采希と意識を
凱斗はそっと自分の左手に乗せられた榛冴の手から、情報が流れ込んでくるのを呆然としながら確認していた。
どろどろと渦巻くような邪気の気配。
それは先日出会った、古の時代から蓄積され膨れ上がった邪気とは、比べ物にならない程の濃度で渦巻いているように視えた。
そんな気配が、視える範囲で三つ。
黎に向かって発する声が震えるのを凱斗は自覚する。
「もし神殿を壊していたら、これが市中に開放されてたってこと?」
「そうだな。邪神を制御できるようにと、神殿の中にかなりの能力者が作った方陣のような物が配置されている。下手に手を出したら、俺たちに向かってくるならまだしも――おそらくは野に放たれる事になるだろうな」
ずっとダイニングで『眼』も『感応』も持たないカイとシン、そして母親たちに説明していた那岐が、采希の隣に戻って来た。
「黎、うちの総力でも無理、って認識で間違いないか?」
「ああ、全く歯が立たない。あいつらに邪神が手を貸している限りはな」
「それがなければ?」
「うちの方が上だ」
「黎さん、その『総力』に采希兄さんや僕たちは入ってるの?」
那岐の問いに、黎はにやりと笑ってみせる。
「采希が加入する前の、うちの組織なら、無理だ」
「だったら――」
「ああ。お前たちだけだったら邪神相手にぎりぎり届くだろうな。だが『眼』を潰してもあいつらにはまだ他の能力者が大勢いると思われる」
「僕らに、黎さんと柊耶さんが加わったら?」
「…………行けるだろう。それでも五分五分だろうが」
那岐と同時に、凱斗と榛冴が身を乗り出す。
それを制するように、采希はすっと右手を凱斗に向けた。
「対抗できると仮定しても、確実に勝てる訳じゃない。万全の状態で、しかも敵地に到達できれば、可能性はあるかもしれないけど」
「……到達?」
凱斗の顔が微妙に歪む。カイとシンの顔にも同様の疑問が浮かんでいた。
「気付かなかったのか? あの場所は日本じゃない」
やっぱり、という表情を見せたのは、那岐と榛冴だった。
カイが少し迷うように黎と采希の方を見た。
「国外で、しかも複数を連れて――跳べるか?」
何となく全員の視線が交差した。
「俺は、跳べない」
「僕もだよ」
「僕も跳べないねぇ」
凱斗と榛冴、そして柊耶が沈んだ声で答える。
そんな事は分かっている、と言うようにカイが苦笑した。
那岐は難しい顔で首を傾げている。
黎は黙って采希を促すように見つめた。
「あー……何も無理に転移する必要はないでしょうね。それで力を使い果たしたら元も子もない」
「それでもお前なら余力がありそうだけどな」
探るように告げるカイに、采希は小さく首を振る。
「琉斗の身体を借りていても、俺自身の力が大きくなる訳じゃないです。跳んだ途端に力尽きて、琉斗の身体が無防備になってしまう可能性もある。青龍の力は無条件に琉斗の身体を護ってくれるものではないので」
「……そうか」
「方法はありますけどね」
「……?」
「朱雀に運んでもらう事ができれば、何とかなります」
那岐と榛冴がはっとしたように顔を見合わせた。
異空間にすら移動できる朱雀なら、可能だろうと思った。
「……国外でも、朱雀に力は届くのか?」
「朱雀は土地神などとは違って天の守護ですから、問題ないと思います。ただ――」
采希がほんの少し視線を泳がせた。
黎にはその逡巡の理由が分かった気がした。
「朔の能力者たちは全員残す。本部に置いてカイたちを護らせる。この家は、采希と那岐の結界で充分だろう」
「……采希、俺たちの心配をしていたのか?」
カイの問いに、采希が苦笑した。
「はい。四神たちは多次元同時存在体でも、守護対象の俺たちがいない所ではどこまで力を発揮できるか分かりませんから」
「問題ない。あいつらがこちらに手出しする余裕を与えるつもりはないからな」
「黎さん……」
「それに、他の連中がこれに便乗して襲ってこようが、うちの実働部隊なら防御くらいは出来る」
少し考えるように俯く采希に、ずっと黙っていた織羽が静かに声を掛けた。
「采希、お前の考えているように、大神さまとやらに助力をお願いしなさい。それと――ガイア? 名前からするとこの地の護りのために配置するべきだろうね。私たちはそれで何の心配もないようだよ」
「婆ちゃん、俺は――」
「お前は、お前の思う通りにしなさい。琴音さまにもそう言われたんだろう?」
祖母の言葉に、那岐は何故かぞくりと悪寒を感じた。
その言葉にどんな意味が含まれているのか、額面通りに受け取ってはいけないような、そんな気持ちになった。
自分が兄を止めるべきかもしれないと、理由もなくそう思った。
祖母の兄の意思を肯定するような言葉は、どうしようもない運命に兄の背を押したように思えた。
それでも那岐は動けない。
祖母に向かって強張った笑みを見せる兄を、止めることは出来ないと感じていた。
兄の気配のさらに奥から、怒りを纏った気配が外に出ようとしているのが見えた。
その気配は兄によって即座に抑え込まれる。
(琉斗兄さんが、采希兄さんを止めようとしている。だけど――)
那岐には采希の考えを読むことは出来ない。
大神さまの助力を得る事で何かが起こるのかもしれなくて、それを采希と身体を共有している琉斗は気付いたのだろうと思った。『悪いな、琉斗』そう聞こえたと思った途端、采希の中のもう一つの気配がすっと鎮まった。
神霊に助力を願う。
それにどんな代償が必要なのか、榛冴にも分からなかった。
神霊が対価を求めることはない。それでもヒトは自分に可能な範囲で対価を納めて来た。
要求されないからといって加護に対する対価を納めない、そんな真似は自分にも、そして自分の従兄弟にもできないだろうと思う。
榛冴はそっと首から下げた銀笛を手の中に握り込む。
(綱丸、大神さまの力をお借りするなら、僕らの力をどれだけ捧げればいいと思う?)
小さな眷属からの応えはない。
これまで
自分の力では対価に値しないのだろうと、そう思った。
もっと自分に力があれば。榛冴は、初めてそう思った。
采希が何かを考えている。それは自分の祖母を嘆息させ、双子の弟が怒りを露わにして反対するような事なのだろうと凱斗は思った。
滅多に怒らない琉斗の、怒りを帯びた気配が伝わって来る。
那岐には聞こえている采希と琉斗の会話も、凱斗には聞こえなかった。なのに、琉斗の怒りは伝わってきた。
それは二卵性とはいえ双子だからなのか、琉斗の怒りが大きいせいなのか、凱斗には分からない。
落ち着いた様子の采希が出した答えなら、それは采希にとって最善の選択なのだろう。
それならば采希の意思を尊重したいと、凱斗の頭は考える。そう考えるほどに凱斗の気持ちはざわついた。
(お前に止められないのなら、采希は誰にも止めらんねぇよ)
諦めきれない気持ちを抑え付けながら、凱斗は采希の奥に潜む琉斗の気配に向かって呟いた。
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