第107話 瓦解する幻想
「僕と
神殿の上空を旋回する朱雀。
その背から今にも飛び降りそうな
「……あの人数をか?」
「行けるよね、凱斗兄さん」
「余裕だな」
好戦的に見降ろす凱斗と那岐に、采希の静かな声が掛かる。
「いや、先に邪神を抑えるって話しただろ? あの連中は後回し。お前らが大神さまの助けは要らないって豪語したんだろが」
そう言いながら宙に向けられた采希の左腕の上空に、不穏な黒雲が現れる。
全員が咄嗟に耳を押さえるが、それでも全く防げない轟音が鳴り響いた。
「朱雀、このまま正面に降りてくれ」
衣服の所々から煙を上げ、火傷の見える状態で累々と横たわる武装集団を尻目に、采希たちは神殿の中へと駆け込んだ。
その集団の中央辺りに転がった細長い金属をちらりと見て、
(避雷針まで破壊するほどの雷って、どんなんだよ)
そう思った榛冴に、小さな管狐の気配が届く。
本来であれば雷電を引き寄せる導雷針となるはずのそれは、落雷の直前、采希の力でその根元から引き千切られていたらしい。
管狐からみせられたその光景に、榛冴は再度、深い息を吐いた。
「おー……この圧迫感、邪神ってのは凄いんだなぁ」
呑気そうに言った凱斗の声だったが、微かに語尾が震える。
神殿の大扉を開いた柊耶の背後にいても押し戻されるように感じる程の邪気を向けられた。
「柊耶さんに向かって喧嘩売るって、中々根性のある邪神だよね」
声の震えを抑えて凱斗が柊耶の横に並ぶと、柊耶が笑みを向けて来た。
「邪神の意思ではなく、この教団の連中から操られているせいだろうね」
「嫌だけど渋々従っている、ってこと? だったらその操っている連中が先かな」
先頭で楽し気に会話をしている凱斗と柊耶に、少し呆れたような黎の視線が注がれている。
自分たちの間近に迫る勢いで展開された、おどろおどろしい効果線のような邪気の気配が視えていないのは、多分幸せなことなんだろうと榛冴は思った。
いっそこの二人に見せてやろうかと思ったが、無意識に邪気を防いでいる二人の障壁はありがたいので、小さく舌打ちするに留めた。
最後尾で入口付近に結界を張っていた采希と那岐が、榛冴の方へと戻って来た。
「…………気持ち悪いな」
「これ、普通の人だとすぐに飲み込まれちゃうね」
「……那岐兄さん、参考までに教えて。飲み込まれたらどうなるの?」
「弱い人だと心臓が止まっ――」
「わ! 分かり、ました……もういいです」
蒼褪めた榛冴の肩を軽く叩き、采希は柊耶の背中に声を掛けた。
「柊耶さん、あの邪神像の近くまで、行けますか?」
真正面の半楕円形にくり抜かれた壁の奥に、巨大な邪神像が見えた。両側に小さめの像が並んでいる。
「どの辺まで?」
あっさり答えながらすたすたと進む柊耶の周囲で、邪気が大きく後退るのが視えた。
何の躊躇もなく歩み寄る柊耶に怯えたように、邪神像の奥から慌てた気配が感じられた。
「そこに立っていて下さい。那岐、術者はこの奥だ。行くぞ」
柊耶の両脇をすり抜けて那岐と琉斗の身体が走り出す。
「琉斗、紅蓮を! あいつらの意識を刈り取れ!」
采希が叫ぶと、琉斗の身体が青い炎を纏う。
一瞬で兄から従兄弟の気配に変わった身体を視界の端で確認しながら、那岐は三節棍をじゃらりと振った。
邪神像の影に隠れるように潜んでいた長衣を身に付けた術者らしき集団は、逃げる事もできずに立ち尽くしている。
武器も持たない術者たちは、最小限の動きで正確に振るわれた木刀と三節棍により、全員がその場に崩れ落ちる。
その間、采希は全力で邪気を抑え込んでいた。
「琉斗、この邪神像の台座を叩き壊せ。紅蓮、斬れるか?」
「任せろ。――紅蓮、
琉斗の声に手の中の紅蓮が紅い炎を纏う。その姿が日本刀へと変わるのを見届け、琉斗は魔方陣の刻まれた邪神像の台座を斜めに斬り抜いた。
ゆっくりとずれた邪神像は、大きな音を立てて隣の像を巻き込んで倒れる。
依り代を失った邪気は、琉斗の返す刀の一閃で消滅した。
那岐は既に周囲に並ぶ像を台座ごと粉砕するべく走り出していた。
琉斗も反対側に並ぶ像へと向き直る。
采希の意識は、身体に防護壁を纏った数人が黎たちの元へと向かうのを捉える。
黎がその背に榛冴を庇い、凱斗と柊耶が嬉々として殴り倒すのを確認して、邪神像の並ぶホールの上へと意識を移した。
まだ破壊行動を続ける琉斗から少しだけ意識を切り離し、采希はホールの上部に大きく描かれた魔方陣を見上げる。
中空に浮かんだように見えるその方陣は、淡い光を放っていた。
(……ガラス……アクリル板? アクリル板に魔方陣を刻んで、
采希の中で呪術師が応える。
僅かに考えた采希は、居並ぶ像を全て粉砕した那岐に向かって声を掛けた。
「玄関ホールに戻れ、那岐。上にある小細工を壊すから、先に避難しててくれ」
采希の声に釣られて上を見上げた那岐と琉斗の身体が、その大きさに感心したように声を上げ、凱斗たちに向かって駆け出した。
一瞬後方に顔を向けた琉斗には、自分の腕が持ち上がって、手の平から紫電が放たれるのが見えた。
「邪神像の上空に魔方陣を置いて、力を増幅していたのか」
「そうですね。でも術者も増幅器も受信機も全て破壊したので、あとは左右の邪神像ですが――」
「黎くん、采希くん、左翼の方は僕に行かせて」
黎と采希に向かって柊耶が笑顔を見せる。
黎の視線を受けた采希が迷うような表情になった。
「……確かに、左の方が厄介そうですけど。二手に分かれる必要はないんじゃないですかね?」
「時間がない。一体ずつ壊していたら間に合わないかもしれないからね」
「……柊耶さん?」
「采希くん、この神殿を出て右手の奥まった棟。そこに大勢の子供たちが隔離されている。――どうする?」
びりっと琉斗の身体が帯電したように光った。
ふわりと髪を逆立てた琉斗の様子に、黎は指先をこめかみに当てて凱斗を振り返った。
「凱斗、那岐、榛冴、左右の邪気退治のために、俺とここに残ってくれるか? 柊耶は采希を連れて――頼む」
柊耶が黎に向かって頷くより早く、采希の雷電を纏った琉斗が走り出していた。
「黎さん、俺と那岐は左手の奴に向かう。榛冴をお願いしていいですか?」
「分かった、気を付けてな」
「はい! 那岐、暴れるぞ!」
そう言い残して那岐の肩に手を置いた凱斗の姿が消えた。
敢えて邪気の濃い方へと向かった凱斗の無事を祈るように目を伏せ、黎は覚悟を決めたように口を引き結んだ榛冴に微笑みかける。
「榛冴、玄武の気で自分を護れ。茶枳尼天は呼ばなくていい。円月輪、使えるな?」
「……はい。黎さん、よろしくお願いします!」
ふいに黎の尻ポケットから振動が伝わった。
慌てて取り出し、スマホを耳に当てる。
『黎! 何があった? 采希の……こちらに居る采希の身体が――』
「カイ、何かあったのか?」
『心臓が、止まった』
「――!! 脳波は?!」
『乱れているが、動いている』
「シュウに、全力で蘇生させろと伝えてくれ!」
不安そうにこちらを見る榛冴を気遣う余裕もなく、黎は全力で駆け出した。
その右手に眼が眩むほどの金の光が収束していくのを、榛冴は呆然と見ていた。
* * * * * *
一瞬で左翼に配置された邪神像の前に跳んだ凱斗と那岐は、その上空に描かれた魔方陣を見上げる。
光を失った方陣は、正面の邪神像のホールと同様に、中空に渡されたアクリル板に刻み込まれていた。
「これって、もう稼働していないんだよな?」
「大丈夫みたいだよ。でもこの像に納められた邪気は、かなり良くない気配がする。物理攻撃は僕が止めるから、凱斗兄さん、邪気を
正面に置かれた物よりも幾分小さいが、眼の前の邪神像からも正面の物に劣らない程の邪気が感じられた。
さっきは采希の力が邪気を無理矢理抑えてくれていたが、自分にそんな力はない。
それでも、自分の背中に手を添えた凱斗から、炎駒の気配が伝わってくる。手の中の三節棍が、するりと長い真っすぐな杖に変わった。
凱斗の手には采希の金剛杵が錫杖となって握られている。
左利きの那岐に合わせ、凱斗が那岐と対称に構えた。
「行くぞ、那岐」
「うん、凱斗兄さん」
同時に床を蹴る。
操る術者のいないその邪気の力は、眼の前の敵に真正面から繰り出された。
僅かに早く突き出された錫杖が邪気を裂き、後を追うように伸ばされた那岐の気が邪神像を貫いた。
* * * * * *
「…………」
隣に立つ琉斗の身体から立ち上る、微かに青みを帯びた炎に、柊耶の身体がぞくりと震える。
これは、神気だと、そう思った。
怒りは采希と琉斗、二人から膨れ上がってくる。
目の前には、コンクリートの壁と床、そして区切られた檻が続いていた。
入り口に設けられた監視員のための部屋は、琉斗の一撃で鉄製のドアが飛ばされた。その下敷きになった監視員が三人、采希の気に当てられるように意識を失っている。
傍にいるだけで冷や汗が止まらない。
硬直したままの柊耶の視界では、大きな音を立てて次々と檻が外れ、通路に向かって吹き飛んでいく。
上着のポケットに入れていたスマホが鳴った。
スマホを耳に当てると、黎の声が辺りに響く。
『柊耶! 何処だ?! 采希は無事か?!』
鼓膜を大きく震わせる音量に、柊耶は頭が冴えていくのを自覚していた。
「……黎くん、神殿から出て右手の奥の建物だ。采希くんは――」
『……どうした?!』
「ブチ切れてる」
『は?』
「琉斗くんも、だね。まだ幼い子供たちが……檻に囚われている。人種も様々で、何十人いるのか見当も付かない。全員、状態は酷く悪い。まるで――」
『……柊耶?』
「――家畜だ。いや、それより酷い」
そう告げて、柊耶は通話を切った。
自分の脚元から伝わる振動が徐々に大きくなっていく。大地が采希の怒りに呼応するように揺れていた。
恐る恐る檻の吹き飛ばされた牢から、やせ細った子供たちが顔を覗かせた。
引き攣る表情筋を働かせ、柊耶は無理に笑顔を作る。
静かに声を掛けながら、ゆっくりと奥へ向かって歩み始める琉斗の身体に触れないよう、子供たちを外へと誘導する。
とにかくこの場から助け出さなければ、そう思った。
黎に抱えられた榛冴が空中に現れ、柊耶が連れた子供たちを見て歯を食いしばった。
ぼろぼろの服とも言えない布を纏った子供たちは、一様に痩せこけ、薄汚れている。
感情を抑え付け、柊耶と子供たちを敷地中央の広場へと向かわせた。
さっきからずっと、大地が揺れている。
風を裂く音がして、那岐が凱斗の手を掴んだまますぐ傍に降り立った。
「黎さん……一体何が……」
柊耶と一緒に危うい足取りで進む子供たちの列を見送っていると、建物の中から榛冴が更に子供たちを連れて来た。
「那岐兄さん、凱斗兄さん、手伝って! 歩けない子が何人かいるんだ」
榛冴の声が終わる前に、凱斗と那岐は建物の入り口に向かう。
那岐の背後から、榛冴の声が聞こえて来た。
「黎さん、早くここから離れて! 采希兄さん……いや、琉斗兄さんはここの建物を全て破壊する気だ!」
瓦解した敷地内の建物の残骸を見渡していると、黎のスマホが震えた。
『黎、采希の鼓動は再開した。まだシュウが付いているが……何があったんだ?』
眉間に深い皺を刻んだまま黎が視線を移した先には、那岐や榛冴と共に子供たちに気を送る采希がいた。
どこから説明したものかと迷いながら、黎は重い口を開く。
「カイ、采希の身体の不調はおそらく、奴隷のように囚われた大勢の子供を発見したせいだ」
カイが息を飲む気配がした。
『……大勢? 奴隷のようにってことは、子供たちの状態は?』
「最悪だ。こっちは全ての建物が崩壊しているから、すぐにでも地元の警察なりが出張ってくるだろう。その前に、カイ、子供たちを安全に保護したい。使える手は全部使って構わない。任せていいか?」
『……任せろ。シン、聞こえたな? すぐに動いてくれ。ところで、崩壊ってのはどういう事だ?』
「琉斗がキレた。神殿以外の集会所やら宿舎やら、全て内部から爆破されたみたいになってる。神殿を潰したのは、俺だけどな」
『爆破って、お前……中の人間諸共に、じゃないよな?』
「琉斗の様子に気付いた采希が敷地内限定の地震を起こしている。お陰で全員建物から飛び出して来たようだが……琉斗の闘気に当てられてほとんど失神している。そちらの
息を止めて呆けているであろう、優秀な事務方トップの顔を思い浮かべながら、黎は腰が抜けたように座り込んで震えている長衣の小太りの男に歩み寄る。
上体を屈ませて男の顔を覗き込みながら、目を細めてにやりと笑った。
「一番偉そうな奴を捕まえた。この国の司法に任せる気はない。――分かるな、カイ?」
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