第5章 呪縛する想い

第23話 記憶する桜

 玄関の上がりかまちで、采希さいき那岐なぎと二人、座り込んで帰りを待つ。

 那岐によれば、もうすぐ玄関の引き戸が開けられるはず。

 ほどなく、からからと引き戸が開けられ、琉斗りゅうとが姿を見せた。

 顔は全く似ていないのに、とてもよく似た二人の雰囲気に、琉斗は少し瞼を動かした。


「……ここで、何をしているんだ?」

「琉斗兄さんを待ってたんだよ」


 那岐がにっこり笑って立ち上がる。


「いろいろ憑けて来ると、榛冴はるひがうるさいからさ」


 采希も立ち上がって、琉斗の脇に立つ。那岐と一緒に琉斗がどこかから拾って来た様々な念を、ぱたぱたと叩くように祓い落とす。


「……ったく、何でこんなに拾ってくるんだか……」

「以前のように憑依されるよりはマシだけどね、一体どうしたんだろう?」


 采希の呟きに、那岐もため息まじりに答える。


「琉斗兄さん、ホントにほんっとーに覚えがないの?」


 那岐が念を押す。


「全く、ないな。俺がそういうモノに寄って来られやすいと言ったのは采希だろう? 采希の方が心当たりがあるんじゃないか?」

「いや、俺が言ったのは憑依されやすい、ってことで……あれ?」


 琉斗の身体を叩いていた采希が違和感に気付いて手を止める。


「……琉斗、姫と一緒に出掛けたんだよな? 姫はどこだ?」

「あ? どこって……采希には見えるだろう? 俺は姫が姿を現わさなければ見えないが」


 采希と那岐が顔を見合わせる。


「那岐……」

「居ない、ね」


 え? と琉斗が驚いた顔をして、自分の周りをきょろきょろと見回す。


「いつから、いなかったんだ?」

「琉斗が気付かないうちに何処かに行ったのか?」

「でも、何処に? 姫様が黙ってどこかに行くとは思えないけど」

「……だよなぁ」


 采希と那岐は、会話している間にも琉斗の中の気配を探るが、龍の姫の気配はどこにもない。


「琥珀?」


 采希の呼び掛けに、采希の左腕に付けた銀のバングルから小さな水干姿の童子が現れる。


「姫の気配を捜せるか?」

《――いえ、探査可能な範囲にはられないようです》

「琥珀の探査可能範囲って、どのくらいなんだ?」

《半径でよろしいですか? およそ100㎞程でしょうか》

「…………」


 那岐が呆れたように口を半開きにしている。

 ふと、采希は琉斗の肩に何かが付いているのに気付いた。

 よく見てみると、うっすらと薄桃色の花びらだった。何気なく手を伸ばそうとすると、すうっと消えていった。


「兄さん、今、消えたよね」


 那岐にも視えていたらしい。

 采希は琉斗を促しながら、敷地の離れである建物の居間へと戻る。


「この時期に桜、か。……これは、呼ばれてるのか?」

「しかも僕らが視認した途端に消えるってことは、呼ばれてるのは確実かな」

《わずかに邪気を帯びていました。それでも招きに応じられますか?》


 琥珀の声に、采希は思わず両手で顔を覆う。――また、厄介事か。


「……琉斗、今日はどこに行った?」


 顔を覆ったまま、くぐもった声が琉斗に問い掛ける。


「どこって、会社に決まってるだろう」


 それは分かっている。聞きたいのはそこじゃない。


「どこを、通って?」


 琉斗が告げる道筋を采希は脳内で再生する。このルートで桜と言えば、どこだったか。


「姫を最後に確認したのは?」

「……公園の手前の、コンビニに入る前だな」

「その後は、全く気付かなかったのか?」


 琉斗が渋い顔で頷く。別に責めている訳ではないので、采希はひらひらと顔の前で手を振ってみせる。

 琉斗の左腕を掴んで持ち上げ、その手首に嵌められた金のバングルに向かって声を掛けた。


「おいで、紅蓮」


 采希の呼び掛けに応え、バングルから巫女装束の小さな少女が姿を現わす。


「姫に何があったのか、知ってるか?」


 紅蓮と呼ばれた小さな少女は、困ったように首を横に振る。


《急に、消えた》

「急に? どんな感じで?」


 紅蓮が采希の顔の近くにふわりと浮かんで、その小さな頭を采希の額に合わせる。

 紅蓮の見たその景色は、被写界深度がかなり浅いように見えた。輪郭が曖昧なせいか色彩に溢れている。

 その中で琉斗と龍神の姫だけがはっきりした姿で存在していた。


 紅蓮の視界の隅の方に黒い細長い手のようなものが一瞬だけ見えて、龍神の姫を絡めとって消えていった。


「……紅蓮、もう一回見せて!」


 場面は少しだけ戻る。




『あ、ビールを買い忘れた。戻るのも面倒だな……』


 琉斗がコンビニの袋を覗き込みながら呟く。


『おっと、すみません』


 誰かと肩がぶつかったらしく、琉斗の身体が少し後ろにブレる。その瞬間、黒い手が姫を掴む。


「――ここだ。琉斗、お前、公園で誰かとぶつかったか?」

「そう言えば、そうだった。相手はよく覚えていないが」


 眼を閉じて、采希はちょっと天を仰ぐ。

 人様にぶつかったんだったら、もう少しきちんと顔を見て謝れよ、と小さく呟いた。


「振り返ったら、誰もいなかったからな」


 采希と那岐がぴくりと反応した。そっと視線を合わせる。


「那岐、ちょっと一緒に出掛けないか?」

「――はい。兄さん、何か分かった?」

「わからないから、行ってみる」

「二人で出掛けるのか? じゃ、俺も行くぞ。姫がいなくなった事情を知りたいからな」


 琉斗を一瞥し、采希は少し考える。

 那岐が一緒にいれば、何かあっても大丈夫だろうと判断し、琉斗が帰って来た道を戻るかたちで歩き出した。




 ここ数日、琉斗は毎日、雑多な霊や念を身体に纏わせて帰って来ていた。

 食事は基本的に母屋で取っているため、琉斗の身体中に憑いたモノに気付いた榛冴が大騒ぎする、というのが恒例となっていた。

 榛冴には視えていなかったはずだが、気配を確実に感じ取っては大騒ぎをする。

 その度に母の蒼依あおいも怖がって騒ぐので、采希は自分の母・朱莉あかりから何とかするよう指令を受けていた。


 龍から譲り受けた木刀――紅蓮のおかげか憑依されることはなかったが、毎日琉斗の身体を覆いつくすほどの霊などを連れて帰るため、采希と那岐は対応策として龍の姫を連れて行くことを提案していた。

 なのに、その龍の姫はどうやら誰かにかすめ取られてしまったらしい。

 何のために誰が連れ去ったのか、采希には全く見当も付かなかった。



 春にみんなで花見をした公園に着いた。

 この公園には桜の木が多く、琉斗が最後に龍の姫と話したコンビニもすぐ近くだ。おそらくこの付近にいる可能性が一番高い。

 紅蓮が見せてくれた景色は背景がほとんどぼやけていたため、正確な場所までは分からなかった。


 辺りを見渡していると、那岐が小さく声を上げる。

 その視線の先を見ると、桜の木に寄り掛かるようにして立つ、一人の和服姿の女性がいた。

 その女性を見た采希の眉が顰められる。


「……あの女性、最近よく見かけるな。いつもああやって木に寄り掛かってるが、誰かを待っているんだろうか」


 琉斗も気付いたのか、誰にともなく呟いた。


「琉斗兄さんには、あの子がって事だよね?」


 那岐が険しい表情で念を押すと、琉斗が一瞬きょとんとした顔になる。


「当たり前じゃないか。那岐、何言っ……て……え?」


 真剣な那岐の表情に、やっと思い当たった琉斗がごくりと唾を飲む。


「着物で毎日同じ場所に立っているだけ。そんな非日常はそうそうないと思うぞ、琉斗」

「……いや、しかし、俺に視えるとか……」

「あ~、お前、この間も確か視えてたんじゃなかったか?」


 采希の言葉で琉斗が思い出したように、あっと声を出す。

 地縛霊だった少女の霊に出会ったのは、つい先々週だ。

 ほんの少し足を後ろに引き、女性を指差そうとして慌てて手を下げた。震える声で那岐に囁く。


「じゃ、あの人ももう亡くなっているのか?」

「ううん、違うよね采希兄さん?」

「……だな。あれは霊じゃない」

「え? だが采希、さっきは……」

「あれ、亡くなった人の霊じゃなくて、精霊みたいなモノなんじゃないかと思う」


 采希が自信なさげに言うと、那岐がおおっと手を合わせる。


「そっか、だから気配が風景に馴染んでるんだ」

「……いや、それは俺にはわかんねーな。馴染んでるのか?」

「うん。風景にというより、あの後ろの桜の木にね。多分、あの桜の精霊とかなんじゃないかな」


 薄桃色の和服で、裾の方が淡く薄緑色になっている。桜を模した意匠の着物だったが、采希と那岐には人の気配が全く感じられなかった。


「……こっち、見てるな。向こうも気付いたか」

「いや、かなり前から気付かれてるよ、兄さん」

「那岐、どう思う? そんな簡単に、あんな自然霊に会えるもんじゃないだろ? しかもこんな街中の公園で」

「確かに不自然かもね。何か僕らに、言いたい事や頼みたい事があるとか。もしくは、姫様が消えた事と何か関係があるのかも」


 采希と那岐が硬い表情のまま、少し桜の木に歩み寄る。

 薄桃色の着物を着た女性は、こちらを見て怯えたように後退あとずさった。


「……えっと、こんにちは」


 那岐が遠慮がちに声を掛けると、ちょっと身構えるようにしながらも会釈を返す。


「僕の言葉が分かるかな? 君は、この桜の木だよね? ちょっと、話してもいいかな」


 近くで見ると、なおさら人ではない事が分かった。表情が全く動かない。その輪郭は曖昧に滲んでいるようで、頬や唇の赤みもほとんどない。

 光を捉えることのないようなその眼を、那岐は平然と見つめた。


「僕は、那岐。何か、僕らに伝えたい事があるんじゃないかと思って」


 桜の精は無表情のまま、そっと首を傾げる。

 もしかして言葉が分からないのかと考えながら采希が横にいる那岐を見た。

 那岐を見ると、同じように首を傾げている。どうしようかと困っている時の顔だ。


 采希は黙って桜の木に近付き、幹にそっと手を添える。

 言葉が通じないなら、サイコメトリーが役に立つんじゃないかと、そう思った。

 采希が考えた通り、桜の木から言葉ではない意識が伝わる。


「……今まで、声を出したことがないのかも。これまでに君のことが視える人に会ったことは?」


 采希が幹に手を当てながら聞くと、桜の木から肯定の意思が返される。同時に桜の精が頷いた。


「じゃ、誰かと話したことは?」


 伝わったのは、僅かな逡巡と肯定。

 采希には、桜の木が一瞬迷った事に違和感を感じていた。自然に存在する植物が、人間のように答えに迷うことなんてあるんだろうか? と考えていると、桜の精が采希の手に自分の手を重ねる。

 とたんに流れ込む、映像。

 たくさんの情報が一気に脳内に入って来て、采希の身体は平衡感覚を失いそうになった。




「君の名前を教えてくれないか? 名前が無いのか? それだと呼ぶのに不便だな」


 琉斗がしばし考え込む。那岐が笑いながら琉斗を制し、先んじて言った。


「じゃあ、桜ちゃん!」


 那岐の声に琉斗が少し不満そうにしていたが『まあいいか』と呟いた。

 自分に名前をつけてくれたことを、桜の精が素直に喜んでいる感情が伝わってきて、采希は我に返る。いつの間にか桜の精は消えていた。

 弟も名付けは苦手だったか、と苦笑しながら桜の幹から手を離そうとしたその刹那、ほんの僅かな黒い感情が見えた。

 慌ててもう一度幹に触れるが、もう黒いモノは見えない。

 気のせいか、と思いながらも、采希はさっき流れ込んで来た映像の中に何か引っかかるものを感じていた。


 木の傍のベンチに腰掛け、眼を閉じて先程の映像を思い出してみた。




 古い、大きなお屋敷の庭。おそらく、昭和の初期、戦前くらいだろうか。

 美しい家人たちと、大型犬と戯れる可愛らしい子供たち。

 大勢の使用人と、ひっきりなしに訪れる客。

 見るからに裕福そうで、幸せそのものに見える。

 その様子は全て同じ視点から見たもので、おそらくは桜の木が見ていた風景なのだろうと推察できた。

 小さな男の子が近寄って来て桜の木に触れ、話しかける。

 一瞬視界がブレて、男の子の視線の高さになった。

 男の子は真っすぐこちらを見つめていて、どうやら桜の精が視えているのだと思われた。

 親しげに笑いかける男の子を、桜の精も喜んで相手しているように感じられた。

 映像のほとんどはこの少年に関するもののようだった。

 まだ若い使用人の少女と遊ぶ少年。

 何故か桜の木の根元を素手で、泣きながら掘る少年。

 ほんの僅か、画面がブラックアウトしたように暗くなった。人影とノイズのような雨。


 あきらかな違和感があり、それまでの光景にそぐわない。

 采希は意識を集中し、流れていく情報から嵐の夜の映像を検索する。

 目当ての画面が額あたりのスクリーンに映し出される。


 ――雷と雨の夜。


 大きな包みを運ぶ使用人、包みは毛布でくるまれている。ちょうど、小さめの人のようなサイズ感。

 桜の木の根元に掘られた大きな穴に放り込まれる包み。そして毛布が引き抜かれ、ごろりと穴の中で転がったのはまだ幼さの残る少女だった。

 破れた服と、殴られたような痣だらけの顔。眼は見開かれたままだ。

 そのあらわになった大腿部には大量の血がこびり付いていた。


 采希は思わず口元を押さえる。吐き気がこみ上げてくるのを必死に抑えた。


「采希兄さん……」


 那岐の声に我に返った采希は、ゆっくりと顔を上げる。




 黙り込んだ采希を怪訝に思い声を掛けようとした那岐が、采希に触れたことで情報を共有してしまったのだろう。切ない表情で采希の肩に手を乗せていた。


「今の、お前にも見えたのか?」


 采希が問い掛けると、那岐はこくりと頷いた。

 お互い、複雑な表情で顔を見合わせる。



「琉斗兄さん、采希兄さんがあまり調子良くないみたいだから、僕ら先に帰るね」

「そうか。俺はそこのコンビニに寄ってから帰る」


 那岐に寄り添われるようにして、家の方角へ向かって歩き出した。


「兄さん、さっきのって……」

「桜の木の記憶だろうな。以前はどこかのお屋敷に植えられていたみたいだけど」

「……そこであの女の子、殺されたんだ」

「多分ね。ちょっと衝撃だったな。――それと俺があの桜の記憶に触れた時、微かに変な気配があったような気がしたんだ。お前、あの桜の精をどう思った?」

「あー、よく分からなかった。何ていうか、人形みたいだなって」

「人形? 確かに俺も、あの桜は無表情だし感情とかないんだろな、って思ったけど。自然霊とかってそういうもんなのか?」

「僕も詳しくはないけど、違うと思う。とにかく、あの子は人形みたいって思ったんだ」


 人形、か。

 那岐の言葉を采希は小さく繰り返した。



「お帰り、二人で出掛けていたのか?」


 采希と那岐が家に帰ると、凱斗かいとが玄関に顔を出した。


「いや、琉斗も一緒だった。コンビニ行くってさ」

「ふーん? 采希、顔色よくないぞ。何かあったのか?」

「……あー、琉斗が帰ったら話す。ちょっと休ませて」


 凱斗が頷くのを確認して、居間のテーブルの脇に身体を横たえる。


「あの映像、古い記憶ばかりだった。姫の情報はなかったな」

「マジで顔色悪いよ、兄さん」

「あー、あの死体が印象強すぎて……。あの子、まだ十代なかば位に見えたけど」

「うん、十六・七ってとこかな。……男に乱暴された、みたいに見えたね」

「あの状況だと、乱暴した挙句、死なせたのはお屋敷の主人かな。あの子、使用人っぽかったし。……なんか怒りがこみ上げてきた」

「兄さん、あの時代の人だったらさ、もう犯人はこの世にいないっしょ? 落ち着いて休んでて」


 那岐の言葉に従い、采希は眼を閉じる。

 間もなく琉斗が帰って来た音が聞こえた。




「琉斗が誰かとぶつかった瞬間に、姫さんが攫われて、振り返った琉斗は誰の姿も見ていない。これって、さらったのは普通の人間じゃないってことか?」


 凱斗がもの凄く嫌そうな顔で采希を見る。


「そう考えるのが妥当かなと思う。姿を現わしていない姫をさらえるような人間が、そうそういるとは思えない」


 凱斗も琉斗と同じく、龍の姫を気配だけで確認することは出来ないので、凱斗は納得したように頷く。


「また変なのが相手かもしれないってことか。もう勘弁して欲しいとこだな」


 采希と那岐もしみじみと頷いた。


「それで、お前が吐きそうになったってのは?」


 そう聞かれて、采希は桜の木に触れて見えた情報を凱斗と琉斗に話す。予想通り二人とも不愉快そうに腕組みをして眉を顰めた。


「……殺されて桜の木の下に、埋められたのか?」

「ああ、そんな場面が見えた。木の記憶らしくて視点があまり変わらないから推測だけど」

「木の記憶? なんでまた、そんなものを采希に見せたんだろうな」

「正直、全く分からない。戦前の出来事みたいだったし、俺に何の関りもないと思うんだけどな」


 そう言いながら何気なくテーブルに置かれたコンビニの袋を見た采希は、袋の表面に大量の水滴が付着しているのに気付いた。


「琉斗、何を買ってきたんだ? ここに置きっぱでいいのか?」

「あ!」


 琉斗が慌てて袋を掴むと、台所に急いだ。


「姫さんが消えた。姫さんは公園の辺りまでは確認されている。その公園にある桜の木が采希に自分の記憶を見せる。――この流れは、偶然か?」


 凱斗が確認するように采希を見る。


「意図的だろうな。姫の行方はあの桜の木が知ってそうだ、と俺は思ってるけど」

「その心は?」

「ほんの一瞬だけどな、どす黒い意思のようなモノが視えた。姫を掴んだ黒い手の気配に似ていた気がする」

「……姫を攫ったのは、どんな意図で?」

「それが俺にも分からない。姫が消えたのがあの桜のせいだとして、その理由は? 俺にあの古い映像を見せたのは何でだ? そこが繋がらないんだ」


 采希の言葉に凱斗が口をへの字に引き結んだ。那岐も困った顔で黙り込む。


「もう一度、行ってみれば分かるかな」

「……俺は、反対」


 凱斗がぼそりと呟く。


「状況がわかるまでは、動くべきじゃないと思う。姫さんは心配だけど、お前も言ったように『理由』が分からない。まだ情報が足りていないのに、動くのは得策じゃない」


 台所から布巾を手に戻って来た琉斗が、水滴がテーブルに残した小さな水溜まりを拭こうとした。

 ぴちょん、と音を立てて水滴が跳ね上がり、また戻る。

 その異様な光景に、全員の眼が集中した。


「何だ、これは?」

「何が……あ、サーガラ?」


 采希が龍の名を呟くと、小さな水溜まりが波打つように波紋を作った。


《采希、すまないが欠片を探して欲しい》

「どこにいるのかサーガラにも分からないのか?」

《大地の気脈を通じて捜したが、見つからない》

「…………分かった」


 采希が答えると、元からただの水溜まりだったように波紋が消えた。


「兄さん……」


 ずっと黙っていた那岐が小さく采希に声を掛け、困った表情で采希を見つめる。


「……捜そう。那岐、榛冴はるひを呼んで来てくれ。相手が何者か分からないなら、神様の力を借りられた方がいい」

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