第24話 求める声

 きちんと正座をした榛冴はるひが眉間に皺を寄せ、渋面を作りながら唸る。


「わかってる、姫ちゃんが居なくなったのは大変な事だって、わかってる。でも、怖いものは怖い」


 絞り出すような榛冴の声に、采希さいきは首を傾げながらちょっと笑ってみせる。


「何も、今すぐ榛冴にお稲荷様を降ろすとか、そんな話じゃない。その管狐くだぎつねをいざって時に借りるかも、って事なんだけどな」


「あぁ、そういう……」


 あからさまにほっとした表情に変わる。

 怖がりの榛冴はこれまで何度か神様をその身に降ろしている。

 兄である琉斗のように怪しげな霊に憑依された訳ではないが、例え神様であっても身体を乗っ取られるのは怖かった。


経緯いきさつ那岐なぎ兄さんから大体聞いてるけど、もしも本当に桜の木が姫ちゃんを攫ったとして、その対価は何なの?」

「分からないので、さっきからみんな困ってるんですが」

「分からないなら、調べればいいんじゃないの?」


 榛冴の言葉に、一斉に押し黙って顔を見合わせる。


「あれ? 何か変な事、言った?」

「いや、別に変じゃない。至極真っ当な意見だな」


 そう言いつつ、凱斗かいとが榛冴の肩に手を乗せる。


「じゃあ、お前の意見を採用するって事で、調査は任せる」

「は?」

「相手は正体不明だ。お前の手腕に期待してるぞ」

「はぁ? 何言ってんの、凱斗兄さん!」


 慌てた榛冴が思わず凱斗の胸倉を掴む。

 仲睦まじい兄弟の様子に満足そうに頷きながら、采希は榛冴に声を掛けた。


「大丈夫だ、榛冴。俺が調べるから」

「采希兄さん?」

「俺には白虎ヴァイスもいるし、琥珀もいるからな」


 それでも心配そうな榛冴に、采希は笑ってみせる。琉斗りゅうとも身を乗り出した。


「そうだ、榛冴。俺も付いて行くつもりだしな。俺にも紅蓮という頼れる味方がいる」


 いい笑顔で自分を指差す琉斗に、一斉に全員から溜息が吐き出される。


「どうやって紅蓮を使う気だ? 采希の力を通さない限り、紅蓮はただの木刀なんだろ?」


 呆れた口調の凱斗に、琉斗が口を尖らせて少し俯く。


「それは、俺がなんとか采希から力を受け取って……」

「これまで一度しか成功していないんだろ? しかも巫女さんに怒られたって」

「…………」


 凱斗と琉斗の会話に、采希が大きく頷いて同意する。


「俺から渡すのは一度もうまくいってないしなぁ。成功したあのたった一度も琉斗は暴走してるし、俺の力と琉斗は合わないんじゃないか?」

「あ、でもさ、あの時は琥珀の矢で琉斗兄さんの身体に力を馴染ませられてたよね?」


 那岐が思い出したように言うが、采希は溜息をつく。


「あの時の矢は巫女殿の特別製だ。本来は射手の気で矢を作り出すんだけど、は俺には作れないらしい」

「……そっか。あれが使えれば、琉斗兄さんが暴走してもオッケーじゃないかって思ったんだけど……」

「だから、その前にどうやって力を受け渡すかじゃないか?」


 考え込んでしまった采希と那岐を、凱斗が黙ったまま見つめていた。



 * * * * * *



 翌日、仕事帰りに公園の傍まで来た采希は、ふと立ち止まる。

 鼻の奥がつんとした感覚があり、風邪の前兆かと思ったが何か違う。

 思い出せない記憶に繋がるような感覚に戸惑っていると、後ろからぽんと肩を叩かれた。


「兄さん、今、帰り?」

「お、那岐、お帰り」

「兄さんも」


 自然に2人で歩き出すが、采希は公園の奥が気になっていた。

 それは焦燥感となって膨れ上がる。


「那岐、俺さ、ちょっとあの桜の木の所に寄ってくわ」

「……一人で?」

「そう、って言いたいとこだけど。何かあったらマズいから、もし来られるようなら凱斗を連れて戻って来てくれるか?」

「そういう事なら、いいよ。あの桜、気を付けて見ていたけど、鳥も虫も寄って来ない。嫌な感じが全開だから、気を付けて。でも、どうせなら電話して呼んだ方が早くない?」


 そう言ってその場で電話を掛け始めた那岐を残し、采希は桜の木を目指して早足で歩き出す。

 さっきから、ずっと鼻の奥の違和感が治まらない。

 次第にその違和感は広がり、眉間の奥がちりちりしていた。


 何かが呼んでいる。――泣きそうな気配で。


(これ、姫なのか? でも何となく違うような気がする)





 桜の木の近くにいくと、桜の精が空を見上げていた。

 その横顔を見ながら采希は、呼ばれていたのが自分ではない事を察した。

 自分たちと会った時は全く無表情で作り物の様に見えたのに、今は泣き出しそうな顔に見える。

 誰を呼んでいて誰を待っているのだろう、と采希が考えていると、桜の精が気付いて采希の方を向いた。少し驚いた様に目を見開く。



 桜の精が、じっとこちらを見つめている。今にも泣き出しそうな表情を湛えたままだった。


「あんたが待っている相手は、誰なんだ?」


 桜の精は少し俯き、答えない。


「言いたくないなら別に無理には訊かない。だけど、うちの姫は返してもらえるか? 何のためだか知らないけど、攫ったのはあんただろ? あんたにそれを命じたと話がしたいんだ」


 黙ったままの眼から涙がこぼれ落ちる。

 昨日の無表情と今の涙のどちらが本当なのか、采希には分からなかった。それほど、昨日と気配が違っている。

 俯きがちに顔を逸らした桜の精の背後に、薄暗い靄が現れた。


《話が早くて助かる。お前は潔いな、……と違って》

「何と、違うって? 姫のことか?」


 靄が次第に形を作る。人型にまではならないが、かろうじて丸太のような胴体に腕のようなモノと、裂け目のような目と口が見て取れた。


「姫さえ返してもらえれば、もうお前に用はないけどな」

《姫?》


 口と思しき裂け目が、卑しく歪む。


《あのようなモノを姫と?》

「お前には関係ない。さっさと返せ」


 右手に気を集めて握り込むと、手の中に金剛杵が現れる。

 采希にはさっきから白虎がしきりに警告を発しているのが感じられた。目線を動かしてみるが、まだ那岐たちの姿はない。


 焦りから先走ってしまった自分に、軽く舌打ちをした。それでもこいつが黒幕である事に間違いはなく、おそらく他にすべはないのだろうと思った。

 嬉しそうに笑う気配がして、黒い影が言った。


《返して欲しければ一緒に来てもらおう》


 突然采希の足元が抜ける。地面が消失したように身体が落下を始めた。

 気持ちの悪い、内臓が浮かび上がるような感覚。気付くと采希は、暗い空間に浮かんでいた。

 どこにいるのだろうと辺りに目を凝らす。


 暗い空間の色よりさらに黒い、無数の裂け目が見える。

 その形状から、裂け目ではなく張り巡らされた木の根であることに気付いた。自分が地中に引きずり込まれた事に采希は焦り出す。

 見渡せる範囲も限られているが、必死に龍神の姫の気配を探る。自分に那岐ほどの感応力がないのがじれったかった。


 ふと気付くと、采希の右手に握られていたはずの金剛杵がない。

 慌ててもう一度気を集める。


(――!)


 采希の右手は何の感触も生み出さない。どんどん高まる焦燥感に、背筋に冷たい汗が流れる。


「ヴァイス! 来い!」


 呼べども何の反応もない。左手に付けていた銀のバングルに呼び掛ける。


「琥珀!」


 水干の童子も、白銀の弓も現れなかった。


《無駄だ。ここは気脈から分断された場。お前の眷属であろうとここでは存在できない》


(分断? ……じゃあ、那岐にも伝わらない?)


 思わず唇を噛みしめる。


(俺一人の力で何とかしろってことか……)


 采希は自分の力で何が出来るんだろうと考える。まだ力の大半は封印されたままだ。無理をして、ここで死んだらシャレにならない。

 ゆっくりと息を吸い込んで、大きく吐き出す。


「一応、聞くけど。何が目的だ?」

《――お前の力を。お前の存在が、私を目覚めさせた》


 やっぱりそうか、と采希は思う。属性が【邪】のモノにとって、自分の力は最上級の御馳走らしいと聞かされている。


「俺の力を奪うために姫を攫って囮にしたのか? じゃあ、あの子は何のためだ? どうして操っている?」

《操る? あれはただのヒトガタだ。人間を釣るには人間の姿の方が都合がいい。あれに心など無い。形だけを人に似せたのだから》


(……人に似せた? 心が無い? ならあの涙は……?)


 ぶるんと頭を振り、目の前の敵に集中する。


「――もう一度聞く。姫はどこだ?」




 采希は自分の額の奥に気を集める。

 地上で見た黒い影の姿は地中にはなく、声だけが聞こえている。

 だとすると、ここは黒い影の内部なのかも知れないと思い当たる。

 そうなると、那岐や凱斗に見つけてもらえない可能性もある。


 自分ひとりでこんな所に放り込まれ、元の公園に戻るどころか無事でいられるかも分からない。

 大きく深呼吸をして、采希は開き直ることにした。

 無造作に気を込めた右手で自分の周囲の根を薙ぎ払う。

 光の軌跡が通ったあとの根が分断され、音もなく消失した。


「俺の力を寄越せって言われて、はいそうですかって言う訳ないだろ」


 手当たり次第に力を放出して地中に張り巡らされた根を消滅させながら、嘲るように笑う。

 空間全体が怒りに震えるのを感じた。


 采希は自分に向けられた悪意と、桜の根の動きに何となく違和感を感じていた。

 指示を受けてから動いているような、わずかな時間差タイムラグがある。


 黒い根の先端が数本、ゆっくりと采希を指すように向けられ、一斉に向かって来る。

 足場がない状態でどう避けるか、一瞬考える。すると、身体が自然に動いてふわりと上に移動した。

 もう一度右手に気を集め、真正面から襲い来る根を薙ぎ払う。軋むような音を立て、次々と襲ってくる根を断ち切っていった。



 * * * * * *



 那岐は公園の桜の木の近くで立ち止まる。

 先に来ていたはずの兄がいない事実に、慌てて自分の感覚を全開にした。

 ゆっくりと感応の範囲を拡げてみるが、采希の気配はない。

 徐々に冷や汗が流れてくる。兄の名を呼びながら、忙しなく那岐は視線を巡らせた。


「那岐、采希はどこだ?」


 凱斗の声に振り返ると、琉斗と榛冴も一緒に走ってくるのが視界に入った。


「凱斗兄さん!」


 肩に紅蓮を乗せた琉斗が那岐の腕を掴む。


「那岐、采希がいないようだが」

「……公園の、どこにも見当たらないんだ」


 唇を噛んで俯く那岐の肩を、榛冴がそっと指先でつつく。


「…………那岐兄さん、あれは、何?」


 震える手で榛冴が指差したその先には、薄桃色の着物を着た桜の精。

 俯いているせいか、泣き出しそうな顔に見えた。


「桜ちゃん……」


 那岐の声にゆっくりと顔を上げた桜の精は、強い眼差しを那岐に向ける。

 すっと腕を横に上げ、自分の右手の空間を指し示す。

 示された辺りにじっと目を凝らすが、那岐には何も見えない。

 榛冴が那岐の二の腕をぎゅっと掴んだ。


「何なの? なんであんな所に……」

「榛冴、何か視えるの?」

「あそこに、黒い裂け目みたいなのがあって、その奥に采希兄さんが……。どうして空間が裂けて見えるの?」


 榛冴の言葉を黙って聞いていた凱斗が即座に動いた。

 桜の精が指差している辺りに迷わず手を伸ばすと、凱斗の身体が吸い込まれるように消えた。




 采希は次第に身体が重くなっていくのを感じていた。

 もうどの位、こうしているのだろう。

 自分の打てる限りの気を放出し続けた身体は、ぐらりと視界が揺らぐ。

 采希の身体の限界を見抜いたように、細い根が数十本、あらゆる方向から襲い掛かってきた。

 もう避けることは不可能だった。四肢を完全に絡めとられ、身動きが出来ない。


《無駄な足掻きもここまでだ》


 采希は自嘲気味に笑う。


(俺、結構頑張ったと思うんだけどな……)


 ――しゃらん


(……? まさか……)


 聞き覚えのある鈴の音が聞こえた気がした。




 采希の正面に見える空間の一部に、縦に白い線が入る。徐々に太くなり滲んでいくことから、この空間に入った亀裂だと分かる。

 亀裂の一部が拡がり、光が差し込む。

 何かがすごい勢いで飛んで来て、采希の顔にへばり付いた。


「――ぶっ! ちょ……え? ……紅蓮?」


 巫女装束の童女が采希の顔にしがみ付いている。

 やっぱりそうか、と采希は思った。あの音は神楽鈴の音だ。

 どうやってここまで来たんだ、と思っていると、亀裂から一瞬強い光が差し込む。


「なんだぁ? 変なとこだな。……おぉ、足場がないのに俺、浮いてんじゃん!」


 顔を見なくても声で分かる。采希は涙が出そうだった。


「かい……」

「こんなとこで何やってんの、采希? なんではりつけにされてんだ?」


 いつもの笑顔に心からほっとした。

 疲労で顔を上げるのが精一杯で、喉が詰まってうまく声が出せない。


「……ど、どう……どうやって、ここ……」

「公園に着く直前にさ、紅蓮が琉斗の腕輪の中から大騒ぎしたんだよ。『采希が消えた!』ってさ。だから慌てて走って来たってわけ」

「……そうじゃなくて、どうやってこの空間に入って来たんだ?」


 凱斗が辺りを見回す。


「あの桜の精が何もないとこを指さして、なんか言いたそうだったらしいんだ。だから適当にその辺りを手で探ってたら――何か入れた」

「……入れた、って……」


 采希は微妙な表情で顔を引きつらせる。やっぱりこいつは只者じゃないという気持ちがしみじみと沸き上がってきた。

 ふと、那岐がいない事に気付いた。みんなで来たと言っていたのに、この場には凱斗しかいない。

 采希の気持ちが通じたかのように、凱斗が振り返る。


「あいつら、もしかして入って来れねぇの?」

「は? どういうこと?」

「入口が見えたのは多分榛冴だけ。那岐にも見えなかったんだ。でも那岐なら来れるかと思ったんだけどな。――ま、俺にはその桜の精とやらも見えなかったけど。なぁ采希、俺、どうすればいい?」

「この根、外せないか?」

「……素手で? ……ま、やってみっか」


 凱斗が、采希に絡みついた根を外しにかかる。

 采希は肩の上で相変わらず顔をすり寄せている紅蓮に視線を落とす。


「紅蓮、お前、木刀の姿になれるか?」


 采希の質問に、紅蓮は小さく頷く。


「悪いけど、木刀の姿になって琉斗のとこに行って……連れて来てくれ」


 紅蓮が嫌がるように小さな頭をぶんぶんと横に振る。


「……紅蓮?」

「やっと采希に会えたのに、また離れんのは嫌だってことだろ。女心、察してやんなよ」


 木の根と格闘しながら凱斗が笑う。


「女心って、紅蓮は子供だし人外生物だけどな……って、なんか熱い……?」


 何事かと左手を見ると、凱斗がライターで根を焼こうと火を付けている。


「ちょおおおお、何してんのお? あっつ! 熱いんだけど、ちょ、凱斗!」

「ええ~、だってこれ、全っ然取れないし。ほら、木なら燃えるだろ?」

「生木がそう簡単に燃えるかよ! ……って熱いってば! おい、服が焦げてる!」

「ありゃ、ごめんごめん」

「紅蓮! 俺が焼け死ぬ前に、頼む! 琉斗のとこに行ってくれ!」


 おろおろしていた紅蓮が、やっと頷き采希の顔の前に来た。

 采希の額に小さな頭をぴたりと合わせる。身体から何かがするりと引き出された感覚があった。

 紅蓮はすぐに離れ、采希ににっこりと笑って光の漏れる空間の裂け目に消えていった。


「……今、紅蓮、お前の力を引き出して行かなかったか?」

「多分、木刀の姿に戻る分の力を、持って行ったんじゃないかな。ほんの少しだったから、琉斗が気や念に干渉できる程の力はないと思う」

「だったら、木刀になってもあんま意味無いんじゃねえの?」


 それは采希もそう思っていた。たとえ木刀の姿をしていても、今の紅蓮に念は斬れない。


「それでも那岐がいれば、何とかしてくれそうな気がしない?」


 采希が凱斗と顔を見合わせる。

 二人同時に、にやりと笑った。




「――ところで、姫さんは?」

「いない。見当たらないんだ」


 凱斗が怪訝そうに采希を見返す。


「……っかしーな。榛冴は姫さんの気配が見えるって言ってたけど……」

「……マジ? 俺には分からないんだけど」


 凱斗が返事をしようとしたその時、背後から太い根が凱斗を掴み上げ、大きく振り下ろされた。

 凱斗の身体が別の根に叩きつけられる。


「凱斗!」


 思わず叫んだ采希の耳に、卑しい笑い声が響く。


《恐ろしい気配が侵入して来たと思えば、見掛け倒しか。よもや、力を使いこなせぬ者とはな》


 どこからか聞こえてくるその嘲るような口調に、采希は無性に腹が立った。


「てめぇ、よくも凱斗を……!」


 怒りで眼の前が赤く染っていく。身体が熱くなり、両手と両足を拘束していた木の根の一部が炭化して崩れていった。


《まだ怒るほどの気力を残していたか。では、ゆっくりとその力、いただこう》


 采希の髪の毛がふわりと風に舞うように逆立つ。身体の周りに風が渦巻き始めた。


「……俺の力が欲しいのか? だったら、くれてやる。――受け取れ」


 采希の額で、光がスパークした。

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