第22話 選択肢の先
少女が光の輪に吸い込まれるように消えた後、気が付くと白虎の姿はなく、シェンだけがきちんと前脚を揃えて座っている姿のまま浮かんでいた。
「シェン、これって……」
《マスターの物です。お借りしてきました。采希さんが使えるようなら、そのまま置いてこいと》
「俺、弓道とかやったことないですが。それに、和弓って素材は竹とかカーボン芯のもあるらしいけど……これ、金属っぽい気がするぞ」
とくん、と小さな鼓動が弓から伝わり、采希はひゅっと息を飲んだ。思わず放り出しそうになるのを堪える。
「……なに、これ?」
《本体は、とある神社に奉納されています。それはご神体の気を弓として実体化させたものです。……
『ご神体の気』と聞いて、采希はさっき驚いて投げ出さなくて本当に良かった、と思った。呪われたりしたら笑えない。
「シェンの巫女殿は一体どこからこんなもの……」
《それは存じ上げませんが――ともかく、采希さんにも扱えることが分かりましたので、あとは采希さんにお任せいたします。名を呼べば、現れますので》
「名前? 弓に名前があるのか?」
《はい。銘は、
「琥珀……」
采希が名前を呟くと、弓が微かに震え、光を発しながら縮小していく。小さくなった光が人型を形作った。
「人型にもなるのか……。便利だな」
「いや、采希! 弓がこんな、おかしいだろう? なんで人になるんだ?」
眼の前にいるのは、手の平に乗るくらいの、小さな水干姿の童子だ。
眼の前に浮いたまま、采希に向かって丁寧にお辞儀をした。
釣られて采希も、お辞儀を返す。
「琉斗、今さら何を騒いでいるんだ? 姫も同じくらいのサイズだろ?」
「大きさが問題じゃない! 弓だぞ? 弓が人間に――」
「人間じゃねぇだろ。それを言ったら姫だって人型だけど龍だぞ」
口を開いたまま
龍の欠片や管狐がいるのに何を今さら、と
「なあ、シェン、俺のこの龍神刀にも名前を付けていいか?」
あっさりと衝撃から立ち直った琉斗が、期待に満ちた笑顔でシェンに声を掛ける。
「は? お前、なに言ってんの?」
「采希兄さん、琉斗兄さんの木刀も、おそらく龍の気が入ってる。兄さんの弓と同じように人型になるんじゃないかな。さっきから何だかうるさいんだ」
「うるさい? 何が?」
「琉斗兄さんの木刀が」
「……」
那岐の感覚って、どうなってるんだろう、と采希は口を引き結んだまま那岐を見つめる。
不思議な事を平然と言い放った弟は、にこやかに采希を見ている。
「俺には何も聞こえないけどな」
頭をぼりぼりと掻きながら、ちょっと面倒くさそうにしていると、琉斗が期待を込めた眼で見ている。
「……なに?」
「采希が名前を付けてくれ。これは采希の力でその
采希はそんな琉斗に『だから、その俺の力ってのが問題なんですよね』と心の中で突っ込む。
どうせ口に出しても、琉斗が納得するとは到底思えなかった。
「待て待て、名前が必要か? まさか、その木刀を振るうたびに必殺技の名称を連呼する気じゃ……」
「いや、人型になるなら呼び名があった方がいいだろうと――そうか、必殺技か」
琉斗が呟いた言葉に、自分が余計な事を言ったと気付いた采希の頬が痙攣するように歪んだ。
「琉斗兄さんのセンスで付けたら、龍神様に嫌がられそう……」
那岐がぽつりと言い、采希は自分が諦めるべきだと悟った。
「俺、そういうの、苦手なんだけど」
琉斗が刀を振るった時の、炎のような軌跡を思い出す。
邪気を焼き尽くす、聖なる炎。
采希の脳裏に、浮かび上がる文字。
「……あー。
自信なさげに小さな声で告げる采希に、琉斗が嬉しそうに笑った。
琉斗が捧げ持っていた木刀が光の粒子になり、凝縮する。その光は巫女姿の童女になった。
「やっぱりそうか」
現れた予想通りの姿に、采希は苦笑いする。
「シェン、この木刀、龍神は龍神でも、サーガラじゃないな。お前の巫女の差し金だろ?」
《……ご存じでしたか》
「そうなのか? だから巫女装束なのか」
琉斗が手の平に童女を乗せながら、感心したように呟く。
「采希兄さん、なんで分かったの?」
那岐が首を傾げる。
「お前が『木刀に龍神の気が入ってる』って言った時にな。サーガラの気じゃなかったし、別の龍神だったら、多分そうかなって思ってたら巫女装束で現れたから。本人は巫女要素を否定してるって言ってたけど、結構自虐的なんじゃないか?」
《と言うよりは、采希さんに対する嫌がらせに近いかと。巫女と呼ばれるのを嫌がっておられましたから》
それはほぼ嫌がらせだろう、と采希も思った。
同時に、龍の気を使ってこんな風に動く人型を作るって、どれだけの力なのだろうとしみじみ思う。
その隣で那岐がじっと巫女姿の童女を覗き込んでいた。
「この子……もしかして、
「は? お前、何を……」
《そのようです。那岐さん、よくお分かりですね》
「やっぱり? なんだかさ、この子、真っ白なんだよね。生まれたばかりの赤ちゃんみたいな【気】なんだ。今は采希兄さんの力で動くだけだけど、成長すればある程度自分で考えて動けるんじゃないかな」
「この俺に、子育てしろって?」
采希は憂鬱な気分で天を仰ぐ。
今は彼女もいないのに、子育てってどういう事だよ。
「ったく、お前のご主人、一体どんなヤツなんだよ。ぶっ飛んでんじゃないの?」
采希は、横目でシェンを睨む。
《小学生》
「……は?」
《夏。山。祠。龍》
「……」
《思い出せなければ、それでいいそうです》
それらのキーワードが、采希の封印に関係しているのだろうと直感した。
お前に分かるか、と挑発された気がした。
むっとした表情を隠そうともせず、采希は挑戦的な口調でシェンに告げた。
「シェン、お前の主人に言っとけ。意地でも思い出す。そん時ゃ封印、全部解除してもらうから、首洗って待ってろってな」
琉斗が慌てて采希の肩に手を乗せる。
「さ、采希、仮にも相手はシェンのご主人で、今まで散々助けてもらった巫女さんだぞ。もう少し言い方が……」
「は? だから、なに?」
琉斗を睨みつけると、辺りに高らかな笑い声が響いた。
《いい顔だなぁ、采希! その挑戦、受けてやる。とっとと思い出してみろ。お前に出来るのならな》
「……~~~っ!」
軽く切り返されて、采希は言葉も出ない。ぎりぎりと歯軋りの音が聞こえてくる。
那岐が采希に見えないように、笑いをこらえている。
驚きに目を丸くした琉斗が呟いた。
「……本当に巫女、なのか? なんと言うか、男らしい性格のようだな」
シェンがそっとため息をついた。
* * * * * *
采希は琉斗と二人で、踏切の遮断機が上がるのを待つ。
那岐はまだ家で静養中だ。
電車が通り過ぎ遮断機が上がって、采希は気付いた。
線路脇に置かれた沢山のお供えの所に誰かがいる。
二人が一瞬顔を見合わせて近付くと、五十代くらいの女性がしゃがみ込んで手を合わせていた。
少し離れて女性の後ろに立つ。
長いこと手を合わせていた女性が、唐突に立ち上がって振り返った。
「……あ、……」
いきなり顔を突き合わせることになってしまい、采希と琉斗は固まってしまった。
女性が琉斗が持っている花束に眼を留める。
「花を、供えに来たの? この間亡くなった子の知り合い?」
「……いや……」
「はい、そうです。あなたもですか?」
采希が慌てる琉斗を制して、前に進み出る。
「いいえ、私は一年前にここで亡くなった娘の……」
一年前――では、この人の娘があの女の、と気付き、采希の表情が一瞬、
「娘がここで電車に飛び込んでから、急に事故が増えた気がして。何となく、娘のせいじゃないかって思ったの。だから毎月、ここに来ているのよ」
「失礼ですが、娘さんはどうして……」
思わず口をついて出た言葉に、采希は慌てて顔の前で手を振った。
「――! すみません、立ち入ったことを……」
女性はほんの少し笑って、眼を伏せた。
「娘は人見知りが酷くて、あまり友達もいなかったんだけど、好きな人が出来たらしいのね。でもその人に冷たくされて落ち込んでいる所に、付け込んで来た男に騙されて……。恨み事を書き連ねた遺書を残して逝ってしまった。娘の知り合いだという子がお葬式に来てくれたんだけど、そんなに仲良くなかったみたいでね、だからよく分からないんだけど……。そんなに追い詰められるまで気付いてやれなかったことが――」
淡々と語る姿に、采希の胸が痛んだ。
女性が語る娘の姿が、自分たちの知るあの霊とはあまりにかけ離れている気がした。
別の人物だったかと訝しんだ采希だったが、眼の前の女性とあの霊は良く似ている事に気付く。核を砕く直前、あの女が見せた表情。
采希が唇を噛んで眼を逸らすと、琉斗がほんの少し身体を乗り出した。
「ご婦人、自分を責めるのは良くないと思います。娘さんはあなたに心配を掛けたくなかったのだと思うから。確かに、自分が何か出来ていれば死なずに済んだかも、と考えてしまうと思う。でも、あなたがずっと自分を責める事を、娘さんは嬉しいと思うでしょうか? 俺は、まだ幸いにもこうして存在していますが……自分が亡くなって、家族がずっと後悔していたら浮かばれない気がします」
俯きがちに語った後、琉斗は弾かれたように顔を上げた。
「すみません! 知りもしないでありきたりな事を……配慮が足りず、申し訳ありません」
身体を折るようにして深々と頭を下げる。
琉斗にしては珍しいきちんとした内容に苦笑いしながら、采希は後を引き受ける。
「亡くなった人のことを想うのは供養になると聞きました。でも、それが恨み事だったり悲しみに満ちていたら、供養にはならないんじゃないかと思うんです。こいつが言いたいのはそういう事だと思うんで、言葉足らずで失礼な発言は勘弁して頂けるとありがたいです」
そう告げながら、采希は自分の発言も琉斗と大差ない、と気付いてがっかりする。
女性がちょっと驚いた顔をして、やがてにっこりと笑った。
「そうね、あんまり悲しむと成仏できないって聞いたことがあるし。あなたたちは兄弟かしら? あの子にも妹がいるんだけど、あなたたちのように仲が良ければ少しは……」
またネガティブな発言をしそうになり、慌てて口を手で覆う。
少し自嘲気味に笑って、お礼を言いながら去って行く後ろ姿を見送りながら、琉斗が呟いた。
「あのご婦人に、心の平穏が訪れますように……」
少し項垂れて立つ琉斗の膝裏に、采希は後ろから軽く自分の膝を入れる。
「――っと! ……何をするんだ采希?」
「うっせー。何かむず痒くなったんだよ」
「……」
「なに? そんなに痛かったのか?」
「いや……」
俯きながら琉斗は首を振る。
「どんなに祈っても、あの人の娘は……。もう成仏はできないんだと思って……」
そういう事か、と采希は納得した。
あの人の娘の魂を消滅させてしまったと思っているから、あんなに饒舌に話したのかと。
ここはきちんと安心させるべきだろう、と琉斗に笑ってみせる。
「――あのな、消えてないぞ」
「……え?」
「俺も、矢があの――女の魂を貫いて消滅させたと思っていたんだけど。どうやら砕いただけで、時間を掛けて、いずれ本人が反省して望めば上がれるらしいんだ。……シェンの説明がよく理解できないんだけど」
琉斗が眼を丸くする。
「『破魂じゃない、破邪の弓だ。誰が作ったと思ってんだ!』だそうだ。巫女殿がそう言ってたらしい」
「……そうか」
まだ何やら考え込んでいる琉斗の手から花束を取り上げて、供養の品が並んでいる方に歩き出す。
そっと花束を置いて、手を合わせた。
(俺にも、除霊ではなく浄霊ができれば……。役に立てなくて、ごめんなさい)
心の中で、あの場にいたであろう全ての念に詫びる。自分に出来ることなんて、謝ることくらいだ。
振り返ると琉斗はまだ俯いて立ち竦んでいた。
「どうした?」
「采希、俺は……」
一瞬顔を上げ、また俯く。
「昔のお前が……命を絶つことを選ばないでくれて、本当によかったと思ってる」
「……昔の話だ」
高校生の頃だ。采希は、自死を考えていた時期があった。
ある事件があり、絶望して誰の言葉も信じられなかった。
そこから救い出してくれたのは、他ならぬ自分の家族だった。
「シェンがさ、俺を脅すんだ」
「……?」
「自ら命を絶った魂がどうなるか、ってさ。聞いてたらほんっとに怖くてな。……聞きたいか?」
琉斗が眼を見開いて、ぶんぶんと首を振る。
それを見届けて、采希は笑ってみせる。
「怖いから、寿命に任せることにするよ」
* * * * * *
采希が自分の部屋のソファに横向きに胡坐を掻いて座り、腕組みをして考え込んでいると、
「どうした、采希?」
采希の見つめる先を追って、ぷっと吹き出す。
「なんだこれ、可愛いな」
采希の脚の傍で丸くなって眠っているのは、弓の琥珀と木刀の紅蓮。今は人型になっている。
「お前、琉斗に力を渡したって?」
凱斗の言葉に、采希はゆっくり首を横に振った。
「あれは、渡したとは言わないだろ。どっちかってーと『持って行かれた』んだと思うぞ」
「……ほぉ」
弓と木刀の精霊を間に、采希と凱斗で挟むようにソファに座る。
「琉斗はお前の力を自分の意思で奪い取る事が出来るってことか?」
「……わかんねーな。これまでそんな兆候は一切なかったし。琉斗も何で出来たのか、分かってないみたいだ。結局、暴走しやがったしな。もうあんな事は御免だ」
凱斗が難しい顔で考え込んだ。
「でも、琉斗の木刀はお前の力を通して初めて破邪刀として使えるって、那岐が言ってたぞ。自在に力の受け渡しが出来ないなら、正に無用の長物だろうが」
「そうなんだよなー。俺には扱えないみたいだし。なんで龍神はこんな物を琉斗にくれたんだか」
困り顔で天を仰ぐ采希に、凱斗はちょっと笑う。
双子の弟に何となく置いて行かれたような気分になっていたが、まだまだ先は遠そうだ。
「そう言えば、采希と那岐は例の巫女さんの顔を見たんだろう?」
「……あー」
「那岐がすごい美女だったって言ってたけど」
「それは、そうなんだけどなぁ」
那岐がシェンをサイコメトリーすれば巫女の顔が見れるんじゃないかと言い出し、シェンに巫女の話を振ると同時に采希が読み取った。
采希の頭の中に展開されたスクリーンに映し出されたのは、可愛いとか甘いとかの言葉とは無縁そうな、凛々しい女性。
大きな眼ときりっとした眉、シャープな輪郭の女性だった。
シェンの目線だったらしく、呼び掛けに応えるようにこちらを向き、ふわりと笑顔になる。その表情に、一瞬、采希も那岐も硬直した。
その体勢のまま、気付くとシェンがいなくなっていた。
おそらく、シェンの記憶から読み取ったことがバレて強制帰還させられたのだろう。
「しばらくシェンには逢えないだろな……」
「へえ、そうなのか? でも、眼の保養にはなったんじゃねぇの?」
「……俺には、シェンに逢えないことの方が大事」
「…………」
それはお前、どうかと思うぞ。
そう言いたい気持ちを、凱斗は辛うじて堪えた。
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