第21話 反撃の矢
先程、いきなり大きな力を使ったせいで、少し身体がフラついていた。脚に力を込めて倒れないように踏ん張り、大きく深呼吸をする。
さっきの力はなんだろう、と考えた。
竜巻を起こした風と、雷雲から放電された雷。
その力は、自分が意識的に放出できるのだろうか?
戸惑いながら、采希は目の前で蠢く塊を見上げる。
「采希、もう倒れそうじゃないか! 俺が替わる! 俺に力をくれ!」
「……バカか? さっきの、見ただろう? 俺でも制御できないんだ。多分お前には、無理だよ」
急に肩を掴まれ、采希は無理矢理後ろを向かされた。
「采希!」
「……だから、無理だって!」
今にも爆発しそうな怒りを抑えた琉斗の顔に、采希は少し驚く。
こんな表情は、これまで見た事がなかった。
その表情がふと哀しげな色に変わる。
「あの子が苦しんでいるのが見えるだろう? あんなことは許せない。俺は、あの子を救いたい。そして、お前たちを護りたいんだ」
采希の肩を掴んでいた琉斗の手に力がこもる。
その瞬間、采希は掴まれている肩の部分が急激に熱を帯びた気がした。
身体中の血液が琉斗の手に吸い寄せられているような、不思議な感覚。
視界がブレて身体から力が抜け、立ち眩みを起こしたようにすうっと落ちそうになる。
倒れないように両足に力を込めた采希は、琉斗の身体がびくりと
琉斗は、ゆっくりと采希の肩から手を離し、だらりと腕を降ろした。
俯きがちなその顔から、表情は読み取れない。
采希の身体を横に押し退けるようにして、霊の集合体に歩み寄って行く。
「……琉斗? おい、琉斗!」
声に反応せず歩き続ける琉斗の肩に手を掛け、琉斗の前に回り込む。
その眼を覗き込んで、采希は思わず息を飲んだ。
(……左眼が、紫?)
右眼は元のまま、左眼だけが紫の光を湛えている。
驚く采希に目もくれず、琉斗はまっすぐに大きな霊の集団に近付いて行く。
《お兄ちゃん!》
小さなレディが必死に叫んでいるのが采希には分かった。その声はおそらく、琉斗には届いていない。
立ち止まった琉斗の身体は、さっきの采希と同じように周囲に竜巻を起こし始めた。
(やばい!)
采希が慌てて駆け寄ろうとするが、近付けない。
さっき自分が起こした暴風よりはマシなようだが、無理に傍に寄ろうとすると、顔を庇っていた腕に無数の細かい切り傷が出来た。
風で呼吸がうまく出来ない。
振り返るとヴァイスも全身で那岐を暴風から守っている。
(……くそっ……ヴァイスも動けない、どうすれば……風……?)
「サーガラ!」
風に逆らって、龍を呼ぶ。
龍ならば風を操作することも可能なんじゃないかと、咄嗟にそう思った。
采希の頭の中に声が響く。
《今、
「……遣い?」
《采希さん!》
視界の端に現れた光の中から、くるりと回って姿を見せたのは、青銀の被毛のロシアンブルー。
「シェン!」
《これを、お使いください!》
シェンの傍に、長い弓が現れた。采希の方にふわりと移動してきた弓を思わず受け止める。
その受け止めた右手がぼんやりと光り、弓掛が装着されているのに気付いた。
「な……これ、和弓? でも……俺、使えな――」
《時間がありません、急いで!》
「……シェン、矢は?」
《弦の中仕掛けを、右手の親指の根元で引っ掛けるようにして引いてください!》
シェンの勢いに押され、言われるがままに弓を構えて中仕掛けに指を当てる。
「だから、矢はどこって――」
《そのまま、引き切ってください》
「…………どこを狙うんだ?」
《琉斗さんです》
「――は?」
従兄弟が標的と言われて采希が目を
《心配ない。今、風を止める。その瞬間を狙え》
「いや、そう言われても……」
矢のない弓でどうしろってんだ……。
それに、琉斗を射るって……。
でも、時間がないって……。
眼を閉じ、息を吸って、一瞬止める。
眼を開けて琉斗の背中を見つめる。
静かに息を吐きながら一度両腕を頭上に掲げ、腕を降ろしながら弓の弦を静かに引き始めた。
「――!」
ゆっくりと引かれる弦と弓の間に、光の矢が現れた。
引き続けると、その距離に合わせて徐々に長くなっていく。
琉斗の背中に狙いを定めた。
風が一瞬、途切れる。
【会】から【離れ】。矢が解き放たれる。
光の矢は真っすぐに琉斗に向かって飛び、琉斗の背中に吸い込まれるように消えた。
琉斗の身体が光に包まれ、その動きを止める。周囲の風も瞬時に凪いだ。
立ち止まった琉斗が一瞬、自分の身体を確認するように視線を落とし、采希を振り返る。采希は琉斗に駆け寄った。
「おい、大丈夫か?」
「……采希、何があったんだ? 暴れていた力が急に大人しく……。まさか、力を使い果たしたのか?」
《いいえ、采希さんの力を琉斗さんに
宙に浮かんだままのシェンに、琉斗が眼を留める。
「……あ、シェンじゃないか。どうしたんだ、シェンの言葉がわかるぞ?」
「それより、これ、どうしたらいい?」
采希が眼の前の大きなゲル状の塊を指さす。
《ここからあの少女の霊を救い出したい、という事ですね?》
あの少女だけじゃない、このでかい霊の集団とあの女もだと思いつつ、采希はシェンの問いにひとまず頷いた。
采希の起こした暴風でまだダメージが残っている塊を眉を顰めて見ていると、上空から龍の声がした。
《琉斗、手を出せ》
龍の声に反射的に空を見上げた琉斗が、驚いた表情をする。
「……え? 龍神?」
恐る恐る、琉斗が両手を差し出すと、空中に木刀のような物が現れ、琉斗の手の上に降りて来た。
握り部分の少し上に梵字が刻まれている。
「……カーン――不動明王だ」
采希が呟くと、琉斗はきょとんとした顔で采希を見た。
《それで、その塊を切り裂くことが出来る》
「……これで、レディを救えるのか。承知した」
琉斗が妙に慣れた手つきで木刀を握り直す。
上段に構え、霊たちのいない部分を狙って袈裟懸けに振り下ろす。
紅い炎のような光の軌跡を残して黒い気の一部がすっぱりと切り裂かれた。
「これでいいのか?」
切り裂かれた部分が修復されていないのを確認した采希が頷く。
「ちゃんと斬れてるな。そのままあの子の所まで行けるか?」
「任せろ」
琉斗が木刀を振り回し、ゲル状の気を切り裂いて行く。
剣道の心得はなかったはずなのに、琉斗が握っている木刀はほとんどその重さを感じなかった。
自分の腕の延長のように感じながら、琉斗は苦しむ霊たちを可能な限り避けてゲル状の部分を斬っていく。
「レディ!」
女の子――小さなレディの傍まで到達し、琉斗が手を伸ばす。
その琉斗を捕えようと、踏切の女が嬉しそうに身を乗り出した。
采希が再び弓を構える。
女の腕が、琉斗が切り裂いた気の隙間から出て来た所を狙って、采希は引き絞った弓から矢を放つ。
ものすごい叫び声を上げて、女が少女の手を離した。
「琉斗!」
すかさず琉斗が少女を片手で抱きかかえ、こちらに戻って来る。
《琉斗、その刀を地面に》
少女を降ろし、龍神の声に従って木刀をコンクリートの地面に突き立て、その上に両手を添える。
琉斗の周りで静かに風が巻き起こる。
一瞬、また竜巻が起こるのかと采希は思ったが、静かな風は琉斗の髪をふわりと舞い上がらせた。
眼を閉じたまま、琉斗が何か呟く。
その声が次第に大きくなり、眼を開ける。
「なうまく さまんだ ばざら だん かん!」
霊の集合体の塊が、間欠泉のように地面から湧き出た眩しい光で包まれる。
思わず目を閉じた采希がそっと薄目を開けると、黒い塊はキレイに消えていた。
踏切にいた女だけが、采希に射られて消えた片腕を庇うようにして浮かんでいる。
《采希、
「了解」
龍神の声に応え、采希は
狙うのは、女の中の核。どす黒く濁った核が
光の矢は真っすぐに正確に、悪霊の核を貫いた。
* * * * * *
「シェン、久し振りだな」
《……はい、大変申し訳ないのですが……》
「――何? もう帰るのか?」
《そうではなく、あの……マスターから、伝言が……》
「は? マスターって、シェンのご主人様?」
《はい……》
采希の目線の高さに浮いたまま、シェンが口ごもる。
おそらく逢うことはないと思っていたシェンの主人と聞いて、采希は少し興味が湧いた。
「伝言って、何だ?」
「おぉ、例の巫女さんか」
何故か琉斗も嬉しそうに采希の隣に立った。
《……声を、お届けいたします》
映像じゃなくて声だけなのか、と、二人がのんびり思っていると、周囲に大きな声が響く。
《こぉぉぉのぉ、馬鹿者共!!!》
采希と琉斗は眼を見開いたまま、硬直してしまった。
辺りが静まり返った。少し離れた所にいた那岐も眼を丸くして、口をぽかんと開けている。
「……えっと、シェン?」
《聞いての通り、です》
「……すっげー怒ってる?」
《はい》
申し訳なさそうに眼を逸らすシェンの顔を覗き込む。
「……なんで怒ってるのか、聞いていいか?」
《琉斗さんが、強引に采希さんの力を奪って行った事に対して、ですね》
采希がちらっと隣にいる琉斗を見ると、琉斗は俯き気味に頭を掻いている。
「なんだ、俺じゃないんだ」
ほっとしていると、シェンが采希の眼を見つめる。
《采希もだ! きちんと自分をガードする事を覚えろ! だから暴走したりするんだ、馬鹿者!》
「……は……」
再び響いた声に、采希が口を開けたまま眼を
途端に琉斗が吹き出した。
向こうで那岐も笑っている。
「つまり、あれだ。俺が勝手に采希の力を奪って使おうとしたのが良くなかったと、そういうことか、シェン?」
笑いながら言う琉斗に、シェンが頷く。
《琉斗さんに関しては、そうだと思います。采希さん、龍からご自分の身体をガードする
采希が眼を瞑って、思わず天を仰ぐ。
確かに龍から常に自分の身体を護るためにと教えられた事をすっかり失念していた。
龍にではなく巫女に怒られたのは予想外だったが、怒られても仕方ない、と采希は思った。
琉斗が笑いながら、物理的法則を無視してコンクリートに突き刺さった木刀を引き抜く。
「ところで龍神殿、これは、俺への贈り物だろうか?」
《お前なら、使いこなせよう。ただし、霊などに干渉できるのは、采希の力を借りている時のみだ。それ以外は単なる木刀に過ぎん》
「心得た。感謝する」
龍が消えて行った空を見上げながら、采希が呟く。
「俺が龍神に頼んだのは琉斗の武器じゃなくて、琉斗を護ってくれるモノ、だったんだけどな」
木刀を手に、嬉しそうな琉斗を眺める。とりあえず、本人が満足してるならいいか、と、考えることにした。
「それにしても、俺の力を借りている時だけ? それって、ほとんど使えないって事じゃないのか」
采希が腕組みをして、考え込む。
「采希、俺に力を貸してくれる事ができるようになったのか?」
「……誰が?」
「お前以外に、誰がいるんだ?」
「……そんな事が出来るようになった覚えはない」
二人が同時にシェンを振り返るが、シェンは『知りません』と言わんばかりに大きく首を横に振った。
「とにかく、これで俺でも、少しは役に立つようになったな」
嬉しそうに笑う琉斗に、采希は眉を顰めてみせる。
「どうやって力を貸すのかって大問題が残ってるだろ」
「それでもだ、これで俺も闘える」
「……
那岐が白虎に支えられるようにして、采希と琉斗の傍に歩いて来た。
大丈夫なのかと眼で問い掛けた采希にこくんと頷いてみせる。
「琉斗兄さん、さっき
「真言?」
「お前が前に言ってた、マントラってヤツの事だ。――なんでマントラって言葉を知ってて真言を知らないんだ?」
何を言われているのか分からない、といった顔で那岐を見た琉斗に、采希が答える。
「なうまく さまんだ ばざら だん かん。お前が唱えたそれが、不動明王の真言だよ」
「そうなのか? じゃあこのマークは?」
木刀を掲げながら首を傾げる琉斗に、采希は思わず額に手を当てた。
「マークって……梵字って言ってくれ。それも不動明王を現す梵字」
「真言は、急に頭に浮かんだんだ。不動明王か……采希、あの時俺は、浮かばれない霊たちを消し去ってしまったのか?」
「浄化するのは高等技術らしいからな。多分、吹き飛ばしただけで、除霊はしてないと思うぞ。だから、お前は消してない。多分、消したのはあの踏切にいた
采希は自分が核を砕いた女を思い出す。
あの光の矢が、どんな効果を持っていたのかは分からない。
でも他の取り込まれた霊たちと違って、あの女の核は砕け散って消滅した。
自分の、せいで。
木刀を眺めながら、琉斗が疑問を口にした。
「あの女は俺をどうしたかったんだろう?」
「取り込んで、もっと力を付けたかったのか、それとも単に気に入ったからなのか、分からないけど。でも取り憑いた人間を自殺に追い込んでたことは間違いないみたいだな」
采希が憂鬱そうに答える。
「自殺に追い込む? だからあの踏切で事故が多かったのか?」
「ああ。消える瞬間に、あの女の歪んだ望みが見えた。自ら命を絶った。そんで、自分だけが不幸で苦しいのは嫌だから、他の人も不幸にしようとした」
「……」
「あの時はこんなヤツ、消すべきだって思ったけど。他に方法があったのかもな。いくら悪霊化してても、俺の一存で消してしまっていいものか、って……」
俯きがちに話す采希の肩に、静かに歩み寄った那岐が手を乗せた。
「兄さんの気持ちも分かるけど、あいつは自分で命を絶った挙句、何人もの人を巻き添えにしたんだ。裁く権利は僕らにはないけど、出来ることを精一杯やった結果だと、僕は思うよ。天の神様ならどう思ったか分からないけどね」
琉斗も、采希の頭をくしゃくしゃとかき混ぜる。
「そうだな。俺たちは出来ることをしただけだ。もしも罰を受けるなら、俺も一緒に受けて半分にしてもらおう」
「琉斗兄さん、三分の一っすよ。僕も一緒で」
「そうだな。一緒がいいな」
琉斗が笑いながら言った。
采希はぐっと息を止め、涙が出そうになるのを必死に堪えた。
ずっと傍でしゃがみ込んでいた小さな女の子が、ふと海の方を振り返る。
「どうした?」
琉斗が聞きながら、彼女の目線を追って海の沖を眺める。
あまり遠くないところに、光の環が浮かんでいるのが見えた。
「なぁ、那岐、あの光って……」
采希と那岐も琉斗と同じ方に視線を向ける。
「もしかして、あの向こうが彼岸?」
「……だと思う。この子が
采希が小さな女の子の傍に、目線を合わせてしゃがみ込む。
「お嬢さん、もう、向こうに行くか? まだやり残したこととか、ある?」
采希の眼をじっと見つめ、にっこりと微笑む。
《ううん、ない。お兄ちゃん、歌ってくれてありがとう》
琉斗が慌てたように手を差し出す。
「レディ……」
小さな女の子が琉斗の手を両手で握った。
ふわりと浮き上がり、空中を海の方に移動していく。
光の輪の中に吸い込まれる直前、琉斗たちを振り返り、微笑むのが見えた。
「あの子は天国へ、行けたんだろうか」
「光が迎えに来たなら、そうなんじゃないかと思うけど」
「……そうか」
琉斗が目元を手で拭う。
「次は、幸せな人生に生まれて欲しいな」
「……うん」
三人並んで、光の輪が徐々に小さくなるのをずっと眺めていた。
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