第3章 不可侵領域の祟り神
第12話 連累の挑発
縁側で一人、
座っている采希の膝の上には、小さな龍の姫がちょこんと座っていた。
「俺の力って、どの位封印されているんだろ?」
ぽつりと呟く声に、姫が意外そうに采希の顔を見つめる。
《突然、何?》
「あー……シェンがこの間帰る時、また封印してったと思ってたんだ。でも、色々と、
《采希が負担なく使える程度には、もう開放されてるはず。シェンじゃなくて、その主とやらに繋がってる気配がしたから、無理に封印するよりは、って解放したままになってるみたい。采希が使おうと思えば使えると思う。だから金剛杵を貰ったんでしょ》
言われて、はっと思い出す。そう言えば、気付いたらその金剛杵が見当たらない。
「あ、そうか。でも、俺、無くしたかも」
《必要になれば、ちゃんと現れるから大丈夫》
姫の言葉に、采希は首を傾げる。現れるとはどういう意味なのか分からない、という顔だ。姫は構わず話を続ける。
《采希の力は、きちんと開放されたのが多分20%くらいだと思う。あとは、封印されてる》
「そんなに? ほぼ使えないってことか」
《采希の身体が、危険だから》
そう言われ、采希は少し考え込む。
力と身体が釣り合わない、と言われた事を思い出す。采希の身体は、采希の持つ力に耐えられないと。
(なんでそんな分不相応な力を……そう言えば、絶対開かない封印ってどうなってるんだ?)
《それは、封印した本人にしか解けないようになってるから》
――あぁ、そういう事か……と納得しつつ、采希は気付く。
「姫、俺の思考を読むなって言ってるだろ」
《……あ……》
「言葉に出す寸前の思考だけとはいえ、あまり気分のいいものじゃないからな」
《……はい》
山を降りてからずっと、龍の姫は何故かいつも采希の傍にいるようになった。
そのせいか、采希の表層意識を読んで応えるようになってしまっていた。
「人前とかで話せないような場合はきちんと呼び掛けるようにするから。それと、なんでいつも俺にくっついてんだ?」
姫がきょとんとした顔で采希を見つめる。
《え……? あ、言ってなかった? 采希の【気】を、時々分けてもらってて……》
「……そう言う事は、先に言ってくれ」
* * * * * *
「采希兄さん、タタリって、あるの?」
居間の入口で立ち止まったまま、中に入ろうとする様子はない。
その両手は鳩尾の辺りを押さえていて、強張った表情をしていた。
「は? いきなり何だ? ……まぁ、俺はあると思うけど。この世には色んな気や念が溢れてるし、それらの悪意っていうか、そういうモノに当てられるのが
「そうなの?」
「中には本当に何かの意志が報復する場合も、あると思うけどな」
「何かのって――神様とかでも?」
「日本の神様は本来、祟るモノ、って言われてるらしいぞ。それがどうか……榛冴、何か、あったのか?」
「……なんでもない……」
くるりと踵を返し、榛冴はそそくさと二階に上がって行った。
普段は母屋で寝泊まりしている榛冴だが、凱斗たちの部屋に榛冴用の布団は用意されている。
今日はこっちに泊まっていくのかと思いつつ、榛冴の去った方を見つめる。
「……何だったんだ?」
思わず呟くと、
「なんでもない、って感じじゃなかったな」
「……やっぱり、そう思った?」
「何か隠してるだろ、あれは。もしくは、言いにくい事がある」
そこまで分かってるなら、自分の弟の話を聞いてやればいいのにと思いつつ、采希は凱斗の方をを見る。
「俺はそんなに気の利く方じゃないから、言ってもらわないと分からない。でもわざわざあんな話題を振ってくるって事は……凱斗、俺は榛冴から聞き出すべきだったか? 言い出すまで放っておくのが良策か?」
「後者かな。あいつ、頑固だし。俺たちには言いたくない事情でもあるのかもな。
凱斗の言葉に頷きながらも、采希は少し怯えた榛冴の表情がかなり気になっていた。
榛冴は年齢が近い那岐に一番懐いている。多分那岐になら打ち明けるだろうと、采希も思った。
玄関の引き戸が開けられる音がして、低めのトーンで声がする。
「ただいまー」
その音量と低音で、二人とも
思わず顔を見合わせた、凱斗と采希の頬が痙攣したように僅かに動いた。
「玄関に榛冴の靴があったが……榛冴、来てたんじゃないのか?」
「榛冴ならさっき来た。二階にいる」
凱斗が、琉斗の顔を見もせずに答えた。
それどころか、琉斗に表情を悟られないように半ば顔を背けている。その顔は、笑いを堪えていた。
最近、立て続けに良くない霊に憑依された琉斗を心配して、それぞれがお守りを用意した。
誰も相談したわけではなかったが、偶然、みんな同じことを考えていた。
相談しなかった結果として、見事に統率の取れない贈り物になってしまった。
凱斗は神社の厄除けのお守り。
那岐は、以前采希に作ったような銀細工の、銃弾を模ったネックレス。
榛冴は近隣の教会で購入したロザリオ。
母親たちからはパワーストーンのブレスレット。
そして采希は、神社で鈴を購入していた。
律儀な琉斗は、それらを全て身に着けて外出するため、見た目がすごいことになっていた。お守りまで首から下げているので、銃弾のネックレス、金の十字架のロザリオとともに胸元が騒がしいことこの上ない。
母たちから贈られたブレスレットは当然手首に納まっていたが、とどめが采希の鈴だった。その鈴は何故か腰の辺りに付けられていて、動くたびにころころと音を奏でた。うるさくて仕方ない。
さぞや周囲の人にも嫌がられるだろうに、当の本人は自分のために用意してもらったものだから大事に使う、と嬉しそうに語っていた。
おそらく自分たちの中でただ一人、全く身を護る力をもたない琉斗。しかも何度も憑依されている。
みんなそれなりに心配した結果の贈り物だったが、琉斗本人はあまり気にしていないように思えた。
これまでもその姿を見るたび笑いを堪えていた凱斗は、見たらまた吹き出してしまうと思ったのか、眼を合わせないようにしながら言った。
「何か気になってる事があるような感じだけどな。琉斗、榛冴から話を聞いてみてくれ。俺たちには言いにくいみたいだから」
何気ない風に話しているが、凱斗の肩は小刻みに震えていた。
「そうか。分かった、ちょっと話してくる」
いそいそと琉斗が二階へと消えた。
「……凱斗、笑いたいなら笑えばいいんじゃないか?」
「だってお前、あいつ、猫みたいじゃん。動くたびに鈴が鳴ってさ。あの恰好で会社行くのに街の中歩いてんだぞ。さすがに仕事中は外すだろうけど……あんまりだろ。采希、わざと嫌がらせしてんのかと思ったよ」
堪え切れなくなって凱斗が笑い出す。
「いや、一応、鈴は神様を呼ぶって言われててな。わざわざ神社まで行って買ってきたんだけど」
「まさか腰に着けて歩くとは思ってもみなかったな」
「うん、あのセンスには驚いた」
二人でひとしきり笑い合う。
家ではうるさいから鈴だけでも外せと言っていた
階段を降りる音がして、琉斗が姿を見せた。
「どうだった?」
鈴の音が聞こえないことを疑問に思いながら、凱斗が琉斗の方に顔を向ける。
「……あぁ、『琉斗兄さん、憑依されるってどんな感じ?』と聞かれて困った。それだけだったんだが――何かあったのか?」
采希と凱斗が顔を見合わせる。同時に眉が寄せられた。
「真面目な話をしたいのに鈴がうるさい、と言われたから外したのに……」
真顔で言う琉斗に、凱斗は『やっぱり』と言いたげに溜息をついた。
「ここは、那岐の出番かな」
「……ですねぇ」
采希が答えると、タイミングよく玄関から元気な声が聞こえた。
那岐が榛冴から聞き出している間、采希たち三人は特に会話もなく待っていた。どんなに耳をすましても、二階の会話は聞こえてこない。
しばらくして弟たちが降りてきた。
「……あのね、僕……」
「榛冴、僕が話そうか?」
「大丈夫だよ、那岐兄さん」
言い出しにくそうな様子の榛冴の言葉を全員、車座に座って黙ったまま待っていた。
「……うちの会社にアルバイトに来てる女の子なんだけど……最近、なんだか落ち込んでてさ、いろんなパワーストーン集めたり、占いとか通ったりしてたんだけど……神社とかにもよくお参りしててさ。以前、一緒に帰った時もすごく小さなお社にも手を合わせてたんだ」
采希が一瞬だけ榛冴の頭上、天井付近を見た。
すぐに戻されたその視線に、凱斗が気付く。
「でさ、この間、他の子も一緒にいる時に……隣町にある神社で……その子、おかしな事を……」
「……おかしな事って?」
凱斗が、口の重い榛冴に先を促すように聞いた。
「お稲荷さんだったんだけど……狛犬、じゃないね、狐の石像があるでしょ? あれをいきなり壊そうとして……」
「……は?」
凱斗が怪訝そうに片方の眉を上げる。
「女の子って、言ったよな?」
「うん。慌ててみんなで止めたんだけど、そのままお社の扉を開けようとしたり……」
ふと、采希と那岐の眼が合った。
黙って二人が立ち上がり、琉斗の両隣に座り直す。
「その日は何とかその子を家まで送り届けたんだけど、それから連絡が取れないって言うんだ。同僚の子の話だと、家でも暴れたり奇行が続いているって……」
「奇行って、どんな?」
「異常な過食とか、それも手掴みでね。奇声を上げたり、目付きが異様だったり、這うように歩いてたって聞いてるけど」
室温が急激に下がった気配がした。
ゆっくりと室内に目線を配りながら、采希と那岐が同時に、それぞれ琉斗の手を握る。
琉斗が驚いたように采希と那岐を交互に見た。
「……質問は、後でな。琉斗、喋んなよ」
琉斗が慌てて口を閉じる。
凱斗が何かに気付いたように辺りを見回し、采希たちの様子に気付いた榛冴が息を飲んで黙った。
采希の肩に、光とともに龍の欠片である姫が現れる。
「……姫さん?」
唐突に采希の肩に現れた龍の姫に、凱斗が少し戸惑ったように声を掛ける。凱斗に一瞬目を向け、姫が采希に言った。
《――采希、マズい……》
「分かってる。姫、榛冴の傍にいてくれ。ヴァイス、琉斗を頼む」
そう言って采希が那岐と共に立ち上がると、空間が捻じれて、白虎が姿を現した。琉斗の背後に回り、その腹部に琉斗を抱え込むように寝そべる。
那岐も琉斗から手を離し、部屋の真ん中に立つ采希と背中合わせに立った。
「兄さん、これ、……だいぶヤバくない?」
「ああ。……ん~、光の気を家の中心から拡げて行くって、どう?」
「それ、採用。行きまっせ」
背中から、那岐の力が采希に伝わる。
どうやら自分たち兄弟は、一緒にいるとお互いの力を増幅させるらしいと、采希は先日の一件で感じていた。
那岐から放たれた気が、以前お参りした神社の気と同じことに気付き、ゆっくりと同じ気を作り出す。
憑き物落としで有名な神社だ。その山全体を覆った気を思い出す。
(なるほど、動物系には狼ってことか……)
采希が那岐の気に同調させ、狼が護る神社の気を練り上げる。二人の周りを、金粉をまぶしたような淡い光が取り巻いていく。
家全体がびりびりと振動する。
采希の視線を受けた龍の姫が榛冴から離れ、ふわりと采希の頭上にやって来た。
「姫様、少しの間でいい、外のヤツをおさえててくれる?」
那岐の言葉に、姫が小さく頷いた。
「那岐、行くよ」
「おっけー、爆発させないようにね、采希兄さん」
二人で作った【気】をゆっくりと拡げる。
家全体を包み込んだところで、家の振動と妙に肌寒い気配が消失した。
それまで硬直していた榛冴が、口をぱくぱくと動かす。
ずっと凱斗にしがみついていたため、凱斗の服に微妙な皺ができていた。
那岐が凱斗を振り返る。
「凱斗兄さん、視えた?」
凱斗が頭を掻きながら答えた。
「いや、何も……でも何となく、狐かなって。お稲荷さんの話してたから、そう思ったかもしんないけどな」
凱斗と那岐の会話を耳にした采希が、首を傾げながら尋ねる。
「凱斗、視る訓練でもしてんのか?」
「まーな、お前たちにだけ、毎回頼るのもどうかと思ってさ。でも、なんも視えねーの。頑張ってんのにな、がっかりだわ」
「へぇ……」
凱斗はその身体が邪霊などを寄せ付けないので、本人は視えなくても何の不都合もない。それでも自分には関係ないから、とは考えていなかった。
自分に何も出来ない事を凱斗が歯痒く思っていることは、采希も気付いていた。
いつでも先頭に立って動き出す性格の凱斗だけに、さぞかし悔しい思いをしているのだろうと思った。
「俺だけ無事でも、意味ねーじゃん。だから、どうにか使えるようにならないかって思ってんだけどね」
「あー、だからあんなに俺にしつ……聞いてきたのか」
采希は先日、琉斗を憑依から解放した時の事を思い出す。
どうやって邪念を剥がしたのかと、凱斗から後々までしつこく聞かれたが、采希は自分でも分からないのでとても返事に困った。
「采希、終わったのか?」
琉斗がそっと采希に声を掛けた。
琉斗の背中にぴたりと張り付いていた白虎が消えたため、もう大丈夫なのだろうとは思ったが、そっと囁くような声になってしまった。
「あぁ、とりあえず」
「そうか」
「……結局、なんだったんだ?」
凱斗の疑問に、那岐が榛冴の肩を安心させるように軽く撫でながら答える。
「凱斗兄さんの感じたとおりだよ。榛冴の言ってた子に憑いてる狐だね」
「えー、じゃあ、榛冴に鞍替えしようとしたの?」
榛冴が小さく怯えた声を出す。何て事を言うんだ! と言わんばかりに凱斗を睨み付ける。
「多分、榛冴を脅しに来た……かな? 采希兄さん、どう思った?」
急に振られ、ぼりぼりと頭を掻きながら采希が答える。
「……あー、その前に、榛冴」
「……はい」
「お前とその子が二人で行ったって言う小さなお社って、誰かの家の敷地にあったりしなかったか?」
「え? ううん、わかんない。ちょっと林みたいになってる所の、道から林の奥に入った場所にあって……その子も前に偶然見つけたって言ってたけど。そう言えば、林の傍にかなり古い大きな家があったよ」
少し、采希は考える。自分の記憶のどこかに、以前得た、似たような情報があったはず。
「那岐、その林にあるお社は、多分誰かが自分の土地のために勧進したまま、放置されたお稲荷様だ。その子が何度もお参りしたことで、変な方向に活性化したんだと思う」
「変な方向?」
「うん、自分は崇め奉られる存在だ、だからもっと大きな社でもっと沢山の人にお参りされたい……かな?」
「いやちょっと待て、誰かがって、お稲荷様を個人で所有するってことか?」
凱斗が采希と那岐を交互に見ながら聞いて来た。
「そういうケースもあるらしい。ただし、きちんと祀ることが必要になる」
「もし、きちんと出来なかったら?」
「……ずっと放置されたために善くないモノになっていた、とか言う話を聞いた事がある。だから、そこは責任を持ってきちんとしてもらうしかないだろ。お世話出来ないならちゃんとした手順で戻っていただくとか。ただ放置するなら、報復を受けても自業自得なんじゃないか?」
「でも、榛冴の会社の子は……」
「……運の悪い事に、そのお稲荷様に気に入られたのかもな。何度も通ったりしてたとか」
凱斗の表情が歪む。凱斗が理不尽に感じているのは、采希にも分かった。真摯にお詣りして祟られるなんて、本人にとっては予想外もいい所だ。
采希の肩の上に乗った龍の姫が、同意するように頷く。
難しい顔をした那岐が采希に確認するように尋ねた。
「自分はもっと祀られるべき存在だと思ったから、だから、自分のとこより大きなお稲荷さんのお社に入り込もうとしたの?」
「俺にも確信がある訳じゃないけど、状況的にはそうなんじゃないかと思う」
「だって、そのお社にもお稲荷様は居るんでしょ? なのに乗っ取ろうとするなんて出来るの?」
「元々いたお稲荷様を追い出すとか、弱体化させるとか? そんな事ができるならだけどな。俺にもよく分からない」
那岐が口元に手を当てて考え込む。
その様子を見て、榛冴が不安そうに声を上げた。
「僕、どうすればいいの?」
全員、黙ったまま答えられない。
(相手は、神様か……)
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