第13話 逢魔が時
「
怯えて母屋に帰りたがらなかった榛冴が疲れて眠ってしまったので、残りの面子でテーブルを囲んで話し合う。
「さっきのお狐様は、まだその子に憑いてんだよな?」
「多分ね。お社の乗っ取りを邪魔されたから、榛冴に警告しに来たのかも」
「もう邪魔すんな、って?」
「うん」
「でもさ、そんなに力のあるお狐様だったわけ?」
「元々は、そうなんだろうね。お参りされて活性化して、さらに良くない気を集めたんじゃないかな」
「……神様なのに、か?」
「神社でも、お参りしちゃいけない所もあるらしいし。神社イコール、いいパワースポットって言う訳じゃないらしいから」
「しかし、榛冴をこのまま放って置く訳にもいかないだろう? その子のことも心配だ。どうにかできないのか、
琉斗の言葉に、考え込んでいた采希は少しむっとしながら答える。
「何で俺に言うの? 俺、そんなに万能じゃないし。全く、俺の事、何だと思ってんだよ」
「でも、このままじゃ榛冴が危険かもしれない」
「…………分かってる」
思わず、琉斗から眼を逸らして舌打ちする。自分にすぐ解決できるような力はない、それは采希自身が一番歯痒く思っていた。
「ねぇ采希兄さん、その乗っ取られそうになった神社、行ってみない?」
那岐が難しい顔で俯く采希に声を掛けた。
「……なにか、わかりそうか?」
「どうかな? でも他に手掛かりは、その取り憑かれた子だけだし、きっと会えないだろうから」
「……だな。明日、榛冴に場所を聞くか……」
* * * * * *
石段を上った先の神社の境内に、采希と那岐が二人で佇む。
従兄弟たちは家に残して来ていた。
昨日、采希と那岐が撃退した狐は、今は気配が感じられない。
それでも何かあった時のためにと、龍の姫を凱斗に預けてあった。
もしも家に何かあれば、姫から何らかの方法で報せがあるはず、と采希は考えていた。
「采希兄さん、榛冴が言ってたのは本当にここの神社なの? 何となく嫌な雰囲気に感じるんだけど」
「ここで間違いないはず。でもなんだか……」
自分でもうまく説明できないのが、采希にはもどかしく思えた。
「お稲荷さんの気配じゃない、ような気がするな」
「僕もそう思った。お稲荷さんの気配じゃないなら、何だろう?」
「うーん……お稲荷さんプラス、何か。えっと、つまり、お稲荷さんの画像にさ、こう、全体的にノイズがかかってるみたいっていうか……」
首を傾げる那岐に、采希が必死に説明する。再び拝殿の奥に目を凝らした那岐がうーんと唸った。
「いることは間違いないみたいだけど、僕にも良く視えないな。まさか既に乗っ取られているとか……」
「とにかく、お社の周りをぐるっと回ってみるか」
二人並んで、境内をゆっくり見て歩く。
時々、草むらで何かが動く音がするので、その度に振り向いてしまう。
お社をぐるりと一周したところで、耳鳴りとともに唐突に采希の頭に文字が浮かんだ。
「……え? 那岐、『逢魔が時』って、いつだ?」
「は? えっと、日没の頃、かな」
「……だよな……」
采希がしかめっ面で首を傾げる。
「どうかした?」
「いきなり、頭に浮かんだ。神社って、お参りするなら午前中って聞いてたけど。日没の頃に来いってメッセージだとしたら、ヤバい感じかな?」
「『逢魔が時』に来いって? それって、呼んでるのは良くないモノっぽいよね。どうしよう?」
困った表情で、お互い見つめ合う。この様子では、元々いたお稲荷様からのお誘いとは思えない。
祟り神を相手にする手段など見当も付かず、采希は途方に暮れて大きな溜め息を吐いた。
「一旦帰って、出直すか……」
他にどうしようもないなら、誘いに乗るしかないんじゃないか。そう思いながら、采希と那岐はみんなの待つ家に戻った。
「で、どうする? 行くのか?」
「……他に出来ることって、今のところ何もないんだよ」
凱斗の問いに、采希がため息とともに答える。
「そんなの、危ないんじゃないか?」
険しい表情の琉斗が口を挟む。
「だろうな。いつの間にお社を乗っ取ったかは分からないけど、おそらくあの社のお稲荷様は祟り神の影響を受けている。俺たちにはどうしたらいいのかすら、分からない。でもこのままじゃ、心配で榛冴を外に出すことも出来ない」
「だけど、お前たちだけが危険な目に……」
「そんなの分かってる! でも他に方法がないんだ! お前が行くよりマシだろ? いいから黙ってろ!」
イラついて、つい琉斗に八つ当たりをしてしまう。そんな采希の気持ちを酌んだ凱斗がぽんっと采希の肩に手を乗せた。
「采希、手詰まりでイラつくのは分かるけどな。琉斗だって心配してんだから。もし、何かの罠とかだったらどうするんだ?」
まだ憮然とした顔で、采希は凱斗を見返す。
「お前らに何かあったりしたら、俺ら、一生後悔するよ」
「……うん」
「こっちには姫さんもいるんだし、せめて白虎は連れてけ」
「……わかった」
さっき出掛ける時に、こっそり白虎を置いて行ったのがバレている、と采希は気付いた。やっぱり、この男はあなどれない。
* * * * * *
――逢魔が時。
采希と那岐は、再び神社の境内に立つ。
「采希兄さん、これ……」
「あ~、罠だったみたいだな」
薄暗くなりかけた境内は、およそ神域とは呼べない空気に溢れている。空気は重く、粘り付くような気配がした。
お社の正面辺りで空間が歪むのが視えた。采希と那岐に緊張が走る。
ぼんやりと浮かび上がり、二人の眼に映ったのは、濃い灰色に見える狐のようなシルエット。座った状態のまま、微動だにしない。
その狐の全身からものすごい悪意を感じる。目に見えない圧迫感が押し寄せてくる。
だが、采希も那岐もその違和感に気付いていた。
「なんか、違う。お稲荷様じゃないみたいに見える。確かにここの神様なんだけど……。お稲荷様の気配が変化してる、ような?」
那岐が迷うように呟いた。
「神社とあのお稲荷様の気配が、馴染んでいない気がする。どうなってるんだ?」
「昨日の狐の気配とも違うね」
お稲荷様が今、祟り神の影響を受け、本来の状態ではないのは采希にも想像できた。だけどこの場で自分がどうすればいいのか、その方法が分からない。
このまま放置していては、従兄弟の榛冴に何らかの影響が出ないとも限らないと思った。
昨夜、脅しを掛けて来たのはこの神社のお稲荷様ではなかったが、同じような悪意を目の前のお稲荷様からも感じていた。
「――また、脅されてる気がするな」
「この感じは、そうだね」
「那岐、相手が狐なら、またあの神社の【気】でなんとかならないもんかな」
「昨日襲ってきた狐だけならね。でも、ここの神様は昨日のと違って、きちんと祀られているお狐様だから、どうだろう……試してみる?」
二人が昨夜と同じように、気を合わせて練り上げる。
神社を包む澱んだ空気のせいか、うまく集中出来ない。
逸る気持ちをおさえるように、采希はゆっくりと深呼吸を繰り返した。
那岐がふと作業を止める。
「那岐?」
「兄さん、お稲荷様が嫌がってる。気配が弱くなって……見て、お稲荷様の周りに……!」
那岐の声に、采希が眼を凝らす。
苦しそうに身じろぎするお稲荷様の動きが、何だかおかしい。
何かに動きを抑えられているように、身じろぎしているように視えた。
「……! 何だあれ? 蛇?」
お狐様の身体中に張り巡らされた、縄のような蛇の群れが視える。何十匹いるのか、身動きできない程に絡みついている。
「兄さん、気を収めて!」
采希は慌てて気を鎮めるが、慣れていないためか頭が軽くくらっとした。
お狐様の身体に纏わりつく、そのうねうねとした動きに思わず悪寒が走る。
突然、その中の一匹がすごい速さで采希に飛び掛かってきた。
とっさに身を躱すが、肩のあたりをそのするどい牙がかすめた。
「うお、マジか? こいつら実体あんのかよ……」
肩に少し痛みが走る。着ている服には全く損傷がないのに、切られたかのような痛みがあった。
「ううん、実体はないよ。蛇の気で傷付けられたんだと思う。兄さん、気を付けて」
「気をつけろって言われても――那岐、蛇の天敵って……マングース?」
「それは、ハブだね。狐や狸、猛禽類とかかな」
「……肝心の狐はあんな状態ですけど?」
「でも、神性は失っていないように見えるよ」
自分と那岐では視えているモノが微妙に違うように思えた。
これは力が封印されているせいなのか、と思いながら、采希は再び眼を凝らしてみる。
「そうなのか? じゃ、とりあえず、蛇から解放したら何とかなったり……ってのは楽観的過ぎ?」
「兄さん、今日は白虎さん、連れて来たんじゃないの?」
動揺して、すっかり忘れていた采希は、小さな声で白虎を呼び出す。
采希の背後に現れた白虎は、采希たちを横目でちらりと見て二人の前に陣取った。
「ヴァイス、あの蛇を狐から引き剥がせるか?」
一瞬だけ采希を振り返ってふわりと狐の傍に飛び、その大きな前脚を振るう。一撃で蛇のほとんどが狐から離れた。
その姿がブレるように揺らぎ、お稲荷様が薄らいだように視えた。
濃い灰色に見えたのは蛇が纏わりついていたためで、本来の姿は白い毛並みであったのに采希は気付いた。
「おお、ヴァイスすげぇな。でもお稲荷様、死んだんじゃないよな? ――あ、神様だから大丈夫か……」
一撃で蛇を引き剥がした白虎に感心しつつ、采希は自分を納得させるように呟く。
「采希兄さん、あとは蛇を一匹ずつ、消していくよ」
「一匹ずつ? まとめてじゃダメなのか?」
「この蛇は無理だろうなぁ。実際の蛇と違って個々の【気】が強すぎるんだよね。それに僕の力じゃ、神様クラスの存在に一気干渉は出来ないと思う」
「げ…………何匹いるんだよ……」
ぼやいても仕方ないので、手近なところから一匹ずつ気を削って分解するようなイメージで消していくことにした。
ただし、相手は動くので容易ではない。
しかも気を削る作業中の個体を見失うと、その個体は再生しているようだった。
白虎も采希の傍で采希を護るようにしつつ蛇を消していく。
ふと、白虎が慌てたように神社の入口を振り返って、見つめた。
采希が気付いてそちらに視線を動かすと、鳥居をくぐって駆け込んでくる人影が目に入った。
「采希! 大丈夫か?」
「ばっ……なんでお前がいるんだ! こっちくんなバカ!」
石段を駆け上がってきた琉斗に、お社から禍々しい気配が一直線に襲い掛かった。
それは黒く細長い影のように見えた。
琉斗の身体に触れた途端、身体の中に吸い込まれるように消える。
「琉斗!」
「琉斗兄さん?」
確認しなくても采希と那岐にはわかった。今、琉斗の中いるのは蛇の気配だ。
しかも、たぶん親玉クラスの。
(隠れていたのか……油断した……!)
白虎が采希と琉斗を交互に見る。采希の指示を待つように、じっとその場を動かない。
(琉斗の中の蛇だけを、消せるか? いや、ヴァイスが迷っている。多分、琉斗も危険だ。どうする?)
気持ちばかりが焦り、考えがまとまらない。
憑依されやすいようだと思ってはいたが、こんなにあっさりと目の前で憑依された事に驚いていた。
琉斗の身体は、ぎこちなく歩き出す。腕をだらりと下げ、身体を左右に揺らしながら眼を見開き、蛇のように舌を出し入れしている。
足を引きずるように歩いていたかと思うと、異常な速さで采希との間を詰め、頭突きされた。
思わずのけ反ったところを後ろに倒され、琉斗の身体に馬乗りされる。
「いって……、重いんだっつーの! どけよ、琉斗! 今度は動物霊とか、てめぇ、いい加減にしろ!」
憑依しているのが蛇ならば、琉斗に悪態をついても意味がないのは分かっていた。その筋肉質で重い琉斗の身体から、采希はどうにかして逃れようともがく。
那岐は蛇の群れに囲まれてその場を動くことが出来ない。采希の方を気にしながら、自分の周辺の蛇を消していく。
琉斗が大きく口を開けた。その口腔から、黒い気配が溢れ出す。
(うおっ、万事休す……?)
「采希ー! 大丈夫かー?」
凱斗の声がして采希が首をそちらに向けると、凱斗が鳥居をくぐるのが見えた。その肩には龍の姫がいる。
参道の脇で琉斗に馬乗りされている采希を確認して駆け寄り、琉斗を後ろから羽交い絞めにして引き剥がした。
凱斗の状況判断の素早さに、采希は心から称賛したい気持ちになる。
「琉斗、お前、何やって……あ? ……もしかして」
「……そ、また憑依されてんだよ。今回は蛇」
「はぁぁ? へびぃ?」
自分の腕の中にいる弟が暴れるのを抑えながら、凱斗が呆れたように声を上げる。
「いきなり『采希が危ない!』って言って家を飛び出したんだ、こいつ。だから慌てて追いかけて来たんだけど。そんでいきなり憑依されてるって、間抜けだな」
「はは……ちょうどいいや。凱斗、そのまま捕まえてて」
「……いいけど。早くしてくれ。こいつ、暴れ方に遠慮がない」
采希には、凱斗に拘束された琉斗の中の蛇が、苦しそうに身もだえしているのが感じられた。
琉斗の身体は凱斗の言葉通り、手足をバタつかせて暴れている。
凱斗は【邪】の気を寄せ付けない。その凱斗に触れられて、蛇が苦しんでいるのだろう。
ふと、采希は疑問に思った。
以前、邪念に憑依された琉斗に、凱斗は触れられなかったはず。
何か凱斗が干渉出来る条件があるのだろうか。
とりあえず今は凱斗の力が抑えてくれている。ならば凱斗の力を借りよう、と采希は考えてた。
眼を閉じて、凱斗の気の流れを探る。
凱斗の身体の周囲に存在する気を動かして、琉斗の身体の表面に張り巡らせてみる。采希の行動を即座に理解した龍の姫がサポートしてくれて、琉斗の身体が凱斗の気で包み込まれた。
これで蛇は琉斗の身体から逃れることは出来ない。ここからどうやって蛇を消滅させればいいのか、采希は考えを巡らせる。
凱斗の気に拘束された琉斗の中の蛇が奇声を上げた。琉斗の身体から発せられたその声は、逃れることが出来ない凱斗の気による苦痛からの絶叫だ。
(蛇って、鳴かないよな?)
采希が怪訝に思っていると、退路を確保した那岐が采希たちの傍に駆け寄って来た。
凱斗の気で包まれた琉斗の身体を見て采希の意図を察した那岐が、凱斗の隣に立った。
「凱斗兄さん、ちょっと反動があるかも。我慢してね」
そう言いながら、那岐は琉斗の肩の上に手を乗せる。
那岐が琉斗の中に気を流し込むと、琉斗の口から断末魔の悲鳴が上がった。
凱斗の気で縛られて逃げ道を失ったままの蛇を、那岐が琉斗の身体から押し出すように気を通した。
無理矢理に琉斗の身体から追い出されて、凱斗の気に触れさせられた蛇は、溶けるように消えていく。
そのまま意識を失い崩れ落ちそうになる琉斗を、凱斗が抱えなおす。
自分が考えた以上にうまくいった事に采希はほっとしながら、差し出された那岐の手に掴まって立ち上がる。
「……終わった?」
「うん。采希兄さん、大丈夫? かなり消耗したんじゃない?」
那岐が指摘したとおりだった。
采希は腕を上げるのも億劫なほど、疲弊していた。
采希だけではなく、那岐も蛇を相手にかなり疲労の色が濃い。
近付いてくる気配に気付かないほどに。
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