第11話 封印の意味
「
采希が静かに眼を開けると、縁側を背に逆光になった
「泣きながら眠っているから、心配になって起こしてしまった。……怖い夢でも見たのか?」
「こんな所でうたた寝してたら変な夢も見るだろ。疲れてるんじゃないか?」
凛々しい眉を寄せた琉斗と、少し片眉を上げた凱斗を見て、采希は喉が詰まったように感じていた。
「凱斗、琉斗、俺……」
「ん? どうした?」
気が付くと采希は爪が喰い込むほど、強く手を握り込んでいた。
「俺は、存在してていいのかって、……思って」
「何を…………当たり前だ。俺はお前に何度も助けられているんだ。お前がいなかったら、ここにいないかもしれないんだぞ」
「そうだなぁ。琉斗は采希がいなかったらヤバかったな」
真面目に話しているのに軽い口調の凱斗を、琉斗は横目で睨む。
「……俺のせいで、死にかけたことだってある」
「それでも、助けてくれただろう?」
「――采希、何があった?」
凱斗が真剣な顔で、俯く采希を覗き込んだ。
最初からふざけるつもりはなかったが、自分が考えた以上に采希の悩みは深いようだと思った。
「どんな夢を見て、そんな事を考えたんだ?」
「…………凱斗、封じ込められるような力って、どんなだと思う?」
唐突な采希の言葉に凱斗は、自分は何を言われたんだろう、と思ってしまった。ちょっと片方の眉を上げ、腕組みをして考える。
話の流れから察すると、この従兄弟は自分の力を疎ましく思っているらしい。
「采希、封じ込められるのと封印されるのは、微妙に違うんじゃないか?」
「同じだろう?」
「黙ってろ、琉斗。確かに巫女さんはお前の力を封印した。でもそれはお前の身体を護るためだって、そう
采希の頬が僅かに動いて、凱斗から視線を逸らす。
琉斗がそっと双子の兄の肘をつついた。
「凱斗、采希の白虎は四神とか言うんだよな?」
「うん」
「それって、凄いことなんじゃないのか?」
「……あ?」
「那岐が教えてくれたんだ。四神は天の四方を守護する者だって。そんな存在が采希を護っているって事だろう?」
「そうだな」
「だったら、采希、お前の力は邪悪な筈がない」
びっ、と人差し指を立てて宣言する琉斗を、凱斗が呆けた様に見つめた。
後頭部を掻きながら、凱斗は気の抜けた息を吐く。
「そう言う事だな。力に溺れて
きつく握りしめていた手を緩め、小さく息を吐く。
凱斗の言葉は、采希の気持ちをゆるゆると楽にしていった。
楽観的に笑う琉斗と、そんな琉斗を半ば呆れた顔で見ている凱斗を眺めながら、采希は考えていた。
言わなくちゃいけない事がある。危険な事が起こってしまう前に、伝えなければと思う。
「あのな、俺たちみんなに力があるって言ったけど」
「あぁ、言っていたな。俺と
嬉しそうな琉斗に、采希は少し申し訳ない気持ちになる。
「……違う」
「え?」
「榛冴には恐らく霊的なモノを
「どう違うんだ?」
「お前のは霊力じゃなくて、体質。だから、本当はお前だけが生贄の条件に当てはまっていたんだ」
「……そうだったのか」
「あー、なるほどな」
琉斗は少し驚いた顔で呟き、凱斗は納得したように頷いた。
怖がりな琉斗に、この事実を告げるのは躊躇われた。
双子の兄である凱斗は邪霊などを一切受け付けないのに対して、琉斗は真逆の憑依されやすい体質だと言われて、どんな気がするだろうと思っていた。
「ごめんな、言ったら怖がるかもって思ったから」
「でも、采希が護ってくれたじゃないか。だから、そんなに怖くはないぞ」
「お前な、采希がどんな苦労していると思って――」
采希が琉斗の顔を見つめる。
本当に怖くない訳ではないだろう。それでも琉斗が、本気で言っているのがわかった。元々、琉斗は嘘が苦手だ。
(俺が、護った?)
采希にはそんな風に思った覚えはない。単に憑依されたのを何とかしようとしただけだ。足掻く事しか出来てはいない。
それでもみんなが無事にいられるように、護りたい。采希の中に強い想いが沸き上がる。
(俺の力なんて、あまり役には立たないかもしれない。でも、俺に出来る事があるなら――)
そう考えた瞬間、額の真ん中が熱くなるのを感じた。
凱斗が驚いたように小さく声を出す。
「采希、眼が……」
最後まで聞かなくても采希には分かった。
今、自分の力が少しだけ、封印から解放された。多分、そのせいで虹彩の色が変化したのだろうと。
(もしかして、自分の力を自覚して、自分を認めること?)
それで封印に動きがあったのか、と考えた。
(器っていうのは、心とか気持ちの器なのかも――いや、身体も力について行けてないんだったか)
――眼を閉じる。
まだまだ、采希の力は封印されている部分の方が圧倒的に多い。
今までなら、それは自分がダメなヤツだから、と考えていただろう。
それでも龍の姫は采希のための封印だと言っていた。
凱斗と琉斗も肯定してくれた。
なら、自分に必要なのは不安に苛まれることでも自分を卑下することでもなく、覚悟を決める事なんじゃないかと考えた。
「凱斗、琉斗」
「おう」
「どうした?」
「ありがとうな」
凱斗と琉斗がちょっと眼を瞠る。
にやりと笑った凱斗が膝を叩いて立ち上がる。礼を言われた理由が分かっていない琉斗は首を傾げていた。
「何で礼を――」
「いや、礼を言うのはお前の方だな、琉斗」
* * * * * *
母屋の居間で窓から外を眺めてぼんやりと座っていた采希の隣に、ことりと小さな音を立ててグラスが置かれる。
自分も采希の隣に座りながら、母の
「体調は?」
ちょっと考えて采希はゆっくりと首を振った。
「何ともない」
「そうか。
昨日龍神の山から戻ってすぐ、采希は朱莉と
朱莉はちょっと難しい顔で黙り込み、蒼依は不安そうにしていた。
息子が死にかけたと聞いて、平気でいられる母親はいない。
過去に一度、采希は倒れている。
采希の父がまだ健在だった頃、家族で出掛けた時だった。
交差点で停止した車の中で、後部席に乗っていた采希が那岐と同時に後ろの車を振り返った。
助手席にいた朱莉にも、それは視えた。
真後ろに停止したセダン。若い男が運転席にいて、助手席と後席合わせて男女二人ずつが乗っている。車中で騒いでいるのかその表情は楽し気だ。その車の屋根にいたモノ。
――霊、だった。
その表情はブレたように良く見えなかったが、それでも分かる程の、怒り。車の屋根にしがみ付くように腹這いになっている。
一瞬息を飲んだ朱莉は、夫に震える声で囁く。
「……信号、変わったら、急ぎめで」
朱莉には采希や那岐のような力はない。せいぜい、本当に危ないモノに遭ってしまった時にその存在に気付く程度だ。
そんな妻の様子に夫は即座に理解する。
「…………後ろに何か、いる?」
「うん。――あ、那岐!」
振り返っていた那岐が、怯えたように両腕で顔を覆う。
その瞬間、采希がふと腰を浮かせ、那岐を護るように右手を伸ばす。
後続車の屋根から悪意のこもった霊がこちらに向かって来るのとほぼ同時に、真っ白な光が采希の右手から弾けた。
信号が青に変わって、いつの間にか消えた光と後続車から逃れるように、車は速度を上げてそのまま家に到着する。采希は後部席で倒れていた。
急いで家の中に運び込んだが、高熱を出して意識の戻らない采希は入院することとなった。
原因不明の高熱で三日ほどうなされ続け、四日目、眼を覚ました采希は何事もなかったかのようにベッドでお粥をかきこんでいて、朱莉は苦笑しながら息子の頭を撫でた。
「采希」
「ごめんね、お母さん。ちょっと、やりすぎちゃった」
「……?」
「びっくりして、思いっきり力を使っちゃった。お母さん、那岐は?」
息子の言葉に朱莉は固い表情のまま、戸惑いながらも頷いた。
「ああ、那岐は大丈夫。――采希、あの時何があったのか、説明できる?」
「うん。あの車の屋根にいたヤツがさ、那岐と眼が合ったんだ。那岐もわざとじゃなくて、すぐに逸らしたんだけど見つかっちゃって。あの車の人たちに憑こうとしてたみたい。邪魔されると思って那岐を脅そうとしたから、僕は慌てて力を使い過ぎたんだ」
まだ七歳の采希が淡々と話すのを、朱莉は不安な気持ちで聞いていた。
この子の力は、この子の命を縮めるのではないか。
この子は今、七歳。過去にうちの家系で、七歳を超えて生きた男児はいない。
この子と弟の那岐、そして妹の三人の息子たちはいくつまで生きられるのだろうか?
「お母さん?」
心配そうに覗き込む息子に、はっと気付いて笑顔を見せる。
「お婆ちゃんに『そういう
「大丈夫、覚えてる。今度はちゃんとする」
妙に大人びた顔で宣言され、朱莉は不安を振り払うように明るい声で『よし!』と頷き、退院の準備を始めた。
その翌日、朱莉と蒼依の夫は鬼籍に入った。
別々の、事故だった。
朱莉がもの思いに耽っている間、采希はじっと自分の右手を見つめていた。それに気付いた朱莉が首を傾げる。
「手が、どうかした?」
「いや……」
右手をぎゅっと握り込んで、采希は口元に微笑を浮かべる。
「封印の鍵って、具体的に何のことかなって考えてた。必要だから施した封印だったら、そんなに簡単には解けない気がして」
今回の一件の詳細は凱斗から聞いている。幼い頃に咄嗟に使ってしまったよりも恐らくは大きな力を、意図的に開放したと。
呼吸も心臓も止まっていて、自分の心臓も止まるかと思うほど驚いたと凱斗は苦笑していた。
おまけに、龍の欠片とやらまで連れて帰ってきた。この生き物を、どうやら息子は養うつもりのようだ。
「采希は、力を取り戻したいの?」
ぴくりと采希の瞼が動いた。ゆっくりと息を吐く。
「……分からない」
「分からない?」
「うん」
「――そうか、分からないんだったらひとまず放っておけば?」
「…………」
「封印した巫女さま? だっけ? 姫ちゃんの話では采希の動向を把握してるみたいだし、少なくとも死なせるような真似はしないでしょ」
「俺、今回の一件で死にかけてるけど」
「…………ま、大丈夫じゃない? そうそう霊障に巻き込まれるような事態があるとは思えないしね」
あはは、と陽気に笑う母を見て、采希もつられて微笑んだ。
母に『力を取り戻したいのか』と聞かれた事を、采希は頭の中で何度も反芻する。
正直、力が欲しいとは思っていない。霊を視るための力なんて、怖いだけだ。
視えたからといって、自分に何かが出来る訳ではないだろうとも思う。
「君子、危うきに近寄らず、だな。――別に君子じゃないけど」
自分に言い聞かせるように頷いて立ち上がり、大きく伸びをした。
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