第10話 龍の法具
「兄さん、中心って、どこかな?」
旅館とその裏の建物の間辺りで
他の三人は少し離れて見守っていた。
「結界の中心? うーん……普通に考えたらこの旅館だろうけど。ま、どこでも大丈夫じゃないか?」
「そっかー、じゃ、始める?」
「うん」
ふと那岐が采希の後ろに視線を泳がせた。
「兄さん、護りの虎さんが大きくなってるように見えるけど?」
「あぁ、そういえば……ヴァイス、おいで」
空間が揺らいで、白虎が姿を現す。通常の虎よりも一回り大きな、光を放つ白銀の毛並みの体躯。
「おっきいなあ。僕と采希兄さんを手伝って欲しいんですけど、いいですか?」
ヴァイスは黙って那岐を見つめる。それを肯定と受け止め、那岐がにっこりと笑って頷いた。
「ありがとう白虎さん。それじゃ、兄さん」
「はいよ」
采希と那岐、二人が両手を地面につける。
意識を手に集中させる。
手を通じて、結界の様子が見えた。あまりにもあっさりと感じることが出来たことに、采希は何とも言えない気持ちになっていた。
ごく自然な動きで行っている那岐は多分、幼い頃から今回と似たような事をしてきたのだろう。――では自分は?
何気なく、那岐と同じ動きで感知しようとしていた。
これは自分の忘れている記憶のせいか? と、漠然とした不安が沸き起こりそうになり、ぶるんと頭を振って雑念を払う。
「あっれー? 二重になってるね」
那岐の言葉通り、采希には旅館周辺半径2キロ程度の範囲に張られた結界を抜けると、更に結界が張り巡らされているのが感じられた。
「この近辺と、そのさらに外側か。山、何個分だよ。でけぇな、いけるか?」
「いけると思うよ。兄さん、僕に同調してね」
「りょーかい」
立ち上がって、二人で向き合う。
眼を閉じて、采希は那岐に気を合わせる。
大きな大きな、山をいくつも包んだ外側の結界の更に外から、気を呼び寄せる。
那岐が大地を通じて気を集めている。
地面から立ち上る気と、上空から降りてくる気を、二人でゆっくりと練り合わせる。
《兄さん、もう少しスピード上げて。ここから一気に集めるから》
那岐の声が采希の脳裏に響く。うちの弟はこんな芸当もできるのかと思いながら、采希は黙って頷いた。
二人の周りで気脈が螺旋状の渦を巻く。
采希の隣に控えたヴァイスの毛皮が波打って輝く。
どちらからともなく、ゆっくりと手を胸元に引き上げる。
――気が、
同時に
澄んだ音が響き渡り、山にこだまする。
「すっげ……」
辺り一帯が急速に開放された気配に満ちていた。
「千二百年の閉塞からの解放か……」
「……僕にも分かる。気が、変わるって……すごい」
那岐が照れたように笑う。
「こんな大きなこと、出来るなんて思ってなかったよ。兄さん、何だか気持ちいいね」
「ああ、そうだな」
「鳥の声……」
榛冴が呟く。
一斉に、生き物たちの気配が戻ってきた。
* * * * * *
がたごとと、五人が乗った車は昨日来た道を戻る。
後部席の采希の膝にはシェンが乗っていた。
「そっかー、兄さんは今、シェンの臨時のご主人さまみたいな扱いなんだね。もう死んでるのに、シェンの身体、再生したの?」
《そうじゃないと思います。どういう仕組みか、よく分からないのですが》
「うーん……じゃあさ、いつまでもここに居られる訳じゃないのかな?」
那岐の言葉に采希がぎくりとする。その事実に今まで思い当たらなかった事に気付いた。
(そうか、もうシェンの身体は本当は存在しなくて……)
「あ!」
那岐の声に采希が膝の上に視線を落とすと、シェンの身体が光に包まれていた。
「シェン? お前、透けて……」
《あら、時間切れですか? 采希さん――》
シェンの身体から、キラキラした光が放出されて立ちのぼる。
それにつれて、シェンが透明になっていく。
「待ってくれ、シェン、俺まだ聞きたい事が……」
《采希さん、あなたには――》
「シェン!」
きらきらと、光の粒になって消えていった。
「……采希兄さん」
采希は息を吸い込み、大きくため息をついた。
「少なくとも、今回は記憶を消さないでくれたみたいだ」
「……」
「俺が本当の主人だったら、何度も別れなくていいのかな」
少し投げやりな気分になりながら、那岐に向かって呟いた。
「シェンが生霊事件の時に僕に色々話してくれたんだけど、生き物の意識は無意識の底で繋がってるって」
「あぁ、言ってたな、俺にも。――それって、ユグドラシル思想的なヤツ?」
「ちょっと違うかな。もっと大きな……」
「…………わかんね……」
「きっと、何かあればまた来てくれるんじゃない?」
「恋人に急に逃げられた気分って、こんなかな」
「……」
そんな経験はなかったが、采希は自嘲気味に呟く。
「あいつ、俺に『あとで、話す』って言ったくせに」
「だったら、また逢えるよ。『あとで』、なんでしょ?」
「……期待しないで待ってるか」
気付くと助手席の琉斗が心配そうに振り返っていた。凱斗ともミラー越しに眼が合う。
那岐の肩にちょこんと乗ったままの龍の子も泣きそうな顔で采希を見ていた。
ふわりと飛んで、采希の前に浮かぶ。
《シェンが消えたら、采希に渡せって》
少し遠慮がちに話しかける仕草が、落ち込んでいる采希を気遣うようにみえた。
「何を?」
龍の子が手を振ると、目の前に金剛杵が現れた。
さっき采希の手の中で消えたものより少し小振りで、片側は五鈷だが、もう片側は真ん中の針が無く、替わりに水晶のような虹色に光る石が収められていた。
「これ……?」
《これで力をある程度は制御できるって》
那岐が横から采希の手の中の金剛杵を覗き込む。
「コントローラーみたいなもんかなぁ? じゃ、采希兄さんの封印、もうなくていいよね?」
《それが……》
龍の子が言いよどむ。
(やっぱり……)
さっき感じた感覚は、間違っていなかったのかと采希が少し苦笑する。
「シェンのヤツ、別れ際に、ちゃっかり封印に鍵掛けて行ったみたいでさ」
「……また?」
「でも、これが鍵のかわりになったり、しないのかな? 使い方は、聞いてないのか?」
采希の期待を帯びた声に、龍の子は悲しそうに首を振る。
多分そんな事だろうと予想していた采希は小さく呟いた。
「ま、なんとかなるか」
申し訳なさそうにこくりと頷き、龍の子はまた那岐の肩に戻る。
「そういえばさ、あの結界は何のためだったの? わざわざ二重にするとか、かなり大掛かりだったよね?」
榛冴がスマホの画面から目を上げ、采希に尋ねた。
足元の悪い山道を走る車内で、よく酔わないものだと感心しながら、采希は自分の感じた事を思い出す。
「隠れ里を守るため、だな。旅館があった場所から更に奥にあったみたいだ。誰が隠れ住んでいたのかは分からないけど、結界を張ったのは陰陽師らしい。力はそんなに強くなかったんじゃないかと思うけど、うまい事、龍神の力を利用していたんで今まで残ってたんだろう」
「実際、すぐに破れたしね」
那岐も采希に同意した。
「あれ? だったらその龍神の子は1200歳ってこと?」
「……そうなるのか」
榛冴が驚いて那岐の肩に乗った小さな存在を見つめる。
そんなに年上ならここは敬語で話すべきか、と采希が考えていると、那岐がちょっと笑って言った。
「ねぇ兄さん、この子の名前どうする?」
「あ? あぁ、とりあえず姫って呼ぶことにした。龍神の子だし、いいかな~って……」
自信なさげに視線を泳がせ、声が小さくなる采希に、榛冴があからさまに溜息をつく。
それを横目で見ながら采希は、非常に残念そうな視線を向ける琉斗の頭を小突く。
「文句があるのか? お前の付けそうな中二病的な名前よりマシだろ」
車に乗り込む前に琉斗が凱斗と話していた怪しげな片仮名が頭を
それを耳にした時、采希は絶対に琉斗に名付けはさせまいと心に決めていた。
「俺は『姫』でいいと思うぞ。たしかに龍の姫さまだしな」
「いや、俺がさっき考えていた名前の方がカッコいいだろう?」
「どっちもどっち……」
凱斗と琉斗の会話に榛冴が呟き、那岐が盛大な笑い声を上げた。
(龍の法具か……どうやって使うんだ?)
手の中の金剛杵を見つめながら、采希は首を傾げる。
那岐が横から覗き込み、まだ笑顔のままで不思議そうに言った。
「これ自体には力がある訳じゃないみたいだねぇ」
「え? 魔法の杖みたいなのじゃないのか?」
「うーん、兄さんの力の矛先を定める、っていう点では魔法の杖と同じなのかな……。何ていうか、力を通すための道具? よく分からないなぁ。取説、ほしいね」
「……全くだ」
「あ!」
凱斗がいきなり大声を上げる。
「――何? どうしたの、凱斗兄さん?」
榛冴が怯えた声を出す。
「俺たち、温泉、入ってねぇじゃん!」
――side:采希――
真っ白な世界。
自分が夢の中にいると、自覚する。
ずっと、この時を待っていた。
早速、俺は嬉々として呼びかける。
「シェン、いるんだろ?」
……返事がない。
真っ白な世界を見渡す。
何度呼びかけても、シェンは現れない。
途方に暮れていると、龍の姫が現れた。
《シェン、来ないよ。――というか、来られない。緊急事態とはいえ、ご主人の掛けた封印の一部を解いたから》
「あー……まさか、怒られたのか?」
《……そんなとこ。なんで封印されてたのか、シェンは話した?》
「いや、聞いてない」
《力がね、大きすぎるんだって、身体の器に比べて。軽自動車の車体にジェットエンジンを乗せてるような……って、意味分かる?》
「なんとなく」
《で、制御できない状況なのに加えて、その力が欲しくて色んなモノが寄って来ちゃう。それは、かなり采希の身体にも精神にも良くないんだって。だから……》
「封じ込めた?」
龍の姫がこくりと頷く。
《
それって、俺がここにいるだけで俺も周りも危険ってことか?
寄って来るモノって、姫の言い方だと良くないモノにしか聞こえないんだけど。それって……
「……俺、存在してること自体が良くないんじゃないのか?」
《采希はそう考えるだろうって、思われてたらしいよ。自分の力を疎ましく思うだろうって。だから封印したんじゃないかな》
「……」
《そんな風に考えないでって、生きてていいんだって。采希を護るために……そのための封印なんでしょ?》
俺を護るための封印?
そんな風には考えた事がなかった。俺の力が邪魔だとか、何か悪い系統の力だとか、そんな理由で封印されていたのかと思っていた。
「そうなのか?」
《そう聞いてる》
「龍神様から?」
《うん、私の本体の龍が、采希の封印を手伝った龍神から聞いたって。この前の宝珠は、その龍神からの贈り物だよ》
「昔、俺が会ったっていう龍?」
姫がこくりと頷く。俺の眼をじっと覗き込む。
《采希は、うちの山の気を滞らせていた結界を、破ってくれた。すごく感謝してる。それでも存在してちゃいけないって、思う?》
「あれは、那岐が……」
俺の力じゃない。俺は沼の瘴気一つ消しただけで倒れそうになるような程度だ。結界を消したあの時だって、那岐に引っ張ってもらったようなものだし。
《彼一人じゃ出来なかった。知ってるのに、そんなに自分を否定するの?》
「……」
《誰かのために、何かしてあげることが出来る。それって、すごいことだと思う。どんなに小さな事でも》
「……」
《生きてて欲しいから、采希のために封印をした、龍たちの気持ちも汲んでほしい。そう思ったらダメなの? その龍たちの想いも否定するの?》
「……俺……俺は……」
もう、どうしたらいいのか分からない。
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