第9話 虜囚の開放
「
「たしか、
「金剛杵? なに、それ?」
「密教とかで使う法具。これは
「へぇ……」
そう言いながら凱斗が手を差し出したので、采希はその手に金剛杵を渡す。
「チベット仏教とかでも使われてたはず。インドでは、ヴァジュラ、だったかな? その真ん中に、
「仏舎利ってなに?」
凱斗が首を傾げる。
「お釈迦さまの骨」
「……!」
「全部が本物じゃないと思うけど」
「……骨、現存してんの?」
「インドまで行って確認してみる?」
凱斗が嫌な顔になる。この従兄弟は時々、真顔で冗談とも本音ともつかない事を言い出すので困る、と顔に出てしまう。
「仏舎利ねぇ……」
そう言いながら凱斗が、手にした金剛杵を何気なく、きゅっと捻った。
すると、軋んだ音を立てて金剛杵が二つに分かれ、中から小さな白い骨がばらばらと出てきた。
「……ひっ!」
凱斗が驚いて思わず金剛杵を放り出す。
同時に、采希の眼が異形の姿を捉えた。眼の前にふわりと浮かんだそれが、采希に笑いかける。
じっと見つめていた采希は、その小さな姿に見覚えがある事に気付く。夢の中ではもう少し大きく見えた少女は、今は掌に乗る程に小さい。
嬉しそうに采希の肩の上に移動した。
「……骨? 仏舎利とかじゃないよな」
霊は怖がるのに骨は平気なのか、と思いながら采希は琉斗を見た。
「動物の骨、だな。さっき、あの子が言ってただろ。『獣の骨と、筒の中にいる』」
「「……あ!」」
二人が揃って声を上げる。
「じゃ、あの子が閉じ込められていたのって……」
二人には視えていないんだろうな、と、采希は思った。視えていたら、この二人がこんなに落ち着いているはずがない。
自分の肩の上に居る、自分たちには関わりのないはずの、異質な存在。
自然にそれを受け入れている自分に、采希は少し驚いていた。――猫と会話が出来るなら、こんなのもアリかな、と思った。
同時に、その存在の意思が自分に流れ込んでくるのを感じた。
「凱斗、手を貸して」
「え?」
采希が、戸惑う凱斗の手を握る。もしかしたら、これで自分と視覚の共有が出来るんじゃないか、そんな単純な気持ちだった。
「……見えるか? 俺の肩、右肩の上だ」
凱斗が視線を移動させ、眼を見開く。
「!!」
采希の肩に乗っていたのは、小さな小さな女の子。
さっきまで榛冴に憑依していたモノ。
微笑むその小さな顔を凝視したまま、凱斗が呆けたように開けていた口をゆっくり閉じる。
何が起こっているのか分からないなりに、采希に触れば何かが見えると察した琉斗も、采希の腕に手を乗せる。
采希と凱斗の視線を追って、琉斗が息を飲んだ。
「……これは、なんだ? 妖精か?」
「ちっせー……でも女の子、だな」
「この子、龍の子だって自分で言ってた。ここら辺の山とか土地一帯を治めてるのか? その龍から生み出されたらしい。いや、削り取られたのか。千年以上、閉じ込められていたみたいだぞ」
「千年? だと、いつの時代だ?」
「千二百年くらい前だって言うから、平安時代か。ここの龍の気に眼を付けた術師が、龍の力の一部であるこの子を閉じ込めて、龍神の気脈を利用していたらしい」
「千、二百年……?」
凱斗が、平安時代とか言われてもピンと来ない、と言いたげに眉を寄せる。
「……ところで、どうして【これ】が、視えるんだ?」
琉斗が微かに声を震わせて尋ねる。指差した先には、見た事もない小さな人型の生き物。
采希と凱斗が動きを止め、お互いに視線を合わせた。
「俺は、元々お化けやらは視えないはずだ。凱斗もそうだろう? 采希は確かに、幼い頃は何か視えていた。今はその力も開放されている。でも、俺は? 采希の手に触れているだけで視えるとか、どういうことなんだ?」
琉斗に指摘され、凱斗がやっと気付いたように声を上げた。
「俺ってば、
能天気な凱斗の言葉に琉斗が呆れた視線を返し、采希が吹き出しそうになったその時、唐突に辺りの空気が変わった。
急激に、清廉な気で満たされる。
上空から、音楽のような声が響いて、三人が驚いて見上げる。
空を覆っていたのは、大きな龍に見えた。
(……マジ? 龍、見ちゃったよ……)
あんぐりと口を開けたまま、采希は空いっぱいに体躯を広げた龍の姿を見つめる。
《この姿がお前たちには分かりやすかろうと思ってな。本来、特定の姿はない》
(龍の、声?)
采希の目の前に小さな女の子がふわりと浮かぶ。
采希に向かって、ぺこりと頭を下げ、上空に飛んで行く。
《開放してくれた事に感謝する。これは私の一部だ。お前たちの言うような『子供』とは少し違っているが、私の気から生まれたことに間違いはない。力の一部を封じられ、その力を取り戻せぬようにと邪気により祠を封じられていた。その沼の邪気も、今はない。おかげで在るべき姿に戻れた》
龍から告げられた内容に、采希は戸惑った。
この地を守る龍の力の一部を誰かが封じた。多分それが、さっき見つけた金剛杵であり、崩れた祠の残骸なのだろう。その祠に龍が手出し出来ないように近くの沼に邪気を放った。――それは、一体誰だ?
しかも、自分たちがここに誘われたのは生贄としてだ。あのジジイ共は龍神の生贄と言っていたが、実際はこの沼に放たれていた邪気への贄だったんじゃないだろうか。
そう考えてみると、采希にはそれが真実なのだろうという思いが沸き上がってきた。それ程に、自分を見おろす龍の気配は大きかった。
「あ~、じゃあ、この山の結界も、無くなるんですよね?」
《人が作ったこの結界は、人の手でなければ解放出来ない。結界のせいで私の力は循環できていない。それに、お前の弟が捕らえられている場所は無理だ。そこは人の手で捻じ曲げられた結界だ。私では中身ごと壊してしまう》
「いや、それじゃ困るんですが」
《お前なら、出来るだろう? ――いや、封印が見えるな。誰かがお前の力を封じているのか?》
その言葉に応えるように、先刻から采希の後ろに隠れていたシェンが、そろそろと采希の脚の間から顔を出す。
《……お前? ――では、封印の
龍が笑ったように見えた。
(宮守? 神社の神職のことかな?)
采希は自分の足元を見下ろす。
「シェン、どういうことだ?」
《その件は、あとで……》
《宮守の娘の使いよ、あまり強引な封印を続けると、いざという時にこじ開けられたら命を落としかねないぞ》
《……承知しております》
「……それって、昨日の俺……」
《もうこじ開けたのか? 戻ったら早急に主人に伝えるのだな》
《……はい》
《まあ、『うるさいぞ。そんな事は分かっている。口出し無用だ』とでも言われるだろうがな》
龍から発せられた意外な台詞に、采希は思わず眼を丸くし、吹き出した。そんな口調、龍神と呼ばれる存在に対する畏敬も何もあったもんじゃない。
龍が大袈裟に言ったのかと思ったが、シェンが引き攣ったような表情で苦笑していた。
「じゃ、俺の封印、全部解除してくれるのか?」
笑いながらも采希がシェンに尋ねると、上から声が降って来る。
《いや、それでは身体の負担が大きすぎる。今の状態でも辛いのではないか?》
「……まぁ、……はい」
《お前の守護に力を流しやすくしてやろう。お前の力になるだろう》
「ヴァイス?」
榛冴を護るようにゆったりと寝そべった白虎に視線を向ける。采希の視線を受け止め、白虎が目を細めた。
その隣では、全く似ていない双子が、同じように目と口をまん丸にして固まっている。
《此度の礼だ。困ったらいつでも呼びなさい。呼び名は
中二病的な名前とかも含め、自分にセンスがないことは采希にも自覚があった。龍の姿を眼にして、真っ先に浮かんだ名前がそれだった。
何故わかったのだろうと考えた采希に、龍の言葉が続く。
《宮守の娘が、私をそう呼ぼうとしたのでな》
思わず采希は足元のシェンを見下ろした。
(――俺もそいつも、単純すぎ)
ため息とともに、額を押さえる。
采希の心の声に、シェンがしみじみ頷いた。
龍の言葉に従い、采希はさっき凱斗が放り投げた金剛杵を拾い上げる。
この金剛杵で那岐の閉じ込められた結界が破れるはずだ、と龍は言っていた。
戻ろう、と言うためにみんなを振り返った采希は、視界がぐらりと揺らぐのを感じた。
「采希!」
駆け寄った琉斗が支えてくれる。
まだばくばくする心臓の辺りを押さえながら、凱斗が采希の顔を覗き込んだ。
「どした、采希? お前、力の使いすぎなんじゃねぇの?」
凱斗が采希の額に手を当てる。
「ちょっと熱いな。
「わかった。采希、歩けるか?」
「……眩暈が酷い」
「そうか、山道は危ないからな。――ほら」
しゃがんで背を向けた琉斗の背に一瞬躊躇したものの、采希が素直に負ぶさると、琉斗の背に軽々と背負われる。
前を歩く凱斗は、榛冴にこれまでの経緯を説明している。
あまりにさくさくと進むので道を覚えているのかと采希が訝しんでいると、いつの間に戻ってきたのか、肩に龍の女の子が座っているのが見えた。
(道案内してくれるのか……なら、安心……)
身体の重怠さに次第に瞼が閉じそうになってくる。さっき瘴気を消した力は、予想以上に負担だったらしい。
「……なあ、采希」
遠慮がちに琉斗が声を掛けてきた。
「なに?」
「その、お前の眼なんだが……」
「なんだよ」
「その色……」
「え? 俺の眼、どうかした?」
「虹彩が、紫になっている」
「……は?」
驚いて足元のシェンに視線を下ろすと、見上げたシェンが、同意の頷きを返す。
《力を使ったせいだと――》
「うちに戻ったら、カラコン、買いに行こうな」
《じきに元に戻るはずですから――》
「きれいな紫だから、隠すには惜しいが、周りの眼もあるしな」
《だから心配いらないと――》
「采希? 聞いているのか?」
琉斗とシェンが同時に話すので、采希は思わず笑ってしまった。
「大丈夫だ、元に戻るらしい」
「そうなのか、それも何だか惜しいな」
「自分じゃ見えないんだけどな」
「そうだろうな。何とか言う宝石みたいだぞ。なんだったかな? 今度、写真撮っとこう」
「別にいらないって。またこんな目に合うのは勘弁して欲しいしな」
「それもそうか」
話しながらも、采希はうとうとし始める。
初めて自分の意思で力を使った。――いや、あの感覚は以前にも……そう思いながらも意識は徐々にその輪郭を失っていく。
琉斗の背中が気持ちいい。
ゆらゆらと揺られながら、采希は静かに眠りに落ちていった。
「采希、着いたぞ。起きろー」
凱斗の声で目覚める。まだ琉斗の背中だった。
「大丈夫? まだ辛いんじゃない?」
榛冴が心配そうに采希を覗き込む。
「だいぶ、平気。琉斗、降ろしてくれ」
琉斗がしゃがんでくれて、采希はゆっくりと地面に降り立つ。まだ何となくふらつく感じがあったが、問題ないだろうと顔を上げた。
旅館裏手にある、小さな建物の正面。
ジーンズの尻のポケットに入れていた金剛杵を取り出すと、采希は結界を手で触って確認していた榛冴の隣に並ぶ。
「榛冴、ちょっと下がってろ」
金剛杵を両手で握る。すうっと息を吸い込んで力を金剛杵に集める。
采希の力に共鳴して、小刻みに振動しているのが分かった。
金剛杵を握ったまま大きく振りかぶって、勢いよく結界があると思われる所に叩きつける。
――ぎぃぃぃぃん
金属音がして、ふと結界の抵抗が無くなった。
同時に、采希の手の中の感触が消える。
握りしめていた金剛杵が砂のようにさらさらと崩れていった。
(千二百年
少し驚きながら采希は自分の手をじっと見つめる。長い年月を経た金属とはいえ、こんな風に一瞬で崩れ去るというのは信じられない。なのに、自分の中では妙に納得していた。
(科学的には説明できないんだろうな。……ま、龍に会ったりしてるし、今さら驚くのもどうかと思うけど)
采希の様子を一歩下がって見ていた榛冴が、再び結界のあった位置に歩み寄って恐る恐る手を伸ばす。
何の抵抗もないことを確認して、采希と共に離れに飛び込んだ。
「那岐!」
「那岐兄さん!」
小さな入口を入ってすぐの部屋に、那岐が眠っていた。
榛冴と采希が、そっと近付く。
泣いていたのか、まだ涙に濡れる長い睫毛が光っていた。
声を掛けるのを
「――兄さん?」
腹筋だけでがばっと起き上がって、采希の首に抱き着く。
よしよしと頭を撫でてやると、小さくしゃくり上げた。
武道を嗜み、いかにも
幼い頃を思い出しながら、采希はゆっくりと背中を叩いてやる。
「ごめんな、遅くなって」
「怖かった……この家、出られないだけじゃなくて周りの音も聞こえないし……意識を飛ばそうとすると、跳ね返されるし……心の声も家の中で反響して……」
能力者である那岐にとっては眼も耳も口も塞がれたような状態だったのだろう、と采希は思った。
何日もそのままだったら、那岐が正気でいられなかったかもしれないと、思わず奥歯を噛み締める。
「うん、ごめんな。もっと早く来れたらよかったな、ごめん」
応えようとして、はっと那岐が采希の顔を見る。そっと采希の腕を確認するように触っていく。
「兄さん、もしかして、力が……」
「ん、戻った。一時的にだけど」
ぱぁっと那岐が笑顔になる。采希の右肩にそっと触れ、首を傾げた。
「……龍の匂いがする」
「那岐、そんなの分かるのか?」
「小さい頃に逢ってる、と思う。多分、兄さんと一緒に」
采希が思わず額を押さえる。
(初めてじゃなかったのか。それも忘れてるってわけ?)
「その時の龍じゃないみたいだけど、この匂いは龍かなって」
龍の匂いってどんなんだよ、と思いつつ、采希は自分の弟を見つめる。
子供の頃から時々、不思議なことを言い出す弟だったが、今なら何となく納得できた。弟にはずっと
「那岐、お前に話したいことがたくさんあるんだけど。まずは、手伝ってくれるか?」
「うん! 何すればいい?」
「結界を、壊す」
「了解っす!」
思ったよりは元気そうな声を上げる那岐に、榛冴が心配そうに声を掛けてくる。
「でも、大丈夫なの? 采希兄さんも那岐兄さんもかなり消耗してるんじゃない?」
「だいじょ――え?」
榛冴の方を向いた那岐が、榛冴の後ろに立つ凱斗を見て眼を
「……凱斗兄さん、それ、龍の気」
凱斗の肩に乗った女の子をじっと見つめた。
その視線に気付いた凱斗が困ったように笑う。
「あぁそうか、那岐には視えるのか。俺には視えないんだけど、榛冴には声は聞こえるらしくてな、ここまで道案内してくれたんだ」
「凱斗兄さんには、視えない?」
「さっき采希がちょっとみせてくれたんだけどさ、今は視えない。琉斗と俺には視えないみたいだ」
那岐が采希に確認するように首を傾げると、采希もちょっと肩をすくめながら同じように頭を傾ける。
「……俺と兄貴は視えないのに、榛冴には采希や那岐と同じような力があるのか……」
琉斗がちょっと落ち込んだような表情をする。凱斗が苦笑しながら琉斗の肩に手を乗せ、采希に尋ねた。
「このお嬢さんは俺たちに付いて来るつもりなんだろ? だったら采希、呼び名が必要だよな」
一瞬、采希の顔が嫌そうに歪む。
さっき自分のセンスのなさを自覚したばかりだというのに、勘弁してくれ、とそう思った。
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