第3話 走り出す狂気

 神社から家に戻り、采希さいきたちが夕食のために母屋に行くと、母屋では榛冴はるひが自分も行きたかったと拗ねていた。

 幼く見える頬を膨らませ、益々少年のように見えた。


「でも榛冴、俺たちは遊びに行った訳じゃないぞ」

「分かってるけど……僕も行ったことないからさ、ご利益のある石畳の写真、撮りたかったな」


 采希と琉斗りゅうとが顔を見合わせる。

 水に濡れると龍のような模様が現れる、という石の写真をスマホで検索し、榛冴が采希と那岐なぎに見せる。


「これなんだけど……まさか、見てないの?」


 二人で同時に頷く。その様子を眺めながら、母の朱莉あかりが苦笑いしていた。

 しょっちゅうスマホを弄っている榛冴とは違い、采希も那岐もスマホどころか、あまりテレビも見ていないのを知っていた。情報に疎いのは、もう仕方ないだろう。


(霊と電波は相性がいいとか、そんな都市伝説を信じている感じでもないんだけど。そう言えば采希も那岐も小さい頃からゲームやテレビよりも本を読んでる方が多かったな)


 従兄弟の榛冴の勢いに引き気味の二人の息子を、朱莉はちょっと可哀そうに思ってしまった。


「マジで? 兄さんたち、一体何しに行ったのさ」

「お参り」

「あー、もう!」

「だから遊びに行ったんじゃないから」

「有名な御守りすら買うのを忘れたんだから、写真くらい撮ってきてもいいじゃん。わざわざ一日がかりで出掛けたのに」

「…………」


 自宅からかなり遠いその場所まで出掛けたにも関わらず、御守りのことなど全く頭になかった采希と那岐は、榛冴の言葉に反論すら出来ない。

言われてみれば、何やら行列が出来ている区画があったと思い出す。


「じゃあ、今度榛冴も一緒に行こうか」


 黙り込んでしまった二人を、フォローするように発せられた琉斗の誘いに、榛冴が渋々頷く。

 一連の様子を笑いながら見ていた凱斗かいとが口を開いた。


「いろいろ調べてみたんだけどさ、生霊って、本人が無自覚でも出現するらしいな」

「そうなのか?」

「うちの会社に、そういうのに詳しい子がいて、色々教えてもらった」


 自分よりも役立つ情報を持ってきた兄の様子に琉斗が慌てている。その様子に笑いながら、那岐が凱斗の言葉に同意した。


「うん。でもメア子の場合は、自覚あると思うよ。仕事休んでまでも兄さんを待ち伏せたくらいだから」


 凱斗が少し考え込んだ。生霊について教えてくれた後輩の言葉を思い出そうとする。


「いや、生霊自体は無意識なんじゃないかな。意識的に飛ばせるなら、もっと采希に影響がありそうな気がする。琉斗から聞いた感じも俺の見た感じでも、そこまで酷くはなさそうだし」

「あー、そうかも。自覚なしで発動するんだったらこっちも防衛するしかないのかな」

「どういうことだ?」


 うまく会話の流れに乗れない琉斗が疑問を口に出す。采希には、邪魔をされているようにしか思えなかった。


「お前さ、こういう話題にはうといんだから黙ってた方がよくないか?」

「しかしだな……」

「あー、凱斗と那岐は、相手に自覚があるなら生霊を送るのをめるようにお願いすることもできるけど、自覚がないなら本人に話しても無駄だって言ってるんだ」

「ああ、なるほど」


 霊関係というこれまで特に興味もなかった話題だけに、すぐに理解が出来る訳でもなかったが、琉斗は真剣に解決したいと考えていた。もっとも、いちいち説明を求められる采希は既に辟易していた。


「まぁ、とにかく御守り的なものを探してみるか。まさかもう一度あの神社までって訳にはいかないよなぁ……」

「凱斗、そういうのに詳しかったっけ?」

「これから調べる」


 躊躇なく答える凱斗に、采希はちょっと申し訳ない気持ちになる。


「手間かけさせて、悪いね。俺の事なのに」

「大丈夫、今はそんなに忙しい時期でもないから」


 軽く頭を下げた采希をちょっと見つめた凱斗は、照れたように眼を逸らす。

 臆面もなく笑顔で礼を述べる従兄弟に、被害を受けているのはお前なんだから気を付けろ、と言おうとして思い留まった。

 自分よりも相手を気遣う従兄弟に言うべき言葉は、『気を付けろ』ではない。


「それに、お前が生霊に憑かれておかしくなったりしたら、俺たちも大変だろうしな」

「そうだな、気を付けるよ」


 うまく凱斗に誘導されたことには気付かず、采希は力強く頷いた。

 いつも自分たちの中心となって行動する凱斗らしい優しさに、采希は少し申し訳なく思いながらも嬉しくなった。




 その夜。

 采希の夢の中にその女は再び現れた。


(……メア子だ。本人と顔は違うけど)


「そんな名前じゃないですよ、采希さん。ちゃんと名前を呼んでください。そしたら、いつでも会えるんですから。これから、ずっと一緒に居られるんですよ? 嬉しいですよね?」


(ずっと一緒にって、何だ? もし那岐の忠告を無視して呼んでしまっていたら……)


 そう考えて、采希はぶるっと身震いする。


「なんでそんなに俺に執着すんだ? 俺には身に覚えがないんだけど」


 相変わらず意思疎通が出来るとは思えない状況に、采希がうんざりしながら告げると、女はにっこりと笑う。


「采希さん、あたしに優しくしてくれたじゃないですか」


(だから、何のことだよ)


「それって、あたしのことが好きだからですよね? だからね、お礼がしたいんです。いつも傍にいて、お世話させてください」

「……お世話?」


(こいつ、やっぱり何かおかしい)


 采希が不審を抱いている様子に気付くこともなく、女が右手を上げて采希を指さす。それだけの動きで、気功を受けたように采希の身体が後ろに倒された。

 夢の中で自分の身体が思い通りにならないことは、よくある。でも今のはそういうのとは完全に違うと采希は確信していた。

 次の瞬間、女が采希に馬乗りになり、圧し掛かってくる。


(やめろ!)


 夢の中だからなのか、うまく叫べない。

 女の顔が采希に近付く。その顔は、いつの間にか仮面が剥がれたように元の顔に戻っていた。

 気味の悪い笑いを口元に浮かべ、徐々に顔が近付いてきた。

 女に対する嫌悪感から、采希は思わず顔を背けて逃れようともがく。


 ――その時。

 唸り声とともに青銀の毛並みが目の前を横切った。

 思わずその軌跡を目で追うと、着地した昨日の猫が、采希を振り返るのが見えた。

 女が叫び声を上げて采希の上から退いた隙に、慌てて立ち上がる。

 昨日の夜と同じように、猫が采希を庇うように前に立ちはだかった。

 そして背後から足音もなく現れたのは、数匹の狼。


(は? なにこれ?)


 采希の周囲を護るようにして、狼たちは黙って女に視線を向けている。唸り声を上げるでもなく、ただその身体から相手を圧倒するような怒りの気配だけが立ち昇る。

 昨日と同じように女の周りにイタチもどきが現れる。――その数は昨日の倍以上だった。

 ケモノ達を認識し、采希の背後にいた狼たちが一斉に飛び掛かった。あっという間にイタチもどきを消し去っていく。


「お前たち、これって誰の仕業?! なんでの邪魔すんの?! 酷い! あたし、なんにもしていないのに!!」


 悔しそうに顔を醜く歪め、ケモノを一掃された女は一瞬で消える。

 猫が振り返って采希と視線が合った。


(何だろう……何となくだけど、やっぱり俺の護りじゃない気がする)


 采希の声が聞こえたかのように、猫が首を縦に振る。


(――! 今、俺の考えにこたえた? 夢なんだから、何でもアリか? だったら少し話を……)




「兄さん!」


 那岐の声で、采希は急速に目覚める。

 不快なほどに全身が汗まみれだ。


「大丈夫? すごくうなされてたけど、平気?」

「……あぁ、多分。那岐、メア子が……」

「来たの?」

「うん、夢の中で襲われそうになった」

「はぁ? サキュバスかよ」


 那岐の声で琉斗と共に部屋に駆け付けていた凱斗が、呆れた声をあげる。夢の中での一連の様子を采希から聞き、首を傾げた。


「生霊にそんな事できんの、那岐?」

「さあ? でも色情霊がいるくらいだから」

「色情霊は死霊なんじゃないか?」

「……そうだね」


 凱斗と那岐が困ったように顔を見合わせる。


「もう向こうにも、余裕はないんじゃないかって気がするな。無理にでも名前を呼ばせて、どうしようってんだろう。手駒のケモノはその猫が消したんだろ? だったらもう、意地になって手段をえらばない、なんて事に……」

「そうかも。どうしよう」

「……あのさ」


 考え込む二人に采希が恐る恐る声を掛けると、二人揃ってこちらを向いた。


「狼がいたんだ、俺の周りに。あの狼って、あの神社のだと思うか? お参りしただけで、特に狼をお借りするってお願いはしていなかったと思うけど」

「狼? お札も貰わなかったしね、特別に助けてくれたのかなぁ? どんな感じだった?」

「俺の前にあの猫がいて、左右と後ろに何匹かいたみたいだった。メア子の周りにいた獣を消してくれた。で、みんなに睨まれて、メア子が消えたんだ」


 采希が説明するが、動物たちが何か教えてくれた訳でもなく、それだけで何が起こっているのかを断定することは出来なかった。那岐が困ったようにため息をつく。


「よく分からないけど……今日は兄さん、凱斗兄さんと一緒に、うちにいて」

「お前はどこか行くのか?」

「どうしたらいいか分からない。でも、とにかく出掛けてみる。なんだか落ち着かないんだ」



 * * * * * *



 一日中、采希は凱斗と家で過ごしていた。勘のいい、元・霊感少年の言葉に逆らう気は皆無だ。

 その那岐と琉斗は出掛けていたが、琉斗が夕刻前に帰ってきた。


「おかえり琉斗。お前今日、仕事だっけ?」


 凱斗が声を掛けながら振り返り、怪訝そうな顔をする。俯いたままの琉斗から返事はない。

 体育会系の琉斗からは考えられないその反応に、もう一度静かに声を掛ける。


「琉斗?」


 訝し気な凱斗の声に、采希は凱斗の視線を追って琉斗を見る。


(――なんだ?)


 琉斗の様子がおかしい。

 眼がすわっていて、何やらぶつぶつと呟いている。

 凱斗が立ち上がって琉斗に近付き、肩に手をかけようとした。

 その瞬間、琉斗の手に払い除けられた凱斗が、信じられない勢いで吹っ飛ばされた。その身体が壁に強かに打ち付けられる。


「凱斗!」


 叫んだ采希に向かって、琉斗が一瞬で間を詰める。


(なんだよ、この動き? まるで……)


 ――人間じゃないみたいだ、と思う間もなく采希の身体は押し倒される。

 ただでさえ筋力の強い琉斗に、両腕と足を拘束されて動けない。


(凱斗、大丈夫なのか?)


 凱斗の事は心配だが、そちらを確認する余裕はない。


「琉斗! お前、何してんだ! どけよ!」


 光を失ったような眼が、采希を覗き込む。その眼は見慣れた琉斗の眼ではなかった。


「……お前、まさか……」


 気付いた事実に顔を引き攣らせながら、震えた声を発する采希に、にやりと笑うその顔。

 目鼻の配置は琉斗なのに、その歪んだ笑い方も寒気のする気配も、琉斗のものではなかった。


「メア子!」

「違いますよ、采希さん。そんな名前じゃないです。ちゃんと呼んでくださいよ。ねぇ采希さん、あたしのこと、忘れるはずないですよね。なのに、どうして会いに来てくれないんですか?」

「……!」


 これまで感じたことのないような悪寒が走る。

 采希の手足を抑え込んだ琉斗の口から、不気味な女の声が発せられている。

 いつもの腰に響くような低音ではなかった。


「てめぇ、琉斗から離れろ!」

「どうしてそんな事をいうんですか? あたしの事、嫌いになるはずないですよね? 昨日、邪魔が入ったから怒ってるんですか? もう大丈夫です。今なら邪魔者はいませんから。安心してください」


 自分の中に沸き上がってきたのは、恐怖なのか怒りなのか、分からないままに采希は叫ぶ。


「ふざっけんな! こいつの身体から出て行け!」

「采希さん、変ですよ。せっかく二人になれたのに、どうしてそんなに機嫌が悪いんですか? 采希さんたら、素直じゃないですね」


 琉斗の顔が采希に近付いてくる。昨夜の夢が再現されているようで、怖気おぞけが走る。


「ちょ……やめろ、琉斗! おい!」


 琉斗の身体が、采希に圧し掛かるように前傾姿勢になったことで、少し足の重みが移動した。


(――足が、動く! 琉斗、ごめん!)


 思い切って、采希は自分の脚を跳ね上げる。

 膝の辺りに嫌な感触を感じながら、キレイに脚の付け根を蹴り上げた。

 声もなく琉斗の身体が崩れ落ちる。


「……ナイス、采希。いや、良くはないか?」

「凱斗、大丈夫か?」

「背中、かなり強く打ったみたいだ。呼吸がうまく出来なくて動けなかった。悪い」


 采希の上に倒れ込んで気絶している琉斗の身体をどかし、凱斗に駆け寄る。

 青ざめてはいるが大丈夫のようだと確認し、采希は少しだけ安堵した。

 二人の視線が、倒れた琉斗に注がれる。同時に呟いた。


「「嘘だろ……」」




 すごい勢いで玄関の引き戸が開けられる音がして、那岐と榛冴が駆け込んできた。


「采希兄さん!」

「兄さん、無事?!」

「……えっと、なんとか」


 榛冴が居間を見渡す。壁に寄り掛かって動けない凱斗と、凱斗に寄り添う采希、そして倒れたままの琉斗を見て、那岐の顔を見る。


「那岐兄さんが言ってたのは、このことなの?」

「うん、兄さんたちが何とかしてくれたみたいだね」


 那岐は榛冴に返事をしながら、采希と凱斗の元に近寄る。

 琉斗の身体を、離れた位置から覗き込んで様子を確認しながら、榛冴が話し出した。


「那岐兄さんが、急に『まずい、琉斗兄さんが!』って言って走りだしてさ、理由を聞く暇もなく必死に走って帰って来たんだ」

「うん、多分琉斗兄さんはメア子に憑依されたんだと思う。いきなり、琉斗兄さんの気配が消えたんだ。唐突に、ぷつんって感じに。だから急いで帰って来たんだけど…………あれ? 榛冴?」


 いつの間に動いたのか、大きめの袋を両手で抱えキッチンから居間に駆け込んできた榛冴が、琉斗の傍まで行って立ち止まる。

 突然、抱えていた袋を逆さまに琉斗の上にぶちまけた。


「――!! ちょ、榛冴?」


 那岐の驚いた声に、何が起こったのかと采希が振り返ると、琉斗の身体に大量の塩がかけられていた。


「……榛冴、ナメクジじゃないんだからさ……」


 那岐の呆れた声に、采希は思わず吹き出す。

 ナメクジが大嫌いな榛冴は、子供の頃も同じようにナメクジを見つける度に大量の塩をかけては母の蒼依に怒られていた。それを采希は思い出す。


「あーあ、その塩、蒼依さんに怒られるよ。お漬物用なのに」

「だって、浄化には塩だって、那岐兄さんが言ったんだよ。琉斗兄さん、メア子にとり憑かれたんでしょ?」


 弟の咄嗟の判断に、凱斗がちょっと呆れたように笑う。いつもは冷静な末っ子は、余程、霊現象が苦手らしい。


「これで元に戻ってくれるとは限らな…………琉斗?」


 塩まみれの琉斗が身じろぎした。

 慌てて那岐が手を貸して起き上がらせる。


 ――起きたのは、琉斗なのか? と、一瞬、全員に緊張が走る。


「……ん? うおっ、これは何だ? ぐおっ!」


 起き上がった拍子に、塩が眼に入ったらしい。身体を丸め、その背は小刻みに震えている。

 痛そうな呻き声に、自分が蹴りを放った事を思い出し、采希は申し訳ない気持ちになった。

 全員、一斉にほっとする。


「うん、琉斗だな」

「那岐、そもそも生霊って憑依できるもんなのか?」

「僕は聞いたことない。でも、あれは確かにメア子だったんだよね? だけどメア子がもう亡くなってるって感じでもないし……わかんないなぁ。メア子、ここまでするのか……」

「もしかしたら、憑依出来るヤツがいてもおかしくはなさそうだけど、何で琉斗なんだ?」


 解決の糸口が見えない事に、那岐は歯痒く感じて軽く額を押さえる。凱斗が、そんな那岐の肩を軽く叩きながら慰めた。


「琉斗兄さんを標的にするのは想定外だったかも。メア子が恨んでるのは凱斗兄さんだと思ってたから……」


 那岐が悔しそうに呟くと、箒を片手に采希が居間に戻ってきた。


「凱斗じゃ、強すぎて憑依できなかったんじゃないか? それに琉斗も一度メア子に会ってるし、俺の代わりに猫広場に現れたことで、恨みを買う理由はあるんじゃないかと思うんだけど」

「あ、そうだった」


 采希の言葉に那岐がぽんっと手を叩く。


「すっかり忘れてた」

「那岐~……」


 琉斗が恨めしそうに那岐を見る。


「あはは、ごめんね、琉斗兄さんも警戒しとくべきだったね。――ところで憑依された時、どんな感じだった? 僕には琉斗兄さんの気配がいきなり消えたみたいに感じたんだけど」

「……なにか、冷たい布のようなもので首筋を触られたような気がした途端、意識が浮き上がったようだったな。自分の意識は身体の少し近くを漂っていて、身体が自分の意志とは関係なく動くのを、不思議な気分で見ていたんだ。――采希」

「ん?」

「……すまない」

「いや、俺のほうこそ……痛い、よな?」


 今になって、采希は琉斗が変な汗をかいているのに気付く。

 咄嗟の対応とはいえ、自分のせいである事に間違いはない。どう声を掛けたものか迷い、ひとまず撒き散らされた塩を箒で集めていく。


「采希や兄貴に怖い思いをさせたことに比べたら、このくらい何でもない」

「はいはい、強がってないで、部屋で休もう。幸い、メア子は抜けたみたいだし」


 榛冴が琉斗の身体についた塩を払い落としながら言った。


「いや、ここにいる。お前たち、何か調べて来たんだろう?」

「うん、少しね。でもホントに平気なの?」


 榛冴が心配そうに聞くと、琉斗は親指を立ててみせる。

 微かに震えているのを確認し、強がって見せる兄に榛冴は思わず笑ってしまった。


「じゃ、簡単にね」


 那岐が説明を始める。凱斗もゆっくりと壁際から皆の方に移動した。


「まず、生霊って本人の意思でもそうじゃなくても、かなり身体に負担がかかるらしい。メア子の場合、毎日だしね、本体は相当消耗してると思うんだけど、これも個人差があると思う。霊的に力があるタイプだったら、まだまだ余力があるかもね。僕たちで解決するとすれば、本人に説明して直接やめるように言うか、向こうの体力――霊力かな、が尽きるのを待つか、だね」

「いつまでか分かれば対応のしようもあるけどな。延々と怯えて警戒してるのはしんどいぞ」


 凱斗がため息をつく。呪いの長期戦とか、笑えない。そもそも、この呪いに終わりなんてあるのか? ――そう考えながら。


「うちにいたら、安全なんじゃないの? 凱斗兄さんもいるんだし。歩く聖域とやらなんでしょ? 今日は琉斗兄さんが生霊を連れて来ちゃったけど」


 榛冴が呟いた、歩く聖域と言う言葉。

 それは、幼い頃にある神社で凱斗に掛けられた言葉だった。まだ凱斗たちの父が健在だった頃、祖母も含めて旅行に行った先の大きな神社。そこの神職の男性から、驚きと共に凱斗に向かって発せられた。

 今回の一件で母の蒼依が思い出し、那岐の『悪いモノは寄ってこない』という発言を肯定していたのを、榛冴は思い出していた。


「……うーん、琉斗兄さんが一度、繋がっちゃってるしなぁ。凱斗兄さんの力も、采希兄さんの夢の中までは届かないみたいだし……」


 那岐が首を傾けながら考え込む。


「あ、俺の夢は心配いらないかも。だから現実の話をしよう」


 采希が軽く手を上げる。自信がある訳ではないが、大丈夫だという気がしていた。


「え?」

「なんとなく、だけど。夢の中なら動物たちが助けてくれそうな気がする」

「でも確実にそうだとは断言できないんじゃない?」


 兄達の会話に割り込んだ榛冴が何やらごそごそとポケットを探っている。

 自分の事には大雑把で無頓着な従兄弟・采希の言葉を、全面的に認める気は全くなかった。


「はいこれ、采希兄さんに」


 采希の掌に、銀の鎖が乗せられる。鎖の先に、六芒星が下がっていた。


「なに、これ?」

「ヘキサグラム。六芒星。ダビデの星。いろいろ呼び名はあるけど、世界的に魔除けの形だって言われてるんだって。那岐兄さんが作ったんだよ」

「……作った?」


 那岐が照れながら笑っている。


「路上で手作りアクセサリーを売ってるお兄さんにお願いして、作らせてもらったんだ。ちょっと歪んでるけど」

「銀粘土とかで形を作って焼いたんだけど、面白そうだったよ。那岐兄さんが作ったんだから、きっとご利益あるよ」

「そうだな。ありがと、那岐」


 さっそく身につけようと、采希が金具に取り掛かる。


「琉斗兄さんの分も作ってくればよかったかなぁ」

「気持ちだけで充分だ」

「声が震えてるぞ。お前、怖かったんだろ?」

「そんなことは……いや……」


 からかうような凱斗の言葉に、琉斗が少し俯く。


「……すごいマイナスな感情だった。采希への執着が、気味悪いほどだったんだ。この人は自分が助けてあげなくちゃ、って。そう考えた理由が滅茶苦茶でな、それが俺には何だか怖い気がした。全身で誰かに依存したいと考えてるのに、自分が何かしてあげる、ということに酔っている……まともな思考回路じゃないんだ」

「……お前、メア子に同調シンクロしたんだな」

「……そうなのか? 俺はメア子の感情を感じ取っただけで、その気持ちに同意は全くできなかったぞ」


 しかめっ面で反論する琉斗に、采希は『そうじゃなくて』と軽く額を押さえる。


同調シンクロと同意は違うだろ。そんな感情にお前が同意するとか、どう考えても怖すぎだわ。――相手の感情を読み取った、って意味で同調シンクロって言ったんだ」

「ああ、そうなのか。采希までおかしな事を言うのかと思った」

「おかしな事?」


 一同の視線を受けた琉斗が腕組みをして、思い出そうとするように少し視線を中空に漂わせる。


「采希へのメア子の想いが伝わって来た時、思わず『何だそれは? こんなヤツ、いるのか?』と考えてしまったんだ。なのに、メア子が『あたしの気持ち、分かってくれるの?』って……。どこにそんな要素があったんだか」


 琉斗の説明に、那岐が嫌そうに眉を顰める。


「琉斗兄さん、もしかして霊媒体質だったのかな? 采希兄さん、そんな話蒼依さんから聞いてる?」

「いや、聞いてない。でも、もしそうなら双子なのに凱斗は霊を寄せ付けなくて琉斗は霊を呼び寄せる、って事にならないか?」

「それは――うーん……」


 困ったように視線を合わせる二人に、榛冴がおずおずと尋ねる。


「凱斗兄さんが傍にいてもダメなの? 采希兄さんの夢の中までは干渉できなくても、琉斗兄さんが憑かれるのは防げるんじゃないの?」


 心配そうな榛冴に、那岐が首を横に振る。


「琉斗兄さんは一度、乗っ取られて感情まで読み取ってしまってるから……メア子にしたら、次はもっと簡単だと思う」

「道が出来てしまっているって事か……」


 榛冴が唇を噛み締めて俯いてしまう。


「俺が狙いなら、琉斗じゃなくて俺に直接くればいいのに」


 采希が呟くと、那岐が首を横に振った。采希がそう言いだす事は、那岐には想定済だった。


「それが無理だから琉斗兄さんが標的になったんだよ。采希兄さんは護りが強いから。それに……」


 那岐が何やら考え込んでいる琉斗に視線を移す。


「なんでか僕には説明できないんだけど……でも、ここまで采希兄さんに執着しているのに、僕にはメア子が琉斗兄さんにも惹かれているように思えるんだよね」


 思いがけない那岐の発言に、采希が一瞬呆けたような表情になる。

 那岐が自分たちには視えない世界を感じているのは知っているが、あまりに思いがけない言葉だった。

 琉斗は学生時代もスポーツが得意で、女子生徒に人気があったのは知っている。だから自分から琉斗に乗り換えたとしても不思議ではないと思ってしまってから、ふと思いつく。


(でも相手は生霊だよな? ……ああ、そっか、本体は生きているから生霊って言うんだし。一度は琉斗に会ってるから、おかしな話じゃないのか)


 微妙に納得したような気持ちになりながら、采希は那岐に尋ねる。


「根拠は?」

「琉斗兄さんがメア子の気持ちを理解できると認定されたっぽいこと、かな。僕は実際会ってないし話した訳でもないけど、思い込みの激しいタイプのようだから。自分の勘違いでも好意を抱いたかもって思って」

「ちょっと想像したくないけど、お気に入りの琉斗の身体に嬉々として憑依する、って感じ?」

「待て待て! ちょっと怖すぎるだろ、そんな女!」


 凱斗が身震いしながら采希の言葉に声を上げる。そんな兄弟たちを余所に、琉斗はぶつぶつと呟きながら何故自分が理解できると誤認されたのかを、延々と考えていた。

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