第七章 カリヤ・エーテル発電所破壊工作【後編】

第63話 作戦開始

「疲れたぁ……」


 暖房が行き渡っている広々とした部屋にいるアリエチカは、書記長執務室の机に身を預ける形で崩れように伏せた。


「動かしたい……体を動かしたぁい……」


 連日業務が朝から晩まで続き、最後の休日はたしか一ヶ月前。働きたい日が業務日とはいえ、週二の休みを得ることすらままならない。

 こんなに辛いなら変に革命を起こして書記長になるんじゃなかった、と今は少しだけ後悔してみる。


 顔を横にして目の先を見ると、窓の側に一つの花瓶が午後の暖かい日差しを受けていた。冬のモスクワにしては珍しく晴れで巻雲が淡青色の単純な空模様に味を加えてくれている。


 その空の花瓶にはある人物から貰った十本のバラがあったが、今では枯れたので取り除き、観賞用としてそこに置いてあった。


「水野晶、か」


 いつだったか、モスクワを彷徨っていたエーリャを保護してくれた男の名前。竹本信也と偽名を名乗っていた彼は日本皇国のスパイだった。

 エーリャの脱走まで完全に予知して水野は保護したわけではないだろうが、それでも国内に侵入されて屋敷内に招き入れてしまい、間取りを見られてしまったことはこちらの不手際だ。


 それだけで済めばまだよかった。


 日本皇国政府はどうやったか知らんがエーリャを攫い、人質として軍事顧問団派遣の中止を要請してきやがった。

 流石に堪忍袋の緒が切れ、銃剣を意味するコードネーム「シュティキ」を与えたGRUソ連軍参謀本部情報総局直属の特殊部隊スペツナズを使って京都大阪戦線を作って強引に攻め込んだ。

 無事奪還できたのは幸いだったが、子供すら外交カードとして用いる日本皇国政府に失望した。


「最も、彼自身がそう望んでした訳ではないのだがな」


 アリエチカがエーリャの元へ着くのにあと一歩のところで、水野はエーリャその場に置いて自らは脱出した。

 軍令違反なのは明らかだろうが、銃殺刑に処されるだとうと思いながらもその決断を下したはず。そんな人物が子供を外交カードに使う政府の命令に喜んで従うほど冷酷な人物ではないのは自明だ。


「……子供云々に関しては、私が物申せる立場にはない、か」


 乾燥した山岳地帯での胸糞悪くなるあの光景を思い浮かべてしまった。

 戒めとわかっているが、当時の己のクズさにどうしても目を背けたくなる。


「取りあえず、次の予定は……」


 体を起こし、予定がびっしりと書き込まれている手帳をパラパラと捲る。

 何をするから執務室で束の間の休息を取っているわけだが、先ほどの気分から切り替えるために体と頭を動かしているのだ。


 するとコンコンと軽いノックが二回鳴った。


「同志アリエチカ書記長、失礼します」

「入れ」

「はっ」


 手帳を閉じると同時に政治将校が入室し、目の前で教本通りの見事な敬礼をする。


「車の手配が終わりました。いつでも出発できます」

「わかった。今から行こう」


 回転椅子から立ち上がり、背もたれに掛けていた外套を羽織る。


「はっ、どうぞこちらへ」


 政治将校を先頭にして、アリエチカは書記長専用車両まで足を運ぶのだった。




 エカテリンブルク時間一九八六年二月十一日午後十時二十八分。


 四台のワゴン車は人気のない路地に入って各種装備を身に纏う。


 防弾ベストを着用し、その上から工場服を着用してスフェーリャ発電所の関係者と偽る。ただしリザ、ナランカ、朔月は女性で怪しまれる可能性があるため、黒服を着用して暗闇でも目立たないようにする。アカツキと朔月は白髪なので黒の染髪料で染めていた。

 弾倉に弾丸が全て詰まっていることを確認してから小銃に挿入し、コッキングして撃鉄を起こす。安全装置を掛けたままにして細長いチャック付きのトートバックの奥底に収容した。

 全員が九ミリ拳銃に弾倉を差し込んで遊底を引き、ホルスターに収めて目立たないよう上着を被せる。


 そして事前に定めた四つの班に分かれて各々の役割を確認する。


 阿部あべさとし中尉が率いる一班はスフェーリャの坑道封鎖。

 水野中尉が率いる二班は一班の護衛。

 豊田とよた直樹なおき中尉が率いる三班は送電施設の破壊。

 アカツキ率いる四班はスフェーリャ坑道の確保。


 それぞれに能力者が付いて戦力を分散させてバランスよく配置している。


 確認し終えた者からワゴン車に戻り、運転手である班長たちはハンドルを握ってエンジンを掛ける。

 四台のワゴン車は何事もなかったかのように本道に戻り、カリヤへ続く薄く積もった雪の道路を走るのだった。

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