エピローグ
エリザベス・アシュフォードが眼を覚ますと、そこはどうやらフランス支部のベッドのようだった。枕元でフレア・フォンテーヌがやさしく微笑んでいた。
「…お帰り、ベス」
「フレアさん、あれからなにがどうなったの?」
なにから説明したらよいのか困ったような顔でフレアは話し始めた。
「…そうね…まず…キメラは成し遂げ、しかも間に合ったわ。真犯人のキース・フェリックスが吹雪のアフリカに押しかけ、アフリカ支部を乗っ取ろうとしていたの。でもタイムリミットぎりぎりに奇跡が起きたわ」
キースは、タイムリミットぎりぎりになると、自分は姿を消したまま、怪物たちを避難所のすぐ近くまで前進させ、人々を不安と恐怖で支配しようとしていた。避難所の入り口にある、門が一つ目巨人によって倒され、食糧小屋がマンモスによって、踏み潰された。しかも怪物たちはそこで立ち止まり、じっとみんなのいる避難所をにらんで威圧していたのだ。翼のあるワイバーンは、時々避難所の上を飛び回っていた。しかも、休眠カプセルに入ったケイト・ヘミングはまだ目覚めなかった。エルネストもカリオストロも最後の決断を迫られていた。アリオンは数人の仲間と槍を構えて外に出た。勝てるはずもなかったが、みすみすやられるつもりもなかった。
だが、もうだめだとあきらめかけた時、それは起こった。怪物たちが突然苦しそうにもがきだしたのだ。怪物たちの体から、光の粒子のようにエネルギーが分解し、飛び散って行く。異次元から送られてくるエネルギーが切断され、形を保っていくのが難しくなったのだ。やがて怪物たちはもがきながら暴れだし、そして光の粒を残して空中に溶けるように消えて行った…。歓声が上がった。人々が外に出てきてみんなで抱き合って喜んだ。
「やった、ケイトが異次元のエネルギー源を破壊することに成功したんだ!」
避難所では、怪物に壊された施設の復旧が始まり。怪物の消えた平原ではキース・フェリックスの捜索が始まった。
「そこにキメラが帰ってきた。でもそこから先が大変だった。ケイト・ヘミングとエリザベス・アシュフォードの精神は、最初はシンクロ率が低かったはずなのに、帰ってきたときは百パーセントをはるかに超えていた。一人の人間のように融合していた…どうしてなのか…?」
「それは…。」
ベスはかみしめるように話し出した。
「それは、ケイトも私も、エルネストを心から愛していたから。私はもっと強い大人の女性になりたかった。ケイトは、長年の自分の秘めた想いを自由に口にできる勇気がほしかったの。あの人はとっても強い立派な人なのに、自分の気持ちを素直に口に出せない不器用な人なの…。だから二人はひかれあい、一緒に成し遂げることができたの」
フレアが続けた。
「仕方なく私たちは、融合したあなたたちの心を無理やり二分して、それぞれの肉体に戻した。だから、あなたの心の中にはケイトが、ケイトの心の中にはエリザベスが溶け込んでいるわ」
「…」
「…さあ、事件ももう終わりね。あとは雪原に逃げたキースを捕まえるだけ。あなたたちも元の時代に帰らないとね」
すると、ベスはフレアに頼んだ。
「フレアさん、お願い。もう一度だけ、エルネストに合わせて。通信だけでもいいから。どうしても伝えたいことがあるの」
フレアはちょっと考えてから言い放った。
「いいわ、でも一度だけ、ほんの数分間だけよ。彼はこれから雪原に捜査に出かけるはずだから…」
「了解」
フレアは微笑むと、通信の用意をして、部屋を出て行った。少しして部屋の額縁の中に呼び出されたエルネストが映し出された。
「…やあ、ベス、元気そうでよかった。君の精神分離オペは僕がやったんだ。一時はとても心配していたんだ。顔色もいいし、これで安心だ」
そう、この笑顔がエルネストだ。エルネストはいつだって優しくて、あったかい。
「ねえ、エルネスト先生、この事件がすべて終わったらどうするの?」
「諜報部員の仕事はまだまだ続く、事件がすべてなくなってくれればありがたいね」
「じゃあ、もし、平和になってゆっくりできるようになったらどうする?」
「…そうだねえ。実は君のいた時代のあのエルダーフラワーヒルの街が気に入っちゃってね。あのあたりに家を買ってゆったり暮らそうかな。あの沼に毎日出かけて、じいさんたちとなんのかんの言いながら日永一日釣りをして、大物を狙ったりするのもいいな。妖精の散歩道もまた歩きたいしね。庭でバラの花を世話したり、葡萄を育てるのもいいなあ」
「…そうなの…ねえケイトさんもちゃんと目覚めたの?」
「ああ、さっき報告があった。とても調子がいいらしい。もうすぐここにくるよ」
「ねえ、先生、ケイトさんと結婚してあげて」
「ええ? どうしたんだい、急にそんなこと言い出して…」
戸惑うエルネスト。ベスは心の中でつぶやいた。
(ケイトさんと結婚してあげて。なぜってケイトさんの心の半分は私だから…)
そこにすっかり目の覚めたケイトが入ってきた。
「エルネスト、さっそくで悪いけど、キースが雪原で発見されたそうよ。すぐに私たちで捜索に出かけるわ。すぐ用意して」
「了解!」
エルネストは急いで出て行った。ケイトはベスに気が付くと、何も言わず、ウインクして何かを伝えた。ベスもすべてわかったとうなずいた。そこで通信は終わった。
やがてフレアが戻ってきた。七人の仲間も一緒だった。レベッカが、エリザベスを見つけるなり、飛びついて泣き出した。
「ベス、ベス、目が覚めたのね。よかった! 心配してたのよ。あなたもこっちも大冒険でね、どうなるのか、もうドキドキしっぱなしで…」
気が付くと、レイチェルもミランダも近づいてきて、エリザベスを抱きしめていた。みんな気持ちは一緒だった。ブライアンが言った。
「…よかった。これで心残りなく、みんなで帰れるぞ。僕たちの街に。僕たちの時代に」
するとフリント・ソリッドフェイスが言った。
「さっき伯爵に聞いたんだけど、ぼくたちは時間復元処理をされて、時空を超えた後の記憶を消されて、あの魔女屋敷の事件の当日に帰されることになったそうだ。事件はなかった。何も起こらなかったことになる…」
フレデリックが少し残念そうに言った。
「帰れるのはうれしいけど、記憶がなくなるのは残念だな」
するとフレアが静かに言った。
「…でも本当に事件が起きなかったわけじゃないし、あなたたちの冒険もベスの体験もわたしたちはずーっと覚えているわ。今までの事はすべて、これからもずーっとね。私も、ラファエル博士たちも、伯爵もエルネストもね…。忘れないわ」
するとベスが自信たっぷりに言った。
「そうだわ。私たちが冒険し、世界の平和のために役に立てたかもしれないって事実は消えるわけじゃない。それに過去も現在も未来も、すべて時空を超えて思いでつながっているんだから…。強い思いは未来を変えることだってできるのよ。そうでしょ?」
ベスがいつの間にかずーっと強く、たくましくなっていることにレベッカは驚き、そして喜んだ。そこに伯爵が入ってきた。そろそろ帰りの時間だった。
…事件はなかった。なにも起こらなかった…。
そしてエルダーフラワーヒルでは、今日ものどかに一日が過ぎていく…。
「寄宿舎の件、本当にありがとうございました。ウェリントンさん」
母親のカレン・アシュフォードがお礼を言って、二人はウェリントン邸をあとにした。美しいガーデニングを通り抜け、バラの茂みの前を歩き、しっとりした柳の通りに出る。もう少し歩くと、水車小屋と沼が見えてくる。
「あら、お母さん。ほら、このお宅、バラがきれいよ、黄金色なのね」
どうしてだろう、ベスは急に気になって一軒の家の前で立ち止まった。白い大理石の階段とテラスが美しい家だった。
「あら、この家、しばらく空き家だったけど、いつの間にかすっかり手が入って新築みたい。新しい人が住んでるのね。あ、そうだうちの庭も手入れしなきゃね」
カレンは足早に歩き始めた。沼では老人たちが楽しそうに話しながら今日も大物を狙って釣り糸をたれていた。
ベスはあんまり楽しそうなのでじいさんたちの声が聞こえてくる沼に目をやった。湖畔にさざ波が寄り、野の花が静かに風に揺れていた。小さな妖精が風の中に見えた気がした。
ベスはやさしく微笑んで、母親の後を追って家路についたのだった。
キメラ セイン葉山 @seinsein
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