第4話『Irregular』異例の新人

とんとん、と数回扉をノックをする音が響く。閉まっていた扉が開けば、赤胴色の髪の青年が入ってきた。


「おかえり、銅。陵くんと柑くんもありがとう」


遣いを頼んだ青年だと判断した部屋の主、葵は机に向けていた視線を上げて声をかける。

書類整備の時だけかけている眼鏡を外して扉の方に緩い笑顔を向けた。

するとぶっっすぅぅぅぅぅぅ。と頬を膨らませた凩と人1人くらい簡単に殺せそうな程に不機嫌顔の柑、その2人の間で困ったように笑みを浮かべている陵の3人組が後ろにいるのが見えた。


「……ひょっとしてもう喧嘩した?」


部屋に入るなり、銅は頼まれていた契約書やその他の書類の束を葵に差し出す。

それらを受け取るついでに銅に向けて質問を投げかけると銅も呆れたように息を吐いて無言で頷いた。


陵もどこか疲れた顔をしている。

口数は少ないものの言葉はちゃんと返す銅が無言で頷くだけなんて2人とも結構手を焼いたらしい。

そう察した葵は「そっか」と可笑しそうに笑った。


実際、葵の予想は当たっていた。

止めた後もまた直ぐに喧嘩を始めそうな一触即発の空気は続いていた。

ヴィクに伝達ミスがあったことを謝罪し、持ち場に戻ってもらうことを伝える。そのあと、自分たちも此処に戻ってくるだけの簡単な仕事だと思っていた。


しかし、肝心の凩と柑が大喧嘩をしてしまったせいでピリピリした2人の間に入って宥めながら連れてくるという面倒くさい仕事に変わってしまったのだ。


「入っていきなり柑くんに掴みかかるなんて元気があって良いことだよ」


一度笑ってから葵は椅子から立ち上がる。

外した眼鏡を机に置いてから凩の方に歩み始めた。


「……柑くんも大事にしなよ。君にとっても希少な子でしょ?」


葵が柑の前を通り過ぎようとした時、潜めるような声でぽそりと言葉を落とした。

柑は無反応だった。隣にいた陵は聞こえていたようで僅かに顔を俯かせる。

銅には聞こえていなかったようだが、葵の潜めた声は耳のいい凩にはしっかりと届いていた。


けれどその言葉の意味を凩が考えるより前に、目の前に葵が立った。


「改めまして、ようこそ。凩くん。

この院の責任者及び管理者の葵です。ちょっとした手違いで大変な目に合わせちゃってゴメンね。無事でよかった」


葵の背は凩より10センチほど背が高い。

目の前に立つと自然と見上げる形になる凩に威圧感を与えないように胸に手を当てたまま腰を折って会釈をする。

背中まである淡い月色をした金色の髪が頭を下げた拍子にはらりと落ちる。髪全体にウェーブがかかっていることもあって凩の目には葵は中性的な人に映った。


頭を上げて自らの名を名乗る声も表情も柔らかで物腰も穏やかだ。

所作や後ろ姿だけを見たら性別を間違えてしまいそうな人が院で一番偉い人だということに凩は少し驚いてしまった。


「よ、ろしくお願いします。

……あの。さっきから銅さんも葵さんも威勢がいいとか、元気がいいとかって……それにさっき柑に言ってた希少な子って……」


驚きつつも言葉を返した凩はずっと疑問に思っていたことを尋ねてみることにした。

感心されていることはふんわりと分かっていたが、凩本人に心当たりはない。何となく柑に掴みかかったことが原因なのだということは想像できた。


「……あれ?というか柑に掴みかかったこと、何で葵さんが知ってるんですか?」


言いかけて凩は葵の言葉の違和感に気づいた。

葵は「掴みかかるなんて」と言ったが、誰もその話はしていないはずだ。不思議そうに疑問を浮かべていると今まで黙っていた柑が舌打ち交じりに葵に視線を向けた。


「どうせキメラ娘から報告が上がってるんだろ。喧嘩したの、なんて白々しい聞き方しやがって」

「怒らないでよ。ほら、柑くんは殺気しまって。

間違いとは言え、対侵入者用キメラのヴィクを動かしたんだから報告を受けないわけにはいかないでしょ」


睨みつけるように向けられた視線に臆することなく、葵は飄々と笑って返した。

怒らないで、と言ったせいで柑の不機嫌度がわずかに上がったように見える。

ここまで『気に食わない』と言いたげな視線を向けられても動じない態度を見ると中央院の管理者、という立場も頷ける気がした。


「それから凩くんの疑問についてだね。

見ての通り、柑くんは初対面の人を警戒して喧嘩売っちゃう困ったさんなんだよ。根は良い子なんだけど態度のせいで誤解もよくされるというか」

「……?根は良い子、なんですか???」


そして返ってきた葵の言葉に凩は全力で首を傾げた。

態度のせいで、と言うが態度だけ見れば完全に柑は問題児だ。今日会ったばかりの凩には到底理解することができずに困惑していると見かねた陵が凩の顔を覗き込んだ。


「柑は初対面での態度が悪いから新人さんや院内の人に怖がられやすいけど良いところもあるんだよ。

敵を作りやすい分、院内で悪い噂や陰口を言われることも少なくない。だから凩君が真っ向から言い合いしてるのにすごく驚いたし俺はちょっと嬉しかったな」


覗き込んだ陵の目が言葉通り、嬉しそうに細められる。

相手は男とは言え美人のそんな顔を見てしまうと認めざるを得ないような気持になってしまう。

凩はそれ以上否定や疑問の言葉を浮かべることが出来ずに、曖昧に笑うことにした。


「あ……はは。俺も無我夢中だったんで。ほとんど勢いで」

急に肯定するのも変な気がして、苦笑交じりに言葉を紡ぐ。

陵は相変わらずニコニコ、と笑っていたがその隣にいた柑は見事に癪に障った様子だ。あえて聞こえる大きさの声をわざとらしく発した。


「勢いで人に掴みかかるのか、てめぇは。……バカラシ」

「なっ……!ば、バカラシって俺のこと?!」

「当たり前だろ。お前以外に誰がいるバカラシ」

「バカラシじゃない!俺の名前は凩…… って聞けよ!!」


一瞬、『2人が言うなら柑にも良いところがあるのかも』と考えかけた凩だったが真顔で言われた言葉に思わず食って掛かってしまった。

当の柑はというとふいっと視線を逸らしてこれ以上凩の言葉を聞く気はないという態度を取っている。


再びヒートアップしそうな2人の光景に陵は何度目か分からないため息をついて銅と葵は珍しそうにやり取りを眺めていた。


その時、トントンと扉をノックする音が再び室内に響いた。音の方に全員の視線が集まる。

暫くして扉が開くとそこには片手に荷物を抱えた乙が立っていた。


「……、(あれ?)」


それを見て凩の中で何かが引っ掛かった。涼しげな顔で扉を閉める乙の横顔はどこか懐かしい、そんな気がした。

部屋に入った乙も凩の視線に気づくと無表情のまま僅かに凩に視線を向ける。

そのまま身体ごと凩の方に向けて軽く会釈をすると足取り軽く葵の元へと向かった。


「葵さん、取り寄せてくださった死神認証のための証明書……届きました」

「ありがとう。乙ちゃん、彼が例の凩くんだよ。君もちゃんと挨拶して」


葵に促されると乙は改めて凩の方を向き直した。

先ほどぼんやり眺めてしまっていたこともあって凩は肩を跳ねさせる。

相手は女の子だ。見知らぬ男に見られて嫌な思いをさせていないかと内心ドキドキしてしまう。


「あなたが凩さん……でしたか。乙です。よろしくお願いします。

死神の活動に必要なものは纏めてありますので受け取ってください」

「え、あ……ありがとう」


しかし、乙は淡々とした対応で特に気にしていない様子だ。

自分の気にし過ぎだったかと拍子が抜けしてホッとした。見た感じ乙は銅同様に感情の起伏が小さい。

細かいことは気にしないタイプなのかな、なんて考えながら凩は差し出された荷物一式を受け取った。


荷物を受け渡したことをしっかり確認すると乙は「では、戻ります」と葵に声をかけて再び扉の方に向かっていく。

しかし、ドアノブに手をかけて扉を開きかけたところで乙は動きを止めた。


「……それから葵さん。ヴィクちゃんに無駄な体力を使ってもらった件ですが、正式な報告書をお持ちしますので速やかに処理してくださいね」


振り返り際、葵に向けて釘を刺すように言い放った。

先程までの淡々とした様子とは異なり、キッパリとした声と心なしか冷たい目をしている気がする。


「はいはい。俺の手違いだしちゃんと処理するよ。ゴメンって」


苦笑しながら返された言葉を聞くと乙は表情を元に戻して部屋から出ていった。

感情の起伏は小さいが、怒るときはしっかりと怒りを表現する子らしい。ホッとした矢先、乙の意外な一面を垣間見られて凩は目を丸くした。


「……物静かな子なのかなって思ってた。きつめのことも言うんだな……」

「乙ちゃんでしょ?最近、柑くんに感化されてきたのかな」


凩がぽつりと零した言葉は葵にも聞こえていたらしく、言葉を拾ってため息をつく。

隠す気もなく堂々と呟いた言葉は当然、柑にも届いていた。


「オイ、葵……」


地を這うような低い声を出しながら葵を睨みつける。当の葵はというとニコニコと人当りのよさそうな笑顔を浮かべているだけだ。

先程の乙への態度といい、今回の柑への対応といい多少雑な扱いをされても葵は動じない精神の持ち主のようだった。


暫く葵を威嚇していた柑だったが、効果が全くないと諦めた様子で息を吐きながら髪をかき上げる。

そのまま一瞬凩を横目で見てから親指で凩を指した。


「………あのバカに戦闘試験をしなくていいのかよ。能力分類とランクを決めないことには使えねぇだろ」

「戦闘試験……。能力分類に、ランク??」


感情を抑えるように柑は至って冷静を装う。

怒りで震えそうになりながら発せられた言葉を聞いた凩が首を傾げた。

戦闘試験の意味は何となく察しがついた様子で頷いていたが、後者の『能力分類』と『ランク』という言葉は想像できず頭の上を?マークが飛び交っている。


いかにも初心者らしい凩の反応に今まで柑たちの喧嘩を見守っていた陵がクスクスと微笑ましそうに笑みをこぼした。


「能力分類はデスサイズを使う契約をした時に発現する人間が生まれながら持ってる固有の能力。

ランクはこの死神院でのランク帯だよ。熟練度みたいなものかな。ランクによって請け負える依頼が変わるんだ」

「ランクって言ってもほとんどは戦闘力の区分だし、依頼の難易度=危険度って考えてもらえば分かりやすいんじゃないかな」


陵の言葉に続いて、凩が分かりやすいようにと葵が補足を入れる。

説明を受けて何となく想像はできた様子だがイメージはかなりふんわりとしているようで「へえ~」と目を丸くしたまま頷いていた。


「とりあえず戦闘試験ってやつで戦えることを見せればいいってことですか?」

「簡単に言っちゃえばそういうことだよ。

試験の評価ポイントはその人のレベルに合わせて決めてるんだ。凩くん、今日は大変な目にあっちゃったけどまだ戦える?」


目を丸くしていた凩は葵に問いかけられて目を瞬かせた。

追いかけられるトラブルがあったとはいえ、話を聞かせた時点でそのまま試験を行うものだと思っていた。


院の運営をしている葵としてはそのまま戦闘試験を行ってしまえる方が楽だ。

けれど色んなタイプの人間を見てきたこともあって伝えたその日に戦うことができない者や、苦い顔をする者がいることも知っていた。

それに対しては事前告知もなしに試験と言われることは申し訳なさもあるようで葵の問いかけ方は凩を気遣うような優しい声色をしていた。


「えっと、俺は大丈夫です!ちょっと走っただけだし体力には自信があるのでッ!」

「そう、ありがとう。そう言ってくれると助かるよ。

だったら……陵くん、先に訓練場への案内を頼めるかな?

準備したいことがあったり、先に必要なものがあれば可能な限り対応するから陵くんに伝えてね」


元気に返事をした凩に表情を緩めると、その場にいたメンバーを眺めてから陵を名指しする。

陵が快く「わかりました」と頷いたのを見て後のことを彼に託した。

訓練場に先導するために、陵が扉に向かってドアノブに手をかけたところで振り返った。


「凩君、案内するから行こ。では俺たちは訓練場に向かいますが……柑や葵さんたちは?」

「……、」

「柑くんと銅も後で行くよ。2人にはちょっと作戦会議に付き合ってもらいたいから。少しだけ借りるね」

「そうですか。じゃぁ柑、また後で」


一瞬、陵に声をかけられた柑が口を開きかけたがそれよりも先に葵の言葉がそれを遮った。

言葉を遮られた柑と、その様子を見ていた銅は葵の行動に違和感を覚える。『作戦会議』と言っていたが、まるで凩と陵に聞かれたくないことがあるような行動だ。

けれど陵はその言葉を素直に信じて柑に軽く手を振って部屋を出ていった。


陵と凩が部屋を出て扉が閉めた後、部屋に残ったメンバーは誰も喋らなかった。

2人の足音と軽く話す声が次第に遠ざかっていく。

もう足音も話声も聞こえなくなったタイミングで銅が顔を上げた。


「葵、」

「しー。もう少しだけ待って」


しかし、銅の言葉は唇の前に人差し指を立てて葵が制止した。

葵の視線は扉の向こうの先、方向的には訓練場がある方に向けられていた。さっきまで凩に向けていた柔らかな顔と違い、葵は感覚を研ぎ澄ました真剣な表情をしている。

その数秒後、葵が息を吐いて身体から力を抜いた。それを確認して今度は柑が声をかけた。


「どういうつもりだ。作戦会議なんて白々しい言い方しやがって」

「多少無理やりだったが自分たちを残したということは何か気になることがあるのか?」


柑の言葉に続いて銅が問いかけると、葵は一度考える素振りを見せてから口を開いた。


「……うん。ちょっと聞きたいんだけど2人は凩くんについてどう思った?」

「ド阿呆のバカ」

「……………………」


葵としては真剣な問いかけだった。

間髪入れずに返ってきた不機嫌そうな柑の答えに葵は頭を抱える。隣で聞いていた銅は柑の迷いない返答に僅かに口元を緩めた。

ツーン、とそっぽを向いて悪態をついているあたり、柑が真剣に答えていないことはまるわかりだった。


「柑くん、少なくとも俺が感想を聞きたくて聞いてるんじゃないってことくらい君ならわかってるよね?」

「フンッ だったらちゃんと経緯を説明しろ。

突然呼び止めておいてお前の望む通りの情報を簡単に渡すわけねぇだろ」

「……そうだな。葵にも何か考えがあってのことだろう?」


柑の言い分は最もだ。

葵の質問の意図は何となく柑に伝わってはいた。けれど、それは柑がヴィクとの戦闘を止めに行った立場で凩のことを多少なりと目の当たりにしたからだ。

銅は葵の質問の意図が分かりかねていた。

しかし、葵との付き合いが長い分、気まぐれや冗談で言っているわけではないことは態度で判断ができた。


2人の言葉を受けて、葵は自分のディスクに向かうと引き出しからA4サイズの封筒を取り出した。

表面には『報告書在中』という赤い印鑑が押されいる。

この印鑑が押されているということは院の関係者から送られてきたものだ。

敢えて凩を追い出して柑たちを部屋に残した状態で出てきた報告書となれば、それが誰に関する報告書か想像することは容易かった。


「柑くんはすでに気づいてるみたいだけど凩くんに関して、気になる報告が幾つか上がってきてるんだ。

彼はスクールでの成績が芳しくなくてね。でも元々運動神経は良かったし死神になりたいと思って戦うための訓練はしてたみたい。

生活態度も良く、教師には評判が良かったから進路指導の先生からも『希望の就職をさせてあげたい』って熱心な推薦状をいただいたんだ」

「ふむ、流れとしてはよくある流れだな」


元々死神というのは学力よりも圧倒的に武力と規律を重んじる自制の精神が重要視されている。

与えられた人間の身に余る力を己のために行使せず、『魂を廻らせる』という役目のために正しく使える人間。

そして荒魂やそれを狙う者と戦えるだけの戦闘力がある者でないと生き残れないからだ。

そのせいか、死神院は『力さえあればなれる、入れる場所』と認識されている節があった。

学力は低いが人柄に問題がなく、凩が元々死神となることを希望していたのであれば凩が通っていたスクールの教師陣の判断には納得ができた。


「……それのどこに問題があったんだ?」

「問題があったのは、推薦状に書かれてた内容と実際に彼の採用試験に立ち会った支部の死神から送られてきた報告書の方だよ」


封筒から報告書や推薦状の類を取り出すと、ディスクの上にすべての書面が見えるようにディスクの上に広げる。

葵が文字がびっしりと詰まった推薦状の一か所を指さすと、柑と銅の視線がそこに書かれた一文に集まった。


「スクールの先生は死神の能力をどう借りてるか仕組みを知らないから純粋に推薦してるつもりだったんだろうね」


そこには凩はスクール時代からデスサイズを出現させ、固有の能力を行使していると思わしき文面が綴られていた。

記載された内容を見て目を丸くしたり考え込んだりする様子を確認した後で、今度は隣の報告書をトントン、と指で叩いた。


「流石にまさかと思って採用試験の時にそれとなく確認をいれてもらったんだ。

生徒を推薦したいために誇張されてる可能性もあったからね。……でも、結果は」

「推薦状に書かれていた通りだった、ってわけか。チッ

通りでバカラシのくせにデスサイズを使い慣れてると思ったぜ」


葵がディスクに広げた報告書にはしっかりと『認証コードなしでデスサイズを発現。紋章術・能力の使用あり』と書かれていた。

柑は思わず舌打ちを零す。凩は魂を感じ取れる上級の魔族を連れ歩いており、その魔力に耐性があるという不審な点もある。


「2人も知っている通り、デスサイズは認証コードと与えられた死神名があって初めて使用許可が下りる。

紋章術や固有の能力はもともとの魔力が高ければ陵くんみたいに事前に扱える子はいるけど……ただの人間がデスサイズを出せるわけがない。

できる可能性があるとすれば、凩くんの血縁に死神族がいて彼がその血や魔力を濃く受け継いでるパターンだけど……」

「千年前に生き残った僅かな死神族はまだデスサイズも出現させられない子供だったと聞く。生き残りが子を成したとしても成長スピードの計算は合わないな」


成人している死神族が密かに生き残っている可能性も捨てきれないが、それならもっと色濃く凩から人間とは違う魔力やオーラが出ていたはずだ。

ほかの種族に比べると魔力の量も微少でいて色もない、自分たちと同じ人間のものだと感じたからこそ葵も判断するための材料が欲しいというところだろう。


「なるほど、それで自分たちが呼ばれたということか」


話を聞いて銅は合点がいったように呟いた。静かに話を聞いて反論をしないところを見ると、柑も事情の納得はした様子だ。


「そういうことだよ。2人は能力の関係上、普段からそういう感覚には優れてるからね。だから何か気づいたことはなかったかと思って」

「何が『だから』だ。わざとらしい。お前わざとキメラ娘をあのバカにけしかけたな。俺たちとあのバカが確実に接触するように」


けれど、あたかも偶然を装って問いかけてくる葵の態度に柑は忌々しそうに呟いた。

わざわざ報告書を求めるようなイレギュラーな相手がくる日を葵が忘れるとは考えにくかった。

加えて、「忘れてた☆」と白々しい態度を取った割に方々への処理は迅速だ。まるでこうなることが分かっていて準備がしてあったかのように。


不審な点は他にもあった。

今日に限って柑と銅が依頼に出ていなかったこと。普段は受付にいるはずの乙がその時に限って持ち場を離れてヴィクが1人だったことが合わさって柑の中で1つの結論が導き出された。


それを問いただしてみれば、葵はニコリと清々しいほどの笑みを浮かべてみせた。


「正解。柑くんはやっぱり勘がいいね」

「……この狐野郎が」

「怒らないでよ。俺だってできればこんな面倒なことしたくなったよ」

「……、確かにそうだな。

本来なら採用試験を受けさせる前に是非を問うた方が早い。何かあったのか?」


いけしゃあしゃあと笑っている葵は普段通りだが、柑の悪態にため息をつく態度を見た銅は言葉の違和感に気づいた。

普段の葵なら入院の許可を出す前に手を打つだろう。

『できれば』と言葉に出すような事情があったのを察して銅は真っ直ぐに葵に視線を向けた。


「どこから聞きつけたのか、今は1人でも強い死神が必要だから凩くんを招けってお上様からの命令があってね。採用するしかなかったんだよ。

一通りの素行調査もしてみたけど彼がデスサイズを発現できるイレギュラーの答えに繋がるものは特に見つからなかったよ。……そこで君たちに頼ったってわけ」


肩をすくめて見せたあとで『お分かりいただけた?』と言わんばかりにわざとらしく首を傾げる。

そのまま『今度は君たちの番だよ』と訴えるように文字通り瞳を細めた。


「経緯の説明は以上だよ。凩くんについて気づいたことがあるなら教えてくれるかい?」


改めて問いかけられて、2人は記憶を探り始める。

圧倒的に普通の人間と違うならともかく、凩は見た目も魔力の気配も人間だった。

何の意識もしていなかった状態で気づいたことを探すというのは中々に難易度の高いものだ。

凩のイレギュラーの理由を説明できるほどのものは出てこないと葵も理解はしているが2人の言葉をじっと待った。


「……些細なことなんだが」


先に声を上げたのは銅の方だった。

柑も一度顔を上げて銅に視線を向ける。本当に小さなことに気づいたと思っているのか銅の表情はどこか戸惑いがある。


「いいよ。教えてくれる?」


口に出すべきか、否か。そんな空気を感じて葵は銅を促した。

それでも口に出すことに抵抗を持っているように歯切れが悪そうに銅は口を開いた。


「凩の魂がいささか綺麗すぎたように思える。人間の魂にしては負の感情による影が全く感じなかった」

「……、なるほど」


抽象的な話、それが葵の印象だった。しかし、銅が戸惑いを見せた理由には合点がいった。

人間の魂は負の感情を抱くと影が生まれていく。

けれどそれは気分次第で増減していくものだ。一瞬を切り取っただけでは判断材料にならないと銅も迷っていたのだろう。

負の感情を残すかどうかは本人の性格によるところも大きい。

葵はディスクに置いてあるメモ帳に軽く書き留めると、次いで柑に視線を向けた。


「柑くんは何かあった?」

「……今のとこは何もねぇよ」

「そう。ありがとう。だったら気づいたことがあったらまた教えてね」


ぶっきらぼうな態度にも動じることなく、葵は笑って礼の言葉を述べた。

銅と柑の能力の性質は葵も理解している。能力を発動していない柑から何の意見もないことも想定していた様子だ。


「……もうあれから20分が経つね。俺たちそろそろ訓練場に向かおうか。

凩君は得体が知れないところがあるけど原因は不明だし、しばらく様子を見てみよう。2人とも協力ありがとう」


ふと葵がディスクの時計に目を落とすと、陵と凩が部屋を後にしてから長身の針が1/3ほど進んでいた。

これ以上待たせたら陵に不審がられてしまうだろうと話を一度終わらせて葵たちも訓練場へと向かうことにした。



「銅、凩くんの戦闘試験は君に任せてもいいかい?」


訓練場に向かう途中、前方を柑が足早に歩き、後方で葵と銅が2人並んで歩いていた時のことだった。

隣から不意にそんな言葉をかけられて銅は視線だけを横に向けた。


「承知した。戦闘はどんな内容にするんだ?」

「武器の具現化はなし。能力と体術で勝負してもらうつもりだよ」

「なるほど。武器を持てない試験内容だと陵や柑では辛いかもしれないな」

「2人は体術より魔力による戦いの方が得意だからね。

それにしても柑くんは何時にも増して早歩きだね。そんなに早く陵くんの顔が見たいのかな……。……あ」


話の流れで前をずかずかと歩く柑を眺めながら陵の名前を出した時だった。

葵は急に足を止めて声を零すと、次の瞬間にはくつくつと声を抑えて笑い出した。


「……、葵?どうした」


流石に不思議に思った銅が声をかけると葵は「何でもないよ」と返して何事もなかったかのように歩き出した。

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Bear One's Cross - 世界が手離したいと望んだ十字架 - 生オレンジティー @nefu2761

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