エピローグ

 一夜の宇宙飛行は世界をほんの少しだけ変えた。


 Gooplexのメインフレームに保存されていた宇宙開発の蓄積データが公開されたことで、数多く企業が、それを元に宇宙機やロケットの開発をスタートさせたのだった。広く拓かれた宇宙開発は息を吹き返した。


 全国の大学では、コースケたちに追従するように自作ロケットブームが巻き起こった。秋葉原の部品を用いて作られた小型ロケットは、茨城県の筑波、北海道の大樹、それに鹿児島県の種子島で頻繁に打ち上げられるようになった。宇宙機の部品や部材、電子機器を求める客たちで秋葉原は賑わい、外神田の裏通りは息を吹き返した。じっちゃんの営む伊達製作所も、部品の注文が押し寄せて大忙しになった。


 ISAへの疑念はその多くが払拭され、Gooplexへと移った元ISA職員たちの多くは、古巣へと戻ることになった。また、周回軌道上で廃棄の時を待つだけだったISSにも新たな役割が与えられ、軌道上に浮かぶベンチャー企業向けの研究施設として有効活用しようという計画が始まった。もちろん、廃棄の計画も白紙撤回された。


 コースケたち3人は爆発事故の真相が知れ渡ったことで、その潔白が証明された。大学の格納庫は元どおりに修復され、被害にあった内部の機材などは、全国から寄付の申し出が相次いだ。その盛り上がりは新聞の地方欄の片隅に特集されるほどだった。


 しかし、全てが元どおりに、全てが綺麗さっぱりうまくいったわけではない。映画やドラマのように、全ての謎が一挙に解決するなんてことは現実では稀だ。GooplexのCEO、ビル・アドマイナーは会見を開き、検索エンジンの不備を謝罪した。しかしその一方で、一連の騒動への自身の関与やエクストラクターとGooplexの繋がりは明確に否定した。




 印刷されたばかりの資料の束を片手に、ISAの職員が筑波宇宙センターの廊下を走ってきた。ぶつかるかという勢いで島本の目の前に飛び込んでくる。

「見てください!」


 島本は資料を一目見て叫んだ。

「場所は!」

 

 数日後、島本と広報担当の職員は、筑波宇宙センターの敷地内にある広報・情報棟の長い通路を歩いていた。左右の壁には、宇宙飛行士たちの写真や、様々なポスターとチラシが張り出されている。掲示物はどれも色あせていて、ISAが閉鎖された当時そのままの状態だった。


「会見はほとぼりが冷めてからでいいのでは? 相当な批判が噴出するのは明白です」

 広報は不安げに話す。


 横に並んで歩く島本は、ネクタイをきつく締めながら言った。

「分かる人には必ず伝わってる。今はそれで十分なんだ」


 しっかりとした足取りで、シマモトは通路を進む。


 2人は会見場のドアの前で立ち止まった。島本は大きく深呼吸をする。そして、いいですか?、という広報の目配せに対して、シマモトは頷いて応えた。


 広報がゆっくりと青いドアを開けた。会見場内の圧迫した空気が前から吹き込んでくる。それを感じながら、島本は前へとゆっくり歩き出した。あの騒動の後、初めての記者会見。会見場には世界各地から分野を問わず記者やカメラマンが詰めかけていた。部屋の中は大勢の報道陣で超満員になっている。


 島本が会見場に足を踏み入れるやいなや、記者の口から質問が雨のように浴びせられた。それと同時に、シャッター音とともに眩いフラッシュがひっきりなしに焚かれる。


「国民に向けて一言!」

「なぜ今まで沈黙を?」

「責任はどう取るつもりですか!」

「爆発事件との関係は?」

「外交問題に発展する懸念が指摘されてますが!」

「経済に与えた影響に対しては?」

「会見が遅すぎるんじゃないんですか!」

「犯罪組織との関係は?」

「世間を騒がせたことについてどう思われますか!」

「Gooplexに対しコメントを!」


 島本は質問を耳で聞き流しつつ、堂々たる態度で中央の演台に立った。質問の雨が止むのをじっと待つ。


「3日前、臼田宇宙空間観測所のアンテナが、10年ぶりに、スペースシャトルはやぶさからの信号をキャッチしました。これは、行方不明になっているハリー・フラックス博士からの信号だと考えられます」

 島本は、はっきりとした口調で説明する。


 プレス席全体がどよめき、一斉にシャッターが切られた。質問はまた土砂降りになった。


「博士は生きてるんですか!」

「データの根拠は?」

「信号の出処は?」

「月面の事故と何か関係は!」

「希望はあるんでしょうか!」


 声を大にして、島本は話を続ける。

「我々は彼の生存を確信しています」


 場内が静まりかえった。


 そして、島本は大きく息を吸い、真っ直ぐ前を向いて言った。

「次の目的地は、火星です」




『打ち上げ2分前』

 管制室に放送が響く。筑波宇宙センターに活気が戻った。管制室はたくさんの人で溢れかえり、あちこちで管制官たちがコンソールを睨んでいた。中央のスクリーンには、白い小型ロケットが映し出されている。新たなミッションが間もなく始まろうとしていた。


 霞ヶ浦のほとりには、打ち上げの最終確認を続けるコースケたちの姿があった。アウトドアテーブルの上に設けた打ち上げ指揮所と、台車を兼ねた小さな発射台は相変わらずだ。3人以外に人の姿はなく、草木の擦れる爽やかな音があたりを覆っている。


「打ち上げ当日になって、上空の気象データ収集をって」

 レンは言った。


「島本さんの計らいでしょ。元々ペイロードには空きがあったんだし」

 エリはそう話すと、隣に立つコースケへと視線を移し、得意げに訊いた。

「成功させる自信は?」


「もちろん!」

 コースケは迷いなく答えると、ニヤリと笑った。その表情を見て、エリとレンも笑顔で応えた。


 コースケは無線機に向かって言う。

「HAL、用意はいい?」


『-・-・』

 朗らかなHALのビープ音が無線機から聞こえた。


「全システム異常なし。このままいけます」


『了解。カウントダウン続行』


 雲ひとつない晴天の中、ロケットは陽の光に照らされ明るく輝いていた。丸みを帯びた機体のふちでハイライトがキラリと瞬く。心地の良いそよ風が、霞ヶ浦のほとりを吹き抜けていく。


「13」


「12」


「11」


「10」


「外部電源オフ」「SMSJ点火確認」


「9」


「8」


「7」


「6」


「5」


「4」


「3」


「2」


「1」


「「「リフトオフ!」」」

 3人は声高らかに言った。


 青い空に向かって、ロケットは勢いよく飛び立った。

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