悪の詩

 本村詩もとむらうたは策略家で、幼い頃から悪事を働いていた。

 ある日、イクリプスという魔物に協力している集団を知る。サイトから表明すると、イクリプスの証である歯形のマークが刻まれたフードが届いた。差出人は不明だが、詩はそれでも魅力的に感じてしまい、悪事にますます手を染めることとなる。

 例えば、一人の少女へと熱烈な想いを抱いている相手に、ストーカー行為をさせた。ある時は、金に困った一人の青年に声をかけ、自分のいい様にした。

 敵対している組織の、統制団体コメットにも守護者として潜り込み、今では数多の人間を騙し続けている。

 ある日、成果を認められ、イクリプスの本部へと迎え入れられた。そこにいたのは一人の幹部と、一人の美しい青年だった。

 美しい青年こそが、イクリプスのボスだと聞かされる。


『お前は何を欲する』


 親玉である美しい青年からの問いかけに、詩は笑って答えた。


『興奮するほどの愉しみを』


 詩という人間は、快楽で動いていたのだ。

 小学生の頃の友達が虐められ、堕ちていく様を見て黒い気持ちに目覚めた。以来、人を突き落とす事に快楽を覚えてしまう。

 本村詩の本性は、詐欺師だ。

 つい最近は、まとと言う少女を堕として仲間に引き入れた。純粋な彼女に酷な仕事を任せることで病ませ、最終的には親身になった兄を刺してしまったことで、イクリプスの仲間になったのだ。


「まとさん、お茶を飲みますか?」


「いらない」


「おや……そうですか」


 まとに断られたが、詩はおかしそうに笑った。


「では、留守番よろしくお願いします。私はやらなきゃいけないことがあるんでね」


「……」


 詩はまとを置き去りにして、一室を出る。イクリプスの屋敷でもあるここは、絨毯から血の匂いがした。

 出口に向かっていると、軽快に声をかけられる。


「やあ、どこに行くの?」


戯道ぎどうさん……次のターゲットを見つけにですよ」


「へえー、仕事熱心だね。あ、そうだ、新しい子のローブができたから着せてあげてよ。ついでに同伴させてみたら?」


 そう言って、戯道は赤い歯形の刺繍が入った赤いローブを渡してきた。

 詩は少し考え、お礼を言って部屋に戻る。ローブなら顔を隠せるから連れ出すことは可能だろう。

 まとは兄を刺したが、もみ消されたのかニュースにはなっていなかった。だが、コメットのメンバーが今頃彼女を探している筈だ。

 折角の美味しい獲物を、やすやすと渡す訳にはいかない。




「という訳でして、貴方もいかがですか? 帆夏ほなつさん」


「遠慮するのです。……何をやっているのか、分かっているのです?」


 目の前にいる、桃の髪色を持つ帆夏がまとを見やる。まとの全身はイクリプスのローブに覆われ、言わなければ誰か判別することも適わないだろう。詩には視線を向けることはないのは、彼女が視線恐怖症を持っているからだ。

 町外れの裏路地で、詩は首を傾げ、嗤ってみせる。


「分かってやっているに決まっている」


 帆夏は舌打ちをして、──詩を睨んだ。

 突如、ナックルを嵌めたこぶしを握り締め、詩に襲い掛かってくる。振り上げたそれを、詩は間一髪の所で避けた。


「っと……危ないデスヨ。暴力反対デ……うおっ!?」


 帆夏が繰り出した回し蹴りを、詩は鞄で受け止める。それでも、体躯は地面に飛ばされた。


「かはっ!」


「ゲス野郎が、覚えていろ」


 帆夏は詩の胸倉を掴んで言い放つ。頭にあるヒーローのお面が、太陽に当たって輝いた。


「私はコメット──正義のヒーローなのです」


 だが、詩はくつくつと嗤う。


「何がおかしいのです?」


 詩はお面に手を伸ばし、指で突く。


「でも、貴方、私にいい様に操られているじゃないですか。兄の傍にいたい一心で──魔物の命を奪い続けてまで」


 帆夏は再び舌打ちをして、詩を離した。

 本村詩は悪だ。それは、言いようのない事実である。だが、悪には相反する正義が付き物だ。

 だから──


「コメットは一人じゃないって、気付いてんの?」


 声が聞こえ、詩と帆夏は振り返る。

 ふざけたような、帆夏とお揃いの桃色の髪だ。それだけでなく、ナックルをも握りしめ、一人の男が立っている。


「コメットの監視者こと、バーカー。悪いけど、あんたの行動は視させてもらったよ。それから、……帆夏、"お兄ちゃん"が心配するから、おいで」


 手を伸ばしたバーカーに、帆夏は目を見開いた。

 帆夏という少女は、目の前にいる兄を追ってコメットに入ったのだが、正体は隠してきたのだ。心配されるから、怒られるから、止められるから──だが、それも、いつかは気付かれるらしい。

 帆夏は裾を握りしめ、ゆっくりとバーカーに近付く。その歩みを詩に止められるまでは。

 腕を不意に掴まれる。


「……なんなのです」


「帆夏さん、行っちゃ駄目ですよ。行ったら、まとさんのようになっちゃいます。兄から止められ、コメットを追い出され、哀れに堕ちるだけの……」


 帆夏は戸惑ったようにバーカーと詩を見比べた。

 バーカーは真っ直ぐに二人を見て、目を逸らさない。


「悪いけど、まとの兄は無事だよ。緊急入院にはなったけど、命に別状はない。だから……もう、これ以上は許さないよ」


 まとの顔が僅かに上がった。

 詩は笑う。


「一人で私達に勝てるとでも?」


「一人? 私達? 寝言は寝てから良いな」


 バーカーが浮かべ返したのは、勝利の笑みだ。

 帆夏が空いていた片手で、詩の顎を殴り上げる。


「がっ……!」


「そうなのです、……そうだ、コメットは一人じゃない」


 帆夏はまとの手を引き、バーカーに向かってその体躯を渡す。バーカーは受け止め、ウィンクを帆夏にした。

 詩は帆夏達を睨む。


「何をする……!」


「本村詩、貴方はコメットの一員だと思っていたのです。でも、そうじゃなかった。貴方は敵、イクリプスの手先だった。私は、ヒーローだから、裏切りは許さないのです」


 帆夏はヒーローのお面を被り、こぶしを構える。そんな帆夏のお面を見て、バーカーは嬉しそうに笑った。


「あ、そうだ本村さん。知っていると思うけど、俺の妹ってすごい怪力持ちなんだよね。昔からストッパーが外れているらしくてさー、だから、頑張れー」


「何ですかその棒読み──」


 瞬時に帆夏が詩に近付き、その腹に蹴りをお見舞いする。詩の体は宙を舞った。


「ん? そりゃあ、あんたの負けを確信しているからだよ」


 その後、息が絶え絶えになった詩が、傷だらけでコメットに引き渡されたという。



 ● ● ●



「本村詩がコメットに捕まりました」


「それは、それは、困った。彼は口を割ってしまいそうだ」


 と、全く困っていなさそうに言う。彼は浮世離れした美貌で、瞬きを繰り返した。

 戯道は彼に笑みを浮かべる。


「自白したら、彼は死にますよ。小さな魔物を体内に仕込んでありますから」


「残念、大事な仲間が一人減ってしまう」


 くつり、と彼は笑った。

 ロープをはためかせると、イクリプスの証である歯形のマークが揺れる。その赤い色は、誰よりも美しく輝いて見えた。

 彼らはそれっきり、詩の話をしなくなる。




 一方、沈黙の走る病室では、困ったようにまとの兄が笑みを浮かべていた。まと本人は椅子に座り、泣きそうな顔で俯いている。

 バーカーが帆夏の裾を引き、静かに病室を後にした。


「……仄華ほのか


 本当の名で呼ばれても、帆夏は答えない。


「家に、戻りな。母さんも父さんも心配しちゃうからね」


「っ、でも……!」


「たまには帰るからさ。仄華、俺に心配かけないでくれ」


 そう言って、バーカーは兄の顔で帆夏の頭を撫でた。

 帆夏は俯き、数度瞬きしてから、震える唇を無理にでも動かす。


「……たまには、遊びに来ても、いい?」


「勿論、大歓迎だよ」


 悪の詩は、もう紡がれない。



 了

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夜明けが終わる音 青夜 明 @yoake_akr

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