第40話 大好き、大嫌い

 降り出した雨の中、璃世と海人の頭部を持つ腐敗した化け物が踏み締めた地面を溶かしながら近寄ってくる。俺は眉根を寄せ、リシェを少し離れた場所へ降ろすと木の上に向かって声を張り上げた。



「ラムナ!! どっかに居るならコイツの事頼むぞ!!」



 一方的に言葉を投げかける。すると再びワイヤーが伸ばされ、リシェの体に巻き付くとそのまま彼女を攫って行った。


 ひとまずリシェは大丈夫だろうと胸を撫で下ろしつつ、俺は禍々しい声を発しながら近付いてくる化け物を睨む。



「……璃世……っ」



 歯を食いしばり、生成した複数のナイフを素早く投擲した。実の兄妹と同じ顔をした二又のその首を同時に刎ねる。しかしすぐに再生し、再びボコボコと盛り上がった頭部からは同じ顔が形成された。



(やっぱりダメか……! アイツらには不死アナトスの力があるんだ、おそらく何度殺しても復活する……)



 舌打ちし、俺は空を一瞥する。


 この雨はおそらく、ただの通り雨。暫く経てばまた月が出るはずだ。その間はコイツの相手をしなければならない。


 そう考えている間に、化け物は奇声を発して俺へと迫ってきた。



「ア、イ、アイぢゃぁ、ァ……っ」


「く……っ、璃世、正気に戻れ!!」


「あ、アア、アあァ!!」



 俺の声が届いているのか、いないのか。苦しげに悶える彼女は奇声を上げて暴れる。そのまま俺へと直進し、腐敗した口を大きく開いた。


 放たれた咆哮と共に飛沫が散り、俺の肌に触れた溶解液が皮膚を溶かす。



「……っ、熱……!!」



 一旦離れ、体勢を立て直すと再び俺はナイフを投げ放った。しかしいくら体を貫いて切断してもすぐに再生されてしまい、このままではキリがない。


 思わず眉間に皺を寄せたが、直後、不意に俺の真横の地面にはトスッ、と別のナイフが突き刺さった。その柄には紙切れが括りつけられており──どうやら、ラムナからのメッセージらしい。


 即座にそれを開けば、歪な線で描かれた何らかの絵と共に、俺には読めない文字が記されている。



「……っ? 何だこれ……?」



 それは何かの指示のようだった。簡略的に描かれた、容器のような絵と、その栓の部分で上方向を指している矢印。


 何かの栓を開けろ、という意味だろうか。一体何の──と、そう思案した瞬間に俺は思い出した。


 璃世が俺に残した、謎の小瓶の事を。



「アレか……!?」



 直感し、ポケットに手を突っ込む。しかし、同時に俺は化け物の生み出した触手のようなものに腹を絡め取られた。


 溶解液による焼け付くような激痛に「あああっ!!」と思わず声が漏れる。幸いすぐに触手は離れたが、巨木へと追い詰められた俺は化け物の両腕にサイドを塞がれて逃げ道を失ってしまった。



「う、ぐ……っ、くそ……!」


「ア、ィ……ヂャ、ァ……」



 俺の名を紡ぎ、腐敗した璃世の顔が迫る。まずい、ここまでか、と若干諦めかけた俺だったが──彼女はいつまで経っても、俺に攻撃しようとはしなかった。



「……、?」


「アィ、ちゃ……ァ……」


「……璃世……?」


「……ハや……グ……コ、ォ……テ」


「な──」



「──はヤく、コロじ……テ……」



 はやくころして。


 辛うじて聞き取れたその言葉に、俺は言葉をなくす。やがて「は……?」とようやく声を絞り出した俺へと、璃世は溶け落ちる腕を伸ばした。


 その指先が、俺の手の中の小瓶を指し示す。



「は……ァ、ク……」


「……っ」


「こロ……し、テ……」



 ぽた、ぽた。溶けて流れていく皮膚。崩れ落ちる璃世の表情は、もはや全く分からない。


 俺は息を呑み、赤い球体の入った小瓶の栓を抜く。するとその瞬間、球体はどろりと溶けて真っ赤な液体に変わった。

 鼻を掠めた鉄錆のような臭いは、それが“血液”である事を証明している。



「血……?」



 その時ふと、俺は『不死族アタナシアが死ぬための唯一の方法』を思い出した。


 ──同じ血を引く者の“血液”で、心臓を貫く事。


 それが、不死族アタナシアを殺すための、唯一の方法。



「……っ!」


「……アィ、ぢ、ゃ……」


「璃世……っ、お前……!」


「ゴ、めン、ナ、サ……、ワだジ、は……ヅミを、おが、しマ、ぢ、た……」



 私は罪を犯しました──そう言いながら、璃世は自身の左胸を抉る。腐敗した皮膚の下からは、海人のものと混ざって結合した二つの心臓が現れ、一定の脈を刻んでいた。



「……っ!」


「ワだ、し、の、せィ……ワだジの、せいデ……」


「璃世……っ」


「ごめ、な、ザい……生マれて、ギて、ゴめ、ナザ、い……ッ」



 濁った声を紡ぎ、何度も俺に謝る璃世。表情は分からないが、きっと泣いているのだろうと思った。


 血の入った小瓶──これはきっと、彼女が海人の計画を終わらせるために、俺に託した物だ。


 海人と一体化する事で無防備になる不死アナトスの心臓を貫き、己を介して、彼を殺して貰うために……いつ現れるかも分からない俺に、暗号を添えて託したんだ。


 俺は震える唇を噛み締め、生成したナイフで自らの腕を斬り付けた。滴るその血もまた、璃世や海人と同じ、分け合って生まれた兄妹の血。



「……謝るなよ……お前は、何も悪くない……。謝るのは、俺の方だろ……っ」



 流れる赤い血を掬い、小瓶の中へと落とす。続けて海人の返り血が付着した腰布も切り取り、それも小瓶の中へ投入して全て混ぜ合わせた。



「ずっと、待たせてごめん……ごめんな、璃世……っ! 五百年も待たせて、きっと、苦しかったよなぁ……っ」



 情けなく涙が溢れ、視界が滲む。いつの間にか雨は止み、遠くの雲間に月の光が見えた。


 俺は小瓶にナイフを差し込み、兄妹三人分の血が混ざったそれに刃を浸す。



「今、ちゃんと……抱き締めに行くから……」



 呟き、俺は強引に口角を上げた。そして、君を殺すために、救うために──地面を蹴った。



 ……なあ、璃世。


 お前は、きっと知らないんだろう。



「ちゃんと、逢いに行くから……っ!」



 お前が生まれた時、まだ小さかった俺と海人は、病院で抱き合いながらめちゃくちゃ喜んで、騒ぎ過ぎてさ。


 親父と看護師さんに、すっげー怒られてゲンコツ食らったんだぜ?


 でもそのゲンコツがどうでもよくなるぐらい、生まれてきたお前が──すごく、可愛かった。



「だから……っ、生まれて来なければ良かったなんて、そんな事、もう言うなよ……っ!」



 お前は、何も悪くない。

 海人だって、やり方を間違えただけで、本当は悪気があったわけじゃない。


 たとえ世間がそれを『罪』だと蔑もうが、俺は……俺だけは、ずっと──お前の事も、海人の事も、大切だった。



「俺は……っ」



 止めどなく流れる涙を落とし、俺は血のついたナイフを振りかぶる。


 脳裏に浮かぶのは、幼い頃に、俺と海人と璃世で並んで眠った、数少ない夜の記憶。



 なあ、璃世。


 俺はさ。



「お前が生まれてきてくれて……っ、本当に、良かった……!」



 そう声を紡ぎ出した直後、雲から顔を出した月明かりが俺達を照らした。同時に、俺のナイフが璃世と海人の心臓を穿うがつ。


 刹那、白い閃光が彼女を包み、俺はあまりの眩しさに思わず目を瞑った。しかしすぐにあたたかな体温に包まれた事で、閉じた瞼を再び持ち上げる。


 ふわりと揺れる、色素の薄い髪。目尻の下がる笑い顔。

 柔く頬を緩めながら俺を抱き締めていたのは、あの頃と同じ、愛しい妹の細い腕だった。



「──アイちゃん、ありがとう」


「……璃、世……」


「私ね、ずっと幸せだったんだよ」



 耳元で紡がれる、懐かしい声。懐かしい匂い。


 ああ、璃世だ。

 間違いなく、璃世だ。



「私ね、幸せだったの。アイちゃんが、毎日お見舞いにきてくれて。私に優しくしてくれて」


「……っ」


「あの頃ね、私ばっかりこんなに幸せでいいのかなって不安になるぐらい、アイちゃんに会えるのが幸せだった」



 アイちゃんが幸せにしてくれてたんだよ、と紡がれたその言葉に、俺の瞳からは涙が溢れる。少しずつ透き通って薄れていく体が、彼女との別れが近い事を俺に示していた。


 情けなく嗚咽をこぼせば、璃世は優しく俺に頬を寄せる。



「……っ、ごめんな……璃世……っ」


「アイちゃん、泣かないで」


「うっ……く……っ、一緒に、居てやれなくて……っ、ごめん……」


「ううん、大丈夫だよ。一緒にいたもん、ずっと」



 微笑む璃世の発言に、俺は「え……?」と顔を上げる。すると彼女は俺の背後を見つめた。



「私ね、“あの子”の目を通して、ずっと見てたの。アイちゃんの事」


「……!」



 そう告げた璃世の視線の先には、いつの間にか木の幹にもたれかかって眠っているリシェの姿。どうやらラムナがそこに寝かせたらしい。


 リシェが無事だった事に胸をなで下ろした俺に、璃世は微笑む。



「ねえ、アイちゃん。あの子の事、幸せにしてあげてね」


「……璃世……」


「私、またいつか生まれ変わって、アイちゃんにきっと逢いに行くから。でも、走るのはちょっと疲れちゃったなあ……今度は飛んでいこうかな? 可愛い小鳥さんになって」



 ふふ、と冗談めかして璃世が笑う。俺は涙で滲む目を細め、彼女を強く抱き締めた。



「……猫でも、鳥でも……何でも、生まれ変わっていいよ……」


「ほんと?」


「うん……俺、今度こそ、ちゃんとすぐに抱き締めてやるから……」


「ふふ……約束ね」


「うん……そうだな……約束……」



 温もりが消え始めた彼女を一層強く抱き締め、柔い髪を撫でる。透き通った体をぴとりと寄せて、「ねえ、アイちゃん」と最後に彼女は耳元で囁いた。




「──ずっと、大好きだよ」




 告げて、彼女はついに月明かりの中に溶ける。俺の好きだった笑顔が、光の粒となって消えていく。


 きらきらと星が散らばるように舞い、やがて、静寂が戻る夜の森。

 漂う光の粒を手に取って、俺は力なく涙を落としながら俯いた。


 その場に残された海人の亡骸の胸には、深く刃が突き刺さって、もう動かない。顔の焼け爛れた老人姿に戻った彼は、血溜まりの中で事切れてしまっていた。



「……海人……」



 小さく兄の名を呟いた、直後。

 不意に、背後のリシェが「う……」と声を発した。


 俺は即座に振り向き、立ち上がって彼女へと駆け寄る。



「……リシェ……?」


「ん、ぅ……、イドリス……?」



 起き上がった体を支え、濡れたその前髪を掻き分ければ、左右で色の違う瞳がゆっくりと瞬いて俺を映す。彼女の黒い左目は、璃世が消えた事で徐々にその色を薄め、やがて右側と同じ紫色の瞳に変わってしまった。


 罪の色が消えたリシェは、いまだに涙を浮かべる俺を見上げて不思議そうに小首を傾げる。



「……? イドリス、泣いてるの……? 大丈夫……?」


「……っ」


「……あれ? でも、何でイドリスがここにいるの……? さっきお別れしたはずじゃ……それに私、またいつの間にか居眠りして──」


「リシェ……っ!」


「ふひゃあっ!?」



 状況が把握出来ていない様子の彼女の肩を掴み、俺は強引にリシェを引き寄せた。そのまま自身の腕の中に閉じ込め、白い首筋に顔を埋める。

 彼女は「な、何? どうしたの!?」と慌てふためいていたが、構わずその体を抱き締めた。



「……っ、良かった……リシェ……っ」


「い、イドリス、苦しいよ……! それに酷い怪我してるじゃない! 何してるの、早く治療しなくちゃ……」


「うるさい、ばか……心配させやがって……。ちょっとだけ、このままで居ろよ……」



 ぎゅう、と華奢な体を抱き込めば、リシェはようやく大人しくなる。たった半日離れていただけなのに、腕の中の温もりがやけに懐かしく感じた。



「アンタが、無事で……良かった……」


「……」


「マジで、一瞬本当にもうダメかと思った……ほんとに、無事で良かっ──」


「──お父さん……?」



 ──が、しかし。


 ややあって彼女の唇からこぼれた言葉によって、安堵で満たされていた俺の胸は一気に凍り付く。



「……!」


「お父、さん……」



 ぽつり。再びこぼれた声。

 その名を耳が拾い上げた瞬間、俺の熱は急速に冷め、即座に彼女の視線の先を確認した。


 愕然と見開いた瞳で、彼女が真っ直ぐと捉えていたものは──心臓を刃で貫かれて事切れている、海人アーウィンの屍。


 途端に、俺の背筋が冷たく凍る。



「……っ!!」


「お父さん……、ねえ、お父さん……?」


「……っ、リ──」


「──お父さん!!」



 悲鳴のような声を上げたリシェは、俺を突き飛ばして駆け出した。海人の亡骸の傍にしゃがみ込み、「お父さん!! お父さん、しっかりして!!」と呼び掛けながら、彼女は動かない彼に泣き縋る。


 どくり、どくり。俺の左胸の奥では、脈打つ心臓が嫌な音を立てた。


 リシェは、父親カイトの本性など、何も知らない。



(……そうだ……、そうだよな……)



 海人がリシェに与えた『愛』は、偽りの紛い物。


 だが、リシェが父に抱いていた『愛』は、間違いなく本物の感情だった。


 その愛の矛先を、彼女から奪ったのは──。



「……誰が、やったの……?」



 程なくして、父が死んでいると理解したリシェは嗚咽をこぼしながら問う。


 悲哀の表情で振り返った彼女に、俺は、何も言えなかった。



「……イドリスが、やったの……?」



 滑り落ちる涙が、海人の胸に次々と落とされていく。


 弁明なんていくらでも出来るはずだった。だが、この期に及んで何を言えばいいのか、俺には分からない。


 彼女の父を殺したのは俺だ。

 リシェを守るために、それは仕方がなかった。


 だが、真実を告げてどうする。

 今まで育ててくれた父の愛が偽物だったのだと、彼女に伝えてしまっていいのか。

 そんな事をすれば、リシェは更に傷付いて、愛を向ける矛先も、憎むべき存在すらも見失ってしまう。心に深い悲しみを背負わせてしまう。



(それなら、もう、いっそ……)



 何も言わない俺の答えを肯定だと捉えたらしい彼女は、一層表情を歪めて「どうして……?」と続けた。



「ねえ、どうして……どうしてなの、イドリス……」


「……」


「ひ、うっ……信じてたのに……っ、イドリスは、他の罪人とは、違うって……」


「……」


「どうして……っ、どうして、どうして!! どうしてお父さんを殺したのよ!! この罪人!! 悪魔!! 人殺し!! アンタなんか……アンタなんかっ……!」



 声を荒らげ、悲痛に罵声を浴びせたリシェが、哀しみの色に染まる瞳で俺を映した。か細くしゃくり上げ、彼女は弱々しく告げる。



「……アンタなんか、大っ嫌いよ……」



 座り込んだままの俺の胸を深く抉る、その一言。


 痛みも、温度も、感情も。

 何も分からなくなった俺の渇いた喉からは、もはや何の声も出ない。


 ちょうどその時、森の地面をざくざくと踏み締めて近寄ってくる複数の足音が、立ち尽くす俺の耳に届いた。



「──アーウィン司令官!?」



 やがて鋭く声を発したのは、昼間も出会った女軍人──グロリア大佐。彼女は兵を引き連れ、どうやらリシェと海人を探していたらしい。


 しかしこの惨状を目の当たりにした瞬間、彼女は表情を歪めた。



「……そんな……アーウィン司令官……!」


「……」


「……っ、お前が……やったのか……? イドリス・ダスティ……」



 怒りで震える彼女の問いに、俺は俯いたまま何も言わない。「否定しないんだな……」と忌々しげに続いた言葉にも答えずにいれば、グロリア大佐は声を低める。



「……哀れな。罪人はやはり、どこまでも罪人のままか」


「……」


「総員に告ぐ! イドリス・ダスティを今すぐ拘束しろ!」



 声を張り上げた大佐の指示により、兵は一斉に俺を包囲して身柄を取り押さえた。


 抵抗はしない。否、出来ない。


 先程のリシェの顔が、涙が、言葉が──俺の胸に杭を打ち付けて、全く動く事が出来ないのだ。


 グロリア大佐は押さえ込まれた俺の前に立ち、冷徹に言葉を浴びせる。



「大罪人、イドリス・ダスティ。我が軍の司令官の殺害、及びその娘を誘拐した罪により──」


「……」


「──貴様を王都へ連行し、死罪とする」



 涙を落とすリシェの瞳と視線が交わったのを最後に、俺の顔は麻袋で覆われ、視界と希望を奪われた。




〈第四章 / 罪人、死罪となる …… 完〉

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