第39話 逢いたい人

 お前の計画を潰す──そう宣言した俺を、海人は憐れむように見据える。彼は薄く笑い、リシェのいるカプセルを撫でた。



「俺の計画を潰す、か……」


「リシェと璃世を解放しろ」


「残念だが、それは出来ない。そもそも俺の計画を潰すつもりなら、もう遅いぞ、逢人」


「……!?」


「──既にリシェには、璃世の人格を移植してある」



 彼がそう口にした刹那、カプセル内の猫の体がどろりと液体の中に溶ける。

 そのままチューブを通して猫のいたカプセル内の液体がリシェのカプセル内に注ぎ込まれ、目を見張った俺は即座に床を蹴って海人を突き飛ばした。


 リシェのいるカプセルにすぐさま刃を突き立てるが、ガラスには傷一つ入らない。拳で叩き付けても結果は同じで、彼女の瞳も開く気配がない。



「リシェ!! 起きろ!!」



 呼び掛けるが反応もなく、チューブを断ち切ろうとしても鋼鉄の如き硬度に阻まれてしまう。焦りと苛立ちが蓄積する中、海人はくつくつと喉を鳴らした。



「無駄だよ、逢人」


「──!」



 嗄れた声が傍で囁いた直後、俺の脇腹には強烈な膝蹴りが叩き込まれる。既に満身創痍の体に激痛が走り、俺は受け身も取れずに壁に叩き付けられた。


 直後、海人はリシェのカプセルに手を触れる。



「う……っ、ぐ……」


「さあ璃世、目を覚ませ。新しい人生の幕開けだ」


「……リ、シェ……!」



 海人の手が離れた瞬間、カプセルが開いて中の液体が流れ出ていく。リシェの体は繋がれたチューブに支えられたまま、やがてだらりと力無く項垂れた。


 しかしすぐに指先が動き、項垂れていた顔が持ち上がる。


 ようやく開かれた彼女の瞳の色は──どちらも、黒く染まっていた。



「……っ!」


「ああ! 璃世! 璃世なんだな!? 俺だよ、分かるか!?」



 嬉々として問い掛ける海人。しかし、彼女は黙ったまま何の反応も示さない。


 無反応な彼女に「……璃世?」と海人が首を傾げた──その時。


 ブシュ、と俺の目の前では血飛沫が散り、海人の体がぐらりと傾いた。



「……え──?」



 ──ドシャッ。


 静まり返る空間で、海人は倒れ、辺りは血の海に染まる。

 何が起きたのか分からずに愕然と目を見開いた俺は、ややあってようやく、海人が腹を切断されて床に転がったのだと理解した。


 ブツッ、ブツッ、と自らチューブを引き抜き、覚束無い足取りでリシェがカプセルの外へと足を歩み出す。

 たった今海人を切断したであろうその手を赤く染めた彼女は、光をなくした黒い瞳で、ゆっくりと俺を映した。



「……リ……シェ……?」



 掠れた声で呼び掛ける。

 すると、彼女の唇が薄く開いた。



「……、ァ……、アィ、ャ……ウ」


「っ……? お、おい……」


「ア、ィ……ァ……アィ、アァ……」



 よく聞き取れない声を何度も漏らし、俺へと一歩ずつ近寄るリシェ。しかし程なくして立ち止まった彼女は突如目を見開き、そのままごぼりと口から何かを嘔吐した。


 べしゃりと足元に落ちたそれは、ビー玉のような黒い球体。それはすぐに液体化し、苦しげに呻きながらその場に膝をついたリシェの周りに広がり始める。



「リシェ!!」



 俺は体の痛みも無視して床を蹴りつけ、ボコボコと脈打って膨らみ始めた液体の傍に蹲るリシェを抱き上げた。

 そして即座にその場から離れた瞬間、不気味にうごめいていた液体がヒトのような顔と体を形成し、獣のように呻きながら巨大化し始める。



「アアァ……、ァ、アアアアッ……」


「……っ!? な、何だ……! 何が起きてんだよ!?」


「璃……世……」



 その時ふと、先程胴体を裂かれて切断された海人が声を発する。

 流石は不死アナトスとでも言うべきか、胴を切断されても尚生きているらしい。切り離された胴体からは触手のようなものが伸び、体を修復しようと勤しんでいるようだった。



「お、おい海人! どうなってんだ!!」


「……っ、呪術師の、呪いが……暴走している……!」


「……!?」


「璃世は、自らリシェの体を放棄して、負の感情に飲み込まれたんだ……! 呪術師の呪いは、負の感情と連鎖して暴走し、いずれ自我をも奪う……! お前も、よく知っているだろ……!」



 呪術師の呪い──もちろん、それは身をもって学んだのだからよく知っている。

 先日レナードにリシェが撃たれて殺された時に、俺のタトゥーが広がって暴走したのと全く同じだ。


 切断された体を繋ぎながら、海人は続ける。



「呪術は、月の光によって緩和できる……! 早く、アイツを月光に──」



 ──グチャッ。


 しかし海人が言いさした瞬間、彼の真上には不意に大きな影がさした。刹那、巨大化した赤黒い手のひらが彼の体を叩き潰す。


 海人の血は弾け飛び、俺の腰布も、赤く染まって。


 俺がひゅっと息を呑む中、暴走している璃世は手のひらで叩き潰した海人の肉片を握り込み、大きく開いた口の中へといざなって飲み込み始める。




「……っ、璃世……!」



 その名を呼び掛け、俺は狼狽えた。


 璃世──本当に、璃世なのか? これは。


 もはや、ただの化け物じゃないか。


 前世でプレイしたどんなゲームのモンスターよりも、彼女の姿は醜悪で禍々しく、哀れだと思える。

 底冷えするような恐ろしい声で唸るその赤黒い肉体は、やや不完全なのか所々が溶けて腐敗し、本当にゾンビ映画のラスボスみたいだった。


 そう思案している間に、海人を飲み込んだ璃世が漆黒の双眸でギョロリと俺を捉える。俺は舌打ちを放ち、身を翻して駆け出した。



(くそ、とにかく逃げねえと……!)



 正直、今の状況はかなりまずい。

 俺は手負いの上に、リシェを抱えている。そしてここは地下だ。月明かりの届く場所へ出るには、先程飛び降りた井戸をよじ登る必要がある。


 ラムナに矢で射抜かれた利き腕が使い物にならない今、リシェを抱えた状態でどうやって地上へ出るんだ?



「チッ、両腕ぶっ壊す覚悟で登るっきゃねえなァ……!!」



 俺は腹を括ってリシェを抱え直し、再びボコッ、ボコッ、と全身を膨れ上がらせて変形し始めた璃世に背を向ける。そのまま全速力で洞窟を駆け抜けるが、すぐに奇声を上げて背後から彼女が追ってきた。


 一瞬振り向いて背後を確認すれば、四足歩行で迫り来る璃世の一部に海人の体が取り込まれている。双頭の化け物となった彼女は、触れた壁や地面を破壊して酸のような液体で溶かしながら俺に迫ってきた。



「おい嘘だろ、海人と同化した……!? 冗談キツいわマジで……!」



 おそらく、アレに触れるとヤバい。

 海人やリシェは不死アナトスの能力でどうにかなるかもしれないが、俺は触れた瞬間大火傷だ。火傷で済むかも分からない。


 持ち前の俊足でなんとか化け物との距離を開くが、そうこう考えているうちに行き止まりまで辿り着いてしまった。頭上には井戸の出口。ここを左手一本で登らねばならない。



「はあ……っ、ゾンビ映画のラストでも、ここまでエグい演出しねえよ……!」



 俺は恨み言をこぼしながら魔力を込めて鉤爪を形成し、負傷している右手でリシェを抱え直した。激痛が走るが、構ってなど居られない。

 目を血走らせた俺は彼女を抱え、気力だけで鉤爪を壁に突き立てて出口に向かう。



「うあっ……! くっそ、痛え……!!」



 二人分の体重を支える腕には着実に負荷が蓄積し、痛む怪我が俺の気力を奪っていく。だがここで手を離せば、ようやく奪い返したリシェがまた海人の手に渡ってしまうかもしれない。



(それだけは、絶対に嫌だ……!)



 俺は歯を食いしばり、リシェを支えたまま壁を強く蹴りつけた。ちぎれそうな手で鉤爪を土壁に食い込ませ、全身を使って一気に壁を登る。


 あと少しだ。あと少しで、地上に出られる──そう希望を抱いた時。


 突如大きく壁が振動した事で、バランスを崩した俺の肩からリシェの体が滑り落ちる。



「っ!!」



 ハッと目を見開き、俺は即座に腕を伸ばした。


 なんとか俺の手は彼女の手を掴み取ったが、傷がズキッ、と鈍く痛んだと同時に俺の体も壁から離れてしまう。


 焦燥に駆られた刹那、視界に捉えたのは、真下で大きく口を開けて俺達を待ち構える化け物の姿で。



(まずい、食われ……っ)



 ──シュルッ!



「……!?」



 急降下する体が化け物の懐に飛び込む──という、間際。俺とリシェの腰には細いワイヤーが巻き付き、落下する直前で吊り上げられた。

 そのまま強い力で引き上げられた俺とリシェは、やがて井戸の外へと放り出される。


 ──ドサッ!



「いっ……!」



 気が付けば、乱雑に地面へと投げ出されていた。腰元からはすぐにワイヤーが外れたようで、いつのまにか消えてしまっている。

 腐葉土の上に転がった俺は眉を顰め、「まさか、ラムナが手を貸してくれたのか……?」と呟くが──思案する間もなく、井戸からはボコボコと黒い液体が溢れてきた。



「……っ、早く、月光を……!」



 俺は素早く顔を上げた。

 けれど、すぐに全身から血の気が引く。


 見上げた夜の空に──月明かりはなかった。

 そこに輝くはずの月は、分厚い雲で覆われてしまっていたのだ。


 やがて、ぽつぽつと降り注ぐ雨。



「……嘘、だろ……」



 俺が愕然としてリシェを抱き締める中、井戸からは「アィ、ヂャ、ン……」と不気味な声が届いた。そこから溢れ、ボコボコと膨れ上がる黒い液体が、やがて前世と同じ璃世と海人の姿を形成する。


 ひとつの体で頭部だけがそれぞれの顔に分かれ、全身が腐敗した異形の姿を作り出した化け物は、璃世と海人のものが混ざり合う濁った声で「アィ、チャン」「アイ、ト」と俺の前世の名を紡ぎながら近寄ってきた。



「ア、ィ……ト、アイ、ぢ、ゃぁ、ん」


「……っ」


「ワだしィ……はシって、アい、に、ぎダぁ、よォ……」



 無情に降り注ぐ雨粒が、奥歯を軋ませる俺と、眠るリシェの頬を濡らしていた。




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