第38話 愛とがらんどう

 井戸に飛び降り後、まるで洞窟のような細長い通路を進んだ俺は、やがて動物や人体の一部が瓶詰めにされて貯蔵された不気味な空間へとたどり着いた。


 何かの研究所だろうか? 植物や生き物は謎の液体で満ちた瓶の中に収められ、所狭しと壁際に並んでいる。伸びた管や配線が交差し、電気など通っているのか分からないが、並べられた機材に何かを送り込んでいるようだった。


 赤い双眸で睨んだ先には、全ての元凶である男の姿。



「──思ったより遅かったね、イドリス・ダスティ。私の正体はもうお分かりかな?」


「……海人」


「はは、やっと気付いてくれたのか。……待ってたよ、逢人」



 閉じていた瞼を開き、青い双眸が俺を映す。髪は抜け落ち、酷い火傷を負っている老いぼれた顔。生前の海人とは随分掛け離れていたが、確かに目元だけは俺に似ていた。


 彼は取り出した眼鏡をかけ、「ああ、これでよく見える……」と瞳を細める。



「まあ、座れ。言いたい事はたくさんあるだろう? ゆっくりと話をしようじゃないか」


「リシェを返せ」


「はは、“返せ”とは随分な言い草だな。元々あれは俺のものだ」



 ──ガシャァンッ!!


 彼が笑った刹那、俺は力任せに近くの台を蹴り飛ばした。音を立てて器具や本が飛散する中、表情一つ変わらない海人を睨む。



「リシェはどこだ」


「……そう怒るな、逢人。まずは落ち着いて話し合おう」


「話す事なんかねえよ!! リシェの居場所を吐け!!」



 怒鳴りつけ、今度は別の台を蹴り倒した。落下した瓶が割れる中、海人は肩を竦めて歩き出す。



「全く、相変わらず人の話を聞かない奴だ。落ち着けと言っているだろう。さて、まずはコーヒーでも──」



 ──ドッ。


 コーヒーカップを手に取った海人だったが、その動きはすぐに止まる。彼へと一瞬で距離を詰めた俺は、海人の戯言を遮ってその脇腹にナイフを突き刺したのだ。


 バリン、と音を立ててカップが砕け、海人はゆっくりと振り返る。



「さっさと吐け。次は肺を抉る」


「……やれやれ、実の兄にも容赦なしか? 紛い物レナードに手を上げるのは躊躇したと聞いていたが。お前を欺くためとはいえ、やはり治癒も間に合わないほど顔を焼きすぎたせいで情も湧かないか」


「!?」



 ──ゴッ!


 刹那、身をひるがえした海人は俺の腹部を蹴り飛ばした。素早く腕で庇ったが、ラムナに射抜かれた傷口が痛んで思わず呻く。


 それでもなんとか受け身を取り、俺は海人へと視線を戻した。



(俺の攻撃が効いてない!?)



 腹を刺されたにも関わらず、平然と言葉を発した海人。貫いたはずの脇腹を気にする素振りすらも見せない彼の傷口は、既に塞がってしまっていた。


 老人の姿、嗄れた声、すぐに治癒する傷口──それらの要素を並べ立てた時、まさか、と俺の脳裏にはある可能性が過ぎる。



「お前……っ! まさか、不死族アタナシアに……!?」


「ああ、その名を知っているのか……そうとも、逢人。俺は不死族アタナシア──不老不死の一族として、この世界に転生したんだ。もう五百年は前になるかな」


「五百、年……!?」


「そう。俺は五百年前、初代の王である呪術師が国を建国した時代に転生した。……璃世と共にな」



 ──璃世。


 その名が紡がれた瞬間、俺は息を呑んだ。

 しかし、すぐにそんなはずはないと言い聞かせる。


 確かに、あの小屋には璃世のいた形跡もあった。だが、璃世が記した日記がいくら古いと言えど、五百年もの時を経ているとは到底思えない。


 璃世が、ここにいるわけがない──。



「璃世に会いたくないか? 逢人」



 けれどそんな俺の推測を覆すように続く海人の言葉が、俺の鼓動をどくりと跳ねさせる。

 震えそうになる手を強く握り込んで黙っていれば、海人は愉快そうに笑った。



「はは、変わってないな逢人。お前が何も言わない時は“肯定”の意味だ。璃世に会いたいんだろう? 幸せにしてやりたいんだろう? 喜べ逢人、璃世に会えるぞ」


「何を、言って……」


「璃世もこの世界にいる。今もすぐ近くに。俺はずっと、お前がこの世界に生まれてくるのを彼女と共に待っていたんだ。また三人で“家族”になるために」



 眼鏡の奥で目尻を緩めた海人は、こつりとブーツの踵を踏み鳴らして歩き始める。やがて、彼は布で隠された“何か”の前に立った。



「お前の事を見つけた時は、それはもう歓喜したさ。まさかあれほど前世で俺を『人殺しにしたくない』と言っていたお前が、逆に人殺しになっているとは少し驚いたがな。しかも前世の記憶もない……だから俺は思い出させる事にしたんだ。お前の仲間だった女暗殺者に協力の依頼をしてな」


「……!」


「お前に罪を背負わせて投獄し、拷問と称して奥歯に穴を空け、神経から直接薬を流し込んだ。記憶を蘇らせるための誘発剤だ。更に俺は、お前に与えられた刑罰を“流刑”と書き換えてこの島へおびき寄せた。……そして、彼女に出会わせたんだ」



 海人はそう言い、何かを覆っていた布を勢いよく取り去る。その瞬間、俺の視界にはリシェの姿が飛び込んできた。


 様々なチューブに繋がれ、不気味な液体が満ちる大きなカプセルの中に囚われて、目を閉じている彼女が。



「──リシェ!!」



 名を叫び、俺は即座に刃を取り出して放った。しかし容易く弾き返され、カプセルの表面には傷一つ付かない。



「な……!」


「やめておけ。それは特殊な素材で出来ている。いくらやっても無駄だ」


「テメェ……! リシェをそこから出せ!!」


「なあ、俺は嬉しいんだよ、逢人。お前がこうして彼女を大切に思い、愛してくれた事が。彼女は俺達にとっての大事な“お姫様”になるんだから」



 焼け爛れた口元に弧を描き、海人は愛おしげにリシェのいるカプセルを撫でる。「どういう意味だ……!」と問えば、彼は語り始めた。



「俺と璃世は、共にこの世界に転生した。だが、璃世は俺と違って不死族アタナシアではなく、黒い瞳で生まれたが故に村で迫害され、不治の病に侵された不幸な子供だった」


「……!」


「俺は璃世を保護して懸命に彼女の病を治そうとしたが、いつまでも治らない。だから俺は藁にもすがる思いで助けを求めたんだ。……にな」


「何、だと……?」


「呪術師……つまり初代の王は、俺の懇願に応じて璃世の病を治し、俺と同じ不死アナトスにした。これで俺は璃世と永遠に共に居られると思った。……あの“呪い”さえなければな」



 次々と紡がれる真実に、俺の胸には嫌な予感が満ちて広がっていく。


 黒い瞳、不死アナトス、呪術──今まで不可解だったそれらのキーワードが、徐々に明確な線を引いて繋がり始める。


 海人は忌々しげに表情を歪め、更に続けた。



「璃世は呪術師の力で、不死アナトスとして生まれ変わった。だが、その代わりに忌々しい呪いを受けたんだ」


「……呪い……?」


「俺がこの世で一番憎んでいる生物に、姿を変えられてしまったんだよ。──こんな風にな!!」



 海人は眉根を寄せ、怒号と共に別のカプセルの布を取り去った。


 液体で満ちるその内部では、リシェと同じくチューブに繋がれたが眠っている。


 どくりと心臓が脈打ち、俺は息を呑んだ。脳裏を過ぎったのは、前世で共に廃ビルの屋上から落下した白い子猫の姿。



「待てよ……これが……璃世だって、言うのか……?」



 震える声で問えば、海人は「そうだ」と低い声で肯定する。俺は愕然と立ち尽くし、眠る猫を見つめた。



「璃世は猫の姿となり、月の光を浴びている間のみ、呪術が薄れて人間に戻れる。俺は彼女を人間に戻すため、『動物を人体化する』という実験をこの島で繰り返していた。その結果が、あの化け物共だ」


「……!」


「魚や虫でも試してみたが、どうにも上手くいかなくてな。だから動物から人間を作り出す方法は諦めて──既に完成されている人間の体に、事にしたんだよ」



 狂気的に微笑み、海人はリシェのいるカプセルを撫でる。俺は目を見開いたまま「お前……!」と掠れた声を発した。



「リシェの体を、璃世に乗っ取らせるつもりか!?」


「ああ、やはり賢いな逢人……その通り。リシェは、璃世の“器”となる」


「何だと……!」


「試しに璃世の左目を彼女に移植してみたが、素晴らしい適応力だった。既にリシェは璃世と同じ不死アナトスの能力を開花させ、日本語も読めている。本人に自覚はないがな」



 彼の発言の直後、俺はリシェが以前日本語の文字を読み解いた事を思い出して顔を顰める。つまり、リシェの体は既に一部が璃世と同化しているという事だ。


 強く拳を握り込み、奥歯を軋ませる。



「……ふざ、けんな……! お前、本当にそれで璃世が喜ぶと思ってんのか!? そんなの俺は望まない!!」


「何を言っているんだ、逢人。お前はずっと望んでいただろ? 璃世の幸せを」


「!」


「璃世はリシェの体を得て、ようやく幸せになれるんだ。彼女の憧れた“可愛いお姫様”になって、健康な体で好きなだけ走れて、好きなものがたらふく食べられる。俺達とだって、いくらでも共に居られるんだぞ? こんなに素晴らしい事はないだろ」


「……っ、違う……」


「リシェの事だって、もちろん愛していたさ。お前もそうだろう、逢人。だったら良いじゃないか。俺達の愛する女と愛する妹が、全く同じ存在になるんだ。何も躊躇う必要はない」


「違う、そんなもんリシェでも璃世でもない!! 何が愛だよ、ふざけんな!!」



 俺は怒鳴り、すぐに力無く俯く。



「リシェは、璃世とは違う……! アイツはバカで、単純で、ドジで……褒めたら素直に喜んで、俺が怪我すると自分の立場も考えずに心配して泣いて、気に入らない事があるとすぐに拗ねる……!」


「……? だったら尚更好都合じゃないか。リシェの短所は、璃世が全て補える」


「黙れ、何も良くねえんだよ!! 確かに、リシェを妹みたいだと思った事は何度もあった! でもアイツは、璃世みたいに聞き分けなんかよくないし、何から何までポンコツで、うるさくて、ワガママで……全然違うんだよ……璃世とは……」



 ありったけのリシェの悪い部分を口にした俺だったが、俺は、そんな彼女の性格を『短所』だと思った事はなかった。


 そうやって素直な感情を表に出せるのは、彼女が今まで幸せに生きてきた証だと思っていたから。父親かぞくから愛されて、これからも幸せに生きていくのだろうという安心感で満たされていたから。


 けれど、その愛は偽物。見せかけだけの紛い物。

 あのカカシと、なんら変わらない。


 それが、心底歯痒いと思う。



「お前みたいな“がらんどう”のカカシが、俺の“愛”なんて軽々しく語るなよ……俺がリシェや璃世に抱く感情は、お前の考えるそれとは全然違う」


「……何だと……?」


「お前は昔からそうだ。璃世を想っているようで、ずっと自分の都合しか押し付けてない。璃世を救うって言いながら、実際は全部自分を救うためだ」



 魔力を練り、手の中に鋭いナイフを形成する。強い力でそのナイフの柄を握り込んだ俺は、海人を鋭く睨んだ。



「俺も、璃世も、リシェも……きっと誰も、お前の“理想”を望まない。たとえ見た目がリシェで、中身が璃世だったとしても──本人の意志に反して作られた都合のいい人形なんて、外で這いずり回るゾンビ共と同じなんだよ!」



 強くナイフを握った手をもたげ、切っ先を海人に向ける。


 憎らしげに眉間の皺を刻む焼け爛れたその顔を睨み、やがて俺は低く声を紡いだ。



「──俺は、この計画をぶっ潰す」



 リシェの事も、璃世の事も。


 今度こそ、守り抜くと誓って。




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