第36話 奈落の底へご案内

 判明した真実に、俺は信じたくない己の感情と葛藤しながら奥歯を噛み締める。


 海人の生まれ変わりは、レナードではなく、アーウィンだった──つまり、この小屋もこの島も、全て海人のものだということだ。



(ラムナに俺の監視を頼んだのも、レナードじゃなくて海人アーウィンだったって事か……! くそ、あの女も最初から全部分かってて黙ってやがったな……!)



 眉根を寄せ、奥歯を軋ませる。


 海人から依頼を請け、俺に王殺しの罪を着せたのはラムナ。模造品ダミーであるレナードを拉致し、瀕死に追い込んだ挙句カカシにはりつけにして“偽物ファルシ”の帽子を被せたのも、おそらく彼女による犯行だろう。


 見せかけだけの紛い物──随分と皮肉めいた見世物に、俺は苦く舌打ちを放つ。



(ゾンビを作ったのも、この島に俺をおびき寄せたのも、全ては海人……しかも日記の文面から察するに、アイツには前世の記憶がある。何が狙いだ……! 何のために、俺やリシェを……)



 そこまで考えて、俺はハッと息を呑んだ。

 続けて強い焦燥感が押し寄せる。


 そうだ、なぜ気が付かなかった。

 アーウィンが海人だと言うのなら、今、アイツと共に居るのは──。



「リシェ……!!」



 俺は彼女の身を危ぶみ、思わず駆け出そうとするが、ここから一体どこへ向かおうと言うのか。


 リシェは、もうこの島にいない。

 海人が本土へと連れ帰ってしまった。



「くそっ!! アイツ、マジでどういうつもりだよ……!」



 焦りばかりが募り、己の無力さに歯噛みする。気が付けば、ぶつぶつと何かを呟き続けていたレナードの声も途切れてしまっていた。

 元より助からぬ怪我を負っていた彼の屍から目を逸らした、その時──俺の視界には、リシェの残していった魔導式テントが飛び込んでくる。


 そして、俺はある違和感に気が付いた。



(……よく考えたら、あのテント……持ち主リシェが近くに居ないのに、何で機能してるんだ……?)



 俺は訝しみ、まだ大きく広がったままのテントをじっと見上げた。


 古来より、この世界の住民は“遺伝性魔力因子いでんせいまりょくいんし”と呼ばれる“魔力の素”を体内で作り出す事によって魔法を使用している。


 遺伝性魔力因子は個人によって型が異なり、その型を照合する事によって個人を見分ける事も可能だ。いわゆるDNAのようなものだと考えていい。

 そしてこの魔導式テントは、その遺伝性魔力因子の型を最初に登録する事により、持ち主の魔力を感知して使用出来る魔法具なのである。


 故に、持ち主との距離が離れて魔力が感知出来なくなると自動的に小さく折り畳まれてしまうはずなのだが──なぜか、テントはまだ機能している。



(このテントが、まだ機能してる……って事は……)



 ──リシェは、まだ近くにいる……!?



 そんな結論に辿り着き、俺はバッと身をひるがえした。


 一般的に、あのテントが道具として機能しなくなるのは持ち主との距離がおよそ五キロ以上離れた時だ。つまり、リシェはこの場所から半径五キロ圏内のどこかにいるという事になる。


 だが、絞られたとはいえ範囲が広い。何の根拠もなく当てずっぽうで探していては埒が明かない。



「くそ……!」



 俺は拳を握り込み、一度小屋の中へ戻った。何か他に情報が得られそうな物はないだろうかと本棚を探るが、出てくるのは俺には読めない本ばかり。



(何か、ヒントぐらいあるはずだ……! アイツはどこにリシェを連れて行った……!? 目的は何だ……!)



 と、そこまで考えた頃──俺の視界に映ったのは、先程俺が暖炉の前で最初に読んでいた、子供用の日記帳だった。


 花柄の刺繍が施された、小さなノート。ありふれた日常の出来事が幼い筆跡で記されていたもの。


 その筆跡は、どこか懐かしい優しさを彷彿とさせて──俺の脳裏に、の笑顔が浮かぶ。



「……璃世……?」



 自然と、当たり前のように、そう声に出た。俺は暖炉の前に落ちている日記帳を手に取り、ページを捲る。


 何気ない日常の事ばかりが記された日記。見覚えのある字と、時折描かれている癖の強い絵。


 ピンクの髪の女の子。

 金の髪の男の子。

 赤い瞳の男の子。

 足元には白い猫。


 それは紛れもなく、愛しい妹のものだ。



「お前も、ここに居たのか……? 璃世……」



 ぽつりと呟き、更にページを捲る。


 するとそのページだけ、他の日記と一線を画すかのように色とりどりのインクで記された文字が並んでいた。


 黒、茶色、緑、青、紫……。


 植物の汁でも使って書いたのか、彩度の高い色の文字は薄れてしまっている。内容は至って普通の、ありふれた日常の記録だった。


 しかしその文字を視界に入れた瞬間、俺の脳裏にはバチンッ、と火花が散るように前世の記憶が蘇る。



『──ねえ、アイちゃん。二人だけの秘密の暗号決めようよ』



 俺にそう耳打ちした、幼い頃の璃世の笑顔と共に。



『……暗号? 何で?』


『日曜の朝のアニメでやってたの! 真似したい!』


『えー? まあ、別にいいけど……』


『えへへ、じゃあこれからのお手紙は、アイちゃんにだけ分かるように暗号付きで送るね!』


『でもそれ、俺どうやって読めばいいの?』


『簡単だよ! あのねえ──』



 こそり、耳打ちされた彼女の言葉。



『色んな色のクレヨンでお手紙書くから、赤いクレヨンの文字だけ読めばいいの!』



 それが、彼女と俺の、秘密の暗号だった。



「……赤い文字……」



 呟き、改めて日記の文面に視線を落とす。

 記されている文字はクレヨンを用いたものではなく、赤い色もそこには見当たらなかった。だが、青や緑などの随分薄れてしまっている文字を見つめながら俺は考える。


 年号は残されていないが、おそらくこれが記されてからは、相当な時間が経過しているのではないだろうかと。



(この島には、クレヨンなんてない……多分、身近なものをかき集めて色を付けたんだ……)



 青や緑は植物の汁、紫は木の実で色が補える。身近なものをかき集め、彼女は様々な色を手に入れたのだろう。


 そう考えた時、一番簡単に手に入る『赤』といえば──。



「……自分の血か……?」



 俺は色褪せた文面を見つめ、年月を経て変色したらしい茶色の文字に目を止める。おそらく最初は赤かったであろうその色の文字を追えば、やはり隠されていた文章が浮かび上がった。



『か』『か』『し』『の』


『あ』『し』『も』『と』



 それが、璃世の残した、俺へのメッセージ。



「──カカシの足下……?」



 カカシとは、おそらくあのカカシの事だろう。だが、くだんのカカシの足とやらは先日リシェが折ってしまったため、新しい木に付け替えてしまった。

 元々の足として使われていた木は、そのまま薪として再利用する事にしたわけだが──と、そこまで考えたところで俺の視界は暖炉に灯る火を捉える。


 揺らめく炎が燃やしているのはまさしく、修繕前のカカシの足として使っていた木の一部だった。



「やっべ……!!」



 なりふりなど構っていられず、俺は即座に水瓶から桶で水を掬うと暖炉の火にぶちまけた。すぐさま火かき棒で灰を混ぜ、中の木を取り出すが、既に木は炭になってしまっている。


 しかしその先端部には、キラリと光る金属製の何かがまだ挟まっていた。



「これは……」



 ──鍵?


 俺はまだ熱いそれを慎重に手に取り、指の先で転がす。部屋の鍵にしては、かなり小さい。小箱や戸棚の鍵だろうか。



(鍵の掛かった棚なんて見た事ねーけど……)



 思案しつつ、俺は炭になったカカシの枝によく目を凝らした。焦げた木の表面には、辛うじて矢印のようなものも掘られている。


 地面に刺さっていた当時、どうやらそれは下方向を示していたらしい。



(足の下……って事は、土の中か?)



 その答えに辿り着いた俺は小屋を飛び出し、元々カカシが刺さっていた畑へと走る。柵の中でゾンビが唸るのも無視して、俺は近くに立て掛けておいたスコップで地面を掘り返した。


 穴を掘り始めてしばらくした頃、不意にスコップの先が硬い何かにぶつかる。

 やがてそこに手を突っ込んだ俺が引きずり出した物は、鍵のかかった小さなブリキの小箱だった。おそらく先程の鍵で開くのだろう。


 迷わずそれを差し込めば、カチリとハマって蓋が開いた。その中から出てきたものは、小瓶に入った真っ赤な球体。


 訝しみつつ手に取ると、ビー玉のようなそれが瓶の中でころんと転がる。



「何だ、これ……」



 不可解な小瓶に眉をひそめた──刹那。

 とん、と近くで何者かの足音が響く。


 振り向いた先で微笑みを浮かべていたのは、衣服に返り血を滲ませたラムナだった。

 途端に俺は彼女を睨み、「ラムナ!!」と怒鳴って胸倉を掴む。



「お前、アーウィンからどんな依頼を請けた!? 今すぐ吐け、全部知ってんだろ! アイツの目的も居場所も!!」


「やぁだ〜、怒らないでよイドリス。可愛い捜査官ちゃんの居場所、教えて欲しくないの〜?」


「……っ、お前……!」


「ふふふっ、嫌ねえ~、私は褒めて欲しいぐらいなのにぃ。頼まれた通り、あの子を父親と会わせてあげたじゃなぁい」



 くすくすと楽しげに笑うラムナに、俺の奥歯がぎりりと軋む。掴み上げていた胸倉を更にキツく締め上げれば、「あんっ!」とわざとらしく甲高い声を上げた。



「……早く教えろ。殺すぞ」


「あらあら〜、脅しのつもりぃ? 腕も顔も怪我してボロボロの癖に、威勢だけはいいのねっ」


「いいから早く教えろ!!」


「んも〜、怒ってばっかりで嫌になっちゃ〜う。良いものあげるから機嫌直して?」



 にた、と口角を上げ、ラムナは俺の手に何かを握らせる。手渡されたそれは一枚の紙切れで、開けば簡略的な地図が描かれていた。


 どうやらこの島の全体図のようで、彼女は地図上にそっと指をさす。



「イドリスが今居るのは、大体この辺よぉ。で、捜査官ちゃんが居るのは島の中心部あたりね〜」


「……中心部? 何もねーだろ、こんなとこ」


「あなた達は見つけられなかったみたいだけど、実はこの辺に井戸があるのよ〜。その中に降りて行けばいいわぁ」


「……信用していいんだろうな」


「さあね〜」



 にんまりと口元に弧を描き、ラムナは「じゃ、あとは頑張って〜」と他人事のように言い残して去っていった。

 俺は舌打ちを放ち、その場から走り出す。


 森の奥深くへと足を踏み入れた俺の元には、闇の中を徘徊していた無数のゾンビ達がすぐに群がってきた。素早く魔力を込めて漆黒の鉤爪を形成し、俺は一切の躊躇もなく迫り来るゾンビの喉元を次々と掻き切る。


 怪我は多少痛むが、そんなものに構っている余裕もなかった。

 どしゃどしゃと積み重なる腐乱した肉塊。それらを踏み付け、先を急ぐ俺はやがて島の中央部へと難なく辿り着く。


 地面にはつい最近人の手でこじ開けられたかのように不自然な岩石が散乱し、積み上がった岩場の奥には、ラムナの言った通りに井戸の入口が見えていた。



「海人……!」



 忌々しい名を呟き、俺は罠ともしれない井戸の中へと迷わず飛び込む。


 そんな俺の脳裏には、とある記憶が鮮明に蘇り始めていた。



 前世の俺が死んだ日の、最期の記憶が──。




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