第35話 最悪のシナリオが幕を開ける
リシェを見送り、拠点へと戻った後。俺は胸にぽっかりと大きな穴が空いたかのような虚無感を抱えながら、いつも通りの夜を迎えた。
一人でゾンビを狩り、一人で調理し、一人で豪勢に肉を食らう。今日はゾンビを角煮風に煮込んでみたわけだが、一人分でいいはずなのに明らかに作りすぎてしまい、また一人で小さく息を吐く。
リシェがここに居たら、と考えてしまう度に、額を押さえてかぶりを振った。
しかしいくら気を紛らわせても、顎に触れた彼女の唇の温もりも、撫でた髪の柔らかさも──まだ、そこに残っているようで。
俺は生きてるし、彼女も無事に父と会えた。
全てが望み通りの結末であるはずなのに、どうしてこうもヘコんでいるんだか。
「……もう寝よ」
呟き、火を消し止めて、アイツが残していった魔導式テントの中に入る。随分と広く感じるテント内にごろんと横になった俺は、ついいつもの癖で隣にいるはずもない彼女の手を探してしまい、また溜息をこぼして舌打ちを放った。
何にも触れない手を握り込み、自分しかいないのに、隣にもう一人分のスペースを保ってしまう。目を開ければそこにいるんじゃないかとバカな期待をして、せっかく閉じた瞼も何度もこじ開けてしまう。
「……眠れねー」
呟き、俺は上体を起こした。何度目になるかも分からない溜息を吐いた俺は、おもむろにテントを出てボロ小屋の中へと入っていく。
あまり得意ではない基礎魔法でランタンに光を灯し、何か気を紛らわせる物はないだろうかと書斎に足を踏み入れた。埃をかぶった本棚や机の脇には、相変わらず大量の本が積み重なっている。
試しにその辺の本を数冊手に取り、暖炉の近くにどさりと積んだ。近くに置いておいた薪を暖炉へ投げ入れ、火をつけて明かりを確保する。カビた毛布に身を包み、床に転がった俺は試しに手に取った一冊の本をぱらりと開いた。
「……まあ、読めんわな」
ええ、分かってましたとも、読解不可能な事ぐらい。しかし俺は途中で投げ出すことなく、読めない本のページを次々と捲っていく。
すると不意に、様々な動物の解剖図のような絵が描かれたページに到達した。何やら注釈や解説も記されているようだが、やはり俺には全く読めない。
(動物関連の医学書か? この島に動物なんて居ねーけどなァ)
昔は居たのかもしれない、と憶測を立てつつ、再びページを捲る。
字は全く読めないが、以前この小屋に住んでいた主がよっぽど勉強熱心だったのだろうという事は理解出来た。おそらく医学書であろう本の重要そうなページの端は印でも付けるかのように折り畳まれており、決まってそのページの文字にはインクで線が引かれている。
同じように医学を学んでいた海人も、全く同じやり方で試験勉強をしていた事を思い出した。
(海人に似たタイプの、几帳面なガリ勉が住んでたのか? 医学を志すヤツってだいたいそうなんのかな)
一通りページを捲り終わり、今度は別の本を手に取る。その本も医学書のようだったが、同じように端が折り畳まれたりインクで文字に線が引いてあるばかりで、面白みは特にない。
まあ、文字が読めねえんだから面白いわけねえよな。でも退屈なおかげで、ちょっと眠くなってきた。
ふあ、と欠伸をこぼしつつ、俺は緩やかに微睡み始めた意識の中でまた本を手に取った。他より小ぶりなそれをぱらりと開き、俺は手書きで記されたその文字を目で追いかける。
『──きょうは、はれ。おそとで、ことりがないていました』
しかし、頭の中にスッと入り込んできた幼い筆跡によって、寝惚けていた俺の意識は即座に覚醒した。
「……!?」
俺は目を見開いて飛び起き、今一度文面に目を凝らす。だが何度目を凝らしても、それは同じように俺の頭の中にすんなりと入ってきた。
『きょうの、ごはんは、おちかなでした』
『あしたは、あめかな。あめだとにっきがかけません』
『やちいがたべたいと、いったら、はたけをつくってくれました』
『かかしも、つくって、くれるんだって。かぞくがふえるね』
読める。俺は、この文字を知っている。
「──日本語……!?」
俺は目を疑ったが、確かにそれは日本語だった。しかもかなり幼い。子供が書いたような筆跡の、ありふれた日常の様子が記された日記。『さ』を間違えて『ち』と逆に書いている様は、まるで幼い頃の璃世の字を彷彿とさせた。
だが、そこで俺は違和感に辿り着く。待て、おかしい、と眉根を寄せた。
「……リシェ……これ、読んでたよな……?」
俺はハッキリと覚えていた。
彼女と共に、初めてこのボロ小屋を訪れた日の事を。
『──あ、これとか専門書じゃないわ! 何の物語かなあ、ラブストーリーがいいなあ!』
『……なーんだ、ただの日記か。日常の事が記されてるだけみたい。つまんないの』
あの時、リシェはこれを“日記”だと言ったのだ。つまり日本語が読めたという事になる。この世界の住人であるにも関わらず。
(どういう事だ……!? リシェも転生者なのか!?)
そう思い至ったが、本人がいない今それを確かめる術はない。
俺はすぐさま立ち上がり、本棚へ駆け寄ると他の日記帳がないか探し始める。片っ端から本を開き、専門書は放り投げ、手書きの文字が記されたものを探し回った。
そして、俺はついに見つけ出す。
『──孤島における生体実験の記録』
今度は大人びた字でそう記された、古い日記帳。紛うことなき日本語だった。
「……っ、生体、実験……?」
どく、どく、と鼓動が脈打ち、生唾を嚥下しながら俺はページを捲る。そこには綺麗な筆跡で、実験の記録らしきものが記されていた。
『王歴四八二年、八月。天気晴れ。
『同年、十月。天気晴れ。前回のL型魔虹液を改良した。人体化せず、体の一部が欠損。牛や羊でも試したが結果は同じだった』
『王歴四八三年、四月。天気雨。L型魔虹液による人体化は、太陽光に弱い事が判明。やはり彼女の細胞と魔力因子を利用しているせいか、呪術の影響が強い。雨の日には問題なく人体化したが、動く様子はない。やはり月明かりが必要か』
──L型魔虹液。人体化。太陽光に弱い。
それらの単語を目で追いかけながら、俺は一つの可能性に辿り着いた。
(まさか、これ、ゾンビを作るまでの工程記録か……!?)
俺は息を呑み、ページを食い入るように見つめる。そしてふと、これまで食ってきたゾンビ肉の味に個体差がある事を思い出した。
牛の味、豚の味、羊の味──アイツらは食う度に、肉の味が変わった。だが、この記録の存在によって、なぜアイツらの肉質が個体によって違ったのかが見えてくる。
ゾンビは元々島にいた動物で、このL型魔虹液という薬を投与された事によって、動物の種類に関わらず同じ容姿の化け物として生み出されてしまった生物なのではないだろうか。
知能が低いのも、火を怖がるのも、この島に獣が一切いないのも──全ては、ゾンビの正体が元々動物だったから……?
(記録された日付は、王歴四八〇年代……。今は、確か王歴五百年代だ。何年か前に建国五百周年を祝うセレモニーがあったはず……あのセレモニーの日は仕事で王都に居たからハッキリ覚えてる)
つまり、この記録は二十年以上前に記されたという事になる。俺は眉根を寄せ、更にページを捲った。
『王歴四八八年、三月。天気晴れ。軍の仕事で訪れた村で、金髪に碧眼の男児を拾った。戦に巻き込まれて顔を潰してしまったらしく、もはや元の原型も分からない。いい機会だと考え、持って帰る事にした。改造すれば使えるだろう。うまく育てればちょうどいい餌になる』
『王歴四九〇年、六月。天気雨。拾った男児の顔の施術がようやく終わった。傷一つ残さなかった。完璧だ。彼は今日から、俺の“影”となる。うまく育てなければ』
『王歴四九三年、二月。天気雪。とある農村に仕事で訪れた際、奇跡のような子供を発見した。薄桃色の髪に、紫の瞳。……ああ、まるで彼女の理想とした“お姫様”そのものじゃないか! 俺は彼女を連れ帰る事にした。両親を殺した際に泣き喚いていたが、大丈夫だ、すぐに薬で全て忘れさせてやろう。彼女は親に捨てられた孤児として、俺が育てる。たっぷりと愛情を込めて育ててやらなければ。彼女の“お姫様”なのだから』
──なんだ、これは。
ぞわぞわと、悪寒が背筋をなぞる。早鐘を打ち鳴らす鼓動が、何度も胸を叩き続ける。
金髪碧眼の“影”に、桃色の髪で紫瞳の“お姫様”。
それはまるで、前世の璃世が描いていた絵の話でもしているかのようで──そして俺は、その条件に当てはまる人物を二人共知っている。
(……待て……そんな……まさか……)
そんなはずはない、と強く言い聞かせるが、焦燥感ばかりが増していく。
俺の考える、この憶測が間違いでないとしたら。
この胸騒ぎが、ただの勘違いではないのだとしたら。
それは最悪の事態だ。
『王歴五◯◯年、一月。建国五百年セレモニーの日。ついにアイツを見つけ出した。長い年月だった。まさか暗殺者になっているとは、さすがに驚いたな。俺の事は覚えているだろうか。彼女の事が分かるだろうか。再会するのが楽しみだ』
──ドォンッ!!
「!?」
やがて記録の最後のページを捲ろうと手をかけた瞬間、外からは何かが強く打ち付けられたような激しい音がした。俺は日記を手に持ったまま振り向き、床を蹴って外へと飛び出す。
そして、大きく目を見開いた。
「──っ!!」
「……っ、か……は……っ」
扉の前の地面に突き刺さっていたのは、先日俺とリシェが修繕したばかりの、古いカカシ。
畑にあったはずのそれは引き抜かれ、小屋の前の土に深々と突き刺されている。
そして、まるで十字架でも
「……な……っ」
俺は暫し絶句し、彼を凝視する。レナードはカカシが被っていたはずの古びた帽子を被らされ、こひゅ、こひゅ、と浅い呼吸を何度も繰り返していた。
そこでようやく我に返り、俺は口を開く。
「お、おい!! アンタ何してんだ、何があった!?」
大声で問い掛けるが、返事はない。目も耳も潰されているようで、俺の声など届いていないようだった。
彼はうわ言のように、ぶつぶつと何かを呟いている。
「……ァ、ウィン、司令、官……どう、して……」
「……っ」
「……あな、たは、俺、に……顔、を、くれた、のに……」
こぽり、血の塊を吐きこぼし、レナードは呟く。
顔をくれた──彼の呟くその言葉と、レナードに深く被せられた帽子の文字が、俺の憶測をより確信へと近付ける。
待て、やめろ、と脳裏で警笛が鳴り響く中、俺の視界を捉えて離さない、あの文字。
──“
それを、レナードが被っているという事は──。
俺は数歩
『……ああ、これが最後のページか。一冊目が終わってしまったな』
『最後ぐらい、記録者の名前を記す事にしようか。仮の名も、本当の名も』
『この世界で生きる俺の名は、アーウィン・ロドリー。そして、忌々しい前世での名前は──』
『──相川 海人という』
その一文によって俺の恐れた憶測は鮮明に色を帯びながら確信へと代わり、迫る最悪のシナリオの入口が、俺を悪夢の最中へと陥れていく。
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