第33話 もう二度と会えないだろう

 銃把じゅうはを握り込む手を震わせ、リシェは息を乱して俺を見つめた。とうとう泣き出してしまった彼女に、レナードはわざとらしく小首を傾げる。



「どうした? 何を泣く必要がある」


「……っ、ひ……ぅ……」


「早く撃て、リシェ捜査官。身の潔白を証明できるチャンスだぞ? しっかり心臓を狙えよ、今なら奴も動けんからな」



 くつくつと喉を鳴らすレナードは、背後からリシェの手を取って無理矢理銃を構えさせる。銃口はまっすぐと俺を捉え、彼女の表情が一層歪んだ。



「ふ……っ、う、ぅ……!」



 無言で泣きじゃくる彼女の視線だけで、撃ちたくないと悲痛に訴えているのが分かる。だが、俺はリシェに向かってそっと口を動かした。


 ──撃て──と、音もなく、ただそれだけ。



「……っ、う、ううぅ……っ!」



 リシェはぶるぶると両手を震わせ、狙いの定まらない手で俺に銃口を向け続ける。銃把を握り、引き金に触れる指。

 そうだ、それでいい。早くそれを引け──俺は視線だけで、彼女にそう訴えてかけていた。



「何をしている。早く撃て、リシェ・ロドリー」


「……っ」


「撃てと言っているのが聞こえないのか!! さっさと撃てェ!!」



 ──パァンッ!!


 痺れを切らしたレナードが怒号を上げた、直後。張り詰めた空気の満ちる海岸には、乾いた銃声が一発、鮮明に鳴り響いた。


 しかし、発砲音と共に放たれた銃弾は俺の体のどの部位も貫通していない。そもそも、発砲した人物自体がリシェではなかったのだ。


 別方向から放たれた銃弾は、リシェの手元の拳銃を見事に弾き飛ばしている。



「……!?」


「──勝手な行動が目に余るようでは、些か困るな。レナード少佐」



 不意に発せられた女の声と共に、ザッ、ザッ、と耳に届く複数の足音。レナードは目を見開き、苦々しく表情を歪めた。



「グロリア大佐……!」



 彼がその名を告げた瞬間、リシェは力なく顔を上げる。道を開けた兵達の間から現れたのは、どこか剛健な雰囲気を纏う中性的な顔立ちの女だった。鎧を来た複数の兵を引き連れ、「グロリア大佐」と呼ばれる様子を見るに、レナードよりも立場は上なのだろう。


 そんな彼女の背後からは、ややあって黒いマスクとフードで顔を覆い隠した人物が現れる。その姿を視界に捉えた途端、リシェはたちまち表情を歪めた。



「……っ」


「ああ……どうやら元気そうだね。安心したよ、リシェ」


「……っ、う、うぅ……!」



 老人のような、しわがれた男の声。リシェはよろめきながらも立ちあがり、緩まったレナードの拘束を振り払う。

 そのまま駆け出した彼女は、脇目も振らず一直線に男の腕の中へと飛び込んだ。



「う、うわあぁんっ! お父さぁぁん!!」



 全力で彼にしがみついたリシェは、「おっとっと……」とよろめいた男に構わず腕の中で泣きじゃくり始める。何となく予測は出来ていたが、どうやら彼こそがリシェの父──アーウィンであるらしい。


 先程グロリアと呼ばれた女は彼の部下らしく、片手に銃を握ったまま親子の姿を見つめていた。おそらくリシェの銃を撃って弾き飛ばしたのは彼女なのだろう。いやあ、見事なお手前で……と俺は密かに感嘆していた。



「……っ、グロリア大佐、アーウィン司令官! なぜあなた方がこの島に!? それになぜ処刑の邪魔をしたのです、あの男は王殺しのイドリ──」


「発言の許可は出していないぞ、レナード少佐。我々はお前達の部隊よりも早くこの島に上陸していた。誤って少し離れた場所に船を付けてしまったため、些か合流が遅れたがな」


「ば、バカな……! 何の連絡も受けていない!」


「何の連絡もよこさず、先に動いたのはお前の方だろう? レナード少佐。お前は実績を上げて昇進する事に没頭するあまり、本質を見誤る節がある。我々は罪人をするまでが仕事だ。直接罪人の刑を執行する許可は降りていない」



 淡々と告げたグロリアの言葉は全面的に的を射ており、レナードの眉間には深い皺が刻まれる。一方で表情ひとつ変えないグロリアは、「それと、イドリス・ダスティの『王殺し』の件だが──」と言葉を続けた。



「──先刻、彼の容疑は晴れた」


「!?」


「先王のご遺体を貫いていたのは、魔力によって生成された独自のナイフ。そのナイフを形作っていた魔力に含まれると、採取したイドリスの魔力因子を医療軍が解析した結果、型が一致しない事が判明したのだ。つまり──」



 ──イドリス・ダスティの“死罪”は取り消される。


 そう続いた彼女の言葉に、俺よりも早くリシェが反応する。



「じゃ、じゃあ……! イドリスは、死ななくていいの……!?」


「ああ、そうだ」



 グロリアが頷いた直後、リシェはそれまで抱きついていた父親の元を即座に離れて走り出した。そのまま倒れている俺にまっすぐと駆け寄り、胸の中へ飛び込んでくる。



「うわあああんっ、よかったあぁぁ!!」


「いっってええ!?」



 豪快に抱きつかれた衝撃で、俺の全身には雷に打たれたかのような激痛が走った。思わず白目を剥いたまま意識が飛びそうになったが、構わずリシェは俺に寄り添って泣き始める。



「ひっく、う、ぅ……よかった、よかったぁ……っ」


「……おい……痛ェよ、捜査官……」


「う、うえぇ、うぐ……ごめんなさいぃ……」


「……はあ……泣くなよ……」



 すがり付いて嗚咽を繰り返すリシェを抱き返し、涙で濡れた肌に頬を寄せる。「イドリス、だいじょうぶ……?」「痛かったよね、ごめんね……」と謝る彼女に俺は薄く微笑み、「ん、大丈夫」と優しく返した。


 レナードは忌々しげに舌打ちを放ち、俺達を睨む。グロリアはそんな彼に厳しく言葉を浴びせた。



「レナード少佐。一個隊を率いる立場でありながら、目に余る勝手な行動の数々で部下や上官を翻弄した罪は重いぞ。相応の制裁は覚悟しておけ」


「……っ」


「そして、リシェ・ロドリー捜査官」


「!」



 突として呼び掛けられ、リシェはびくりと肩を震わせた。おずおずと振り返った彼女は、涙を拭いながら「はい……」と応える。



「私の部下が勝手に采配した不当な任務により、この孤島に一ヶ月間も取り残す事となってしまい、大変申し訳なかった」


「……!」


「国へ戻った際には、軍が手厚くあなたの心身のケアのサポートをすると約束する。本当に申し訳ない」



 先頭のグロリアを筆頭に、鎧を纏った兵達はリシェに深々と頭を下げた。対するリシェは焦燥した様子で「そ、そんな! やめてください、私すっごい元気ですから!」と慌てふためく。


 程なくして頭を上げたグロリアは、


「あなたとその男との間に深い親交があったとしても、我々にそれを咎める権利はない。本来、罪人との親交を必要以上に深める事はご法度だが、今回は不問とする」


 と続け、再びレナードに視線を戻した。



「レナード少佐、今すぐ隊を率いて撤退しろ。これは命令だ」


「……っ」


「聞こえなかったのか。撤退だ、レナード少佐」


「……承知しました……」



 グロリアの命令に従ったレナードは、渋りつつも部下に撤退を命じる。兵が列をなして戦艦へと戻っていく中、レナードは俺の顔を忌々しげに睨み付けた。

 しかし、憎しみに満ちた視線を暫し俺へと向けていた彼もまた、やがて背を向けるとその場から退しりぞいて行く。


 グロリアはそれを厳しい瞳で見送った後、「では、我々もここで失礼する。あとはアーウィン司令官の指示に従いなさい」と告げ、兵を連れて離れていった。


 喧騒が過ぎ去った後、その場に残されたのは俺とリシェ、そして彼女の養父であるアーウィンのみ。「お父さん……」とリシェが声を発した直後、アーウィンは俺に一歩近寄る。



「君が、イドリスか」


「……」


「娘が随分と世話になったようだね。無事に彼女と再会出来た事、嬉しく思うよ。娘を守ってくれてありがとう」



 穏やかな口調で告げる彼だが、その顔はマスクで隠されているため表情は分からない。

 訝しむ俺の視線に気が付いたのか、「おや、失礼。マスクを取った方がいいかな」と続けたアーウィンは顔を覆っていたマスクに手をかけた。



「いやはや、すまないね。驚かせては悪いと思ったものだから」


「……驚く?」


「ああ、そうとも。なんせ私の顔は酷く醜いものでね」



 やはり穏やかに続けながら、彼はついに顔を覆っていたマスクを取り払う。その素顔が顕になった瞬間、俺は息を呑んで言葉を失った。


 なぜなら、アーウィンの顔面は全体的に酷く焼け爛れており──ほとんど人の顔の原型を保てていなかったのである。



「……っ!」


「ふふ、驚いただろう。昔、戦で顔を焼かれてしまってね。専用のマスクや眼鏡がないと、もうあまり目も見えないんだ」



 そう言って笑うアーウィンは瞳を閉ざしており、程なくして再びマスクで顔を覆った。「ああ、これで娘の顔もよく見えるよ」と明るく告げた後、彼はリシェに手招きする。



「さあ、リシェ。一ヶ月間もよく無事だったね。もう大丈夫だ、私と一緒に帰ろう」


「うん! 帰ろうお父さん! ほら、イドリスも!」



 目尻に浮かんでいた涙を拭い、ぐっと俺の手を引いて笑うリシェ。


 だが、俺はその場を動かなかった。



「……? イドリス?」



 きょとん、不思議そうに丸くなるリシェの瞳。そんな彼女の背後で、アーウィンは浅く顎を引く。



「……君は、やはり賢いようだね、イドリス。説明する手間は必要なかったようだ」


「……帳消しになった、俺の罪ってのは、」



 目線を一切逸らさず、俺は低く告げた。



「──王殺しの罪なんだろ」



 その言葉に、リシェの顔からは笑顔が消える。アーウィンはまた一歩俺に近付き、「……すまないね」とこぼした。



「君の言う通りだよ、イドリス。王殺しの容疑が晴れたおかげで、君の罪は一つ消え、刑が


「え……待って、どういう事……? お父さん……」


「王殺しの罪は消えたが、他の罪は消えていないという事だ。主に、長年の暗殺業における殺人罪がね」



 リシェは絶句し、硬直して俺の顔を見つめる。アーウィンは更に続けた。



「これでもなるべく譲歩した。審議の結果、最終的に王都が君に下した判決は“国外追放”。つまり、現状の島流しのまま、君の刑は変わらない」


「……」


「私も王都の軍人だ。愛しい娘を守ろうとしてくれた恩人にこんな事を告げるのは心苦しいが、軍の人間として君を本土へ連れ帰る事は出来ない。……分かってくれないか」


「……分かってくれも何も、俺は元々あの国に帰るつもりはない。このままここに残るし、ここで一人で暮らすつもりだった。何も恨みやしねーさ」



 肩を竦め、俺は自身の顔に残る乾いた血痕を拭う。アーウィンは「そうか……助かるよ」と頷いた後、硬直したまま動かないリシェに視線を戻した。



「リシェ」


「……」


「私は、少し離れた場所で待っているから……イドリスとの話が全て終わったら、来なさい」



 さらり、彼女の頭を撫ぜたアーウィンは背を向けて俺達の元を離れていく。しかし最後にもう一度振り向き、彼は一言だけ付け加えた。



「……おそらく、彼とはもう二度と会えないだろう。別れの挨拶は、後悔がないようにね」



 吹き込んだ一陣の風が、ただ冷たく頬を撫でて、俺とリシェの間を吹き抜けていく。




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