第32話 無実の証明
足場の悪い斜面を慎重に進み、リシェと手を繋いだまま、ざわめく海岸へと徐々に近付いていく。少し離れた岩陰から浜を覗き見れば、やはり大きな軍艦が島に上陸していた。
先日よりも多くの兵が列をなし、その先頭にはレナードの姿もある。張り詰めた空気感と武装した兵の集団に、リシェは不安げな表情で俺の手を握りしめた。
「イドリス……」
「大丈夫だって。何かあったら俺がどうにかするし、最悪ラムナにアンタの事は任せてある」
「……ラムナって……この前の、イドリスの愛人?」
「いや愛人じゃねーわ。その勘違いマジでやめて」
げんなりと辟易し、俺は再び海岸の様子を窺う。幸いまだ上陸して間もないらしく、武装はしているものの戦闘態勢は万全ではない。いきなり撃たれる事はなさそうだと考え、俺はリシェの手を引いた。
「行くぞ、捜査官。今ならまだ話が通じるかも」
「話って……もしかして、死罪を免れるための!?」
「違う、アンタの誤解を解くための話。俺の死罪はどうやったって覆らねーよ」
嘆息すれば、リシェはあからさまに肩を落とす。余計な事ばかり考えている彼女に、俺は改めて念を押した。
「いいか、絶対に俺の肩は持つなよ。何があってもだぞ。アンタはただ、ずっと俺に脅されて酷い目に遭わされてたって事にしときゃいい」
「……うん」
こくんと頷くリシェの頭を撫で、「ん、えらいえらい」と微笑む。そのまま海岸へ向かって歩きだした俺達は、程なくして繋いでいた手を離した。
もう、この手を繋ぐ事もないのだろう。
ぬくもりの離れた手のひらで触れる風はやけに冷たく、俺の指先を冷やしていく。
俺は冷えた手首に自ら縄を巻き付け、口と手を器用に使って両手首を硬く結び付けた。縄抜けが
そんな下準備を終え、やがて海岸へと足を踏み入れれば、軍の連中の視線が一斉に俺達の元へ注がれた。
「……あ、あれは……!」
「レナード少佐! イドリス・ダスティです! 先日死亡したはずのリシェ捜査官も同行しています!」
兵の一人が声を上げた瞬間、レナードは目尻を吊り上げて俺達を睨む。しかし彼が言葉を発する前に、リシェが緊張した面持ちで口火を切った。
「お、王都軍特別捜査官、リシェ・ロドリーです! 孤島内に潜伏していた大罪人、イドリス・ダスティを捕捉し、連行いたしました!」
「……何……?」
リシェの言葉にレナードは眉を顰める。そしてすぐさま彼女に怒号をぶつけた。
「何が連行だ、
威圧的に怒鳴られ、リシェは一瞬怯んでたじろぐ。しかしすぐに反論した。
「ち、違います! 私はこの男とは何の関係もありません! ずっと、この男に脅されていて酷い仕打ちを……」
「ハッ、嘘に決まっている! 何度殺しても蘇る化け物が、人間のツラでよくもぬけぬけと物を言えるな!!」
「きゃうっ!?」
バシィッ! と強く頬をぶたれたリシェが力無くよろけて地面に倒れる。俺は思わず動きかけたが、ぐっと堪えて拳を握り込んだ。
レナードは彼女の長い髪を掴み上げ、震えるその顔を至近距離で睨み付ける。
「吐け、リシェ・ロドリー。貴様、あいつとつるんで何かを企んでいるんだろう? 先王の暗殺に貴様も関わっていたのか? さては、即位したばかりの若き国王陛下も殺すつもりなんだろう」
「ち、違います、そんな事しません……! 何も企んでいません……っ」
「ふん、信用ならんな。そもそも、丸腰で我々の前に姿を現すとも考えられん。どこかに武器を隠していないか確かめてやらねばなるまい。──脱げ、リシェ捜査官」
「……!?」
レナードの言葉に、リシェの表情が固く強張る。「え……そ、そんな……」とワンピースの裾を握り締めて青ざめる彼女の姿を、レナードは冷たく見下ろした。
「脱げないのか? やはり何か隠しているな」
「か、隠してません……っ」
「だったら服を脱いで無様に
「……っ」
狼狽えるリシェに向けられた周囲の兵の視線は、
彼女は蒼白に染まる顔で俯き、やがて、震える手を自らの衣服へと伸ばす。
しかし、すかさず俺が近くに居た兵の背中を豪快に蹴り飛ばした事で、リシェの手は止まった。
「──うわあぁっ!?」
「!」
「……あー、すんません。足が滑りましたぁ」
何の悪びれもなく
衝撃でぶつりと唇が切れ、リシェの悲鳴が耳に届く。俺は足をもつれさせてよろけながらも、黙ってレナードを睨んだ。
「……ふん。やはり随分と仲良しこよしのようだなァ、貴様らは。女が他の男の前で脱がされるとなればこれだ。分かりやすいバカで助かるよ、イドリス」
蔑んだ目で俺を見下ろすレナード。俺は肩を竦め、切れた唇の血を拭いながらその場に唾を吐き捨てる。
「はー? 何の話だか。足が滑ったとこに偶然アンタんとこのボンクラ部下が居ただけで、その女は全く関係ないけど? 妄想も程々にしろよ~。上官がボンクラだと、部下の実力もたかが知れてんだよなァ。かわいそーに」
挑発的に笑えば、レナードの表情には途端にぴしりとひびが入る。彼は拳を振り上げ、再び俺の顔を殴りつけた。そのまま立て続けに、ゴッ、ゴッ、と何度も重い拳が肌を打ち、鈍痛と共に脳が揺れる。
視界の端で捉えたリシェは、今にも泣き出しそうな表情で震えながら俺を見ていた。
そんな顔するなよ、と胸の内だけで呟いた頃、腹部を蹴られた俺は地面に倒れてラムナに射抜かれた傷口の上を踏みつけられる。
「……っ」
「最強の暗殺者だと聞いていたが、噂より大した事ないなァ? イドリス。少しは抵抗したらどうだ?」
「……ボンクラ野郎のヘナチョコパンチなんざ痛くも痒くもねーのに、何で抵抗する必要があんだよ」
「チッ、減らず口だけはペラペラと……!」
「っ……ぐ……!」
傷口を靴底で踏みにじられ、激痛と共に血が滲む。
クッッソ、めちゃくちゃ痛えなァ!! と脳内だけでブチ切れる俺だったが、歯を食いしばって痛みに耐えた。
激痛を誤魔化すように俺は口角を上げ、余裕のある素振りを強引に装いながら更に挑発を繰り返す。
「んだよ、いつまでもベラベラ喋りやがってよォ! 俺にビビってんのかァ!? 殺すならさっさと殺せよ王都のイヌ共!! 無抵抗の罪人一人も殺せないような虫けらの集まりたァ、片腹痛いわぁ! お天道さんもびっくりの腰抜け揃いで笑っちまうよなァ!?」
──ゴッ!!
再び鈍い音が響き、俺の視界がぐるんと反転する。どうやら顔面を蹴られたらしく、俺は強い衝撃と共に地面を転がって血反吐を吐きこぼした。
鉄錆の味が舌の上に広がり、眉間と鼻の間が熱を帯びて痺れ始める。あー、さては口の中も鼻の中もめちゃくちゃ切れたな。くっそ痛い。
「……どうやらよっぽど死にたいようだな、イドリス」
「……」
「ならば望み通り、さっさと殺してやろう」
レナードは冷たく口を開き、ホルスターから拳銃を取り出した。しかし彼は引き金を引くことなく、すぐにそれを地面へと放り投げる。
予想外の行動に、俺は眉根を寄せた。
「!?」
「──まあ、俺が手を下すわけではないがな。……なあ? リシェ捜査官」
にたり、レナードの口角が不敵に上がる。
先程放り投げられた拳銃はリシェの足元に転がっており、俺と彼女は同時に目を見張った。
「……!」
「貴様、この罪人と親密な関係を築いていたわけではないんだったなァ? せっかくの機会だ、それを証明するチャンスをやろう」
「……証、明……?」
「ああ、そうだ。貴様は全面的に使えない女だったが、唯一射撃の腕だけは良かったからな。あそこに転がっている罪人の心臓を撃ち抜く事など容易いだろう? この距離ならば狙いも外すまい」
レナードの言葉に、リシェは唇を震わせて息を呑む。足元に転がる拳銃を拾い上げたレナードは、それを強引にリシェの手に握らせた。
銃を持った彼女は青ざめ、涙の溜まる瞳で俺を映す。
「……さあ、リシェ捜査官」
「……っ」
「──その銃で、イドリスを殺せ」
無慈悲に告げられた一言の後、彼女の瞳に溜まる涙の粒が、白い肌の上をつうと伝って滑り落ちていった。
.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます