第31話 俺と彼女の貫く正義

 浅い眠りから目が覚めると、泣き腫らした目をしたリシェが俺にしがみついて眠っていた。昨晩はいくら俺が突き放しても離れてくれず、子供のように引っ付いて泣き喚いていた彼女。


 その泣き顔がいつまでも脳裏に焼き付いて──また、俺の覚悟を鈍らせる。



(……違う、これでいい。たった一ヶ月、島で一緒に過ごしただけだ。一時的に情が移ってるだけで、俺の事なんかすぐに忘れる)



 自身にそう言い聞かせ、俺はそっと彼女の腕の中から抜け出した。しがみついている手を優しく解き、眠る彼女に背を向けてテントを出る。


 朝の空気は冷たく俺の体を包み、知らない匂いが鼻先を掠めた。どうやら軍艦が近付いてきたらしい。いよいよか、と目を細める。



「……ラムナ、居るんだろ」



 呟けば、まるで呼ばれる事が分かっていたかのようにラムナが現れた。神出鬼没な奴だと呆れつつ、俺は一方的に話を進める。



「一つだけ約束しろ。俺には何したって構わねーが、リシェには手を出すな。例え俺が死んだとしてもだ。アイツだけは何があっても無事に父親のところに帰せ」


「あらあら、なぁに、頼み事? 報酬がないと私動かないわよぉ?」


「俺が組織にいた頃ずっとねぐらにしてた部屋の床下に、今までの報酬で得た金が眠ってる。好きに使えよ、どうせ戻る事もない」



 淡々と告げ、俺は目を逸らす。ラムナは楽しげに微笑み、「もうすぐ軍の連中が来るわねえ、どうするの?」と問いかけた。


 俺は肩を竦め、溜息と共に答える。



「……別に、どうもしねえよ。自ら投降して、アイツらに首をやる。そんだけ」


「あらぁ、捜査官ちゃん悲しむわよぉ?」


「一時的にな。どうせすぐ俺の事なんか忘れるだろ」



 つーか忘れてもらわないと困るんだよ、と小さくこぼし、俺はラムナを見据えた。「俺の頼み、請け負うか?」と問えば、彼女は首を傾げる。



「断ったら?」


「断らせない。失敗も許さない。請けろ」


「やだぁ、横暴ねえ。でも、そういうの大好き~」



 うふふ、と不気味に舌なめずりをしたラムナは、「考えとくわ~」と微笑んで地面を蹴り、木々の隙間を飛び移りながら消えていった。


 考えとく、と彼女が言う時は、おそらく了承したというサインだ。ひとまずはリシェの安全が保証されたと考えていい。……多分。



「……あとは、リシェか……」



 俺は視線を落としつつ踵を返し、まだ眠っているであろう彼女のいるテント内へと再び入り込んだ。穏やかな寝息を立てているリシェにそっと近付き、俺は華奢なその肩を揺さぶる。



「いつまで寝てんだよ、捜査官。起きろ」



 声をかけ、ぺちぺちと軽く頬を叩いた。するとリシェは目を覚まし、寝ぼけた顔で俺を見つめる。


 やがて意識がはっきりし始めたのか、たちまちその顔が悲哀を帯びて歪んだ。



「……イドリス……」


「おはよ、朝だぞ」


「……う、うん……おはよ……」



 気まずそうに声を紡ぎ、リシェは俯く。しかし直後、遠くから砲弾が発射されるような大きな爆音が響いた事で彼女の顔は持ち上がった。


 ズゥン、と鈍く地面が震動する。俺は眉根を寄せ、「来たか……」と呟いた後、リシェへと視線を戻した。



「悪ィけど、あんま時間ねーみたいだから単刀直入に言うわ。俺の言う事をよく聞け」


「え……」


「俺とアンタは、今から軍の連中がいる海岸まで二人で向かう。で、アンタは俺を罪人として軍に突き出せ」


「……!」


「簡単な事だろ? 出来るよな? 分かったら行くぞ、ほら」



 強引に腕を引き、リシェを立ち上がらせる。しかし彼女は抵抗し、「嫌!」と首を振った。


 俺は苛立ち、無意識に舌打ちを放つ。



「絶対嫌よ、それってつまりイドリスを犠牲にしろって事じゃない!! そんなの出来ない、やりたくない!!」


「まだそんな事言ってんのかよ、いい加減にしろ!!」



 声を荒らげ、リシェの首元の装飾を掴み上げた。怯んだ彼女は息を呑み、ごくりと生唾を嚥下する。



「アンタは正義の捜査官なんだろうが!! だったら罪人の肩なんか持つな! 軍人なら黙って俺を連中の前に突き出せ! ただそれだけでアンタは助かる可能性があるんだ!!」


「……っ」


「俺を犠牲にしたくないって? 何甘い事言ってんだよ! 罪人を犠牲にして何が悪い? ちょっと顔見知りになった罪人が死ぬからって何を躊躇う必要があるんだ? どうせ俺達は他人だろ! アンタは“正義”って言葉を盾にして、嫌な役目からただ逃げてるだけ──」


「──私の正義は!!」



 俺の怒声を遮り、リシェは声を張り上げる。俺が思わず声を詰まらせる中、彼女は「私の正義は……」と再度繰り返した。



「例えイドリスが、極悪非道の大罪人だとしても……誰か一人を犠牲にして、自分だけが生き残るなんて、正しくないって言ってる……」


「……!」


「誰かにそんな酷い仕打ちをするために、私は捜査官になりたかったんじゃない……! 私は私の、理想の“正義”を貫くために、捜査官になったの……っ」



 リシェは揺らぐ瞳に涙を浮かべ、真っ直ぐと俺を見つめる。彼女は俺の双眸を見つめたまま、「私は私の正義に従う!」と強い意志で言い放った。


 だが、俺の思いも変わらない。



「……だったら、俺の正義だって同じだ。俺なんかを庇ったせいで、アンタが不幸になる未来なんて正しいと思わない」


「っ、でも!」


「言っておくが譲らねーぞ。俺は何がなんでも、無事にアンタを国へ帰す」



 掴み上げていた彼女の首元から手を離し、俺はリシェの頬に手を添えた。その肌の上を滑る涙を指先で拭い、ゆっくりと顔を近付け、額同士をこつりと合わせる。



「罪人の、最期の望みくらい叶えてくれよ……」


「……っ」


「なあ、リシェ……頼むから、言う事聞いてくれ……」



 力なく、情けなく、言葉を紡いだ。リシェはせっかく拭ってやった頬に再び涙を落とし、ぐにゃりと表情を歪める。


 俺は彼女の体を引き寄せ、震える肩口に顔を埋めた。



「……アンタが幸せになる事が、俺に出来る唯一の贖罪で、俺の望む唯一の救済なんだ……」


「……」


「俺を救ってくれよ……正義の捜査官なら……」



 言い聞かせ、抱き寄せる腕に力を込める。リシェは小さく嗚咽を飲み込み、暫く黙り込んでいたが──やがて、力無く頷いた。


 揺らいでいた正義の天秤が、俺の元へ傾く。



「……っ、う、ぅ……」


「泣くなよ、リシェ」


「……ううぅ……っ」


「元気でな」



 弱々しく了承したリシェは、俺に身を寄せて泣きじゃくり始める。


 俺は彼女の後頭部を優しく撫で、落ち着きを取り戻すまで待ってやったところで──温もりの宿るその手を引き、二人が一ヶ月間、共に過ごした拠点ホームを後にしたのだった。




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