第30話 願うことならば

「ちゃんと直ってよかったな、カカシ」



 夜。パチパチと燃える火に小鍋を熱し、キノコと共にオイル煮にされたゾンビ肉を口へ運びながら俺はリシェに語り掛けた。


 結局あの後、俺達は森で材料──ついでに食料ゾンビ──を調達し、折れたカカシを修復したのである。しっかりと帽子も被せてやり、哀愁すら漂っていたおんぼろカカシは見事に蘇った。


 だが、やはりリシェの表情は暗いままで。

 せっかく美味しく出来上がったゾンビのアヒージョも、いまいち喉を通っていないように思える。



「おい、しっかり食っとけよ捜査官。明日には軍が来るかもしんねーぞ」


「……うん」



 声をかけても、どこかうわの空。リシェはぼんやりとゾンビ肉を咀嚼し、やがて「なんか、あんまり食欲ないや……」と立ち上がった。



「もう、寝るね。ごちそうさま」


「は? おい……」


「また明日。おやすみ」



 へらり。強引に微笑み、リシェはテントへと戻っていく。俺は一瞬引き留めようとしたが、伸ばした手は虚空を掴むばかりだった。



「……」



 俺は黙ったまま行き場のない手を戻し、月の輝く空を仰ぐ。

 食欲がないというのは、おそらく体調が悪いとかそういう類の話ではないとは思うが……少し心配にはなってしまう。



(余計な事、考えてなきゃいいけどな……)



 ふう、と浅く息を吐いた。このタイミングで体調でも崩されようものなら、たとえ円満に別れたとしても些か尾を引いてしまいかねない。俺はアヒージョを口に運び、火を消し止めながら考え込む。


 そして不意に、以前リシェが体調を崩して発熱した日の事を思い出した。



(……そういや、リシェが前に熱出したのって……、だったような……)



 再び空の月を見上げ、目を細める。そしてすぐに違和感を覚えた。


 ラムナの話によれば、リシェは“不死アナトス”。

 だが、この世界における“不死”の一族に『体調を崩す』という概念などないはずなのだ。


 俺が転生した世界には、古来から生きている“不死族アタナシア”と呼ばれる不老不死の一族が存在すると聞いた事がある。彼らは不死身であり、生まれた時からの姿をしているという話だ。


 この時点で、まずおかしい。リシェの容姿はどう見ても十代後半から二十代前半程度。その上本人には不死である自覚もない。

 つまり、彼女はこれまで至って普通の人間として幼少期を過ごし、歳を重ねながら成長してきたという事だ。



(じゃあ、“不老”ってわけではないのか……? 外傷じゃ死なないみたいだったが、老衰では死ぬ可能性がある……?)



 俺は顎に手を当てて考え込む。


 不死族アタナシアが死ぬための方法は、で心臓を穿つらぬくという一点のみ。老衰や外傷によって死ぬ事はなく、病にも罹らないと聞く。


 しかし、リシェは以前『雨の日には体調を崩しやすい』とボヤいていた。実際発熱もしたし、どうにも彼女の“不死”には中途半端な印象が強い。


 リシェが体調を崩すのも雨の日。

 ゾンビが活動しないのも雨の日。

 理由は、月が出ていないからか?

 そして、月光には呪術を緩和する作用がある……。



(どういう事だ……? リシェも、ゾンビも……呪術と何らかの関係があるのか……?)



 黙って思案し、俺は腰を上げた。


 呪術師の血を受け継ぐ王。

 死罪を受けた大罪人の刑罰の偽造。

 化け物の蔓延はびこる孤島への島流し。

 容姿は同じなのに中身が違うゾンビ。

 月の光。呪い。不死アナトス紛い物ファルシ……。


 ──ダメだ、繋がらない。



「……分かんねーな」



 嘆息し、おもむろにテントの入口をくぐる。


 先に転がっていたリシェは壁際を向いた状態で膝を曲げ、やけに静かに眠っていた。その隣に腰を下ろした俺は、最後かもしれない彼女の寝姿を見納めつつ頭を撫でて横になる。


 そしてそのまま、重い瞼を閉ざす──はずだったのだが。

 突として振り返ったリシェが腕を広げて飛びついて来た事で、俺は大きく目を見開いた。



「──いってえ!?」



 ビキィッ! と全身の神経に雷が落ちたかのような痛みが駆け抜け、俺は思わず大きな声を漏らす。背中には案の定リシェがひっついており、何すんだこいつ……! と胸の内だけで文句を垂れた。



「っ……、たぁ~……! おいおい、急に怪我人に抱きつくんじゃねえよ捜査官……激痛げきいただったんですけど……」


「……」


「……? どうした? 怖い夢でも見た?」



 何も応えないリシェ。いつものように寝ぼけているのだろうかと訝しみ、俺はその髪を撫でてみる。しかし彼女は黙ったまま力なくかぶりを振り、一層力強く俺に抱きついた。


 だから痛いって……! と顔を顰めたが──よく耳を澄ませば、彼女の喉からは小さく嗚咽がこぼれていて。



「……え? 捜査官? 泣いてる?」



 些か驚きながら問えば、それまで黙っていたリシェが「やだ……」とようやく口を開いた。俺は更に首を傾げてしまう。



「……は?」


「……やだ、……ぐすっ……」


「え? 何が? ていうか泣くなよ、アンタ急にどうし──」


「死んじゃ、やだ……やだよぉ、イドリス……」



 ぎゅう、とリシェの腕に力が籠る。俺は息を呑み、硬直したまま声を詰まらせた。


 死んじゃやだ、と再び繰り返した声が、頭の中で何度も巡る。



「……ひっ、う、く……最後、なんて、やだ……やだよ、イドリス……! 私、イドリスに、死んで欲しくないよ……っ」


「……っ」


「う、えぐ……っ、死なないで……お願い、死なないでよぉ……! うぅ……っ」



 縋るようにしがみつき、泣きじゃくりながら懇願するリシェ。俺は暫く何も言葉を発する事が出来なかったが、ややあってようやく酸素を肺に取り込み、声を絞り出した。



「……な、何言ってんだ……無理だろ……俺、罪人なんだから……」


「う、ぅ……っ嫌だ……死んじゃ、やだぁ……っ」


「ワガママ言うなよ、アンタ軍人だろ? 憎い罪人が一人、この世から消えるんだぜ? もっと喜べよ」


「違うよ……っ、イドリスは他の罪人とは違うもん! 私に優しくしてくれて、守ってくれて、いつも、心配してくれてっ……! 今まで見てきた罪人とは全然違──」


「何も違わねえだろ!! 甘ったれた事言ってんじゃねえよ!!」



 思わず怒鳴りつけ、リシェの体を引き剥がす。彼女はびくりと肩を震わせ、大粒の涙を落としながら俺を見上げた。



「たった一ヶ月間一緒に過ごしただけのアンタが、俺の何を知ってんだ!? 俺は人殺しだ! アンタが知らねえだけで、汚ない事だって平気でやってきた!!」


「……っ」


「何ならアンタの事だって、このまま素っ裸にひん剥いてその綺麗な体がボロボロになるまで犯し尽くして殺したっていいんだぞ!! 俺にはそれが簡単に出来る!! そんな奴が『他の罪人と違う』わけねーだろうが!! 甘ったれた考えもいい加減にしろよ!!」



 ラムナの矢で貫かれた肩と、本調子ではない全身が酷く痛む。だが、俺は構わず彼女を咎めた。


 ──いつからか、リシェは俺を『罪人』とは呼ばなくなっていた。

 その事に俺はずっと気が付いていて、だからこそ、彼女が俺に抱く情や未練は早々に断ち切らせなければならないと思っていたのだ。


 リシェが不死アナトスである事実は、既にレナードを含めた軍の連中にも露呈している。もし今後俺を庇えば、彼女が謀反人としてどんな目に遭わされるか分からない。


 彼女が死ぬよりも辛い目に遭う事だけは、どうしても避けたかった。



「こんなクソみてーな俺の事なんか、さっさと見限って殺してくれよ……! もう、うんざりなんだよ……」



 だからどうか、俺を見捨てて欲しい。



「勝手に、俺の事知った気になってんじゃねえよ……アンタの顔なんか、本当はもう見たくもないんだ……」



 心にもない言葉をぶつける事を、どうか許して欲しい。


 けれど突き放したい俺の思いとは裏腹に、体は勝手に動いて、いつのまにか彼女の事を抱き締めていた。離れなければと自身に強く言い聞かせても、腕にこもった力が緩む事はない。



「……っ」


「……俺は、アンタなんか、嫌いだ……っ、大嫌いだ……リシェ……」


「……っ、ひ、ぐすっ……」


「だから、俺の事も……嫌ってくれよ……」


「う、あぁ……っ、あああ……っ!」



 苦し紛れに呟いた嘘の言葉と、リシェの泣き声が悲痛に重なる。俺を抱き返す彼女の手首には、俺の編んだミサンガの赤い糸が、まだ繋がっていた。


 君がどこかで幸せになってくれれば、それで良かった。

 結んだ糸にささやかな願いを込めて、心からそう思っていたんだ。


 でも、今は違う。


 こんな願いに、気付きたくなんかなかったのに。



(……ごめんな、リシェ)



 出来る事ならば、俺が、俺の手で──君を幸せにしてやりたかった、なんて。




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